練馬区史 現勢編

<通史本文> <編 type="body"> <部 type="body">

第三部

<本文>

第十一章 行政

第十二章 財政

第十三章 税制

第十四章 広報・広聴・相談

<章>

第十一章 行政

<節>
第一節 特別区制度
<本文>

練馬区の行政は、地方自治制度に基づいて歩み続けてきた。区政の歩みをたどるにあたり、特別区制度とその変遷、また、これにまつわる動きをみることにする。

<項>
地方自治制度と特別区
<本文>

特別区の制度をみていくうえで、まず現行の特別区の性格、位置づけ、事務および権限等の特別区のアウトラインについて概括することにしよう。

日本国憲法は、地方自治制度の意義を尊重し侵すことのできない政治原理として、地方自治について特に一章を設け四か条の原則を置いている。すなわち、第九二条に地方自治の根本原則を定め、第九三条で地方公共団体の組織について議会の設置、首長の公選などを定め、第九四条で運営について立法および行政の権能を認め、第九五条で一つの地方公共団体のみに適用される特別法の住民投票について定めている。

憲法第九二条は、「地方公共団体の組織および運営は、地方自治の本旨に基づいて、法律でこれを定める」と規定し、これに基づいて、昭和二二年五月三日、地方自治に関する基本法である「地方自治法」が新憲法と同時に施行された。

特別区の性格

地方自治法は、地方自治を担う地方公共団体を「普通地方公共団体」と「特別地方公共団体」の二種類に区分している。

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普通地方公共団体は、その構成、自治権等からみて一般的、普遍的な団体をいい、特別地方公共団体は、普通地方公共団体に比べ、その構成、自治権等が特別の性質を有し、その団体の設置目的においても特殊なものをいうとされている。特別区は特別地方公共団体の一つであり、都に包括された地方公共団体である。そして、首都東京の大都市地域の行政を統一的、広域的に処理する見地から、都道府県に包括された他の市とは異なった目的、構成、自治権をもつ地方公共団体として位置づけられている。

昭和四九年の自治法の改正により、特別区には二四年ぶりに公選区長が誕生し、同時に都から多くの市的事務が移管され、その性格も従来のような都の内部的部分団体から脱して、原則として市の事務を処理する地方公共団体となった。その位置づけは、憲法第九二条にいう地方公共団体ではなく、したがって市町村のような基礎的地方公共団体とは認められていないが、特別地方公共団体の中にあって、市に最も近い基礎的な性格を有する地方公共団体ということができる。自治法には、「都の区は、これを特別区という」(地方自治法第二八一条第一項)と規定され、特別区は都だけに認められた制度である。

都の区域のうち、都と市町村との関係は、市町村が基礎的地方公共団体であるから、他の道府県と市町村の関係と同じである。しかし、特別区が存する区域においては、都が市の機能と権限の一部を留保しているため、都はその限りにおいて基礎的地方公共団体の性格をもつものである。自治法に、特別区の名称および区域は従来の名称および区域によることと規定されているので、現在は二三区がこの特別区となっている。

特別区の事務および権限

特別区は、原則として市に属する事務を処理する。したがって、特別区は、市と同様に都道府県が処理することとされている広域・統一・連絡調整・補完事務以外の一切の事務を処理する。しかし、特別区は沿革的、実態的に都と一体的、総合的に大都市行政を行なってきたため、市に属する事務であっても特別区の存する区域にわたって統一的に処理する必要のある事務や個々の特別区の処理能力を超える事務については、法律またはこれに基づく政令の定めるところにより、都が処理することとされている。

つぎに特別区の事務を概括すると、つぎのとおりである。

① 特別区の処理する事務(団体事務

特別区は、法律または政令により都が処理することとされているものを除き、公共事務、法律または政令により市に属する事務、法律または政令により特別区に属する事務および行政事務を処理するものとされている。

<項番>(ア)公共事務 特別区の存立の本来の目的にしたがって、その住民の福祉の増進を目的として行なう各種の事業の実施、施設の設置、経営、管理等の事務をいい、特別区は市と同様の事務を処理することとされている。

<項番>(イ)法律または政令により市に属する事務 特別区は、原則として一般の市に属する団体委任事務と同等の事務を処理するが、一般の市に属する事務であっても法律またはこれに基づく政令により都の事務とされているものがある。その事務の主要なものは、つぎのとおりである。

○伝染病予防法に基づく事務 伝染病院、隔離所または消毒所の設置および家用水の使用を停止した場合の家用水の供給に関する事務。

○都市計画法に基づく事務 特別区が定める都市計画は施設に係る都市計画の一部に限られ、他は都が定めるものとされている。

○下水道法に基づく事務 特別区の存する区域については、都が処理することを原則とし、特別区は都と協議して、主と

して当該特別区の住民の用に供する下水道(支線部分)の設置管理を行なうものとされている。

○廃棄物の処理および清掃に関する法律に基づく事務 公衆便所およびごみ容器の設置管理並びに一般廃棄物の収集運搬の事務以外の事務は、都が処理するものとされている。しかし、一般廃棄物の収集運搬の事務についても、従来から都で処理してきた経緯があるため、別に法律で定める日までの間は、引き続き都が処理することとされている。

なお、このほかに特別区の存する区域の消防については都知事が管理し、学校の教育職員の任用その他の身分取り扱い、教育課程および教科書その他の教材の取り扱いについては、都の教育委員会が所管している。

<項番>(ウ)法律または政令により特別区に属する事務 現在、特別区に属する事務として、保健所に関する事務と競馬を施行する事務がある。ただし、保健所に関する事務のうち、狂犬病予防法に基づく事務(犬の抑留所の設置、狂犬病予防員の設置等)、と畜場法に基づく事務(と畜検査員の設置)、廃棄物の処理および清掃に関する法律に基づく事務(環境衛生指導員の設置)等は、都に留保されている。

<項番>(エ)行政事務 特別区は、一般の市と同様に、その区域内の行政事務で国の事務に属さないものを処理する。

② 特別区の区長の処理する事務

区長が管理し執行する事務としては、つぎのものがある。

<項番>(ア)当該特別区の事務 一般の市の市長がその団体の事務を処理するのと同様に、区長は執行機関として特別区の団体事務を処理する。

<項番>(イ)法律または政令によりその権限に属する国、他の地方公共団体その他公共団体の事務 これは、特別区の区長に特に委任された機関委任事務である。

ただし、つぎの事務は都知事に留保されている。

○食品衛生法に基づく卸売市場内における食品衛生監視等の一部の事務 ○狂犬病予防法に基づく犬の登録、捕獲等の事

務 ○<圏点 style="dot">と畜場法に基づく事務 ○建築物における衛生的環境の確保に関する法律に基づく事務 ○廃棄物の処理および清掃に関する法律に基づく事務 ○有害物を含有する家庭用品の規制に関する法律に基づく事務

<項番>(ウ)法律または政令により市長の権限に属する国、他の地方公共団体その他公共団体の事務 市長に機関委任された事務であるが、一般の市長の権限に属する機関委任事務であっても特別区の区長が処理できず、都知事が市長としての権限で処理している事務もある。

<項番>(エ)都知事が都の規則で委任する事務 都知事は、都の事務で都知事が管理執行するものおよび都知事の機関委任事務の中で主として特別区の区域内に関する事務については、都の規則(東京都区長委任条項)により特別区の区長に委任して執行させるものとしている。現在、都知事が都の規則により区長に委任している事務は数多くあるが、とくに昭和四九年の自治法改正により保健所関連事務が大幅に委任された。

都区間および特別区相互間の調整

自治法においては、特別区がその区域内の事務を自主的、独立的に処理していくことを認めているが、他方、大都市行政の総合的、一体的運営を確保するために、都と特別区および特別区相互間の関係について、つぎのような各種の調整措置が定められている。

① 調整条例 都は、条例で特別区の事務について、特別区相互の間の調整上必要な規定を設けることができる(例特別区国民健康保険事業調整条例)。特別区は、都の調整条例に違反してその事務を処理してはならず、違反した行為はこれを無効とするものとされている。

② 財源調整 都は、都と特別区および特別区相互間の財源の均衡化を図り、特別区の行政の自主的かつ計画的な運営を確保するため、特別区に属する事務および執行機関の権限に属する事務の処理または管理もしくは執行に要する経費の財源について、条例で都と特別区および特別区相互の間の調整上必要な措置を講じなければならないとされている。

③ 助言勧告権 都知事は、特別区に対し都と特別区および特別区相互の間の調整上、特別区の事務(機関委任事務を含ま

ない)の処理について、その処理の基準を示す等必要な助言または勧告をすることができるものとされている。

④ 都区協議会 都および特別区の事務の処理または国の事務の管理執行について、都と特別区および特別区相互の間の連絡調整を図るため、都および特別区をもって「都区協議会」を設けることとされている。都区協議会は、都および二三特別区の共同の機関であって、その性格上都および特別区の諮問機関的な性格をもつものである。したがって、都から特別区に対する事務委任の条例、都区調整条例および都区財政調整条例の制定・改廃の場合には、都知事はあらかじめ都区協議会の意見を聞かなければならないとされている。

<項>
特別区の歩み
<本文>

これまでみてきたように、特別区は、首都東京の大都市地域の行政を統一的、広域的に処理する見地から、都道府県に包括された他の市とは異なった目的、構成、自治権をもつ都だけに認められた制度である。

特別区は、近代国家としての明治政府の誕生以来、今日までの長い歴史の過程の中で、そのときどきの時代の要請、政治社会状況のもとに、幾多の変遷を遂げてきたといえる。自治制度上他の普通地方公共団体にはみられない多くの複雑な問題を抱えているのはこのためである。したがって、現在の特別区の制度を自治法上から位置づけるだけでなく、その沿革を実証的につぶさにたどることによって、特別区の性格をより一層鮮明にえがくことができるので、以下順を追って述べていくこととする。

近代国家の成立と地方制度

明治一一年(一八七八)七月二二日、いわゆる三新法と呼ばれた「郡区町村編制法」、「府県会規則」、「地方税規則」が公布され、地方制度の幕開けとなった。これは、当時の高まりゆく自由民権運動の流れに対応し、政府によって統一的な地方制度として打ち出されたものであった。この結果、東京府下の大区小区は廃止され、新たに一五区六郡が定められた。

同年一一月二日に「一五区ハ市街ニシテ六郡ハ村落タリ」という趣旨によって、旧朱引内に麹町、神田、日本橋、京橋、芝、麻布、赤坂、四谷、牛込、小石川、本郷、下谷、浅草、本所、深川の一五区が生まれ、周辺に東多摩、南豊島、北豊島、南足立、南葛飾、荏原の六郡がつくられた。各区には区役所、各郡には郡役所が設置され、府知事のもとに官選の区長、郡長が任命された。区長、郡長の権限は、租税徴収、徴兵調査、戸籍事務、小学校関係事務、産業関係事務などであり、一五区においては戸長事務を区長が兼任し、郡部では一町村または数町村に戸長を置き諸事務を担当した。区会、町村会の権限は、区、町村内の事業の企画・立案、予算の作成・施行、共有財産の維持・運用、土地等の借入れ、府の賦課税の割り付けの五項目であった。

明治二二年(一八八九)二月一一日に大日本帝国憲法が発布され、近代国家としての政治体制がつくり出されたが、続いて同年四月一日には市制・町村制が施行され、地方制度の改革が行なわれた。この結果、同年五月一日に東京市が誕生し、従来の一五区は市域の一部となった。しかし、東京、大阪、京都の三市に対しては、「市制特例」によって独立自治体の権限が与えられず、市長は府知事、助役は府書記官の兼務という形式上の自治機関にとどまった。「市制特例」の結果、東京は国の監督のもとに置かれたままとなり、一五区は東京市の行政区に甘んじ、財産区としてのみ法人格を認められた。このため、市会や市民の間に特例撤廃運動が盛んに行なわれた。また、市制とともに、府下の六郡には町村制が施行され、以後、市部と郡部、隣接県と府の境界変更がしばしば行なわれた。

一方、東京市の独立は、明治三一年(一八九八)の市制特例廃止によって達成された。この間、東京市会で八回の請願が出されるなど反対運動が続けられたが、一般市制に転換した一〇月一日は、現在でも「都民の日」として記念事業が行なわれている。

明治四四年の市制・町村制の大改正は、第二次世界大戦以前にみられる自治法規に関する最大の改正であり、区の歴史にとっても画期的な改正であった。一〇月一日施行の「市制改正法律」および「市制第六条の指定に関する件」(勅令)により、

はじめて区の法人格が明定され、自治区的性格が与えられた。

区は、その財産および営造物に関する事務その他法令により区に属する事務を処理し、その財産および営造物に関して必要な費用を支弁する義務があり、財源は財産からの収入・使用料・法令による収入とし、不足分は区に属する市税をもって充てるものと定められた。区長は有給吏員として市長が任命するものとし、ほかに収入役、副収入役および若干の市吏員が置かれ、職務権限は市長の命令に従うことと定められた。

一方、区会は府知事が市会の意見を聞き、府参事会の議決を経た市条例により設けるものとされた。この新市制によって、区は自治というにはほど遠いものであったが、市の下級公共団体として独立の法人格をもった自治区となったのである。

東京の拡大と都制の施行

東京市の人口は、明治二二年市制施行当時から毎年増加の一途をたどり、大正九年一〇月の第一回国勢調査によれば、その市域人口は二一七万三二〇一人に達し、五年後の大正一四年の第二回国勢調査をみると、大正一二年九月一日の関東大震災の影響もあり、市内人口約二〇〇万人弱に対し、市外人口は二一〇万人余となって、市外人口が逆に増えている。このような状況から、東京市と隣接の郊外町村とによる都市的施設の一体的な利用や総合的な都市経営を可能にするためにも、市域を拡張して大東京を建設し、均衡のとれた一貫した都市行政を推進しようとする動きが活発になった。

昭和五年六月、東京市会は「隣接町村合併ニ関スル建議」とその促進に関する二案を可決し、翌六年には府会議員、町村会議員をもって隣接町村合併促進同盟会が結成された。こうして、昭和七年一〇月一日、東京市に隣接する三多摩地方を除く荏原、豊多摩、北豊島、南足立、南葛飾の五郡八二か町村を編入し、新たに品川、目黒、荏原、大森、蒲田、世田谷、渋谷、淀橋、中野、杉並、豊島、滝野川、荒川、王子、板橋、足立、城東、向島、葛飾、江戸川の二〇区が旧一五区の周辺に誕生した。

昭和一六年一二月八日の太平洋戦争突入により、帝都である東京は国家的性格に適応した体制を確立する必要があり、そ

のためには従来の府市併存の弊を是正し、行政の一元化を強力に推進し高度の能率化を図るべきであるとされ、昭和一八年七月一日を期して都制が施行されるようになった。都制の成立によって、それまで間接的ではあったが市会で選ばれていた東京市長が廃止され、新たに官選の都長官および上級職員に官吏が任命され、自治体としての東京は完全に国の出先機関となった。

一方、都制の施行によって、区の自治権はさらに縮小し、区は官の監督を受け、財産および営造物に関する事務並びに都条例により区に属する事務を処理するものと規定され、課税権、起債権、立法権をもたない簡素な制限自治区となった。また、区長を官吏とし、区には官吏のほか区の吏員を配するものとし、区会は必置機関であったが職務権限が制限列挙され、議員定数は従来から比べると半減された。このように、臨戦体制下に実現された都制は、市制の府県制への転化後退であって、市民の自治からはほど遠く、大都市制度としてもきわめて不備なものであったといえる。

特別区の誕生

昭和二〇年八月一五日の終戦を迎え、軍国主義や官僚主義の打破と中央集権体制からの地方自治の解放が行なわれた。地方自治については、二一年一〇月にいわゆる第一次の地方制度の改革が行なわれ、国家至上主義を基調とする官治行政から主権在民の民主的自治制度に改められ、それまでの東京都制も大幅に修正された。すなわち、「東京都制の一部を改正する法律案」、「府県制の一部を改正する法律案」、「市制の一部を改正する法律案」、そして「町村制の一部を改正する法律案」の四つの法案が第九〇帝国議会に提案され、大修正を受けて貴族院、衆議院を通過し、二一年九月、その公布をみるに至ったのである。

この改革は、地方公共団体の自主性および自律性の強化、地方団体の住民による地方自治の本旨の実現、地方自治行政における公正と効率の確保の三つの目標をもつものであった。これによって、区の自治権も飛躍的に拡充され、区に対する法令による事務委任が認められ、また区長公選、課税権、起債権、区会の条例制定権等が認められるようになった。そして、二二年三月には、区の権限が拡大されたことと戦災復興の促進に役立たせる必要から、区の区画の整理統合が行なわれた。

旧三五区は、面積のうえでも一区一〇km2以上とすることに決定して、麹町・神田の二区をもって千代田区、日本橋・京橋の二区をもって中央区、芝・麻布・赤坂の三区をもって港区、四谷・牛込・淀橋の三区をもって新宿区、小石川・本郷の二区をもって文京区、下谷・浅草の二区をもって台東区、本所・向島の二区をもって墨田区、深川・城東の二区をもって江東区、品川・荏原の二区をもって品川区、大森・蒲田の二区をもって大田区、滝野川・王子の二区をもって北区とし、残りの目黒、世田谷、渋谷、中野、杉並、豊島、板橋、荒川、足立、葛飾、江戸川の各区は従来どおりで、全部で二二区となった。なお板橋区については、地域的に二分するのが行政的に適当であるということから、同年八月、板橋、練馬の二区に分かれ、今日の二三区となったのである。

地方自治法の制定

昭和二二年五月三日、新憲法の施行と同時に地方自治法も施行され、戦後の地方制度はいよいよ新しい第一歩を踏み出すことになった。新憲法は、民主主義の基本原則として、基本的人権の尊重、主権在民、恒久平和主義とともに、地方の政治については、地方自治の本旨である住民自治と団体自治の原則にしたがい、地方行政を運営することを掲げている。この原則を受けた地方自治法の制定によって、先にふれた終戦後過渡的な「改革四法」の時期を経て、本格的な地方制度の整備が完了したといえる。改革四法は、東京都制、府県制、市制、町村制のそれぞれの一部を改正した法律であり、したがって自治法以前の地方制度は、法律のあり方からいえば多元的というよりもむしろ重層的な形体であった。これが、自治法の成立によって、すべての地方公共団体に関する法律が一つに統一されたのである。

自治法制定の経緯についてみると、昭和二一年一〇月に「地方制度調査会」が設置され、同調査会は、内務大臣の諮問に対し、ア、地方自治制度中さらに改正を必要とする事項 イ、府県知事の身分変更にともなう国政事務方策 ウ、大都市の現行制度について改正を要する事項 エ、府県知事の身分変更にともなう吏僚制度の四部門について詳細な答申を行なった。その答申の中で、「現行東京都制、道府県制、市制及び町村制を廃し、単一の地方自治法(仮称)を制定すること」が述べられた。

政府は、右の答申の方針にしたがって地方自治法案を立案し、昭和二二年三月、会期も切迫した第九二帝国議会に提出し、遠く明治二一年市制・町村制公布の記念日に合わせて画期的な「地方自治法」を公布し、昭和二二年五月三日に日本国憲法と時を同じくして施行されたのである。地方自治法の基本的な理念は、ア、地方公共団体の自主性および自律性の強化イ、住民自治の実現 ウ、行政執行の能率化と公正の確保 エ、地方分権の徹底および地方議会の地位の確立にあった。そして、地方公共団体を「都道府県」と「市町村」の二つの階層に分け、それぞれを普通地方公共団体とし、例外として東京都の区を「特別区」と名づけ、特別地方公共団体として位置づけた。この特別区に関する当時の自治法の規定は、第三編「特別地方公共団体及び地方公共団体に関する特例」中の第一章第二節「特別区」において、つぎのように規定されている。

<資料文 type="indent1">

第二百八十一条 都の区は、これを特別区という。

第二百八十二条 都は、条例で特別区について必要な規定を設けることができる。

第二百八十三条 政令で特別の定をするものを除く外、第二編中市に関する規定は、特別区にこれを適用する。

このように、都の特別区は、特別地方公共団体としての基礎的単位団体とみなされ、法人格を有し原則として市と同じ権限が認められ、公共事務、委任事務、行政事務を処理する権限が与えられた。しかし、その権限については実質的に相当制限されており、例えば地方自治法附則第二条によって、都は特別区の存する区域においては市としての事務を処理できることになっていたため、現実にはそれまで都が処理していた事務の多くは依然として都が実施することになった。また、特別区の事務は、地方自治法施行令附則第四条によって、道路法、伝染病予防法、都市計画法、水道条例の全部または一部の適用を除外されたばかりでなく、生活保護法等の個別の法律で適用が除外され、市と異なる取り扱いを受けたのである。こうして特別区は発足したが、現実に行なう区政には多くの制限があり、地方自治の理念にはそぐわないものであった。

自治権拡充への動き

このように、特別区の行なう事務事業には多くの制限があったので、特別区の性格は区の整理統合当初の自治権尊重の趣旨にも反し、ひいては新憲法の地方自治の本旨にも反するとの考えから、各区の区長、区議会は、都に対し人事権、財政権並びに事務事業の全般にわたって、これを合理的に是正するよう要求した。公選区長当選直後の昭和二二年五月一六日付で、「二十二区長協議会」は、つぎのような具申書を都知事に提出している。

<資料文>

具申書

二十二区長協議会は、数回に亘り区の自治権拡張の内容に付協議検討を加えてきたが、区域統合の趣旨並びに地方自治法に基づく特別区制定の精神に鑑み、現状の如くでは全く区制存続の意味を没却し、斯くしては到底区政、都政の円満活発なる発展は期し得られないから、至急都政、区政の本質に立脚し、人事権、財政権並びに事務事業の全般に亘り之を合理的に是正することが必要であるとの結論に達したので、茲に之を取纒め具申することとする。

この具申書を皮切りに、その後長い間、区長公選制度とともに、都と区との間の権限に関する紛争問題へと発展していったのである。とくに、特別区側が強力に財政制度確立を目標とする運動を広範に展開した結果、都議会は都区相互の話合いの場として「都区行政調整協議会」の設置を決定し、昭和二三年三月三日に正式に発足させた。協議会は、都の理事者一〇名、都議会議員一三名、区の理事者六名、区議会議長六名、自治権拡充委員(区議会議員)六名で構成された。

この協議会は、設立から数年の間は実質は区側の都に対する強力な交渉窓口であり、主に財源の配分をめぐって激論がたたかわされたが、都と区の間で特別区の性格に対する見解の相違があり、両者の事務事業の分担のあり方、さらにその分担状況に応じて生じる財源問題などは根本的に解決することにはならなかった。そして、当面する毎年度の都・区間の財政調整の技術的ルールは一応整備されるに至ったが、逆に各区は都の「特別区財政調整に関する条例」や「特別区特別納付金条例」による調整が行なわれなくては、独自の予算を編成することができなくなるという事態に追い込まれた。決算についても同様で、二三区全体の決算額が翌年度の財源調整の基礎的資料となった。

区側は、区長会、議長会、委員会(自治権委員会、財政委員会)が中心となって、こうした事態に対応して強力な自治権拡充ないし自主財源獲得運動をくりひろげた。そうした動きの中で、大田区議会が大田市制施行についての議決を行ない、二三区から離れて単独で自治権を獲得しようとする動きさえ現われた。やがて、都区間の事務(財源)配分といういわば技術的な問題から起きた都区問題の原因は、特別区長が公選であるために発生した問題であるというように、徐々にではあるが地方自治の本旨にかかわる問題に転化されるような状況になっていった。

区側の自治権拡充運動は、その後、保健所、税務事務所、福祉事務所が都の機関として独立したことによって一歩後退し、いわば自治権拡充運動から擁護運動へと移行する事態に立ち至った。その頃、アメリカのコロンビア大学教授シャウプ博士を団長とするいわゆるシャウプ使節団が来日し、地方制度に関する勧告を行なったが、それに基づいて設置された「地方行政調査委員会議」(委員長 神戸正雄)は、第二次勧告の中で、特別区のあり方について、概略つぎのように述べている。

<資料文>

現行法上、都は市町村及び特別区を包括する地方公共団体であるが、特別区の存する区域においては一つの大都市としての性格を併せ有していることを考慮し、特別区が原則として市と同一の権能を有するものとしている現行法の建前を廃止して、都と特別区の間の責任を明確に区分すべきである。

その趣旨とするところは、特別区を地方公共団体として存置する必要を認めつつも、大都市行政の一体的・能率的な運営の必要性を重視し、特別区が大都市の下部組織であるという性格を明確にしようとしたものである。このような考え方に基づいて、都と特別区間の事務配分については、特別区の行なう事務の範囲を法律で明示し、都は府県の事務のほかに、法律で特別区の事務とされた以外の市が行なう事務も執行するようにすべきであるとしている。その他、特別区には従来どおり都の吏員を配属し、特別区相互間の財政上の不均衡は、都がその財源をもって調整することなどの特例を考慮すべきであると言及している。このような勧告の考え方の背景には、特別区制度の発足以来、都と特別区間で繰り返されてきた事務移譲と財源配分をめぐる対立抗争を解消しようとする意図があったと考えられる。

この勧告に基づいて、二七年九月に地方自治法が大幅に改正された。その結果、特別区の他の市町村のような基礎的地方公共団体としての性格は厳密な意味では失われ、限定された権限を有する都の内部的な地方公共団体とみなされるに至ったのである。これは、特別区の存する区域においては、その生成発展した歴史的沿革からも住民生活の社会的、経済的、文化的関係からも、特別区と都は有機的な関係を有し、一体として大都市を形成してきたものであり、したがってこのような現実に即した行政を行なうためにも、また都区行政の統一的かつ能率的な運営を確保するためにも、都を基礎的な団体とする必要性が強調されたためである。

二七年九月の自治法の一部改正により、特別区は都の内部的な地方公共団体となるとともに、区長の公選制が廃止された。自治法を改正するに当って、区長の公選制を廃止し任命制に変更する表向きの理由としては、「従来のように二三区が独立してまちまちの二重行政を行なうのは、経費についても無駄が多い。税金を例にとれば、区税は各区の税務課が取り扱い、都税を集めるには各区に都税事務所を置いてやらなければならない」と、都民にとっては切実な税金問題にかけて、任命制への移行の説明とした。しかし、その本質は、「都知事として東京都を一体として統治する地位上、特別区長が市町村長のように都民の公選で決定されることは、行政上の障害にもなりかねないから任命制が好ましい」というのにあった。対する特別区側は、「区長に限らず自治体の首長がその住民の公選によるものであることは、法改正が違憲であるとする区側の主張を待つまでもなく、憲法に明記されている。都知事が区長公選制を不都合とし任命制にしようとすることは、政府が都道府県知事の公選制を好まず知事任命制への途を開くことになりかねない」という危惧がその主張の基調であった。

国会内外でこの改正案は非常に論議を呼んだ末、二七年六月に一部修正のうえ可決、同年九月から施行され、五〇年四月の自治法の一部改正により区長公選制が復活するまでの間、区長選任制が行なわれるようになった。問題の焦点であった特別区長の選任方法は、政府原案では「都知事が、特別区の議会の同意を得て選任する」というのが、「特別区の議会が、都知事の同意を得て選任する」に改められた。また、毎年紛糾を続けてきた都区財政調整問題についても、「都の条例で都区

財政調整を行なう」という一条が追加され、特別区の実質は、戦前の都の行政区時代と大差ない状況になったのである。

特別区の試練

改正された地方自治法で、特別区の事務は制限列挙されることとなった。そして、制限列挙された法定事務のほか、法律またはこれに基づく政令の規定により、市が処理しなければならない事務は都が処理することとし、それらの事務のうちで主として特別区の区域内に関するものについては、都条例でこれを特別区に委任するものとされた。また、都は、特別区が処理すべき法定事務と競合するような事務を行なわないようにすることになった。このほか、都は、条例をもって特別区の事務について、特別区相互間の調整上必要な規定を設け、都知事は都の事務との調整上、特別区の事務処理について必要な助言または勧告をすることができることとされた。

自治法において制限列挙された特別区が処理しなければならない事務は、つぎのとおりである。そのうち、特別区道の設置管理(従前、道路は国道および都道のみであった)、公共溝きょの管理、街路樹の設置管理、道路の清掃事業、公益質屋・診療所・小売市場の設置管理に関する事務等は、このときの改正によって特別区が処理することとなったものである。

二七年のこの地方自治法の改正をはさんで、それまでの積極的な自治権拡充運動は、一挙に自治権擁護運動というかたち

の守勢的なものに転じた。

一方、区長公選制の廃止については、二三特別区及び区民の間から猛烈な反対の声があがり、違憲であるとして提訴するものが相次いだ。二八年には文京、渋谷、世田谷の各区民が、三〇年には目黒、文京区民が、三三年には北、目黒区民がそれぞれ提訴した。この提訴に対する東京地方裁判所と最高裁判所の判決は、概略つぎのようなものであった。

<資料文>

・東京地方裁判所判決(昭和三七年二月二六日)要旨

「特別区は、その制度上の沿革や権能において、他の市町村と異なるところはあるが、あくまでも憲法上の地方公共団体であり、したがって、地方自治法の改正のみによりその長の公選制を廃止することは、憲法九三条二項の規定に違反するので許されない」

・最高裁判所判決(昭和三八年三月二七日)要旨

「特別区は明治一一年郡区町村編制法施行以来、地方団体として長い歴史と伝統を有するものであるが、未だ市町村のごとき完全な自治体としての地位を有したことはなかった。

戦後は、昭和二一年九月、東京都制の一部改正によって区長公選制が採用されるなど、自治権の拡充強化が図られたにもかかわらず、翌二二年四月制定の地方自治法をはじめその他の法律によって、その自治権に重大な制約が加えられているのは、二三区の存する地域全体にわたり統一と均衡と計画性のある大都市行政を実現せんとする要請に基づくものである。

このような特別区の実態にてらして、特別区はその長の公選制が法律によって認められているとはいえ、憲法制定当時においても、また二七年八月地方自治法改正当時においても、憲法九三条二項の地方公共団体と認めることはできない」

こうした区長選任制への変化を実態面でみてみると、区議会における区長選任において、区議会の意思がなかなか統一されず、そのため長期にわたる区長不在という事態が続発するという欠陥が表面化した。これは五〇年に区長公選が復活するまで、全特別区を通じてみられた現象であった。

この区長選任制を含む自治法の改正に引き続き、二八年八月に制定された地方制度調査会法により、国の機関としての「地方制度調査会」が発足した。これは前述の「地方行政調査委員会議(神戸委員会)」のような仕組みを恒常的に設置する

ことを目的とするものであった。第一次地方制度調査会は、その答申で「国家地方警察と自治体警察を都道府県警察に一元化し、中央集権を強化すること。市の人口要件を三万から五万にすること」を打ち出し、第二次調査会では広域行政のための「道州制」を討議している。

一方、東京都も国のこうした動きに対応して、都知事の諮問機関として「都制調査会」を設置し、道州制論に対して都は独自に「首都制度」の調査をはじめた。そして、三二年、当調査会は「特別区の区長は、都の特別職として知事が任命する。区議会の権限を縮小し、議員数を減少させる。以上の措置の後に都の事務を区に移管する」といった答申案さえ作成するに至った。

このように三〇年代に入ると、国、都それぞれが当時の急激な都市化、とくに東京に毎年三〇万人もの人口が集中していく現象に対応し得る地方行政のあり方を調査し、つぎつぎに多彩な見解を発表した。それにもかかわらず、都政は都行政の責任者自身の表現によれば“半身不随”の様相を呈しはじめた。その打開策として、都制調査会は、三七年九月に「首都制度に関する答申」の中で、「住民に身近な事務を区、市町村へ移譲する」、「経済性や機動性を要する事務は間接公営方式に切り換える」ことにより、都は原則として全般的な企画・調整・管理事務および全都的見地からの統一的事務のみを担当するという、いわゆる“都政身がる論”を打ち出した。同年一〇月には、第八次地方制度調査会も「首都制度当面の改革に関する答申」を出し、都の身がる論に加えて都知事の権限強化による都政の総合化を強調した。

そして、最終的にはこの第八次地方制度調査会の答申どおり、地方自治の本質にふれる問題は棚上げしたまま、当面の大都市行政組織の手直し、具体的には都区間の事務再配分だけが実現し、三九年七月に地方自治法の一部が改正され、翌四〇年四月一日から施行されることになった。その内容を列挙すると、つぎのとおりである(なお一部は現在まで未実施のものも含まれる)。

  1. ① 区に移管された事務 <項番>(ア)福祉事務所の管理運営、生活保護、児童福祉などの社会福祉関係事務 <項番>(イ)保健所・優生保護

    相談所の施設の管理および伝染病予防、結核予防などの保健衛生関係事務 <項番>(ウ)汚物の収集運搬など清掃に関する事務 <項番>(エ)市街地改造事業・土地区画整理事業など都市基盤整備に関する事務 <項番>(オ)小規模建築物などの建築基準行政事務

  2. ② 区議会議員の議員定数 議員定数の上限を六〇名とした。
  3. ③ 都区連絡調整体制の整備 都区間の連絡調整のために「都区協議会」を設置し、「都の事務委任条例」、「都区調整条例」、「都区財政調整条例」などの制定については、都知事はあらかじめ都区協議会の意見を聞かなければならなくなった。
  4. ④ 都区間の財源配分の合理化 地方税法の改正により、特別区税として特別区民税・電気ガス税・特別区たばこ消費税など九税目を法定した。

区長公選制の復活

前項の国と都の二つの調査会の特別区に対する態度、とくに区長選任問題についてみてみると、国の方は公選問題には直接ふれずに、都の事務事業の特別区に対する大幅移管の実績をみたうえで、改めて検討するという方針であり、都の方は特別区の事務事業は住民の日常生活に密着しているから、その長は直接住民に対して責任を負うことが望ましいという理由で公選制を打ち出している。このような論議の中で、四二年以降の革新都政の実現とともに、再び自治権拡充の気運が高まり、「区長準公選」運動が練馬、品川、大田の各区で展開された。多くの区では、区議会における与野党の勢力が伯仲し、区長選任の議会は延々と回数を重ねるばかりで一向に進捗せず、区長不在の期間が長びくうえに、助役、収入役とも長期にわたって不在の区が続出する状態となった。このようなときに、区長候補者を区民の直接投票によって選び、区議会はその投票結果に基づいて区長を選任するといういわゆる「準公選条例」の直接請求が、各区とも広範な住民運動となって相次いで提出された。

こうした状況の中で、政府は急きょ地方制度調査会を開催して「特別区制度の改革に関する答申」を求め、これに基づいて四九年五月、地方自治法の一部改正が行なわれ、これによって長年にわたる区民の要望であった区長公選制が遂に復活したのである。

自治法の主要な改正点は、区長公選制の復活のほか、都から区への大幅な事務事業の移管、配属職員制度の廃止等で、これによって長年特別区の課題であった自治権拡充運動は一応の成果を収めることとなった。しかし、特別区の財政、とくにその自主財源確保の途は、依然として本質的には特別区制発足当時と変らないといってもよい状況にあるので、現在の自治権拡充の目標は財政自主権の確立におかれ、今なおその運動は続いている。

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<項>
特別区制度改革の方向
<本文>

これまで、現在の特別区制度の概要およびその沿革についてみてきたが、現在のおかれている特別区の状況は、長い歴史

的な変遷過程をたどって到達した今日の時点における姿であり、それは決して固定的で安定したものではない。むしろそのときどきの社会的な状況の変化、時代の要請により、絶えず流動し微妙にゆれ動かざるをえない要素をもっているともいえる。そこで、現在、特別区の抱えている問題について、主として都区の事務再配分を中心に考察し、さらには特別区の将来の制度的な改革の方向について、その概略を述べることとする。

都と特別区との事務再配分

昭和四九年の地方自治法の改正によって、都に処理がゆだねられた市の事務の一部を除き、特別区は原則として市の事務を処理する自治体となり、個別の法令改正と都区協議によって、多くの事務が特別区に移管、委任された。その概要は、つぎのとおりである。

  1. ①特別区は、原則として市の事務をすべて処理する。②特別区は、「保健所設置市」の事務を処理する。③都は、法令により、市の事務のうち消防、上下水道、清掃の事務を処理する。また、都は都市計画、建築基準、保健所の事務の一部を留保し、処理する。④特別区教育委員会の特例(地方教育行政の組織及び運営に関する法律第五九条第一項 学校教職員の任用その他の身分取扱い、教育課程、教科書その他教材の取扱いの事務は、都教育委員会が処理する)は廃止しない。⑤都と特別区の協議により、母子福祉資金の貸付、都市公園の管理等一〇項目の市的事務を都から特別区に移管する。なお、このほかに引き続き協議して事務事業を移管するものとする。
  1. ① 都の事務 都が処理すべき事務は、原則としてつぎに掲げるようなものとする。

    • <項番>(ア)全域にわたる計画の作成および事務の調整(例 長期総合計画の樹立、広域的・基幹的都市計画の決定) <項番>(イ)広域にわたり一元的に処理すべき事務(例 広域にわたる公害規制) <項番>(ウ)大規模な事務(例 幹線道路、上下水道、交通事業の経営) <項番>(エ) 高度な専門的技術を必要とする事務(例 試験研究機関
  2. ② 特別区の事務 ①に掲げる都で処理すべき事務以外の事務で、つぎに掲げるようなものは原則として特別区の事務とする。
    • <項番>(ア)地域の実情に即応して、適切な処理が可能な事務(例 福祉に関する対人給付事務) <項番>(イ)主として地域住民の利用に供する施設(例 近隣公園) <項番>(ウ)住民の利便性から法令で移管される事務と密接に関連する事務(例 保健所関連事務

したがって、今後、都と特別区との間の事務再配分を具体的にすすめていくに当っては、このような考え方が基本にならなければならない。

特別区制度と東京の自治構造

これまでみてきたように、昭和四九年の地方自治法の改正は、それまで都の内部的部分団体として扱われていた特別区を、独立した基礎自治体へと転換させる画期的な改革であった。これによって区長公選制が復活し、職員の人事権が区長に移り、一般の市が行なう事務は原則として各区が処理することとなった。

こうした改革にもかかわらず、依然として都に消防、上下水道、清掃等の市の事務の権限が留保されていること、また市税である市町村民税法人分、固定資産税、特別土地保有税が都税として徴収され、それを財源として他の府県、市町村関係にはみられない都区および区間の財政調整を行なう制度が残存していることを主な理由に、特別区は自治法上の普通地方公共団体としての地位を与えられなかった。この意味で、特別区が今後もこのような法的地位にとどまるか、それとも地方自治法の改正によって普通地方公共団体となり、名実ともに巨大都市東京における基礎自治体として自己を確立していくかは、これからの特別区の新たな重要課題であるといえよう。

こうした背景をもちながら、五〇年、公選区長のもとに再出発した各区は、基礎自治体としての地歩を確立するため、自律的な区政運営の試みをすでに始めている。それぞれの地域特性に適合した基本構想の策定、文化、社会福祉、住宅、環境等の分野における独自な諸施策の展開、住民参加による区政の模索などは、そうした試みの現われであるといえよう。また、特別区は区政運営の自主性を確立していくため、「東京都特別区税調整条例」の廃止、特別区人事委員会の設置とそれによる管理職選考の実施、特別区職員研修の充実等にみられるように、都の関与から漸次離脱するとともに、例えば都区財政調整の折衝における特別区側の発言力の増大にみられるように、都に対する自己主張を次第に強めつつある。このように、各区政と都区関係に新たに起こってきた動向は、区長公選の実現を契機に、区政が現在自立化していく方向をたどっていることを示している。

一方、都と区市町村との制度的関係において、二三区と市町村を別個に扱う現行制度は、東京における都と基礎自治体との関係を複雑化し、都が都の全域を包括する広域自治体として、統一的で効果的な都市政策を展開することを困難にしている。また、この制度が特別区および市町村の各地域内の関係をのみ強くし、両者のヨコの連絡調整、協力関係を阻害している大きな要因にもなっている。

いずれにしても、都市化の進展によって、特別区と多摩地域とは社会、経済的実態面で区別しがたく、両者を制度上別扱いにする理由には乏しい。したがって、都区を制度上明確に分離し、特別区を名実ともに基礎的な普通地方公共団体に改めると同時に、都内市町村を含め東京における新しい自治構造を構築することが、これからの特別区の重要な検討課題であるといえる。

<節>

第二節 練馬区の機関
<本文>

本区では、最高意思決定(議決)機関としての区議会および区の行政を執行する区長、その他の行政委員会がある。これらの機関のうち、区議会と区長との関係については、ともに区民の直接選挙による区民の代表機関として並存させ、それぞれの権限を分かち、相互の均衡と調和によって区政の円滑な運営がはかられている。

執行機関としてこのほか選挙管理委員会、監査委員および教育委員会が設置されている。

<項>
区 議 会
<本文>
区議会の組織と権限
区議会議員定数の推移
区議会議員選挙定数
昭和22年第1回 36
昭和26年第2回 36
昭和30年第3回 36
昭和34年第4回 40
昭和38年第5回 48
昭和42年第6回 52
昭和46年第7回 52
昭和50年第8回 56
昭和54年第9回 56

区議会は、区民意思の最高決定機関であり、区民から直接選挙された区議会議員をもって構成される。区議会議員の定数は、地方自治法に基づき国勢調査人口に比例して決められるもので、本区では、昭和五〇年の国勢調査人口が五五万人を超えたのに伴い、五〇年四月の区議会議員選挙から定数が四名増の五六人となった。練馬区独立以来の区議会議員定数の推移は下表のとおりである。

なお昭和五六年八月一日現在の区議会議員は次のとおりである。

区議会議員一覧                                   (昭和五六年八月一日現在)
氏名所属会派住所
安藤 美義 公明党 練馬四―二―七

池田 一彦

公明党 桜台一―四
上野 定雄 自由民主党議員団 田柄四―三六―三四
内田 仙太郎 自由民主党議員団 早宮四―二七―二五
宇津野 定三 公明党 向山三―一三―一二
梅内 正雄 自由民主党議員団 小竹町二―五三
大野 喜三郎 自由民主党議員団 富士見台四―一三―三〇
大橋 静男 新政クラブ 関町北二―一〇―八
岡本 和男 日本社会党練馬区議団 豊玉中三―二一
片野 令子 生活クラブ 東大泉七―一七―一二
金子  則 自由民主党議員団 春日町五―二〇―三三
楠 直正 自由民主党議員団 北町二―四〇―九
小地 広司 公明党 豊玉北六―一―二
小林 あきら 自由民主党議員団 下石神井二―二四―三
小林としたか 公明党 田柄一―三〇―五
小又 恒男 日本社会党練馬区議団 西大泉三―二七―二九
迫田 利行 新政クラブ 平和台二―一六―一七
椎名 貞夫 公明党 大泉町一―二八―四七
鈴木  整 日本共産党練馬区議団 高野台五―一五―七 <外字 alt="○貴">〓荘一一号
関ロ 和雄 自由民主党議員団 貫井三―三九―二五
関ロ 三郎 新政クラブ 東大泉六―一九―二一
早田 利夫 自由民主党議員団 高松一―六―八
高橋 正意 自由民主党議員団 桜台一―七
田口 阿久理 自由民主党議員団 旭丘一―六八
竹内 智久 公明党 下石神井六―五―一七
田中 確也 自由民主党議員団 石神井台七―一七―二
田中 てるみ 公明党 大泉町五―六―四一
田中 不二枝 自由民主党議員団 北町五―六―一六
田中 保徳 公明党 小竹町二―三〇
土屋 新一 日本社会党練馬区議団 関町四―甲七四八
豊田 三郎 自由民主党議員団 石神井町八―四五―五
長野 信也 日本共産党練馬区議団 西大泉四―七―六

中村  諭

自由民主党議員団 桜台六―一五―六
中本 博之 日本共産党練馬区議団 北町五―一三―四
中山 幹雄 新政クラブ 南大泉一―三五―二
西貝 浅夫 自由民主党議員団 中村南二―一四―九
貫井 武夫 自由民主党議員団 東大泉一―三五―一六
野島 安正 自由民主党議員団 春日町三―二一―一一
野瀬 常信 自由民主党議員団 南大泉五―一七―二一
橋本 芳典 自由民主党議員団 北町五―二―四
林 ともじ 新政クラブ 田柄四―八―一四
俵頭  功 公明党 南大泉二―二七―一四
深野 洋子 新政クラブ 豊玉上二―二四
松村 友昭 日本共産党練馬区議団 東大泉二―七―三
向田 英夫 新政クラブ 中村北三―二二―七
武藤 昭夫 日本共産党練馬区議団 関町北五―一五―七
武藤 芳雄 日本共産党練馬区議団 貫井一―三六―四
望月 泰治 自由民主党議員団 豊玉中二―一九
矢崎 久雄 自由民主党議員団 旭丘一―六七―一
矢沢 重光 日本共産党練馬区議団 豊玉北二―二〇(豊玉ハイライズ二一〇)
山崎 康雄 日本共産党練馬区議団 錦一―九―四
山田 左千夫 自由民主党議員団 西大泉四―一六―一六
横田 ゆずる 日本社会党練馬区議団 高野台三―三六―一五 石神井公園マンション一〇七
吉野 信義 自由民主党議員団 旭町二―四二―六
波辺 耕平 自由民主党議員団 上石神井一―六六八

区議会議員の任期は、四年である。区議会の権限は、地方自治法第九六条から一〇〇条までに明記されているが、執行機関に対する区議会の地位を高め、その権限を拡大するとともに、その自主的、自律的な活動を促進することとしている。具体的権限としては、議決権、議長の選挙や選挙管理委員会委員などの選挙権、議員の資格有無などの決定権、助役、収入役、監査委員および教育委員の選任についての同意、区長の退職等の承認、区の他機関の事務についての検査および監査

権、国の機関委任事務についての説明請求および意見陳述権、地方公共団体の公益に関する事件について関係行政庁への意見書提出権、地方公共団体の事務に関する調査権、請願および陳情の受理権および区議会議員の身分審査・議会運営規則の制定等の議会内における自律権を有している。練馬区議会においても、区議会の運営を円滑にするために練馬区議会委員会条例、練馬区区議会会議規則および練馬区区議会事務局条例等が制定されている。これらの権限のうち、区議会で最も重要な権限は、団体の意思を決定する議決権であり、その内容はおおむね次のとおりである。

以上の議決事項の対外的拘束力は、区議会が団体意思の決定機関であって執行機関ではないため、区長その他の執行機関の意思表示によって生じることとされている。

区議会の活動

区議会は練馬区民の直接選挙によって選ばれた議員によって構成される議決機関で、区民の意向は区議会をとおって行政に反映されている。区議会は大別して本会議および委員会の二つの審議方式をとっている。本会議は、定例会と特定の案件に限って審議するため、必要に応じて開催される臨時会とがあり、ともに団体の長が招集することになっている。定例会は、毎年四回以内において条例で定める回数を開催することとされており、練馬区では、二月、六月、九月、一一月の年四回開催している。また、区議会議員定数の四分の一以上の者から会議に付すべき案件を示して臨時会の招集の請求があれば、区長は招集することを要することになっている。

委員会制度は、議会の扱う案件が広汎多岐にわたり、かつ専門化してきたことにともない、審議を慎重かつ能率的にするため設けられたもので、人口比率によって設けられる常任委員会と、その地方公共団体が必要とする場合には特別委員会を置くことができる。常任委員会は、練馬区の事務に関する調査を行なうとともに、議会の議決により付議された議案、陳情等を審査することを任務としており、昭和五三年度末現在、企画総務施設、区民・衛生、厚生・児童、都市環境、土木および文教委員会の六部門がおおむね行政部門別に設けられている。常任委員会の構成は、各々九名から一〇名の委員からなり、委員長および副委員長が置かれている。常任委員会の活動は、原則として議会の開会中に限られるが、議会の議決により付議された特定事件および未決定の請願、陳情等については、閉会中も継続審議を行なっている。

特別委員会は昭和五三年度現在、特別区制調査、交通対策、下水道促進、グラント・ハイツ跡地等対策、総合計画、下水道・中小河川対策、庁舎および区民館建設、予算および決算特別委員会の一〇部門が設置されており、予算および決算特別委員会を除き各々一六名から一七名の委員で構成されている。特別委員会は特に付議された案件についてのみ審議するものであるため、区議会におけるその案件の審議が終了

すれば、会期中でも消滅し、会期中に審議が終了しなかったときでも会議の終了とともに当然に消滅する。ただし、議会の議決により付議された特定の案件については、閉会中でも審議することが認められている。また、予算および決算特別委員会は、案件が単年度限りである関係上、その都度設けられて、審議が終了すれば解散することになっている。

請願、陳情についての審議も、ともに区民の要望なので十分意を尽して調査、審議が行なわれている。請願、陳情はともに書面を提出して行なわれることが必要であるが、区議会議員の紹介があるものが請願で、紹介のないものが陳情という名称で取扱われている。昭和五三年中の請願・陳情の受理件数は五〇一件で、このうち採択されたもの二三八件(一部意見付採択、一部のみ採択を含む)、不採択五件、審議未了六八件、撤回されたもの一九〇件である。

議長・副議長および事務局

区議会は、議員のうちから正・副議長を一名ずつ選挙によって選ぶことになっている。議長は内部的には議場秩序の保持と議会に関する事務を統轄するとともに、外部に対して議会を代表する。副議長は議長に事故ある場合などに、その職務を代行する。次に練馬区議会における歴代の議長および副議長名を掲げる。

 議長                                副議長
区分
代\
氏名 就任年月日 退任年月日 党別 区分
代\
氏名 就任年月日 退任年月日 党別
上野 徳次郎 二二・一〇・一一 二三・一一・一五 自由党 小口 政雄 二二・一〇・一一 二三・一一・一五 自由党
桜井 米蔵 二三・一一・一五 二四・一一・二五 塚田 洪憲 二三・一一・一五 二四・一一・二五
小口 政雄 二四・一一・二五 二五・一〇・三〇 内田 建三郎 二四・一一・二五 二五・一〇・三〇
梅内 正雄 二五・一〇・三〇 二六・ 九・一九 豊田 勝夫 二五・一〇・三〇 二六・ 九・一九
篠田 鋲雄 二六・一〇・二九 二七・一〇・二九 大野 政吉 二六・一〇・二九 二七・一〇・二九
梅内 正雄 二七・一〇・二九 二八・一二・ 二 加山 峰吉 二七・一〇・二九 二八・一二・ 二
井口 仙蔵 二八・一二・ 二 二九・一二・二二 橋本 銀之助 二八・一二・ 二 二九・一二・二二
坂田 洪憲 二九・一二・二二 三〇・ 九・一九 永盛 勇三郎 二九・一二・二二 三〇・ 九・一九
井ロ 仙蔵 三〇・一〇・二〇 三一・一〇・二九 自民党 一野 義純 三〇・一〇・二〇 三一・一〇・二九 自民党
一〇 井ロ 仙蔵 三一・一〇・二九 三二・一一・二九 一〇 松本 茂 三一・一〇・二九 三二・ 八・三〇
一一 梅内 正雄 三二・一一・二九 三四・ 三・一八 一一 豊田 勝夫 三二・ 八・三〇 三二・一一・二九

一二

林 亮海 三四・ 三・一八 三四・ 九・一九 一二 山下 新吉 三二・一一・二九 三四・ 三・一八 社会党
一三 上野 徳次郎 三四・一〇・二三 三五・一二・二七 一三 大戸 淳三 三四・ 三・一八 三四・ 九・一九 自民党
一四 桜井 米蔵 三五・一二・二七 三七・ 二・ 九 一四 矢ケ崎 信夫 三四・一〇・二三 三五・一二・二七
一五 梅内 正雄 三七・ 二・ 九 三七・一二・二一 一五 越後 幹雄 三五・一二・二七 三七・ 二・ 九
一六 橋本 銀之助 三七・一二・二一 三八・ 九・一九 一六 荒井 澄雄 三七・ 二・ 九 三七・一二・二一 社会党
一七 井口 仙蔵 三八・一〇・二三 四〇・ 三・一〇 一七 並木 亀吉 三七・一二・二一 三八・ 九・一九 自民党
一八 越後 幹雄 四〇・ 三・一〇 四二・ 五・ 二 一八 長谷川 安正 三八・一〇・二三 三九・ 五・二七
一九 長谷川 安正 四二・ 七・一一 四三・ 七・一六 一九 宇野津 定三 三九・ 五・二七 四〇・ 三・一〇 公明党
二〇 小柳 信子 四三・ 七・一六 四四・ 七・二四 二〇 横山 倉吉 四〇・ 三・一〇 四二・ 五・ 二 自民党
二一 橋本 銀之助 四四・ 七・二四 四五・ 七・一一 二一 榎本 喜芳 四二・ 七・一一 四三・ 七・一六 社会党
二二 橋本 銀之助 四五・ 七・一一 四六・ 五・二九 二二 木下 喜三郎 四三・ 七・一六 四四・ 七・二四
二三 塚田 洪憲 四六・ 七・ 六 四七・ 七・一九 二三 本橋 弘三郎 四四・ 七・二四 四五・ 七・一一
二四 横山 繁雄 四七・ 七・一九 四八・ 七・二八 二四 木下 喜三郎 四五・ 七・一一 四六・ 五・二九
二五 関口 三郎 四八・ 七・二八 四九・ 七・二九 二五 岡本 和男 四六・ 七・ 六 四七・ 七・一九
二六 田口 阿久理 四九・ 七・三〇 五〇・ 五・二九 二六 本橋 弘三郎 四七・ 七・一九 四八・ 七・二八
二七 楠 直正 五〇・ 七・二三 五一・ 七・ 九 二七 土屋 新一 四八・ 七・二八 四九・ 七・三〇
二八 横山 繋雄 五一・ 七・ 九 五二・ 七・二七 二八 藤代 権兵衛 四九・ 七・三〇 五〇・ 五・二九
二九 内田 仙太郎 五二・ 七・二七 五三・ 七・一四 二九 小地 広司 五〇・ 二・二三 五一・ 七・ 九 公明党
三〇 豊田 三郎 五三・ 七・一四 五四・ 五・二九 三〇 小林 としたか 五一・ 七・ 九 五二・ 七・二七
三一 貫井 式天 五四・ 六・二二 五五・ 七・一〇 三一 椎名 貞夫 五二・ 七・二七 五三・ 七・一四
三二 上野 定雄 五五・ 七・一〇 五六・ 七・二一 三二 安藤 美義 五三・ 七・一四 五四・ 五・二九
三三 矢崎 久雄 五六・ 七・二一 在任中 三三 宇野津 宏三 五四・ 六・二二 五五・ 七・一〇
三四 田中 てるみ 五五・ 七・一〇 五六・ 七・二一
三五 小池 広司 五六・ 七・二一 在任中
(昭和五六年七月三一日現在)

 

区議会に関する事務局は、当初、専属の書記によって処理されていたが、昭和二七年一〇月に区議会事務局が設置され、昭和四八年一二月には次長制が採用され、事務処理体制が強化された。

区議会議員待遇者

練馬区では、八年(二期)以上在職した区の議員を、区の規程により退職後も議員待遇者として終身礼遇することになっている。なお、第一回区議会議員選挙の当選者で任期を満了した議員についても同様に礼遇することになっている。区議会議員待遇者は次のとおりである。

<項>
執行機関
<本文>

執行機関は、議決機関の決定した意思に従ってこれを執行するものである。執行機関には、区長のほか教育委員会、選挙管理委員会、監査委員および農業委員会がおかれているが、人事委員会については、二三特別区と共同して特別区人事委員会をつくり処理を行なっている。

区長と委員会または委員との関係は、それぞれの執行機関の権限の範囲内においては、相互独立の関係にある。しかし、練馬区の執行機関の活動の一体性を確保する必要性から、地方自治法は区長の各執行機関に対する事務全般についての総合調整権を含めた統轄代表権を付与している。

区長

憲法と同時に施行された地方自治法により、従来行政区としての性格を持っていた区は、特別区とされ、法人格を持つ特別地方公共団体となった。これにともない、従来東京都長官の任命する官吏であった区長は、区民の直接選挙によって選ばれることとなり、練馬区については、昭和二二年九月の区独立にともなう設置選挙により区長が選挙された。公選後の区長は、特別地方公共団体の長として任期四年、その任期満了ごとに改選される特別職(区を代表する執行機関)となった。

しかし、区長の公選制が実施されたのは、わずかに昭和二六年九月の第二回区長選挙までで、翌二七年八月地方自治法の改正により公選制は廃止されることになった。新しい区長の選任方式は「特別区の議会の議員の選挙権を有する満二五歳以上のものの中から、区議会が都知事の同意を得て選任する」という、いわゆる関接選任方式である。地方自治法の改正により五〇年四月に区民待望の区長公選が実施されるまでの間、この方式により区長が選任された。この区長公選が復活するまでの間、練馬区では長期間にわたって自治権拡充運動が行なわれた。

区議会における多党化の影響で、区長候補者についての話しあいがまとまらず、四二年六月以来区長不在の変則区政が長期間続いた。同年九月このような事態を解消するためには、「区長候補者について区民投票を実施し、区議会はこの区民投票の結果に基づいて区長候補者を決定する制度」が望ましいと考える区民によって、区長公選条例直接請求の区民運動が開始された。以来、四年余りにおよぶ運動の結果、昭和四七年一一月練馬区長準公選条例が制定・公布され、翌四八年一〇月この条例に基づき田畑区長が選任された。以上のような練馬区民を中心とする区長準公選運動の結果四九年六月の地方自治法の改正により、区長公選が復活した。なお歴代の区長は次のとおりである。

区長就任年月日退任年月日 区長就任年月日退任年月日
臼井五十三 二二・ 九・二〇 二六・ 九・一九 片  健治 四三・ 七・二九 四七・ 七・二八
須田  操 二六・ 九・二〇 三〇・ 九・一九 田畑 健介 四八・一〇・一六 五〇・ 四・二六

須田  操 三〇・一一・ 九 三四・一一・ 八 田畑 健介 五〇・ 四・二七 五四・ 四・二六
須田  操 三四・一二・ 三 三八・一二・ 二 田畑 健介 五四・ 四・二七 在任中
須田  操 三八・一二・二六 四二・ 六・二一

〈区長の職務権限〉

区長は、練馬区を統轄(練馬区の事務全般について総合的統一を図ること)するとともに、外部に対して代表する。区長は、執行機関として機関委任事務を含めておおむね地方自治法第二八一条の三に規定する次の事務を行なうとされている。

なお、このほか区長は、区内の公共的団体等の活動の総合調整を図るための指揮監督権を持つこととされている。

〈区長と区議会との関係〉

区長と区議会との間に意見が対立し衝突するような事態が起こった場合の調整手段は、旧制度においては、国の監督権に基づく裁量によるとされていたが、現行制度では、自主的な相互牽制作用によることとしている。まず、議会における条例の制定改廃または予算に関する議決について異議があるときは、議会の議決をそのまま執行することなく、議会に対して再議を求めることができる。そして再議の結果出席議員の三分の二以上の多数で同じ議決が行なわれたときは、その議決が確定する。また、違法議決および義務費の削除減額議決等に対しては、いわゆる区長の特別的拒否権が認められている。さらに、議会が区長の不信任の議決をしたときは、区長は一〇日以内に議会

を解散することができる。もしも一〇日以内に議会を解散しないときには、一〇日経過後に区長の職を失うこととされている。

以上のようなもののほか、議会が不成立等で議会が議決すべき事件を議決しない場合および議会が区長に委任したものについて、区長は区議会に代って専決処分できるとされている。

区長の補助機関

複雑かつ広範囲にわたる区長の職務権限を効率よく処理するため、区長の補助機関として助役、収入役その他の職員が配置されている。

助役 区長が区議会の同意を得て選任し、任期は四年である。職務は、区長を補佐し、その補助機関たる職員の担任する事務を監督し、区長に事故あるときはその職務を代行する。

収入役 区長が区議会の同意を得て選任し、任期は四年である。職務の内容は、区の会計事務をつかさどる機関であり、区長の監督に服するが、会計事務の執行については、その公正な執行を確保するため独立の権限が与えられている。なお歴代の助役および収入役は次のとおりである。

助役就任年月日退任年月日 収入役就任年月日退任年月日
小林四郎 二二・一二・ 四 二六・一二・ 三 原 鋲二 二二・一二・ 四 二六・一二・ 三
小林四郎 二六・一二・ 四 三〇・一二・ 三 原 鋲二 二六・一二・ 四 三〇・一二・ 三
小林四郎 三〇・一二・ 四 三四・一二・ 三 原 鋲二 三〇・一二・ 四 三四・一二・ 三
小林四郎 三四・一二・一〇 三八・一二・ 九 原 鋲二 三四・一二・一〇 三八・一二・ 九
星 義文 三九・ 五・二七 四二・ 六・二一 栗林繁実 三九・ 五・二七 四二・ 五・二六
金子 光 四三・ 九・ 三 四七・ 九・ 二 寺本静雄 四三・ 九・ 三 四七・ 九・ 二
三浦忠正 四八・一〇・二九 五二・一〇・二八 山本桂二 四八・一〇・二九 五二・一〇・二八
三浦忠正 五二・一〇・二九 在任中 山本桂二 五二・一〇・二九 在任中

吏員その他の職員 区長および行政委員会の事務に従事するためそれぞれの部課に配置されている。特別区の発足当時から、五〇年四月に東京都配属職員制度が廃止され、区長の人事権が確立されるまでの間、特別区の職員構成は、東京都が採

用し、特別区に配属した職員と特別区が採用した職員とからなる複雑なものであった。

しかし、四九年地方自治法の改正に基づき、五〇年四月から区長公選制の復活、各種事務事業の移管および人事権の委譲などを中心とする特別区制度の改革が行なわれ、全員が区固有職員となった。

練馬区の部課組織および職員数の推移についてみると、二二年八月練馬区独立時の職員数は、二三二人であった。三四、三五年に国民健康保険および国民年金事務が加わり、四〇年には練馬・石神井両福祉事務所をはじめとする社会福祉事務が都から移管された。この結果、練馬区にはじめて部制が採用され、五部を実施するとともに石神井支所が廃止された。四八年には環境部、児童部、企画部が加わり八部制が実施され、さらに保健所の事務事業が都から移管されることにより、五一年には衛生部が加わり九部制となり現在にいたっている。このような事務事業の拡大に伴い、職員数も増加し、五四年九月現在の行政委員会や学校職員を含めた練馬区全職員数は、約四五〇〇名を数える。

以上のような事務事業の増大に対処して、より効果的な事務事業を行なうため五〇年には練馬区行財政運営検討委員会を設置し、組織機構および職員定数管理の改善について努力が行なわれている。

教育委員会

昭和二三年七月に公布された教育委員会法により、「教育行政が公正な民意により地方の実情に即して行なわれるようにする」ため教育委員会を設けることとし、都道府県および五大市については二三年一一月一日から、特別区を含むその他の市町村については、二七年一一月一日から教育委員会が設置されることとなった。本区においては、二七年一〇月五日に練馬区教育委員選挙が行なわれ、同年一一月一日練馬区教育委員会が設置された。この結果、区長の事務部局であった教育課(初等教育係、中等教育係、文化係、営繕係)および石神井支所教育課(文化係、営繕係)が廃止され、教育委員会事務局(学校教育課、社会教育課)が新設された。

教育委員の定数は五名で、うち公選によるもの四名、区議会議員のうちから区議会が選挙するもの一名であった。委員の任期は四年であるが、三〇年九月一六日には教育委員二名欠員に伴う補欠選挙が行なわれた。

しかし、この公選制は、わずか一期だけに終わった。三一年一〇月「地方教育行政の組織および運営に関する法律」の施行にともなって区長が議会の同意を得て選任する方法に改められるとともに、教育委員会の予算に対する権限が一部制約されて現在にいたっている。この改正の理由として、教育委員会委員が公選制であり、選挙のために多額の費用を要するため委員の適格者が立候補せず、立候補をする人は必ずしも真に教育行政についての学識経験者ではなく、適任者を得られなかったこと。教育委員会が圧力団体の介入により政治活動の場に化して中立性が失われる場合があったこと。また、教育委員会の予算案等のいわゆる原案送付等が地方公共団体の統一性や効率的な行政の阻害の原因になったこと等があげられている。

五三年現在における教育委員会は区長の被選挙権を有する者(二五歳以上)で、人格が高潔で教育、学術および文化に関し識見を有するもののうちから、区長が区議会の同意を得て任命する五人の委員によって構成され、任期は四年である。なお、教育の政治的中立性を図るため教育委員会委員は、二人以上が同一の政党に所属してはならないこととされている。

教育委員会の職務権限は、私立学校や大学に関することなど地方公共団体の長の権限に属するものを除きすべての事務を管理執行することとされている。

〈教育委員会の職務権限〉

なお、特別区の教育委員会も法令に規定してある権限を有しているが、地方教育行政の組織および運営に関する法律第五九条により現在、教職員の身分に関する権限はなく、東京都が二三特別区全体について処理することになっている。

〈委員会の運営〉

教育委員会の運営にあたっては、委員のうちから選ばれた委員長が会議を主宰し、委員会を代表するが、具体的な事務の執行は、教育委員会が都知事の承認を得て当該教育委員のうちから補助機関としての教育長を任命し、教育長の統轄のもとに事務局を置いて行なわせている。事務局は、次長、六課、一室、一館、一センターからなり、それぞれ区職員が配属されている。なお、歴代教育長は次のとおりである。

教育長就任年月日退任年月日 教育長就任年月日退任年月日
星 義文 二七・一一・ 一 二八・ 三・三一 上野唯郎 三九・一〇・ 七 四三・一〇・ 六
星 義文 二八・ 四・ 一 三一・ 九・三〇 黒田新市 四三・一〇・一四 四七・一〇・一三
松尾周男 三一・一〇・ 一 三五・ 九・三〇 岩波三郎 四八・一〇・二九 五二・一〇・二八
栗林繁実 三五・一〇・ 八 三九・ 五・二六 岩波三郎 五二・一〇・二九 在任中
上野唯郎 三九・ 七・二二 三九・一〇・ 六

 

選挙管理委員会

区の選挙をはじめ、国、都の選挙および直接請求等選挙に関係のある事務を公正に行なうため選挙管理委員会が設けられている。選挙事務の管理執行は、戦前市町村長の権限とされていたが、それが長から独立した選挙管理委員会で行なわれるようになったのは、次の理由からである。

〈委員会の組織と権限〉

練馬区の選挙管理委員会は、昭和二二年一〇月二九日設置された。委員の定数は四人、任期は三年である。なお、昭和三八年の地方自治法の改正によって四年の任期となって現在にいたっている。委員会は、選挙権を有する人格高潔な者で、政治および選挙に関し公正な識見を有する者のうちから区議会が選挙する委員からなっている。委員会の構成にあたっては、委員会の不偏不党性を確立し、選挙事務の公正中立な執行を期するため、委員および補充員ともに、同一政党その他の団体に属する者が二人以上となってはならないとされている。

なお、委員が欠けたときの補欠要員として委員と同数の補充員を委員選挙の際に選挙することとされている。なお、五六年七月三一日現在の選挙管理委員は次のとおりである。

 市河政彦 井口仙蔵 小森義雄 大村健五

委員会の権限は、

なお、政治資金規正法に関する事務の取り扱いについては、政治資金規正法の一部改正されたことに伴い、昭和五一年一

月一日から東京都において行なわれるようになった。

委員会の運営は、委員の合議によって行なわれ、委員長が委員会に関する事務を処理し、委員会を代表することとされている。

なお、本区における歴代の選挙管理委員は、『現勢資料編』七〇五ページを参照されたい。

選挙管理委員会の職員について当初は、書記が必置であったが、三七年の改正で書記長その他の職員を置くこととされた。組織の面でも選挙という事務の性格から固有の事務局は設置されず、総務課調査統計係で行なわれていたが、有権者数の急増するなかで毎年のように実施される複雑な選挙事務を的確に処理するため、四三年四月一日選挙管理委員会事務局が設置された。

〈各種選挙〉

公職選挙法に定める各種選挙の管理執行は、選挙管理委員会の最も重要な仕事といえる。本区では、独立に伴う設置選挙以来、五四年四月までの期間に六三回の選挙が行なわれた。このうち、区長選挙については、二六年九月の選挙を最後に長い間選挙が行なわれなかったが、五〇年四月二七日の区長選挙により区長公選が復活した。

〈選挙人名簿と有権者数の増加〉

練馬区の有権者数は、昭和二二年当初六万〇五九〇人に過ぎなかったが、毎年増加の一途をたどってきた(『現勢資料編』七五一ページ参照)。これらの有権者数を登録する選挙人名簿は毎年九月一五日現在で調製し、一年間据置きとする基本選挙人名簿と、選挙が行なわれる際に補充登録する補充選挙人名簿との二本立ての制度がとられていたが、四一年六月の公職選挙法の改正によって、永久選挙人名簿制度が採用されることとなった。改正後は、住民基本台帳法の規定による届出をし、練馬区に三か月以上居住している者を毎年九月一〇日および選挙が行なわれる都度登録することとなった。

議員定数は、地方自治法に基づき各地方自治体の国勢調査人口数に応じて定められることとされている。練馬区議会議員

の定数は、二二年当初の三六名から順次増加し、五〇年の区議会議員選挙では五六名となった。一方、東京都議会議員練馬区選挙区の定数は、二二年の練馬区独立による定数配分により三名とされたが、その後四八年七月の都条例の一部改正により四名とされ今日にいたっている。しかし、急増する人口にもかかわらず都議会議員定数が抑えられているため、五三年三月現在における練馬区の都議会議員一人当りの人口は、一四万人で、二三区平均八万五〇〇〇人の一・六倍と二三区の最高を示している。

〈明るい選挙の推進運動〉

選挙は民主主義の基盤をなすものであり、選挙が公正に行なわれなければその健全な発達を期すことはできない。そして選挙が公正に行なわれるためには、全国民の政治常識の向上を図ることが不可欠である。このような考え方から二九年の公職選挙法の改正により、常時国民の政治常識の向上に努めることが、都道府県・市区町村選挙管理委員会の役割とされた。本区においては、区民に明るく正しい選挙思想の高揚を図るため、三二年に民間団体として「練馬区公明選挙推進協議会」が結成された。同協議会は、五一年「練馬区明るい選挙推進協議会」と名称を改めるとともに、各投票区単位で選出された「明るい選挙推進委員」活動の充実を図り、全区的な運動の推進に努めてきた。現在、本区における明るい選挙の推進運動は、練馬区選挙管理委員会と練馬区明るい選挙推進協議会および一一五名の推進委員との密接な協力のもとに、選挙時啓発はもとより常時啓発運動が区内全地域において進められている。

また、選挙を公正に執行するためには、明るく正しい選挙思想の高揚だけでなく、投票をしやすくすることも必要なので、できるだけ近距離の投票所で投票できるよう投票所の増設に努めている。本区の投票所は、従来五二か所であったが、有権者の利便に応えて昭和五四年には五六か所となった。

監査委員

地方公共団体の財務および事業の管理が公正、適切に行なわれるために、必要な監査を実施する機関として監査委員が置かれている。

特別区に監査委員が設けられたのは、第一一次地方制度改革に基づく昭和二二年、地方自治法の施行によるもので、従来の国の監督中心の方式から地方公共団体が自主的に行政の公正と能率を確保できるようにするものである。このため、監査委員の機能は、監査が専門的かつ真に中立の立場で実施されるよう行政委員会制度の一環として長の指揮監督の外にある地方公共団体の機関とされている。他の行政委員会がすべて合議制の機関であるのに対して、監査委員は、一部の監査を除き原則として各監査委員が監査の執行について独立の権限を持つ独任制機関となっている。

二二年の監査委員の発足当時、監査委員は都道府県では必置機関とされたが、市町村では任意設置であった。しかし、本区ではこの機関の重要性にかんがみ、区独立の二か月後の一〇月にはやくも「練馬区監査委員設置条例」を制定し、同月監査委員が選任された。当時の監査委員の任期は二年、定数は区長が区議会議員および学識経験者のうちから、それぞれ一名ずつ区議会の同意を得て選任した。

その後、監査委員制度は、行政の複雑、専門化の傾向を反映して整備の方向をたどってきた。監査委員の任期は、三一年には知識経験者から選出される者は三年、議員から選出される者は議員の任期によることとされ、さらに四九年知識経験者からの選出については四年となった。三八年地方自治法の財務会計制度改正の一環として、監査委員の大幅な整備が行なわれ現在にいたっている。この時、市区町村にも監査委員は必置機関とされ、また従来単に「学識経験を有する者」とされていた資格要件が「財務管理または事業の経営管理について専門の知識または経験を有する者」と改められ、専門家による監査の建前を徹底させた。なお五六年七月三一日現在の監査委員は次のとおりである。

宮永寛三 兼山金刀圀 山崎康雄 関口三郎

〈監査委員の職務権限〉

監査委員の職務権限についても明確化が図られ、「地方公共団体の財務に関する事務の執行および普通地方公共団体の経営にかかる事業の管理を監査する」ことのほか、法の定めるところにより特別の監査権限その他の権限が与えられた。監査

委員は、毎会計年度に少なくとも一回以上期日を定めて行う定期監査のほか、監査委員が必要があるときに行なうことのできる随時監査、財政援助団体に対する監査などを自主的に実施することになっている。そのほかに特別監査として一定数の選挙人の連署をもって請求する場合の監査、住民の監査請求による監査、区長または区議会の請求による監査、主務大臣または都知事の請求による監査などを実施する。また、毎月現金出納を検査する例月出納検査や決算審査なども行なう。また、監査機構についても、知識経験を有する監査委員の中から監査委員に関する庶務を処理するための代表監査委員が選任されるとともに、監査委員の事務を補助する組織として従前の書記に代り、監査事務局が設けられることとなり事務組織の整備が行なわれることとなった。

練馬区では、以上の監査委員制度の改正に即応して、三九年監査委員条例の全部改正により委員定数を知識経験者委員二名、議会選出委員二名計四名に増員するとともに、四〇年四月監査事務局を設置、監査にかかわる事務処理能力の充実がはかられた。

歴代の監査委員は、『現勢資料編』七〇四ページを参照されたい。

農業委員会

戦後、旧来の農村に根強く残っている封建的性格を打破するため、農地改革の問題が大きく取りあげられた。昭和二〇年一一月、占領軍の政策により「農地調整法」および「自作農創設特別措置法」が公布され、翌二一年二月一日から実施された。これによって、自作農の創設が大規模に推進されることになり、本区でも二一年一二月二七日第一回の農地委員選挙が行なわれ、以来同委員会の手によって自作農創設事業が急速に進められた。

〈農業委員会の組織および権限〉

二六年三月、「農業委員会法」が公布施行され、それまでの農地委員会、農業調整委員会、農業改良委員会が一本化され、単一の農民代表機関としての農業委員会が設けられることになった。農業委員会は、自作農の創設および維持、農地等の利用関係の調整、農地の交換分合などの事務を執行する執行機関である。

本区でも同年七月二〇日農業委員会が設置されたが、本区は広汎な地域を有する関係上、練馬区、石神井地区、大泉地区の三地区ごとに農業委員会が設けられた。各農業委員会の委員の定数は、当初選挙により選出されるものが一五名、区長の選任によるものが三名計一八名となっている。

二九年農業委員会法の一部改正により法律の標題が「農業委員会等に関する法律」とされ、選挙による委員の定数等が、一〇人から一五人までの間で条例で定められることとなった。本区の選挙による委員の定数は、三地区農業委員会それぞれ一〇人とされた。

その後昭和四四年の条例改正により、三地区の農業委員会が練馬区農業委員会として一本化され、委員定数も区全体で選挙による委員一五人、区長が農業協同組合、農業共済組合および学識経験者のうちから選任する者九名計二四名となった。なお、任期は三年である。農業委員会の庶務は、同事務局で行なわれている。

附属機関

地方公共団体は、法律または条例の定めるところにより、執行機関の附属機関として、審査会、審議会、調査会その他の調停、審査、諮問または調査のための機関を置くことができる。附属機関は、非常勤の委員をもって構成される合議制の機関であるが、執行機関の要請により、調査を行ない意見を述べる等、区の行政執行の前提として必要な事務を分担するものである。したがって、直接住民に対する執行権限を有しない。附属機関の庶務は、その属する執行機関において行なわれている。

以上の法律または条例に基づく附属機関のほかに、効果的な事務執行を図るため執行機関の補助職員から構成されるその他の協議会等が設置されている。

五三年現在、練馬区の執行機関に置かれている附属機関の名称、所掌事務等およびその他の委員会、協議会、審査会等は、次のとおりである。附属機関のうち、教育委員会に属する公民館運営審議会を除き、すべて区長に属するものである。

〈附属機関の名称および所掌事務〉

(付属機関)
名称根拠法令定員(人)所掌事務
防災会議 条例 三五 練馬区防災計画の作成及びその推進に関すること。
民生委員推せん会 法律 一四 民生委員の委嘱を受ける者の推せんに関すること。
保健所運営協議会 条例 六〇 公衆衛生及び保健所の運営に係る事項の審議に関すること。
結核審査協議会 法律 一〇 結核予防法(昭和二六年法律第九六号)第二八粂及び第二九条の命令並びに第三四条第一項の申請に係る事務の審議に関すること。
国民健康保運営協議会 法律 二一 国民健康保険事業の道営に関する重要事項の審議に関すること。
青少年間題協議会 条例 三五 青少年の適正な指導、育成及び保護等をはかること。
生業資金貸付審査委員会 条例 一四 生業資金の適正な貸付と円滑な運営を図ること。
住居表示審議会 条例 一七 住居表示の実施に関する重要事項の審議に関すること。
特別職報酬等審議会 条例 一○ 区議会議員の報酬の額ならびに区長、助役及び収入役の給料の額の審議に関すること。。
財産価格審議会 条例 一二 区有財産の額得、管理及び処分に関し、適正な価格及び料金を評定すること。
興業場法、旅館業法及び公衆浴場法運営協議会 条例 一五 興業場法(昭和二三年法律第一三八号)及び公衆浴場法(昭和二三年法律第二二九号)の適用に係る事項の協議等に関すること。
大気汚染障害者認定審査会 条例 一○ 大気汚染障害者の認定に係る事項の調査、審議に関すること。
都市計画審議会 条例 二五 都市計画等に係る事項の審議に関すること。
緑化委員 条例 二五 みどりの保護と回復に関する重要な事項を調査、審議すること。
公民館運営審議会 法律 二七 館長の諮問に応じ、公民館における各種の事業の企一幽、実施につき調査、審議すること。
建築紛争調停委員会 条例 建築物の建築に係る紛争の調停を行なうこと

(その他の協議会等)
名称定数所掌事務
明るい選挙推進協議会委員 一七
明るい選挙推進委員 一二四 常時「話し合い」活動を通じ公正な明るい選挙の啓発推進及び臨時啓発事業への協力に関すること。
話合指導員 明るい選挙推進委員の「話し合い」活動の推進を図るため、技術指導を行なうこと。
表彰審議会 表彰状を贈呈すべきものの適否を審査すること。
事務改善協議会 一八 事務の改善について調査・審議すること。
指名業者選定委員会 一千万円以上の指名競争入札について指名業者の適否を審議すること。
交通安全対策協議会 交通安全に関する広報、教育施設調査・研究について協議すること。
公害対策懇談会 二〇 公害行政の施策の設定及び施行方法等に関して意見をのべること。
就学対策協議会 一三 児童・生徒の就学に必要な事項を調査・審議すること。
幼児教育協議会 幼児教育に必要な事項を調査・審議すること。
教材・教具整備対策委員会 三六 教材・教具の整備基準の策定および新しい教材・教具の選定に関すること。
校外教育施設対策委員会 一七 校外学習およびその施設のあり方を総合的に検討すること。
学校給食運営委員会 一六 練馬区学校給食の能率的かつ効果的な運営に必要な事項に関すること。
地区区民館連絡協議会 地区区民館の運営に必要な事項を調査研究し地域住民の自主的活動の推進を図ること。

〈庁議〉

昭和四〇年四月の事務事業の移管をはじめとして年々複雑かつ増大する行政需要に対応して区政の適正かつ能率的な執行を図るために昭和四〇年四月練馬区庁議規則により庁議を設置した。庁議は、区政運営の最高方針および重要な施策を審議策定するとともに、各部門の総合調整を行なう区政の最高意思決定機関であり、区長主宰のもとに助役、収入役および教育

長と各部の部長を構成員として毎月二回開催される。

庁議に付議する事案は、次の決定事項および報告事項である。

〈決定事項〉

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〈報告事項〉

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庁議の効果的運営を図るため、必要に応じて企画部長が主宰する調整会議を事前に開催し、庁議付議事案の調査検討を行なっている。

<節>
第三節 区民サービス事務と組織
<本文>

区は、区民福祉の担い手として、その役割を果たすために、区民の日常生活に関係の深い身近な事務を日々行なっている。これらの事務は、本区のすべての区民が、区民としての権利を保ち、生活を快適に過ごすことができるためのさまざまなサービスの提供をはじめとして、練馬区を安全で健康な住みやすいまちにしていくためのまちづくりに関すること、多様な考えや行動をもつ区民相互間の調整を行なうこと、あるいは、区民が自ら区の建設に参加できる条件を整備していくなど区事務は多岐にわたっている。そしてこれらの事務は、区民をとりまく社会経済環境の変動および区の自治制度の改革に伴い

その様相を推移させてきた。

また、区民の区政に対する要望も活発に行なわれてきており、内容も時代のすう勢とともに充実させてきた。たとえば環境問題についてみると、昭和三〇年から五〇年の二〇年間に提出された請願、陳情のあらましは表<数2>11―2の通りである。練馬区が、急激な都市化を推進させてきたことにより、区民の要望がどのように変ってきているかという一例を読みとることができる。以下この表について多少触れておく。

区民の要望を分類すると、<項番>(ア)生活施設要望が四三%、<項番>(イ)環境阻害に対する要望が一三%、<項番>(ウ)都市計画に関連した要望五%、<項番>(エ)その他環境問題以外の要望が三九%となっている。

つぎに、区民要望の変化を時系列的にみると、 <項番>(1)二一年間恒常的に出されている要望 教育施設、交通施設、衛生排水施設等 <項番>(2)ほぼ定常的に出されている要望 防災(河川改修を含む)施設整備、都市計画等 <項番>(3)昭和三〇年代後半から顕在化してきた要望 社会福祉施設、レクリエーション施設 <項番>(4)昭和四〇年代中頃から顕在化してきた要望 環境阻害要因の排除となっている。

以上、環境問題を一例としてみたが、この他に、福祉に関する諸問題の解決をはじめ教育などについても区の果たすべき役割は増大してきている。その結果、これらを処理するために区の事務は、複雑化、多様化し、より効率的な区政運営が重要となってきている訳である。

ここで区の事務を法的性格から概観してみると、区は、法令により東京都が処理することとされているものを除き、<項番>(ア)公共事務 <項番>(イ)法令による市の事務 <項番>(ウ)法令による特別区の事務およびその区域内の国に属さない行政事務を処理する。これらの分類は事務処理の権限に根拠をおいて行なったものである。

さきに述べた区民の様々な要望には、区が直接処理できる問題だけでなく、都あるいは国のレベルで処理されなくてはならない問題も含まれている。そして、練馬区の存立の本来の目的に従い、区民福祉の増進を図るために具体的な仕事は区の

組織である部、課、係に分掌され処理されている。次に昭和五六年一月現在の区長部局に属する各部、課、係の事務内容を掲げておく。これらは性格上、概括的に列挙してあるが、現実にはさらに詳細にわたって具体的な仕事を行なっている。

 

  練馬区の事務事業(昭和五六年一月一日現在)

<資料文 type="2-32n">

 区長室

  1. 一 秘書事務に関すること。
  2. 二 区政に対する要望および陳情等の処理に関すること。
  3. 三 住民意識、動向等の調査に関すること。
  4. 四 区政総合案内に関すること。
  5. 五 その他公聴に関すること。
  6. 六 区政相談、区民相談およびその他専門相談に関すること。

企画部

企画課

  1. 一 庁議に関すること。
  2. 二 部の予算、決算および会計に関すること。
  3. 三 部の文書および公印に関すること。
  4. 四 事務事業の総合調整に関すること。
  5. 五 総合的計画の立案および調整に関すること。
  6. 六 区政の総合的調査に関すること。
  7. 七 区の行財政の基本的事項に関すること。
  8. 八 事務事業の進行管理に関すること。
  9. 九 部内他の課に属しないこと。

予算課

  1. 一 財源および財政の企画および調整に関すること。
  2. 二 予算の編成および執行の統制に関すること。
  3. 三 財政状況の公表に関すること。
  4. 四 練馬区開発公社に関すること。

広報課

  1. 一 報道機関との連絡に関すること。
  2. 二 課内係に属しないこと。

総務部

総務課

  1. 一 私立学校に関すること。
  2. 二 訴訟事務に関すること。
  3. 三 法規および庁規についての助言指導に関すること。
  4. 四 他の部、部内他の課および課内係に属しないこと。

職員課

  1. 一 給与その他の勤務条件に関すること。
  2. 二 職員団体および職員の労働組合に関すること。
  3. 三 組織および定数に関すること。
  4. 四 福利厚生施設の調査に関すること。
  5. 五 課内係に属しないこと。

経理課

  1. 一 物品の検査に関すること。
  2. 二 工事および修繕の検査に関すること(原材料の検査を含む。)。
  3. 三 課内係に属しないこと。

課税課

  1. 一 税制の調査に関すること。
  2. 二 税務事務処理に係わるシステム改善の調査および研究に関すること。
  3. 三 課内係に属しないこと。

納税課

  1. 一 滞納税金の特別整理に関すること。
  2. 二 課内係に属しないこと。

防災課

  1. 一 地域防災計画の立案に関すること。
  2. 二 防災無線情報システムに関すること。
  3. 三 課内係に属しないこと。

電子計算課

  1. 一 電子計算事務の企画、立案および調整に関すること。
  2. 二 電子計算組織による業務の処理に関すること。

施設部

施設課

  1. 一 庁舎等の建設および改善計画に係る連絡調整に関すること。
  2. 二 営繕工事に係る特別調整に関すること。
  3. 三 部内他の課および課内係に属しないこと。

用地課

  1. 一 公共用地の取得および物件補償に関すること。
  2. 二 財産価格審議会に関すること。

建設課

  1. 一 新規施設の営繕工事に係る経理事務および設計図書等の管理に関すること。
  2. 二 新規施設の建築工事および設備工事に係る調査、設計および監理に関すること。
  3. 三 特定施設の建築工事および設備工事に係る調査、設計および監理に関すること。

営繕課

  1. 一 課内係に属しないこと。

区民部

管理課

  1. 一 部内他の課および課内係に属しないこと。

区民活動課

  1. 一 課内係に属しないこと。

区民課

  1. 一 戸籍関係の相談等に関すること。
  2. 二 課内係に属しないこと。

経済課

  1. 一 特別商業問題に関すること。
  2. 二 中高年齢労働者対策に関すること。
  3. 三 課内係に属しないこと。

住居表示課

  1. 一 課内係に属しないこと。

厚生部

管理課

  1. 一 部内他の課および課内係に属しないこと。

障害者福祉課

  1. 一 心身障害者(児)福祉事業の計画、立案および調査に関すること。
  2. 二 課内係に属しないこと。

老人福祉課

  1. 一 ケアセンターの運営および調整に関すること。
  2. 二 課内係に属しないこと。

国民健康保険課

  1. 一 課内係に属しないこと。

国民年金課

  1. 一 課内係に属しないこと。

児童部

児童課

  1. 一 部内他の課および課内係に属しないこと。

保育課

  1. 一 保育施策に関する調査、研究および保育園の指導に関すること。
  2. 二 課内係に属しないこと。

衛生部

管理課

  1. 一 部内他の課および課内係に属しないこと。

保健課

  1. 一 課内係に属しないこと。

都市整備部

都市整備課

  1. 一 部の事務事業に係る総合的な企画、調査および連絡調整に関すること。
  2. 二 部の予算、決算および会計に関すること。
  3. 三 部の文書および公印に関すること。
  4. 四 部の事務事業の進行管理に関すること。
  5. 五 都市計画法(昭和四十三年法律第百号)に基づく都市計画に関すること。
  6. 六 国土利用計画法(昭和四十九年法律第九十二号)に基づく国土利用計画に関すること。
  7. 七 練馬区都市計画審議会に関すること。
  8. 八 根幹的交通施設の整備に係る企画、調整および促進に関すること。
  9. 九 市街地整備および再開発に係る企画、調整および促進に関するこ

    と。

  10. 十 部内他の課に属しないこと。

 光が丘地区等開発課

  1. 一 光が丘地区およびキャンプ朝霞跡地の開発計画の立案、調整および促進に関すること。

環境建築部

環境課

  1. 一 部内他の課および課内係に属しないこと。

指導課

  1. 一 みどりを保護し回復する条例(昭和五十二年三月練馬区条例第一号)に基づく緑化計画書の調整、実地調査および勧告に関すること。
  2. 二 課内係に属しないこと。

建築課

  1. 一 私道の実態調査に関すること。
  2. 二 課内係に属しないこと。

公害対策課

  1. 一 課内係に属しないこと。

土木部

管理課

  1. 一 部内他の課および課内係に属しないこと。

計画課

  1. 一 設計に係る対外調整に関すること。
  2. 二 区が受託した下水道建設事務の連絡調整に関すること。
  3. 三 課内係に属しないこと。

工事課

  1. 一 課内係に属しないこと。

公園緑地課

  1. 一 課内係に属しないこと。

ここには、一室一〇部三九課の分掌事務が掲載されている。しかし区の事務はこれだけではなく、さらに出先機関である事務所等によって区民の要望に応えるよう事務を行なっている。例えば、保健所、福祉事務所、出張所などである。また、義務教育や社会教育については独立した教育委員会が分掌するなど各行政委員会は各々の事務を行なっている。

そして、これらのなかには、練馬区という自治体が存立していくための基礎的事務、区民の福祉増進のために直接サービスを行なう事務、直接的には区民生活に関与しないが間接的に区民福祉の向上に関係する事務などがある。このほかに本来的には国や都が行なうべき事務を区が直接行なっているようなものもある。

なお、職員の厚生福利、権利を守るため、それぞれ次のように福利厚生団体、職員団体が設けられている。

練馬区の福利厚生団体には、練馬区互助組合、練馬区互助会、練馬区職員文化会の三種類があり、職員の健全な勤労意欲の涵養に役立っている。互助組合は区独立以来存続しており、食堂、理髪、売店の経営などを行なっている。互助組合は、昭和三五年四月に発足し、事業として慶弔に対する祝金、見舞金の支給、生活資金の貸付、保養所の指定などを行なっている。昭和五三年度は、区一般会計予算から一億五九〇〇万円余の補助がなされた。なお、五六年四月に互助組合は互助会に吸収一本化された。

また、従来練馬区の職員は東京都の配属職員が大部分であったため、練馬区における職員団体も東京都職員労働組合の練馬支部としてその傘下で活動していたが、五〇年四月から職員の身分が都から区に移されたので、これに伴って職員団体も五二年から練馬区職員労働組合と名称を改めた。

しかし、活動については従来どおり都職員ならびに二三特別区の職員組合と連携して、働くものの立場を守るための運動を展開している。

<項>

組織機構の移り変わり
<本文>

昭和二二年八月板橋区から分離、独立し、練馬区として新たに発足した当初は、練馬、石神井の支所を設けて従前とほとんど同様の事務を取扱ったが、二三年一月、練馬支所を廃してここに練馬区役所を置き、四〇年の部制採用までの基本的な組織体制を確立した。

<資料文 type="2-32">

 練馬区発足当初の組織(昭和二三年一月一〇日)

区議会―書記長

 総務課(総務係、企画係、用度係、区民係、統計係、選挙係)

 税務課(税務係、地租家屋税係、営業税係、住民税係、整理係)

 民生課(保護係、福利係、戸籍係、寄留係)

 衛生課(衛生係、防疫係)

 教育課(初等教育係、中等教育係、文化係、営繕係)

 産業課(農産係、商工係)

 経済課(食糧係、生活用品係)

 土木課(管理係、土木係、建築係)

 中新井民生館(南、北、上、石神井、大泉各民生事務所)

  〔出張所〕(第一、第二、第三、第四、第五)

石神井支所┳庶務課(庶務係、区民係、選挙調査係)

     ┃税務課(整理係、地租家屋税係、都税係)

     ┃民生課(戸籍係、民生係)

     ┃衛生課(衛生係、防疫係)

     ┃教育課(文化係、学事係)

     ┃経済課(産業係、配給係)

     ┃土木課(管理係、土木係)

     ┗〔出張所〕(谷原、石神井、関、大泉東、大泉西、大泉北)

収入役室  副収入役(収納係、支払係、出納係)

昭和二三年三月には建築事務を土木課から分離して建築課が設けられた。同年九月には東京都が練馬、石神井両保健所を設置したため、区の機構のなかから衛生課が廃止された。二五年七月には地方税法が改正となり、都税は都の税務事務所(現在の名称は都税事務所)で取扱うこととなったため区の税務課は縮小された。二六年一〇月には医療機関の不足を補うた

め区立の練馬診療所が設置された。この診療所は四三年一一月まで存続したが、医師の確保が困難となったため廃止することとなった。同年一二月、食生活の安定による配給制度・食糧統制の縮小・解除に伴い、産業課、経済課の事務は統合、縮小され、組織も経済課に一本化された。同時に、社会福祉事業法に基づいて都に福祉事務所が設置されたため、区の民生課は廃止され、区に残された社会福祉サービスは新たに設置した厚生課が行なうことになった。二七年一一月には教育委員会法に基づいて教育委員会事務局が設置された。三四年四月、国民健康保険事業の実施に備えて国民健康保険課を設けた。三五年一二月には国民年金事業の実施のため国民年金課を設置した。三九年七月、有権者数の増加等による事務量の増大に対処するため、選挙管理委員会に関わる事務を総務課調査統計係から分離し、独立した選挙管理委員会事務局を設置した。

三九年、区の権能の拡大を図ることを目的として自治法の改正が行なわれ、区の処理すべき事務が限定列挙から一部例示列挙となり、一般の市が行なっている福祉事務所に関わる事務、都市計画の事務の一部等が区の事務になった。これにともない、四〇年四月、都からこれら事務事業の移管が行なわれ事務量は増加した。さらに、急激な人口増による新たな行政への需要も加わり、これらに適切に対処するための組織機構の大改革を実施した。自治法施行以来、都へ事務事業が吸収される方向にあったが、この改正では、基礎的自治体である区の処理する事務が充実され、身近な事務は身近な自治体でということが実現された。

区では、これまで課単位の行政組織で区政運営を行なっていたが、行政の果たすべき責務の範囲の拡大、質的変化などにより課単位の行政組織では対応が困難となり、ここに初めて部制を採用した。新設された部は、行政の内部管理を中心とした総務部、出張所、戸籍、経済など区民の日常生活に関する事務を処理する区民部、福祉関係を担当する厚生部、道路、河川、公園等の設置管理を行なう土木部、建築確認、建築指導、営繕を行なう建築部の五部である。また、総合的な調整機能と行政の計画的運営を図るため企画室を設置した。

一方、練馬区発足以来区民に親しまれてきた石神井支所の廃止を行ない、練馬庁舎に機能統合し、石神井庁舎と名称が変

更され、各課の分駐組織を中心に石神井、大泉地区住民の行政サービスの確保に努めることになった。

部制を採用したことにより、課も再編整備され、部――課――係という三段階の機構で区政に対応することとなった。次の組織は四〇年の改正による機構の一覧であるが、その後は事務事業の増加に対して主に係の増設で順次組織の整備をすすめた。

<資料文 type="2-32">

  五部制となった区の組織(昭和四〇年四月一日)

区議会事務局(庶務係、議事係)

企画室(第一主査、第二主査)

総務部┳総務課(総務係、管理係、人事係、文書係、広報係、福利係、

   ┃    調査統計係)

   ┃財務課(予算係、経理係、契約係、管財係、検査係、車両係)

   ┃課税課(区税第一係、区税第二係、区税第三係)

   ┗納税課(管理係、納税第一係、納税第二係)

区民部┳区民課(庶務係、区民係、保健衛生係、主査出張所〔<数2>15〕)

   ┃戸籍課(戸籍係、住民登録係)

   ┃経済課(農産係、商工係)

   ┃区民経済課(区民係、戸籍係、経済係)

   ┃住居表示課(計画係、技術第一係、技術第二係)

   ┗練馬診療所

厚生部┳管理課(庶務係、施設係 練馬授産場、保育園〔6〕、公益質屋、

   ┃    練馬母子寮)

   ┃福祉第一課(福祉係、援護係)

   ┃福祉第二課(福祉係、援護係)

   ┃国民健康保険課(管理係、資格賦課係、保険料第一係、

   ┃        保険料第二係)

   ┃国民年金課(給付係、適用係、検認第一係、検認第二係)

   ┃練馬福祉事務所 (庶務係、相談係、保護第一係、保護第二係、

   ┃         身障者福祉司、精薄者福祉司、老人福祉指

   ┃         導主事)

   ┗石神井福祉事務所(庶務係、相談係、保護第一係、保護第二係、

             身障者福祉司、精薄者福祉司、老人福祉指

             導主事)

土木部┳管理課(庶務係、管理第一係、管理第二係、用地係)

   ┃土木第一課(事務係、工事第一係、工事第二係、維持係)

   ┗土木第二課(事務係、工事第一係、工事第二係、用地係、維持係)

建築部┳建築課(庶務係、指導係、監察係、構造設備係、建築係)

   ┗営繕課(工務係、営繕第一係、営繕第二係)

収入役室 副収入役(収納係、支払係、用品係、出納係)

教育委員会┳ 庶務課(庶務係、施設係、教育係)

  事務所┃学務課(学事係、教職員係、学校給食係、

     ┃    学校給食総合調理場)

     ┃社会教育課(文化係、体育係、社会教育主事、練馬公民館、

     ┃      練馬図書館)

     ┃指導室(事務係、指導主事〔4〕)

     ┃選挙管理委員会事務局(選挙係)

     ┗監査事務局(主査)

<罫囲 type="dotted">三地区農業委員会   (農地主事)

四〇年代前半は公害等都市問題が各地に発生した。区においても深刻化する公害問題に対処するため、四四年四月、建築部に公害対策課を設け区民の健康をまもる施策を強化した。同時に新たに広報室を新設し、広報広聴機能の一本化と強化を行ない、区民の意見を積極的に区政に反映させるとともに区政情報の公開の手段である広報活動の充実を図った。

四五年四月には、グラント・ハイツ跡地の返還促進と跡地利用計画の検討をすすめるため、総務部にグラント・ハイツ対策室を設置した。また、要保育児童の増加および児童福祉行政を充実させるため、厚生部の福祉第一課、福祉第二課を、一般福祉行政を担当する福祉課と児童福祉を専管する児童課の二課に再編整備した。一方、練馬格差と呼ばれる都市基盤整備の遅れを解消するため、土木部を三課から四課(管理、計画、工事、公園)に再編し組織の充実を図った。

四六年七月には、事務事業の増大により、総務部の財務課を二分して、財政計画、予算管理を担当する予算課と契約事務、財産管理を行なう経理課を設けた。同じく、区民部の区民課を管理課と環境保健課の二課に発展させ、空き地の管理、

不快害虫駆除など身近な環境問題に対処した。また、教育委員会事務局の社会教育課を教育文化活動部門と体育部門に分割し、社会体育課を新設した。

一〇月に入るとグラント・ハイツ跡地利用区民大会が開催されるなどその跡地利用がより具体的になってきた。そこで、一二月にグラント・ハイツ対策担当の主幹を設置し取り組みの姿勢を強化した。

四七年八月には、新庁舎と区民会館の建設に対処するため、庁舎等建設準備室が総務部に設けられた。四八年四月には、新たに開発計画室を設け、グラント・ハイツやキャンプ朝霞の基地跡地の土地利用計画の調整および作成と練馬駅前再開発等の市街地整備にかかわる計画策定と事業推進を担当させ、まちづくりに対する取り組みを強化した。また同時に、高齢化社会の進行とともに新たな行政への需要として増大してきた老人福祉サービスや、中高層マンション等の建設に伴う日照問題等建築紛争に対応するため、厚生部に老人福祉担当の副主幹を、建築部に相隣関係調整担当の副主幹を設けた。同年七月には、総務部に防災担当の副主幹、教育委員会事務局に義務教育施設計画担当の副主幹が置かれた。

同年一〇月区長準公選により田畑区長が第七代目の区長に就任すると、区民本位の区政をすすめることが区政運営の基本方針として打ち出され、昭和四〇年以来初めて大幅な組織改革が行なわれ、一二月に新たな組織体制が確立された。まず、区民参加を推進し区民の声を積極的に受けとめて区政に反映させていくため、公聴部門を担当する区長室を設置した。第二に、企画部、児童部、環境部を新設し、スタッフ部門の強化と児童福祉対策や環境行政に積極的に取り組んでいくこととなった。

課単位では、職員課、用地課および電子計算課が新設され、管理部門の整備が図られるとともに、保育課、生活環境課、指導課が設置され、区民の生活をまもり福祉を増進するための組織の整備がすすめられた。ここに区の行政組織は五部制から八部制に充実強化された。同時に、増大する事務事業に対処するため区議会事務局と教育委員会事務局に局長および教育長を実務面から補佐するため次長制を採用した。

<資料文 type="2-32">

  八部制となった区の組織(昭和四八年一二月一日)

区議会事務局 次長(庶務係、議事係、調査係)

区長室(主査〔8〕)

企画部┳企画課(主査〔5〕)

   ┃開発計画課(主査〔5〕)

   ┗広報課(広報係、区政資料係)

総務部┳総務課(総務係、文書係、調査統計係、主査〔3〕)

   ┃副主幹〔防災対策〕

   ┃副主幹〔同和対策〕

   ┃職員課(人事係、研修係、給与係、福利係、主査〔2〕)

   ┃予算課(主査〔4〕)

   ┃経理課(管財係、契約係、検査係、車両係、主査、技能長)

   ┃用地課(主査〔2〕)

   ┃課税課(区税第一係、区税第二係、区税第三係)

   ┃納税課(管理係、納税第一係、納税第二係、整理係)

   ┃電子計算課(主査〔2〕)

   ┗庁舎等建設準備室(主査)

区民部┳管理課(庶務係、施設計画係、青少年係、出張所〔<数2>15〕、

   ┃    網代荘、区民館〔7〕)

   ┃区民課(管理係、区民第一係、区民第二係、戸籍第一係、

   ┃    戸籍第二係)

   ┃経済課(商工係、消費生活係、流通対策係、農産係)

   ┃住居表示課(計画係、業務係、維持係)

   ┗石神井区民館(管理係、事業係)

厚生部┳管理課(庶務係、施設係、保健係、厚生文化会館、

   ┃    練馬授産場)

   ┃福祉課(福祉係、援護係、医療助成係)

   ┃老人福祉課(事業係、相談係)

   ┃国民健康保険課(管理係、資格賦課係、保険料第一係、

   ┃        保険料第二係)

   ┃国民年金課(給付係、適用係、検認係、調査係)

   ┃練馬福祉会館(管理係、業務係)

   ┃練馬福祉事務所(庶務係、相談係、保護第一係、保護第二係、

   ┃        身障者福祉司、精薄者福祉司、

   ┃        老人福祉指導主事)

   ┗石神井福祉事務所(庶務係、相談係、保護第一係、保護第二係、

             保護第三係、身障者福祉司、精薄者福祉司、

             老人福祉指導主事)

児童部┳児童課(児童係、育成係、児童施設係、児童館〔8〕、

   ┃    練馬母子寮)

   ┗保育課(保育第一係、保育第二係、保育園〔<数2>30〕)

環境部┳生活環境課(環境係、防疫係、交通安全係)

   ┗公害対策課(管理係、規制第一係、規制第二係)

土木部┳管理課(庶務係、管理第一係、管理第二係、管理第三係、

   ┃    労務係、道路台帳係、監察係)

   ┃計画課(事務係、計画係、設計第一係、

   ┃    設計第二係、設計第三係、主査)

   ┃工事課(工務係、工事係、土木出張所〔4〕)

   ┗公園緑地課(計画係、維持係、建設係、緑化係)

建築部┳建築課(庶務係、建築第一係、建築第二係、構造設備係、

   ┃    監察第一係、監察第二係、調査係)

   ┃指導課(指導係、紛争調整第一係、紛争調整第二係)

   ┃学校営繕課(工務係、学校営繕第一係、学校営繕第二係、

   ┃      学校設備係)

   ┗施設営繕係(施設営繕第一係、施設営繕第二係、施設設備係)

収入役室 副収入役(収納係、支払係、用品係、出納係)

教育委┳庶務課(庶務係、給与係)

員会事┃施設課(計画係、施設係、軽井沢高原寮、下田臨海寮)

務局次┃学務課(管理係、学事係、学校保健係、主査)

長  ┃学校給食課(管理係、業務係、主査、

   ┃      学校給食総合調理場〔2〕)

   ┃社会教育課(社会教育係、文化財保護係、社会教育主事〔2〕、

   ┃      練馬公民館、青少年館〔2〕)

   ┃社会体育課(管理係、体育係、社会教育主事、主査、

   ┃      総合体育館)

   ┃指導室(事務係、主査、指導主事〔5〕)

   ┃石神井図書館(管理係、事業係、主査、練馬図書館)

   ┗下田学園(副園長)

選挙管理委員会事務局(庶務係、選挙係)

監査事務局(主査〔3〕)

<罫囲 type="dotted">練馬区農業委員会(主査、農地主事)

 
 

五〇年三月までは、課以上の組織改正については東京都に事前協議することが義務づけられていた。これは、管理職の人事管理を都区一本化して行なうことと各区の組織のバランスを維持するための制度であった。しかし、五〇年四月からは区の人事権が確立されたことに伴い事前協議は廃止され、区の実情に即した組織づくりが可能になった。

五〇年四月、衛生部を新設して、都から移管された練馬、石神井両保健所の事務を管掌することになった。これより区の組織は九部制となった。

その後、五〇年七月、地区防災対策の強化を図るため、従来の副主幹にかわって防災課が、五一年八月、やはり副主幹にかわって同和問題を専管する同和対策室が設置されたほか、係単位の改正が行なわれた。四九年自治法改正を受け、五一年一〇月に大幅な組織機構の改革が実施された。この改革は、自治法の改正により一般市なみの自治体となった練馬区が、全国的な財政危機の進行の中で区民の多様な要望に適切に応えられる体制を確立し、住民福祉の増進をめざした都市経営を行なうことであった。

そこで区長は、練馬区行財政運営検討委員会に対して組織機構の改革について検討を命じた。同検討委員会は組織機構等専門部会を設け、五一年一月から六月にかけて精力的に調査検討を行なった。これを受け、検討委員会は九月に検討結果をとりまとめ、九月一三日に区長に対して行政組織機構等の改革についての検討結果報告書を提出した。報告書は、特別区制度の改正、財政危機の顕在化、新たな行政需要の発生など区政をとりまく環境の変動に対し、区民の需要に適合した弾力的なしかも機敏な対応をする必要と区政運営の効率化の観点から改革が避けられないとし、改革の基本目標を明らかにして具

体的な改革案を明示した。すなわち、区の自治権拡充等内外の環境の変化に伴う行政需要への的確な対応をはかり、効率的かつ機能的な総合運営システムを確立することを改革の目的にすえ、<項番>(1)政策主導型の組織運営体制を確立する <項番>(2)柔軟性のある、機能的な組織運営体制を確立する <項番>(3)機構の簡素、統合化を推進し、職員の適正配置を確保する <項番>(4)区民本位の組織運営体制を確立するという四つの改革の基本目標を置いた。

この報告書を受け、都市環境の整備を統合的かつ一体的にすすめるため、企画部、環境部、建築部のまちづくりにかかわる機能を再編、統合し都市環境部を新設するとともに、区民施設の建設、維持管理にかかわる効率的な執行体制を確立するため、各部の関連する事務、機能を統合し施設部を新たに設けた。これにより従前の環境部と建築部は廃止された。

課単位では、開発計画課が都市整備課に改組され、グラント・ハイツおよびキャンプ朝霞再開発担当の副主幹が置かれた。また、庁舎等建設準備室が廃止され施設部施設課が新設された。

その後、五二年四月には、練馬区独自のコミュニティ施設である地区区民館の円滑な運営をはかるため、区民部に地域施設対策室が新設された。また同年七月には、練馬区行財政調査会の答申に沿って職員の能力開発に積極的に取り組むために二三区初めての独立した職員研修所を設置した。これらの改正は五一年一〇月の機構改革を補完するものであった。

図表を表示

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五二年一〇月には、企画部に長期総合計画担当の副主幹が置かれた。これは、同年一〇月の区議会第三回定例会で議決された練馬区基本構想を具体化する長期総合計画の策定に取り組むためのものである。ここに、四九年から策定された中期総合計画とともに、区の哲学である基本構想を具体的に施策として計画的に実施していく体制が確立された。

このように区の事務事業は多様化し、基礎的自治体として「ゆりかごから墓場まで」という住民の一生にわたっての様々な施策をきめ細かに実施してきている。それにつれて区の行政組織も幾度かの変せんを重ね、効率的かつ総合的な区政運営を行なってきた。職員数も四三二四人(昭和五三年九月一日現在)に増加した(表<数2>11―3)。

昭和五三年度末現在、本庁舎以外の行政機関として、保健所二(優生保護相談所二)、保健相談所二、区民相談所二、福祉事務所二、出張所一三、土木出張所四、青少年キャンプ場一、区民保養所一、地区区民館四、児童館一六、敬老館一一、保育所三七、学童クラブ室一八、公益質屋一、母子寮一、授産場一、福祉会館一、厚生文化会館一、区民館一二、その他、図書館三、総合体育館一、区民プール二、青少年館二、公民館一、小学校五八、中学校二八、幼稚園一、校外施設二、養護学園一、給食調理場二、野球場、運動場四があり、さらに今後も多くの施設の設置が計画されている。

しかし、昭和四八年の石油危機にはじまる経済不況はスタグフレーション

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を進行させ、地方自治体の財政にも著しい影響をおよぼし、練馬区においても厳しい財政運営を強いられることとなった。こうしたなかで、多様化する区民の要望に応え区民サービスをさらに向上させていくことが区政の直面している課題となっている。

<項>
区事務サービスの内容
<本文>

区が行なっている事務は、すべて区民の日常生活に関連した身近なものである。ここでは区民の生活にとけこんだ直接関係の深い出張所や住民基本台帳などについてふれてみることにする。

支所・出張所 区民が一般に区役所と接するのは、新しく区民になるときの転入の手続きにはじまり、印鑑証明あるいは国民年金の相談などで近くの出張所へ出かけて行くことからであろう。

現在練馬区では、区の全域を一五地区に分け、区役所本庁舎と石神井庁舎および一三の出張所ひとつの分室(昭和五五年一二月一日に出張所となる)を通して区民に身近な行政事務のサービスを行なっている。現在の出張所は旧町内会事務所にその歴史をさかのぼることができる。

第二次世界大戦中、国策遂行の末端組織として、配給、供出あるいは防諜に大きな役割を果たした町内会は、戦後、GHQの指令により、昭和二二年の政令第一五号(町内会禁止政令)によって廃止されることになった。そして、これに基づく内務省訓令第四号により同年三月末ながい歴史を持つ町内会はついにその幕を閉じ、それまで町内会が実施してきた種々の行政事務を区が直接実施することになった。すなわち、二三年四月一日から、区が町会に委託していた転出入証明、配給通帳の検印、配給、居住証明、区からの通達の回覧、消毒剤の散布などもろもろの事務は区の機関としての町会事務所が取り扱うこととなり、都次長通牒によりその名も区役所連絡事務所と改められた。職員は主にそれまでの町会事務所の事務員が区の嘱託としてそのまま配置された。

しかし、この制度改正は、旧町内会の組織をそのままに名称だけの変更があったり、旧隣組加入の強制をともなったりいろいろな混乱を招いた。そこで、五月三日の新憲法施行の日、政府は、町内会等の解散、就業禁止などを含む政令を発した。それにより連絡事務所は廃止され、旧町会長などの町会役職員はその地域では四年間同種の事務を行なう職にはつけないこととなった。

代って、その年六月一日から完全な区の行政機関としての出張所がスタートすることになった。出張所の設置基準は、人口一万五〇〇〇人または面積四km2に一か所というものであった。

開設当初の出張所の所管事務は、町会事務所時代から引き続きの都民世帯票の整理、転出入、証明手数料の徴収ならびに減免、配給通帳の交付、検印、区民に関する各種調査報告、区民に対する各種通知などであった。

二二年の独立時の練馬区は、二支所、一一出張所の組織体制で発足した。練馬支所の区域には五か所(第一、第二、第三、第四、第五)、石神井支所には六か所(谷原、石神井、関、大泉東、大泉西、大泉北)の出張所が置かれた。

二三年一月、区役所の新しい組織体制が確立されると練馬支所が廃止された。練馬区が独立し、昭和二二年八月に区役所が企画課と総務課の二課の構成でスタートし、その他の事務は練馬支所で行なっていた。二三年一二月に第六出張所が開設された。二四年八月一日、区役所本庁舎が現在の豊玉北六の一二に移転し、旧本庁舎の近隣地に南町出張所が開設された。

二五年五月、地方自治法の改正により出張所は条例によって設置されることになり、本区においては、その後三一年一〇月、「練馬区出張所設置条例」が設けられ、ようやく明確な法的根拠を持つこととなった。

一方、区の事務事業の拡大にともなって、最先端窓口としての出張所業務も年を追ってひろがり、また質を深めていった。住民登録、印鑑登録および印鑑証明をはじめ、国民健康保険の資格得喪、区税・国民健康保険料の収納、青少年対策地区委員会事務など多種多様となり、また急激な人口の増加にともない事務量もますますふえていった。

この間、三八年一月一日には、人口の増加と市街地の拡大にあわせ、また地域における行政サービスの向上をはかるため

第七出張所と上石神井出張所が開設された。第七出張所は二五年四月一日に置かれた第四出張所田柄分室が、上石神井出張所は三五年八月一日に置かれた関出張所上石神井分室がそれぞれ昇格したものである。この二出張所の開設により現在の出張所の所管区域が定まった。

組織機構の移り変わりでふれたように、四〇年四月石神井支所は廃止された。石神井支所は、昭和七年板橋区の石神井派出所にはじまる。昭和一九年石神井出張所に改められ、庶務、戸籍、戦時生活の三係をおき、主として貯蓄、増産、配給衣料切符、徴用援助等の事務を取り扱った。また管轄区域は、石神井谷原一丁目、二丁目、石神井北田中町、石神井南田中町、下石神井一丁目、二丁目、上石神井一丁目、二丁目、石神井関町一丁目、二丁目、三丁目、石神井立野町、東大泉町、西大泉町、南大泉町、北大泉町、大泉学園町である。

昭和二二年三月、石神井出張所から石神井支所になり、それ以来支所は石神井、大泉両地区の行政サービスの中心としてその役割を果たしてきた。

支所廃止後、石神井庁舎には区民経済課、福祉第二課、土木第二課が置かれ、また練馬庁舎に置かれた総務課の管理係、財務課の経理係、納税課の納税第二係、住居表示課の技術第二係、国民年金課の検認第二係、国民健康保険課の保険料第二係、土木部管理課の管理第二係、建築課の建築係、収入役室の出納係および教育委員会庶務課の教育係が分駐した。

その後四五年四月には福祉第二課、土木第二課が廃止され、また四八年一二月の組織改正による区民部の再編で区民経済課が廃止されたが、区民課の区民第二係と戸籍第二係が分駐し区民サービスの確保に努めることとなった。

なお、現在(昭和五四年度末)、石神井庁舎には、総務課(管理係、調査統計係)、納税課(納税第二係、整理係)、区民課の二係、経済課(農産係)、住居表示課、国民健康保険課(整理第二係)、石神井福祉事務所、石神井区民館、区民相談所および収入役室(出納係)が置かれている。

この間、四〇年一月には、昭和二〇年代の中頃に置かれていた第二出張所北町分室が再び開設された。また、五〇年一二

月一五日、南町出張所は老朽化した施設の移転改築に伴い桜台出張所と名称変更した。

現行の出張所の所管区域と所掌事務はつぎのとおりである。なお、第一出張所と石神井出張所は区民第一係(練馬庁舎)と区民第二係(石神井庁舎)が出張所事務を行なっており、名称だけが残されている。

出張所の位置と所管区域
名称位置所管区域
梗台出張所 練馬区桜台一丁目二二番地 栄町、羽沢一~三丁目、桜台一~六丁目、旭丘一、二丁目、小竹町一、二丁目、豊玉上一丁目、豊玉北一、二丁目
第一出張所 練馬区豊玉北六丁目一二番地 練馬一~四丁目、豊玉北三~六丁目、豊玉南一~三丁目、豊玉上二丁目、豊玉中一~四丁目
第二出張所 練馬区早宮一丁目四四番丁一九号 錦一、二丁目、氷川台一~四丁目、平和台一~四丁目、早宮一~四丁目、北町六丁目
第三出張所 練馬区貫井一丁目九番一号 貫井一~五丁目、向山一~四丁目、中村一~三丁目、中村北一~四丁目、中村南一~三丁目
第四出張所 練馬区春日町五丁目三〇番一号 春日町一~六丁目、高松一~四丁目、田柄三丁目(一番~一三番)、田柄五丁目(一番~二〇番)
第五出張所 練馬区土支田二丁目三二番八号 土支田一、二丁目、土支田三丁目(但し、一一番、一五番、一八番、二〇番の一部、二一番~二六番、二七番~二九番の一部、三〇番、三三番の一部および四五番~四七番の一部を除く。)、土支田四丁目、高松五、六丁目、旭町一丁目
第六出張所 練馬区旭町三丁目一一番六号 旭町二、三丁目、光が丘(但し、むつみ台団地地区を除く。)
第七出張所 練馬区田柄二丁目六番二二号 光が丘(むつみ台団地地区に限る。)、田柄一、二丁目、田柄三丁目(一四番~三〇番)、田柄四丁目、田柄五丁目(二一番~二八番)、北町五、七、八丁目
第八出張所 練馬区北町二丁目二六番一号 北町一~四丁目
谷原出張所 練馬区高野台三丁目一番一〇号 富士見台一~四丁目、谷原一~六丁目、高野台一~五丁目、南田中一丁目(但し、二一番を除く。)、南田中二~五丁目、下石神井三丁目(一一番~一五番および二三番~二五番)、石神井町一丁目(但し、一番三一号~六六号、一番二九―一〇一号~一番二九―五〇八号、一番三〇―一〇一号~一番三〇―五〇八号、一番三一―一〇一号~一番三一―五〇八号、二番~一四番および一七番のみ。)

石神井出張所

練馬区石神井町三丁目三〇番二六号 南田中一丁目(二一番)、下石神井一丁目(但し、三二五~三六〇および三六三~三七七を除く。)、下石神井二丁目、下石神井三丁目(但し、一一番~一五番および二三番~二五番を除く。)、下石神井四~六丁目、石神井町一丁目(但し、一番三一号~六六号、一番二九―一〇一号~一番二九―五〇八号、一番三〇―一〇一号~一番三〇~五〇八号、一番三一―一〇一号~一番三一―五〇八号、二番~一四番および一七番を除く。)、石神井町二丁目~八丁目、上石神井二丁目、石神井台一~六丁目、石神井台八丁目(但し、一番~五番および二一番のみ。)、三原台一~三丁目
関出張所 練馬区関町北一丁目七番一四号 関町一丁目(但し、一~一〇七を除く。)、関町二~四丁目、関町北一~五丁目、立野町、石神井台七丁目、石神井台八丁目(但し、一番~五番および二一番を除く)
上石神井出張所 練馬区上石神井一丁目三六四番地 下石神井一丁目(三二五~三六〇および三六三~三七七)、関町一丁目(一~一〇七)、上石神井一丁目
大泉東出張所 練馬区東大泉三丁目一八番九号 土支田三丁目(一一番、一五番、一八番、二〇番の一部、二一番~二八番、二九番の一部、三〇番、三三番の一部、四五番、四六番および四七番の一部のみ。)、東大泉町、東大泉一丁目、東大泉二丁目(一番~二七番および三三番~四一番のみ。)、東大泉三~七丁目、大泉町二丁目(一番の一部、六番の一部、七番の一部、八番、一〇番~一六番、二三番~二八番、四九番~五四番および六三番の一部のみ。)
大泉西出張所 練馬区南大泉五丁目二六番九号 西大泉町、西大泉一~六丁目、南大泉町、南大東一~五丁目
大泉北出張所 練馬区大泉学園町二、六七三番地 東大泉二丁目(一番~二七番および三三番~四一番を除く。)、北大泉町、大泉町一丁目、大泉町二丁目(一番の一部、六番の一部、七番の一部、八番、一〇番~一六番、二三番~二八番、四九番~五四番および六三番の一部を除く。)、大泉町三~六丁目、大泉学園町
<資料文 type="1-73">

出張所の所掌事務

一 住民票に関すること。

二 転入、転出および異動票に関すること。

三 主要食糧の配給に関すること。

四 諸証明に関すること。

五 印鑑登録および印鑑証明に関すること。

六 所管事項の調査報告に関すること。

七 特別区税および都民税の徴収に関すること。

八 国民健康保険の資格得喪届書の受付および保険料の徴収に関すること。

九 国民年金の各種届書の受付および国民年金印紙の売さばき検認に関すること。

十 母子手帳の交付に関すること。

十一 畜犬登録の受付に関すること。

十二 区立小中学校の転入学に関すること。

十三 区民に対する周知に関すること。

十四 区民館の利用公開に関すること。

十五 青少年育成地区委員会に関すること。

十六 その他区長が必要と認めた事項

住民基本台帳

住民基本台帳制度は、住民の居住関係の公証、選挙人名簿の登録その他住民に関する事務処理の基礎とするとともに、住民の住所に関する届出等の簡素化を図るため、住民に関する記録を正確かつ統一的に行なうものである。

現在の住民基本台帳法と従前の住民登録法を比較した場合、次のような特徴がある。

<項番>(一)住民の住所の変更等に関する届出が簡単になり住民の利便が増進されたこと。

<項番>(二)正確かつ統一的な住民に関する台帳が整備されたことにより正確なきめ細かい行政が可能となったこと。

<項番>(三)市町村における行政運営全般の合理化が期待できること。

住民基本台帳法に基づく各種届出および住民票の写しの交付件数の推移は表<数2>11―5のとおりである。

印鑑証明

印鑑証明事務は、区市町村がその住民の利益のために行なう公共事務である。区市町村で行なう印鑑登録ならびに印鑑証明事務の処理方法に関しては統一的な法律がない。このため各区市町村において個々に条例または規則等を制定し、これにより事務処理を行なっている。

印鑑登録証明書は、文字通り解釈すれば登録された印影と相違ない旨の区市町村長の証明にすぎない。しかしながら印鑑登録証明書が実際に使用されるときは、本人との同一性をも証明し、或は信頼される機能をもっているため、事務担当者は

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その取り扱いに充分な注意を払わなければならない。

本区においては、昭和五〇年一〇月から印鑑証明制度の改正を行ない、印鑑による事故の防止とともに事務処理のスピード化を図っている。新しい制度は間接証明制度を採用し、登録申請が完了したのち「印鑑登録証」(カード)を交付し、以後はこのカードを持参すれば証明書がとれるため登録印や委任状はいらなくなった。

また、印鑑登録事務は二三区共通の事務であることから、東京都が「特別区の行なう印鑑登録及び印鑑証明事務の調整に関する条例」を設け特別区の印鑑事務を調整していたが、特別区の自主的事務処理を尊重する見地から、五二年六月廃止された。

印鑑登録に関する件数の推移は表<数2>11―6のとおりである。

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戸籍事務

戸籍事務は、税務事務と同様に、地方公共団体が明治以来処理してきた代表的な事務である。戸籍制度は、国民の出生から死亡に至るまでの親子関係、夫婦関係などの重要な身分関係を明らかにし、これを公証するためにある。また、戸籍事務はその性質上全国一律に処理する必要があることから国の事務となっている。しかし、区民と密接な関係のある事務なので、国の事務ではあるが区長に委任されている。

区では、出生、婚姻など戸籍に関する諸届の受理をはじめ身分関係を公証する戸籍謄抄本、記載事項証明の交付を行なっている。なお、本籍数および本籍人口の推移は表<数2>11―7―(Ⅰ)のとおりである。

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戸籍は、相続関係等国民の社会生活にとって重要なものであることから、その保存期限は八〇年間という長い期間となっている。そこで区では、除籍、改正原戸籍の保管を確実にし、あわせて窓口事務の合理化、書庫の狭あい解消を目的として、昭和四九度年からマイクロフィルム化を行なっている。四九年度は明治五年式戸籍から昭和四八年度までの除籍、改正原戸籍のマイクロ化を実施し、以来毎年度前年度分を行なっている。練馬区のマイクロフィルムシステムは、区民の利便を確保することからマイクロフィルムと併せて和紙による除籍等の写しを作成し、これを利用して区民に交付している。これは練馬方式と呼ばれ他自治体に影響を与えた。

ここで、戸籍に関する届出および謄抄本交付の推移は次のとおりである。

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住居表示

わが国の都市は、都市計画に基づいて形成された部分は少なく、多くは無秩序に発展形成されてきた。その結果、都市基盤整備が不十分なうえに居住している地番は統一性を欠き、住民生活および行政サービスの面で支障となっていた。そこで昭和三七年五月、住民表示に関する法律が制定された。この法律の目的は、市街地の発達と変遷に伴って混乱を生じた住居の表示方法を合理化して、住民の日常生活その他の公共の利益を図ろうとするものである。

この新しい制度は、住居を表示するのに従来のようにその所在する地番によるのでなく、一定の方式によってつけられた建物の番号により表示する方法を採用した。この方式には、「街区方式」と「道路方式」があり、練馬区は街区方式により住居表示を行なっている。

〈街区方式〉

市町村の市街地を標準的な広さの町または字の区域に区画し、その名称の下に区画された町または字の区域をさらに標準的な広さの街区に区画してつけられた符号(街区符号)と、その街区内にある建物につけられた番号(住居番号)を用いて表示する方法をいう。この場合、町または字の区域および街区の区域は道路、河川等の恒久的施設等により区画する。

〈道路方式〉

市町村内の道路につけた名称と、その道路に接したり、または道路に通ずる通路を有する建物につけられた番号(住居番号)を用いて表示する方法をいう。

練馬区内においては、三七年五月、総務課に住居表示係を設置して住居表示の準備に着手し、翌年二月には、桜台、練馬の東部地区を街区方式ではじめて実施した。

三八年七月、事業の円滑な推進を図るため、区長の付属機関として住居表示審議会が設置された。審議会は、住居表示の実施にあたって、区長の諮問に応じ町名および町区域の合理的設定その他住居表示について調査審議することを任務とし、定数は二三名以内で、委員は、区議会議員、官公署代表等の学識経験者と区職員の委員と、その他、地元関係自治会長等の臨時委員により構成されている。

その後四〇年四月には、区民部に住居表示課を設置して事業の積極的な促進にあたっている。なお住居表示の詳細については本編の「町の変遷」中にも触れられているのでここでは概要程度にとどめた。

統計事務

区政をとりまく社会経済環境の変化と区民の区政への需要に適切に対応し、区民が住みよいまちをつくるためには、区政運営に必要な基礎的・基本的な資料の収集整備が不可欠である。区ではこれらを得るために、種々の統計調査を行なっている。

練馬区において行なっている統計で区民に一番身近で関心のあるのは国勢調査であろう。これは、国の統計で一〇年毎に

本調査、五年目には中間調査を行なって日本の人口等を正確に把握し、将来の国政を推測するにも必要な統計である。近くは昭和五五年一〇月に第一二回の国勢調査が実施された。

その他、区独自で行なっている住民基本台帳法による登録人口、転出入など区民の動きをつかむための調査のほか、国や都から委任された次のような統計調査も実施している。

国勢調査(五年毎の一〇月一日

事業所統計調査(三年毎

工業統計調査(毎年一二月末日

学校基本調査(毎年五月一日

住宅統計調査(五年毎

商業統計調査(二年毎の五月一日

住居基本台帳調査(毎年一月一日

人口動態調査(年間を通じて行なう人口動態調査とは、練馬区内の出生、死亡、婚姻、離婚を届出によって集計して、常に人口を正確に把握するための調査である

就業構造基本調査(三年毎の七月一日

全国消費実態調査(五年毎の九、一〇、一一月

全国物価統制調査(不定期、昭和五二年五月二五日施行

工業実態基本調査(四~五年・不定期

また各部課では、事業を計画、実施していくために必要な各種調査を日常から行なうとともに、世論調査、アンケート調査などを行ない区民福祉を向上させるよう努めている。

<項>

二三区による共同事務処理
<本文>

特別区は一体として首都東京を形成しているので、大都市行政の一体性の確保と効率化を図るため、つぎの組織によって、特別区(長)の権限に属する事務の一部を共同で処理している。

特別区協議会

この協議会は特別区の連絡調整を図り、自治行政の円滑な運営と発展を目的にして、昭和二五年五月の地方自治法施行と同時に設置された。翌二六年四月からは財団法人特別区協議会となり組織が強化された。

事業内容は設立当初の特別区が保有している区有物件災害共済事業から年々拡大し、現在では、①特別区の行財政に関する調査研究 ②区長会、議長会等各種会議体の運営事務 ③特別区が使用する各種資料、諸用紙等の共同印刷、共同購入 ④特別区に提供する資料、刊行物の作成 ⑤特別区が保有している区有物件、自動車の災害共済事業 ⑥特別区退職者の互助年金事業 ⑦政府並びに他の地方公共団体との連絡 ⑧東京区政会館の経営等を行なっている。

協議会の運営は各特別区の区長、区議会議長、知識経験者二名で、理事長、理事、評議員等の役員を分任して行なわれ、運営に必要な経費は主として構成団体である二三区の分担金によって賄われている。事務所は千代田区九段北一―一―四、東京区政会館におかれている。

特別区人事・厚生事務組合

この組合は、昭和二五年に公布された地方公務員法をうけて特別区固有職員の人事委員会に関する事務と共済制度の助成に関する事務を共同処理する目的で、地方自治法に基づく一部事務組合として東京都知事の許可を得て設立された。設立は二六年八月で、当初の名称は「特別区人事事務組合」であった。

翌二七年に地方公務員法の改正によって、人事委員会が公平委員会に改組されるとともに、職員の採用試験と研修並びに退職年金等に関する事務を共同処理することとなった。さらに四二年四月から、生活保護法による更生施設の設置および管

理に関する事務を共同処理することとなったのに伴い、名称を「特別区人事・厚生事務組合」と改めて現在に至っている。

現在の事業は ①人事委員会に関すること ②職員研修に関すること ③職員の互助制度の助成 ④恩給・公務災害 ⑤更生施設等の設置および管理 ⑥法律相談および訴訟事件の処理 ⑦区民の交通災害共済事業等である。組合の運営は、各特別区長を議員とする組合議会と特別区長から選出された管理者によって行なわれ、その経費は各特別区の分担金によって賄われている。また、事務所は東京区政会館におかれている。

特別区競馬組合

この組合は、競馬法により内閣総理大臣から連名で地方競馬の開催を許可された二三特別区長が、競馬に関する事務を共同処理するため、昭和二五年一〇月、東京都知事の許可をえて設立した一部事務組合である。

以来、組合は品川区勝島二丁目の大井競馬場において、毎年一〇回から二〇回程度区営競馬を開催しているほか、千葉県印西町小林の小林牧場で競走馬の育成や飼養を行ない、その収益金を各特別区に分配している。

昭和五三年度の収益金は約七二億八千万円で、各特別区はその分配金を社会福祉の増進、教育文化の向上等の施策の財源に充てている。

特別区政調査会

昭和四八年秋、財団法人特別区協議会に対し特別区長会から「特別区政に対する調査会設置」の要望があったため、住民福祉の今後の方針を策定するためには、その行財政のあり方について根本的な検討を加える必要があるとの考えに立って特別区政調査会が設けられた。

調査の主要事項は、

  1. 1 特別区の性格および機能について
  2. 2 特別区の財政制度について
  3. 3 都と特別区および特別区相互間の協力関係について

の三点で、これらの命題について調査のうえ報告するよう調査会委員および専門委員に委嘱された。

調査会としては、東京都に都制調査会があり、国には地方制度調査会があってそれぞれの行政のあり方について示唆しているので、特別区においても、特別区の側から考究した特別区の今後の方向についてひとつのまとまった意向を知っておく必要があると考えて、特別区長会が要望したものであろう。

調査会は四九年四月に検討を開始し、五〇年三月に区長公選の意義、特別区が基礎的な自治体への転換を自負した今後のあり方、および新しい財政調整の方式を当面どのように改善すべきか等を骨子とした第一次答申(「特別区政のあり方について」)を行なった。

その後ひき続き検討がすすめられ、五二年五月には、都区内の事務配分、都区間および特別区相互間における財源の具体的配分、および区政と住民参加など、第一次答申の提案の具体策に関して第二次の答申(「特別区の行財政制度の改革」)がなされた。また五三年七月には、特別区人事委員会の設置を踏まえて特別区独自の人事制度の確立とその自主的運営の推進をねらいとする特別区人事行政の改革の方向について区長会に報告された(第三次答申「特別区人事行政の改革」)。

<節>
第四節 区民施設の推移
<本文>

区の施設は、東京都や他の行政機関の施設と共に、地域住民に対して公共サービスを提供する拠点である。

特別区として発足した当時は義務教育施設のほかにほとんど見るべき施設をもたなかった二三区は、その後の社会経済情勢の変遷の中で、数次にわたる制度改正によって自治体としての立場を強め、福祉、教育、環境等の広範な分野にわたる行政サービスの主体となり、急速に各種の施設を整備することとなった。

練馬区においては、この事情に加えて急激な人口の増加による行政需要の拡大が重なり、区の施設は質量共に年々急速な

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拡充の一途をたどっている。

ところで区の施設は、住民のもっとも身近な自治体としての区が設置するものであるため、住民の日常生活に密着した、きめ細かな行政サービスの提供を主眼としているものである。従ってその内容も、区役所、出張所、保健所等の事務所施設から、保育園、児童館、敬老館、小・中学校、図書館、区民館等の福祉・教育施設、さらに公園、遊び場、運動場等のレクリエーション施設、そして道路、水路から街路灯や掲示板等におよぶ広範な分野にわたっているうえ、その規模も大小さまざまでまた数も多い。

これらは施設の目的や機能に応じて、利用主体である区民の生活空間に合理的に設置されるものであるが、事務所施設については本編の各分野で触れられているので省略し、ここでは道路、水路等を除くその他の主な施設に限定して、施設数の推移を中心に、その整備状況を年代別に考察する。

区の事務所以外の施設は、一般に区民施設といわれており、区民館、公園等のように施設そのものの利用を目的とするものと、保育所、学校等のように機能の利用を目的とするものとがあるが、いずれももっぱら直接住民の利用に供するための施設であることにかわりはない。これら区民施設は、公共施設のうちでもとりわけ生活環境関連施設としてその役割や必要度が高く、その設置状況は、区の行政水準を示す一つの指標ともされているものである。

練馬区の主な区民施設の年代別推移は表<数2>11―8のとおりであり、昭和二二年の独立当初は、小・中学校しかもたなかった練馬区が、四〇年代以降飛躍的に区民施設を増加させた状況がうかがえる。これを各年代別にみると、次のとおりである。

昭和二〇年代

練馬区の発足当初の区民施設は、わずかに小学校一六校と五月一日から新制として開校した中学校一三校にすぎなかった。区民生活に関連する施設も、二月にはじめて設置された私立幼稚園が一園と、のちに区に移管されることになる都立公園が四園のみという状況であった。

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翌二三年に、のちに区に移管されることになる都立・私立の保育園が一園ずつ設置され(都立保育園は戦災で一時中断したものの再建)、二四年から二五年にかけて、私立の幼稚園五園、保育園二園が設置されたが、この間における区の施設は二五年一〇月に都から移管された既設の三公園を加えたにとどまっている。

ついで二六年一〇月に診療所が開設され、二七年度以降表<数2>11―9に示す施設が設置されたが、小学校の建設に追われはじめた状況がうかがえる。一方、この時期に私立の幼稚園、保育園の開設が目立っている。

この間、二八年一〇月練馬公民館が開館したが、この施設は当時としては珍しい一部鉄筋の近代的建物であり、区としてはじめて手がけた本格的区民施設であった。施設建設には、競馬益金を主軸に国および都の補助金があてられたが、備品類の整備については、区民、区議会、区役所が一体となった公民館建設協賛会が組織され、五〇〇万円を目標とする募金運動が展開された。昭和二八年五月一一日発行の練馬区広報第一号は、須田区長と梅内公民館特別委員会委員長の区民に対する協力依頼よびかけで埋められているが、公民館建設にかける当時の意気込みと期待の大きさがうかがえるので、次にその巻頭を飾る一文を掲げる。

<資料文>

公民館完成迫る

区議会において、公民館建設の特別委員会が、発足したのは、昭和二六年一二月二四日でありました。

爾来三年に亘る関係者の熱意は青梅、吉野を始めとして、各所の公民館を視察して歩き、委員会の審議は十数回に亘りました。

窮迫している財政難を乗り超えて、四〇〇有余坪の公民館を着工する運びに至りましたのは、昭和二八年二月三日であります。

今五月晴れの青空に、鉄骨を鋲打する音高らかに響いて、区民文化の殿堂建設譜は朗らかに奏でられております。

けれども、実際に公民館を運営するのに必要な調度や、備品の購入は、予算が僅少でありますので、区民皆様の絶大な、御支援と御協力を、御願いする次第であります。

この募金運動は、区内のみならず区外においても多大の協力をえて予期以上の成果を収め、区民の期待する公民館は、二八年一〇月華々しく落成式を挙行し開館した。以後今日なお、社会教育活動の中心施設として利用されている。

昭和三〇年代

この時期の前半は、二〇年代の後半に引き続いて学校建設が急増した。中学校の建設も行なわれるようになり、そのためか、他の施設にみるべき建設は行なわれていない。その設置状況は表<数2>11―<数2>10のとおりである。

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三六年度は小学校三、中学校二校が新たに開校されたほか、練馬区でははじめて、保育所三園と図書館、授産場が開設された。このうち、保育所は以後毎年のように増設されることになるが、開設第一号の豊玉保育園は、さきにふれた都立施設の移管をうけたものである。以後、三〇年代の後半期には、給食センター、高原寮等の学校教育関連施設が開設されはじめたほか、三九年度から学童クラブ室の設置が開始された。

昭和四〇年代

特別区の事務事業は、地方自治法の改正によって四〇年以降大幅に拡充された。この制度改正に伴う事務事業移管措置の一環として施設建設に関する都区協議が行なわれ、四〇年八月「特別区行政施設建設五か年計画策定要綱」が、翌四一年六月「特別区行政施設建設五か年計画書」が決定された。

四〇年一〇月に当区から東京都に提出された練馬区行政施設建設五

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か年計画書の概要は、表<数2>11―<数2>11に示すとおりであり、これにより、区の施設建設はようやく計画的に推進されることとなった。

なお、参考までにこの時の五か年計画策定要綱を次に掲げる。

<資料文>

     特別区行政施設建設五か年計画策定要綱

この要綱は、特別区事務事業移管措置要綱に基づき策定するものとする。

一 策定の趣旨

  •  特別区行政施設の現状は、区民の都市生活および経済活動の場からみて、人口ならびに産業の過度集中、過大都市としての社会的弊害等に起因して、従来、諸般の整備努力にもかかわらず、わが国経済の高度成長に比し、公共的諸施設の整備が立ち遅れ、区民の日常生活および産業活動をそこなう結果となっている。
  •  一方、昭和四十年度において、都から特別区に移管された行政施設についても、老朽度の著しいものが数多く、これらの整備も現下の急務となっている。
  •  本来、公共投資は、特別区の自主財源によることが望ましいが特別区相互の調整上、財政的制約があり、計画的、効率的な整備運営をはかる必要があるので、昭和四十一年度以降社会福祉施設、教育施設その他の行政施設の建設実施計画について、長期的かつ総合的な見地に立って策定し、特別区行財政運営の指針とするとともに、都区財政調整における公共投資算定の基準とするものである。

二 計画の性格

  •  実施計画とし、現実的な基盤に立脚して策定するものとする。

三 計画の内容

  •  次に掲げる施設の建設を内容とするものとする。
  1. <項番>(一) 社会福祉施設 (保育所、児童遊園、児童館、母子寮、生活館等
  2. <項番>(二) 教育施設 (図書館、体育館、幼稚園、校外施設等
  3. <項番>(三) 土木施設 (都市計画等に基づく施設、道路新設拡幅、公衆便所、公園等
  4. <項番>(四) 庁舎等施設 (庁舎、出張所、区民集会所等
  5. <項番>(五) 産業経済施設 (産業会館等

四 計画の重点

  1. <項番>(一) 事務事業移管に伴う諸施設のうち、緊急に整備を必要とする施設の整備を計画前期において行なうものとする。
  2. <項番>(二) 市街地化の著しい地域をもつ特別区にあっては、これに即応する施設の整備をはかるものとする。

五 計画の期間

  •  昭和四十一年度から昭和四十五年度までの五か年とする。

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さて、四〇年代前期五年間の区施設整備状況は、表<数2>11―<数2>12に示すとおりで、保育所や児童公園等の拡充が軌道に乗ったほか、計画になかった学童クラブ室や民間遊び場の増設も積極的に進められる等、さきの五か

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年計画を上回った施設整備が行なわれた。

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また、福祉会館、青少年館、図書館等が本格的な専門施設として開設されたが、一方、四〇年八月から小学校の校庭開校(当初一五校)という形で既存施設の多目的利用も開始された。そして、経済の高度成長と人口急増によって問題化していた施設不足に対応させるため、四五年度から敬老館、児童館、出張所等と集会施設が併設された新しい形の区民施設として、区民館の開設が開始された。

こうした状況の中で、四三年に都は「いかにしてシビル・ミニマムに到達するか」という副題をもつ東京都中期計画(一九六八)を策定した。この計画は、都民生活におけるシビル・ミニマム、即ち都民生活にとって必要最低限の施設整備水準を計画目標として設定し、各課題・事業別に体系化し、その目標を基軸にして各年次の到達度を示したものである。練馬区においてもこの手法にならって、四四年五月に四四年度から四八年度までの行政施設建設五か年計画を策定したが、その概要は表<数2>11―<数2>13のとおりである。

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この五か年計画を基礎とする四〇年代後期の区施設整備状況は表<数2>11―<数2>14のとおりとなり、施設の種類も数も大幅に増加している。保育所、学童クラブ室、児童館、敬老館、区民館は引き続き年々増設されているが、これらの施設は四五年以降になると単独では設置されず、保育所と児童館、区民館との併設というような三種程度の施設併設が標準的な設置方式となった。またこの時期から、新しい施設として農園や防災施設のほか自転車置場も設置されはじめた。あわせてこの四〇年代の後半期は、出張所、保健相談所、土木出張所等の行政施設の整備も集中的に進められており、練馬区の施設整備が飛躍的に拡充された時期といえる。

しかし、練馬区の施設整備の水準を他区と比較してみると図<数2>11―1に示される状況であり、いわゆる「練馬格差」とい

われる遅れがれき然としている。なお、この内容の具体的な説明については表<数2>11―<数2>15を参照されたい。

昭和五〇年代

昭和五〇年代は、四八年末のオイル・ショックから引き続くインフレーションと不況の同時進行という状況のもとで幕があき、地方財政は一段と厳しい環境に移行することとなった。また一方、特別区においては改正地方自治法の施行により、五〇年四月から、保健所の事務事業や都市計画事業の一部などが都から移管されるとともに、区長公選制が復活され、その自治権が一段と拡充されることになった。

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こうした状況の中で、立ち遅れている公共施設の整備をはかり、他区との行政格差を是正するため、五〇年三月「練馬区中期総合計画―五〇~五二年度―」()が策定された。しかし、この計画案はオイル・ショックに伴う当時の経済財政環境の激変等の事情から決定をみるにいたらず、翌五一年五月、五一~五三年度の計画として決定された。

この計画は、「緑に囲まれた静かで市民意識の高いまち」の実現をめざす練馬区基本構想(素案)をうけ、

  1. ア、区民が安心して快適な生活を送るための必要最低限であ

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  1.  る、シビル・ミニマムを確保するための長期的な区政の目標と、その目標を達成するための施策を確立し、その実現を強力に推進する。
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  3. イ、他区との比較において、立ち遅れている公共施設の整備を早急にはかり、練馬区の行政水準の向上をはかる。
  4. ウ、区行政の計画的かつ効率的運営を推進し、長期的に財政危機を克服する。
ことを目的とし、区行政の中で計画的な推進が必要でかつ可能な施策についての総合的な行財政計画となっている。また、経済社会変動が極めて著しい状況と財政フレーム上の予測の限界性の面から計画期間は三か年とし、以後毎年度、その実績および経済社会事情の変化に応じて所要の修正・補完を行ない、改定計画として逐次修正・延長していくこととしている。

以上の練馬区中期総合計画のうち区民施設の整備に関連する計画を抜すいし、その概要を一覧表にすると表<数2>11―<数2>16のとおりである。また、その施設配置体系表を表<数2>11―<数2>17に掲げる。

さて、五〇年代の新設施設の開設状況をみると表<数2>11―<数2>18のとおりである。この時期は、小・中学校や公園、児童遊園等の開設数は四〇年代後半期を上回る状況となっているが、保育所、児童館、敬老館等は、四〇年代後半期との比較でも中期計画との対比でも開設数が少なくなっている。

また五二年度からは、区民館にかわり地区区民館が新しく登場している。これらの地区区民館は、児童から老人まで全ての世代の住民に多目的に利用され、夜間や日曜・祝日は地域住民に管理をゆだね、区民生活の向上とコミュニティ活動を促進することを目的としたものである。

なお、五四年八月に開設された貫井地区区民館は中村橋区民センター内にあり、心身障害者福祉センター、消費生活センター、出張所との複合施設となっており、その他の地区区民館も、都営住宅との併設一、出張所との併設一、保育園との併設三と、併設が主流になっている。その他この時期の開設では、福祉施設で都から五施設が移管されているのが目立つ。

さらにこの時期には、既存施設の多目的利用が検討され、以下のとおり施設開放が進められた。

まず学校施設については、五〇年四月から小学校の校庭開放が日曜・祝日のほか平日の放課後にまで拡大され、五一年六月から特定小・中学校の学校体育館が、五二年一二月から特定小学校の学校図書室が、さらに五三年夏期からは特定小・中学校の学校プールが地域住民の利用のために開放され、表<数2>11―<数2>19に示すように逐年拡充されている。

また、五一年九月から敬老館娯楽室の夜間開放もはじめられ、五二年度から開館された地区区民館とともに地域住民の自主活動に利用されている。

施設整備については、近年、財政事情に加えて用地難も大きなあい路になっている。そこで、新規施設の建設にあたっては一つの用地にいくつかの施設をとりこんで用地と施設を多目的に利用する一方、既存施設の多目的利用を積極的に推進す

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る等の施策を講じながら区民施設の拡充に努めている。

昭和五五年七月に策定された練馬区中期総合計画―昭和五五~五七年度―によって、練馬区の区民施設の現況とその整備計画をみると表<数2>11―<数2>20のとおりとなっている。

<節>
第五節 同和行政
<本文>

日本国憲法第一四条は、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において差別されない」と定め、個人の尊厳という民主主義の理念にてらして、不合理な差別を禁止している。しかし、現実の社会には、今なお、さまざまな差別が根強く残存している。とりわけ深刻な社会問題として同和問題=部落差別が存在する。この半封建的な身分差別を解消するための行政が同和行政である。

練馬区の同和行政推進の基本的考え方は、次のような区長発言に集約されている。

「いうまでもなく、同和問題は、日本国憲法で保障されている基本的人権にかかわる課題であります。その早急な解決は、国及び地方公共団体の責務であって、同時に国民的課題であります。基本的人権の保障という、この主要な課題に、練馬区といたしましても、主体的に取組んでまいりたいと思います。

この機会に、同和問題を解決するための行政いわゆる同和行政を推進するにあたっての基本的考え方を明らかにしておきたいと思います。

第一には、憲法の精神を尊重し、同和対策審議会答申及び同和対策事業特別措置法の趣旨に沿って同和行政を推進してまいりたいということでございます。

第二に、地域住民の自発的な意思に基づく自主的運動と緊密な調和を保ちながら、同和行政を推進してまいりたいという

ことであります。

第三には、練馬区の実態に即した同和行政を推進してまいりたいということでございます。

以上の三点を基本的な考え方として、この問題の解決をはかってまいる所存でございます」

                                  (昭和四九年一一月二六日、第四回定例会)

このような基本的な考え方に基づいて、練馬区は、社会福祉の増進、教育の充実、生活環境の改善、人権擁護活動の強化等を目標とする同和対策事業を推進している。

<章>

第十二章 財政

<節>
第一節 特別区財政の沿革
<本文>

昭和二二年、沿革的に不安定な位置づけを与えられていた特別区は、新憲法の制定と同時に施行された地方自治法のもとで、新たな第一歩を踏み出した。その後、社会経済情勢、ときには政治情勢の変化によって、昭和二七年、三九年、さらには四九年の大幅な改正など、幾多の変化を経ながら現在に至っている。この間、特別区は、制度や運営のうえで法人区的性格を濃くしたり、行政区的性格に傾斜したりするという不安定な過程を経ながら、次第に地方自治体としての実績を積み重ねてきたのである。

しかし、東京における「区自治」の歴史は、「特別区」という名称でこそなかったが、「区」としての存在は、明治初期にまでさかのぼることができる。このことは、財政面についても同様のことがいえる。練馬区財政の推移と現状を明らかにするための足がかりとして、過去における区財政の沿革をまずみることにしたい。

<項>
特別区制以前における財政
<本文>
区の誕生とその財政

明治一一年、いわゆる三新法(郡区町村編制法・府県会規則・地方税規則)が制定され、わが国の近代的地方制度が誕生し、その第一歩を踏み出した。

これと同時に、東京には一五区六郡が設置され、それぞれ府に直属し、法人格はなく、若干の自治権と、限られた範囲で

はあったが独自の予算をもつことができた。しかしその後、市制町村制公布の翌明治二二年、市制特例(「市制中東京市、京都市、大阪市ニ特例ヲ設クルノ件」)により、一五区あわせた区域に東京市が設けられると、一五区は東京市の行政区に性格をかえ、財産区としての法人格を認められるという状態になった。当時の財政状況をみると、一五区の発足した当初は、固有の仕事としてはみるべきものもなかったが、市制特例が廃止される三一年までの間に、徐々にではあったが、制度が整えられるに従い財政規模は次第に大きくなっていった。しかし、その歳出の大部分は小学校費であり、収入源は授業料を基本に、税収、財産収入、寄付金などで不足分を補うという、今日からみると非常に変則的な財政構造となっていた。

この時期で、制度的に安定していた明治二四年から三〇年にかけての一五区の財政規模は、一八万六〇〇〇円から三六万三〇〇〇円へとほぼ倍増している。

自治区への移行と区の財政

明治四四年には、市制改正法律により、一五区は法律上はじめて法人格を認められ、自治区となった。

このように、明治期に区の制度がめまぐるしく変動するなかで、区の固有事務とされていたのは、「財産及び営造物に関する事務」しかなく、大部分の事務は「その他法律命令により区に属する事務」として国、府、市から委任されたものであった。しかし、一貫して一五区の主要な事務とされてきたのは小学校の設置管理であった。

当初、授業料、市借入金などが収入の主なものであったが、区税収入が年々増大し、明治四〇年代には、歳入総額の二分の一以上を占めるようになった。その反面、授業料収入は停滞し、年々比重を低めていった。

歳出についてみると、教育費が歳出規模の約九割以上というように、圧倒的な比重を占めていた。特に校舎の建設に伴う借入金返済額の比重が高いことが注目される。他には財産管理費、区会会議費、衛生費などが主なものであった。

教育費が区財政に大きな比重を有していたが、こうした傾向は、多かれ少なかれ一般の町村にも共通していた。当時の政府は、富国強兵策を強力に推進するなかで初等教育を非常に重視し、その推進の役割を地方団体に課していたことによるも

のである。

関東大震災前後の区財政

明治四四年の市制改正によって、法人格を有する自治区としての地位が確立されたのち、大正時代を経て昭和七年の二〇区編入に至るまで、一五区の自治制度は、関東大震災という東京の様相を一変させる惨事はあったが、ほぼ安定した歩みを示した。しかし一方、市は首都として、また大都市としての性格を基本に府との対立関係を生じ、徐々にその独立性を強めていった。その反面区は、大都市一体性という考えのもとに、市の下部機構としてその機能を制限され、行政区的色彩を次第にもたらされる傾向にあった。この間、財政面では、小学校費を大宗とする教育費中心の従来の傾向には特に変化がなく、区財政すなわち教育財政であるともいえる状況が続いた。

一五区の財政規模は、各年度によってかなりの変動はあったが、大正から昭和初期にかけてぼう張の一途をたどった。しかし、この財政規模の増大傾向も、関東大震災の復興事業が一段落したことと、昭和二年の金融恐慌に端を発するいわゆる昭和恐慌により、その後縮小に転じた。ちなみに昭和六年度の財政規模(五二〇万四〇〇〇円)は大正一〇年度の二分の一であった。

三五区の成立とその財政

その後、日本経済の成長は東京への人口集中をもたらし、市街地のぼう張とともに、昭和七年、東京市は新たに周辺から五郡八二町村を編入し、三五区となった。練馬区も、当時、練馬町、上練馬村、中新井村、石神井村、大泉村の一町四か村であったが、現在の板橋区の町村とともに東京市に編入された。

区財政の規模は、前述したように、この数年間縮小しつつあったが、市域拡張による三五区の成立を契機として、再びぼう張に転じた。内容的にはいぜんとして教育費が圧倒的に多く約八割を占める一方、額は少ないが財産費、会議費が著しく伸びているのが特徴であった。歳入では、着実に増加する税収入と市の補助金が主なものであった。授業料収入は、原則として財源にあてないこととされたため、重要性を失った。

その後、都政施行の昭和一八年までの区財政は、財政規模の面では次第に拡大していったが、内容的にはかなりの変化が

みられた。特に、昭和一二年日華事変がぼっ発してからは、兵事関係事務費や事変関係経費が増大し、これに伴って教育費の比重は毎年低下し、歳出総額の六割程度になった。さらに区の財政自主権のよりどころであった「区に属する市税」が、昭和一五年地方税法の改正により廃止され、代って市から財政交付金が交付されるようになり、また区に固有の小学校の事務についても、市が行なうことになった。これによって、区財政はほとんど自主性を失うとともに、その規模も大幅に縮小し三五区の財政規模は昭和一四年二三九〇万六〇〇〇円であったものが、昭和一六年には二八四万八〇〇〇円へと激変した。

都制施行前後の区財政

太平洋戦争も末期に近い昭和一八年七月の「都制」の施行は、戦時体制強化を目的としていたため、官治的色彩の濃い制度への変革であった。

東京市時代末期、すでに大幅に縮小していた区の財政権は、都制のもとでさらに後退した。課税や起債ができないのは勿論、都の事務執行経費が圧倒的な比重を占め、固有事務に関する支出はほとんどなかった。財源は財産収入その他法令により区に属する収入とし、なお不足するときは都費をもってあてるものとされた。

昭和二〇年の終戦に向かって、区財政は、国家財政と同様、崩壊への道を歩んだのである。終戦直後は社会的混乱のなかで、占領軍の指導による民主化政策が実施されたが、二一年九月都制が改正され、三五区の自治権は、戦前にはみられない拡張をとげた。翌二二年に地方自治法が制定され、区制は一新した財政制度とともに新たな展開をみせることになった。

<項>
特別区制における財政制度
<本文>

昭和二二年五月、地方自治法の施行により特別区は、戦前の一五区、三五区時代とは比べものにならないほど、強い自治権をもつことになった。

しかし、法律には、特別区に対する事務や財源の配分が具体的には示されていなかった。

これは、東京都区部の特殊性すなわち、首都としてまた大都市行政の統一性という観点から、特別区全体で一体的な都市

行政運営がはかられることへの配慮として、都と特別区の協議により、自主的に決めていくことを期待したものであった。これが特別区の地位を極めて不安定なものにするとともに、いわゆる都区調整問題として、都区間の紛争を招くもとともなったのである。

このような地方自治法の「建前」は、当然都区の財政制度にもおよぼされ、現在の制度とはかなり異なるが、都区財政調整の制度が特別区の成立と同時に採用された。そして、この制度が特別区財政の基本をなすものとして今日に至っている。

ここでは、特別区の財政制度の推移を、都区財政調整制度の変せんを中心にふれることとしたい。

この沿革は大別して、つぎの四期に分けるのが一般的であるので、その区分に従い、それぞれの時期の特徴についてふれる。

第一期 配付税方式による調整(昭和二二~二四年度

第二期 納付金方式による調整(昭和二五~二七年度

第三期 平衡交付金方式による調整(昭和二八~三九年度

第四期 交付金の基本額方式による調整(昭和四〇年度以降

なお、第四期の現行制度については、次節にゆずる。

配付税方式による調整

新生の特別区は、その財源として地租附加税、家屋税附加税、特別区民税、舟税、自転車税、荷車税、金庫税、犬税の特別区税を課税できることになった。その後、不動産取得税附加税、原動機税附加税、使用人税が新たに加えられ、区税は附加税四、独立税七の一一税目に拡充された。

この一一税目の中心は、地租附加税と家屋税附加税であったが、この二税の税源の分布状況にはかなりの区間格差がみられ、また各区の財政需要と税収入との関係もバランスがとれているとはいいがたかった。

そこで、特別区相互間の財源調整をはかるため、この二税のうち、後者の家屋税附加税について特定の区の税率を制限す

るとともに、配付税方式といわれる都区財政調整制度が定められた。この特別区配付税は、都が課税する営業税、都民税法人分と大都市配付税の三税の一部を特別区に交付するものであった。毎年度配付税となるべき額および毎年度分として分与すべき配付税の額は、「前前年度において徴収した特別区の区域における営業税の一〇〇分の五〇、法人に対する都民税の一〇〇分の四〇及び前前年度における大都市配付税の合算額」(東京都特別区配付税条例第二条)であり、その総額を各区の課税力を基準とするもの四七・五%、財政需要を基準とするもの四七・五%、その他特別の事情を基準とするもの五%、といった三つの配付基準によって、各区に都が財源付与を行なうものであった。

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要するに、都税の一定割合をその財源とし、その一半を各区の課税力に反比例させ、他の一半を各区の財政需要に比例させて配分するものであった。従って、本来的には、課税力の小さい特別区に相対的に多くの額が分与されるものであった。

この制度は、納付金制度がないこと、配付基準に課税力が用いられていることなどが、現行制度との大きな違いである。この制度は、当時の国の地方配付税(地方分与税)制度におおむね準拠したものであり、また、その使途が特定されていないという点からみても、ともかく都区財政調整制度の誕生というにふさわしいものであった。なお、この配付税方式による算定経過は、表<数2>12―1のとおりであった。

納付金方式による調整

配付税制度には、その総額の算定方法において、①特別区の区域における都税の一定割合とされてはいたが、これが必ずしも特別区の必要財源と一致するという保障がなかったこと、②配付率の決定権を、都が一方的にもっていたこと、③率が一定されていても、税源が経済動向に左右され配付額に変動をもたらしたこと、④配分の方式についても、基本的に

は課税力と財政需要の二つの面から配分する方法がとられていたが、必ずしも各特別区の実際の財政力あるいは財政需要を反映しきれない欠かんをもっており、都の独断的な面が強かったこと、などの問題があった。ちなみに昭和二四年度における各区ごとの決算額を、区民一人あたりの額によってみると表<数2>12―2のとおりである。配付税が都支出金(主として義務教育施設整備のための支出金)と合算されているため、財政調整の結果が明らかでないが、区間格差が著しかったことがうかがえる。このため、起りつつあった特別区の自治権拡充運動と関連して、特別区側からの改善意見が提起されるところとなった。

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一方、昭和二五年のシャウプ勧告にもとづき、わが国の地方税財政制度は

大きく改革された。特別区の税財政制度も例外ではなかった。東京都特別区税条例は、昭和二五年九月全面的に改正されたが、なかでも注目されたのは、従来の附加税制度の全面的な廃止であった。これによって、特別区税は、特別区民税、自転車税、荷車税、木材引取税、接客人税、使用人税および犬税の七税目になった。その後さらに、昭和二六年には使用人税、二七年に接客人税が廃止された。

附加税制度の廃止と税目の整理は、特別区の事務、財源配分に深刻な影響を与えた。そして、都区間における財源配分や事務配分等の問題とも関連して、配付税方式に代る新たな都区財政制度の創設を余儀なくされてきたのである。この結果、国の平衡交付金制度の趣旨を汲んだ納付金制度が実施されることになった。

図表を表示

昭和二五年九月、昭和二五年度における東京都特別区財政調整に関する条例(昭和二五年条例第五九号)とあわせて昭和二五年度特別区特別納付金条例(昭和二五年条例第六〇号)が制定され、この二つの条例により納付金方式による都区財政調整が運用されることになった。この制度は、配付税方式の欠かんを是正するものとして登場し、昭和二五~二七年度まで続いた。

この納付金制度の採用によって、都区財政調整は、今日の姿に近いものになった。すなわち、都は条例により各区の財政需要と税収を測定し、後者の方が多い場合は超過額を都に納付させ、前者が多ければその差額を交付するというものであった。

この制度は、いわば現行制度の原始的形態ともいうべきものである。しかし、この納付金制度の導入は、その後の都区紛争の一つの原因ともなったのである。

この納付金方式による財政調整の算定経過は、表<数2>12―3のとおりであった。

平衡交付金方式による調整

都区間と特別区相互間の財源調整問題は、財源と事務の配分をめぐって困難の度合いを深めていった。一方、特別区の財政需要が増大していくなかで、自主性の強化を主張する区側、大都市一体性を強調する都側のそれぞれの関係者の間で、制度改革の機運は次第に高まってきた。

このようにして、昭和二七年の特別区制度の改革を迎えることになったが、この地方自治法の改正こそ、戦後の特別区制度に大きな転機をもたらすものであった。すなわち、大都市行政の簡素化・能率化を促進し、大都市行政としての統一性・一体性を確保しようとする観点から特別区事務の列挙法定化、区長公選制の廃止、都区調整における都知事の助言勧告権の明示等の措置がとられたのである。特別区側の意に反して、特別区はその権能を大きく制約されるとともに、都の監督下におかれることになり、自治権は後退した。

しかし一方、区の事務は明確化され、その範囲は大幅に拡大された。二七年度の公益質屋経営の区移管をはじめ、二八年度には、特別区道の設置管理、街路樹の植栽管理、公共溝渠の維持管理、公衆便所の設置管理が移管された。このことにより、特別区の財政需要は急速に増大することになり、特別区税収入を中心とする財政収入ではまかないきれない度合いが強まって、従来の納付金方式による財政調整は、事実上破たんすることとなった。

昭和二七年の制度改正の一環として、二八年度から新しい都区財政調整制度として平衡交付金方式が採用されることになった。これは、地方交付税法の前身である地方財政平衡交付金法の規定に準ずる制度であった。この制度は、都条例で基準財政需要額と基準財政収入額および交付金、納付金を定め、特別区相互間の財源の調整をはかるというものであった。各区の算定にあたっては、都は区の意見をきいて措置するよう規定され、特別区にとっては一歩前進したものとなった。

この平衡交付金制度の特色は、①交付金総額は各区の財源不足額を基準として定められること、②測定単位、単位費用を用いて合理的な算定をはかること、③建設的、臨時的経費については追加需要額として扱い、人件費は単位費用方式によら

ず別に算定すること、などであった。

この平衡交付金方式は、財政需要額の算定について、国の制度や従来の都区財政調整制度に比べてかなり特色があり、特別区の財源保障を確実なものにしたものであった。しかし、その反面では、政治的なしかも便宜的運用の余地を残すなど問題も多かった。特に建設的経費がいわゆる追加需要額として、知事の権限にまかされたことは、政治的解決の余地を残し、都区折衝を一層困難にする結果となった。

この制度による特別区財政は、昭和二八年~三九年度までの一二年間におよんで存続したが、実際上の運用の過程から生じた問題は、年を経るごとに都区調整上の論争のもとになった。

このようにして、平衡交付金方式による財政調整制度も、特別区側の自治権拡充の運動の高まりとともに、新しい方式にとって代らなければならなくなった。このような背景のもとで、昭和三七年一〇月には地方制度調査会の「首都制度当面の改革に関する答申」が行なわれ、特別区への大幅な事務事業の移管や、税財政制度の改革を内容とする都区制度の改正が、現実の問題となった。

またこの答申にさきだち、昭和三七年九月の都制調査会も「首都制度に関する答申」を行ない、都行政の一体性を保持しつつ、その民主的、能率的な処理、すなわち行政の能率化、適正化をはかる観点から都区間の事務再配分の必要性を勧告した。これらの答申の精神は、昭和三九年の地方自治法の改正のなかに生かされることになった。

この法律改正にもとづき、都区財政調整制度は大幅な変革をとげ、基本的には地方交付税法の方法に準拠した現行制度への発展をとげることになった。

この平衡交付金方式による財政調整の算定経過は表<数2>12―4のとおりであった。また、この方式による財政調整がはじまった昭和二八年度における区別の調整結果を示したのが表<数2>12―5である。この表から区民一人あたりの基準財政需要額をみると、練馬区は、千代田、中央、港に次いで需要額が多くなっているが、これは、人口規模の少ない区への割増しが行なわれ

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ていたためであり、周辺区の都市施設整備の立ち遅れへの配慮という面では、十分なものとなっていなかった。

<節>
第二節 特別区の財政制度
<本文>

これまで特別区における財政制度の推移を述べてきた。ここでは、現行の財政制度のしくみとその問題点、財政自主権の確立を目指した改革の動き、さらには練馬区のおかれている立場などについてふれたい。

<項>
地方財政制度上の特例
<本文>

特別区は、地方自治法のうえで特別地方公共団体として位置づけられ、市町村に準ずる地方公共団体とされている。しかしながら、一般の市町村に比べて特別区の姿は、特異なものになっている。

現行地方自治制度上、特別区が他の市町村ともっとも異なる点は、特別区が市としての事務の処理を、都と分担してあたることとされている点である。これは、前述したように、首都制度をめぐる明治以来の長い歴史的背景、巨大都市東京の都市経営をめぐる社会的必要性など、さまざまな条件が交錯して今日の姿になっているものである。このことが、現行の都区の財政制度に強く反映して、特別区の財政自主権の制約など一般の市町村と異なる制度をもたらしているのである。

その主な点は、まず第一には、地方財源の基本である地方税の課税権について、税目上の制約を受けていることである。昭和二二年五月に特別区が発足して以来、特別区の課税できる税目は、都の条例により定めるという制限をうけた。その後昭和三九年七月地方税法が改正され、特別区にも税目を明示して課税権が付与され、はじめて区税条例を各区ごとに設け、課税することができることになった。これにより東京都特別区税条例は廃止されるが、これに代って、特別区相互間の統一と均衡をはかるために「東京都特別区税調整条例」が制定され、各区の税率は、都の条例によって一率に調整されることに

なった。このような制約は、昭和四九年の地方自治法の改正をうけて特別区税調整条例が廃止(昭和五二年六月)されるまで、都条例の統制のもとにおかれていた。

しかし現在でも、特別区が課税できるのは、特別区民税(法人分を除く)、軽自動車税、特別区たばこ消費税、電気税、ガス税、鉱産税、木材引取税(以上法定普通税)と一部の目的税に限定されている。そして、市町村税のうち基本的な税目である固定資産税をはじめ、特別土地保有税、市町村民税法人分という法定普通税および都市計画税、事業所税、入湯税の目的税は、都が課税することになっている。このほかにも、法定外普通税の課税について、あるいは地方譲与税、市町村交付金・納付金の配分についても特例が設けられている。

第二は、一般の市町村にとって重要な財源となっている地方交付税について、特別区は交付対象団体とされていないことである。すなわち、地方交付税の算定上、特別区の区域を一つの「市」とみなして算定し、同じく都について算定する府県分と合算して、都のみが交付対象団体とされている。従って、特別区がいかに赤字であっても、都がそれを上回る黒字であれば、合算規定によって特別区には交付されないしくみになっており、この点が、一般の市町村と大きく異なっている。なお、現行の地方交付税制度の不合理な算定方式の結果として、都は財源超過団体とされており、現在都も地方交付税の交付はうけていない。

第三は、地方交付税の交付が制約されていることと密接に関連して、特別区では、一般の市町村と異なり、都と特別区ならびに特別区相互間に財政調整が存在していることである。現行の都区制度の特殊性をもっとも集約的に表現しているのが、この都区財政調整制度である。この制度の内容については後述したい。

その第四は、起債権がきわめて制約されていることである。一般の市町村の場合は、知事の許可があれば起債が認められるが、特別区は、自治大臣の許可が必要とされている。また、特別区が起債ができるのは、都が起債をすることができる場合に限られる特例が設けられている。

以上のような特別区の制度上の特例は、特別区が、ほぼ市町村と同様の性格を持つ基礎的自治体としての位置づけを与えられた四九年の制度改正においても、その改善が、旧来の都区財政関係の内部調整にとどまった結果、従来の姿をほとんど脱していないのが現状である。自治行政権と自治財政権のバランスという面からは、現行の特別区の財政制度は、きわめて跛行的なものとなっているということがいえよう。

<項>
都区財政調整制度
<本文>
現行制度の確立とその後の推移

都区財政調整は、これまで述べてきたように、昭和二二年に制定された地方自治法の施行とともに、配付税方式による調整制度としてはじめて設けられた。その後納付金制度の採用、平衡交付金方式による調整を経て、三九年七月の地方自治法の一部改正により、交付金の基本額による調整制度に改められ、四〇年度以降今日まで、この方式により運用されている。

現行の都区財政調整制度が発足した昭和三九年の制度改正は、住民に身近な事務事業を、できるだけ特別区に移譲し、特別区の行政権能を拡充することを目的にしたものであった。財政面では、都と特別区間の財源配分を合理化するとともに、特別区財政の自主性を強化する方向での大幅な改善が行なわれ、特別区の財政自主権の拡充にとって大きな前進であった。この財政面での改善は、まず第一点として、従来の都条例による特別区税の設定という方式を改め、地方税法を改正して、特別区税として特別区民税(市町村民税個人分)、軽自動車税、特別区たばこ消費税、電気ガス税、鉱産税、木材引取税、水利地益税、共同施設税、国民健康保険税の九税目を法定化したことである。これは、特別区の行政権能の拡大に伴う措置であり、同時に、区の自主的財政運営を保障するものであった。

第二点は、従来から都区財政調整には、都と特別区間の財源配分と特別区相互間の財源調整という二つの機能があったが、この新しい制度では、都が課する固定資産税と市町村民税法人分について、都の条例(都と特別区及び特別区相互間の財

政調整に関する条例)で定める一定割合(これを「調整率」という。昭和四〇年度は二五%)を財源として、特別区への交付金にあてる方法を採用し、財政調整交付金の財源を安定化したことである。

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第三点としては、上記二税の一定割合の額に納付金を加えた額をもって、交付金の基本額としたこと、基準財政収入額の算定に基準税率を法定化したこと、さらには、基準財政需要額を原則として、単位費用方式により算定したことなど、従来の財政調整方式の弊害や欠点を改め、特別区の自主的な、しかも計画的な財政運営がはかられる道を開いたことである。

このほか、都と特別区および特別区相互間の連絡調整の促進をはかるため、都区協議会の設置が地方自治法に規定されたことをあげることができる。

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新しい制度になった昭和四〇年度と従来の制度の三九年度との比較を数字のうえでみると、表<数2>12―6のとおりである。

この制度の発足以降、特別区の事務は、次第に増大していった。これに伴い調整率の引き上げをめぐって毎年度都区間で論議が繰り返され、調整率はほぼ毎年のように引き上げられていった。四八年度には、特別土地保有税の創設に伴い、従来の調整二税にこの特別土地保有税が加えられ、調整三税になるなど部分的な改善をみながら推移していった。四〇~四九年度の都区財政調整の推移は表<数2>12―7のとおりである。

一方、特別区は、区長公選制の復活を軸に、さらに自治権拡充運動を展開していったが、昭和四九年六月区長公選制の復活をはじめとする特別区制度の大幅な改正が行なわれ、特別区は、再び独立した基礎的自治体としてその地位を回復することになった。

この改正にあわせて、特別区の自主的かつ計画的な財政運営の強化をはかるため、都区財政調整制度の改善が行なわれ、自主財源比率の引き上げ(従来の一〇%から実

質二五%へ)、投資的経費における一件算定の廃止、人件費の単位費用化など財政自主権に着目した改正が行なわれた。しかし制度面における改善については見送られ、都区間の事務分担に見合った財源配分の基本的あり方についても、今後の検討課題として残されて部分的な改善にとどまった。

昭和五〇年二月都区協議会において決定した「都区財政調整制度の改善に関する基本方針」および改善の細目を定めた「都区財政調整制度改善要綱」を示せば、次のとおりである。

<資料文 type="2-32n">

  都区財政調整制度の改善に関する基本方針

           昭和五〇年二月三日 都区協議会決定

地方自治法の改正の主旨にのっとり、特別区の自主性及び計画性を強化する方向で、下記により都区財政調整制度の改善を図るものとする。

       記

  1. (都区間の財源配分)
  2. 1 都区間における財源配分の基本的あり方については、別途検討を行うものとする。
  3. (基準税率等)
  4. 2 特別区の普通税に係る基準税率を<数2>85/<数3>100、自動車取得税交付金に係る率を<数2>85/<数3>100に変更する。(政令改正事項)
  5. (交付金の基本額等)
  6. 3 交付金の基本額等の定義を変更し、納付金の全額を普通交付金に繰り入れることとする。(政令改正事項)
  7. (算定方式の改善)
  8. 4 基準財政収入額及び基準財政需要額の算定方式を客観的かつ自動的算定方式に改善するものとする。なお、義務教育施設整備事業については、事業の特殊性を配慮しつつ改善するものとする。
  9. (基準財政需要額算入事業)
  10. 5 基準財政需要額に算入する事業は、別紙のとおりとする。(別紙省略)
  11. (その他行政費)
  12. 6 単位費用の算定項目に、「その他行政費」を新設し、特別区税及び自動車取得税交付金の総額の五%の額を、人口を測定単位として算定するものとする。
  13. (調整費)
  14. 7 都区間における財源配分の基本的あり方が確定するまで、特別区税及び自動車取得税交付金の総額の五%の額を調整費とし、人口を測定単位として算定するものとする。
  15. (収益事業収入の取扱い)
  16. 8 収益事業収入(競馬益金)は、基準財政需要額の算定にあたって、特定財源としないものとする。
  17. (精算方式の採用)
  18. 9 特別区相互間の財源の衡平化を図るため、基準財政収入額の精算を行

    うものとする。

  19. (再算定)
  20. <数2>10 算定後において著しい財政収入額の減少または財政需要額の増加があった場合には、基準財政収入額及び基準財政需要額の再算定を行うものとする。
  21. (改善の細目)
  22. <数2>11 改善の細目については、「都区財政調整制度改善要綱」に定めるものとする。
  23. (人件費の算定方式の変更に伴う経過措置)
  24. <数2>12 人件費については、経費の性格にかんがみ、算定方式の変更に伴う算定額の変動を緩和するため、臨時的な措置を講ずるものとする。
  25. (事務事業移管等に伴う経費の財源措置)
  26. <数2>13 事務事業移管等に伴う経費については、その妥当な行政水準を確保するため必要な財源措置を講ずるものとする。
  27. (特別区振興基金の創設)
  28. <数2>14 計画事業の算定方式の変更に伴い、一時的多額の財政需要に対応するため、特別区振興基金(仮称)を創設するものとする。

 

  都区財政調整制度改善要綱

「都区財政調整制度の改善に関する基本方針」第一一項に基づく改善の細目は、次のとおりとする。

第一 基本的考え方

  1. 1 都区財政調整制度の改善にあたっては、特別区の自主的かつ計画的財政運営の強化及び特別区相互間の財源の衡平が図られるよう配慮するものとする。
  2. 2 基準財政収入額及び基準財政需要額の算定方式は、各特別区の現実の財政収入及び財政需要の反映に留意しつつ、客観的かつ自動的な算定方式に改善するものとする。

第二 基準財政収入額

  1. 1 基準財政収入額は、当該特別区の普通税の収入見込額の<数2>85/<数3>100の額、自動車取得税交付金の収入見込額の<数2>85/<数3>100の額及び自動車重量譲与税の収入見込額の合算額とする。
  2. 2 基準財政収入額の算定項目は、特別区の普通税の各税目、自動車取得税交付金及び自動車重量譲与税とし、その算定の基礎は、特別区の普通税にあっては当該年度に課税すべき額、自動車取得税交付金にあっては当該年度に交付されるべき額、自動車重量譲与税にあっては当該年度に譲与されるべき額とする。
  3. 3 基準財政収入額の算定の基礎となる数値については、前年度以前の税額等を基礎として推計により算定するものとし、翌年度以降において精算を行うものとする。

第三 基準財政需要額

  1. 1 全般的事項
    1. <項番>(1) 地方財政法第一〇条の四〔地方公共団体が負担する義務を負わない経費〕の規定に該当する事務(外国人登録事務及び自衛隊員募集事務)に要する経費については、基準財政需要額に算入しないものとする。
    2. <項番>(2) 徴税費については、特別区税に係る徴税経費のみを基準財政需要額に算入するものとする。
    3. <項番>(3) 地方自治法第二八一条の三第三項(同条第四項において準用する場合を含む。)の規定による都の規則により委任する事務に要する経費については、原則として次のものを除くほか、基準財政需要額に算入するものとする。
      1. ア 法令または条例に基づかない事務に要する経費
      2. イ 事務の性格上、その内容に応じた個別的な財源措置を必要とする経費
    4. <項番>(4) 基準財政需要額は、経常的経費と投資的経費に区分し、義務教育施設整備事業に要する経費を除くほか、単位費用により算定するものとする。義務教育施設整備事業に要する経費については、事業の性格にかんがみ単位費用に準ずる方式により算定するものとする。
    5. <項番>(5) 単位費用は、従来の単位費用の積算内容の整理統合を図るとともに、各単位費用の間の調整を図りつつ、標準区または標準施設及び標準行政規模等を設定し、その標準経費から積算するものとする。
    6.   単位費用により算定する経費の種類及び測定単位等については、別表のとおりとする。(別表省略)
    7. <項番>(6) 財政需要額により的確に算定するため必要な場合には、測定単位の適正な補正を行うものとする。
    8.   補正の種類は、種別補正、段階補正、密度補正及び態容補正とする。
    9. <項番>(7) 単位費用の算定項目に、「その他行政費」を新設し、特別区税及び自動車取得税交付金の総額の五%の額を、人口を測定単位として算定するものとする。
    10. <項番>(8) 都区間における財源配分の基本的あり方が確定するまで、特別区税及び自動車取得税交付金の総額の五%の額を調整費とし、人口を測定単位として算定するものとする。
  2. 2 人件費の単位費用
    1. <項番>(1) 人件費は、経常的経費の一部として積算されるべきものであるが、当面、人件費と事業費とを分離して単位費用を設定する。したがって、人件費と事業費の単位費用は、できる限りすみやかに事業費の測定単位に併合するものとする。
    2. <項番>(2) 人件費の単位費用により算定する経費は、一般職員に係る給料、扶養手当、調整手当、期末手当、勤勉手当、住居手当、通勤手当、初任給調整手当、児童手当、退職手当、職員共済組合事業主負担金、公務災害補償基金掛金、職員互助組合事業主負担金、公務災害補償費(付加給付)及び脱退給付金付保険料とする。
    3. <項番>(3) 人件費の単位費用は、標準区または標準施設における標準職員数及び標準給を基礎として積算するものとする。
    4.   標準職員は、従来の配置基準、特別区の職員の配置状況と測定単位となる基本的な指標との関係の統計的分析等を基礎として設定するものとする。
    5.   標準給は、特別区の職員の給与等の実態に基づく客観的要素を基礎とし、その他の情勢を考慮し、各事業に共通のものとして設定するものとする。

  3. 3 投資的経費の単位費用
    1. <項番>(1) 計画事業の単位費用化にあたっては、その積算基礎となる標準施設規模及び施設設置基準については、「特別区公共施設整備計画(昭和四十八~五十年度)」の基準を参考として設定するものとする。
    2. <項番>(2) 単位費用の際に特定財源とした特別区債については、その元利償還金相当額を、各事業ごとに次年度以降の基準財政需要額に算入するものとする。
  4. 4 義務教育施設整備事業
    1. <項番>(1) 小学校及び中学校の校舎、屋内運動場及び学校プールの建設整備に要する経費については、当該特別区の建設予定面積等を基礎として算定するものとする。
    2. <項番>(2) 義務教育施設整備事業に係る特別区債の元利償還金については、当該年度の所要額を単位費用(公債費)により基準財政需要額に算入するものとする。
    3. <項番>(3) 義務教育施設整備事業に係る日本住宅公団等に対する年賦支払額については、当該年度の所要額を単位費用(財産費)により基準財政需要額に算入するものとする。

第四 精算方式

  • 基準財政収入額を見込みによる数値を用いて算定した場合には、翌年度以降において、その確定し、またはより正確となった数値に基づき、基準財政収入額を調整するものとする。

第五 人件費の算定方式の変更に伴う経過措置

  •  基本方針第一二項に基づく臨時的な措置は、昭和五十年度から三年度間、漸減方式で行うものとする。

都区財政調整制度とそのしくみ

現行の都区財政調整は、地方自治法第二八二条第二項および同法施行令第二一〇条の一〇以下の規定に根拠をおいており、この規定にもとづき都において制定した「都と特別区及び特別区相互間の財政調整に関する条例」によって行なわれている。

この制度の目的は「都と特別区及び特別区相互間の財源の均衡化を図り、並びに特別区行政の自主的かつ計画的な運営を確保するため」(上記条例第一条)と規定されている。従って、都区間の財源配分と特別区相互間の財源調整という二つの側面をもっている。

① 都区間の財源配分

都区間の財源配分は、これまで述べてきたように都区間の事務配分と税源配分を前提に、総体としての財源をふりわけることにより、東京という大都市の事務を都と特別区が適切に執行できるように財源を均衡化させることを目的としている。

この都区の配分は、都が課する市町村税である固定資産税、市町村民税法人分および特別土地保有税(これを「調整三税」という。)の一定割合(これを「調整率」といい、現在は四四%である。)の額を特別区に交付する財源としてあらかじめ確保することによって行なわれる。これにより、特別区は自主的かつ計画的な財政運営を行なうための一定のめやすができるわけである。

この都から特別区に交付されるべき調整三税の一定割合は、特別区全体の基準財政需要額と基準財政収入額を算定して財源不足額をもとめ、この不足額の調整三税の収入見込額に対する割合をもととして決定するしくみになっている。なお、この都区間の財源配分の方法は、特別区の財政実態に沿うことができる反面、都区間の事務配分に十分見合って財源配分がされているかどうか、また、本来の財源配分のあり方からみて適切なものかどうか、その配分方法をめぐって都区調整上の争点の一つとなっている。

② 特別区相互間の財源調整

特別区は歴史的にも社会的にも一つの大都市的性格を持っていることから、区民はどこの区においても同等なサービスを受けることが望まれている。これに対して、各特別区の財政力はさまざまな条件に規定され、一様ではなく強弱を持っている。とりわけ都心区への税源の偏在には大きなものがある。従って、各特別区の行政水準を均衡化し、一定水準を確保するため、特別区相互間の財源調整を行ない、税源の偏在の是正をはかることとしている。

表<数2>12―8は、特別区相互間の財源調整を具体的に示したものである。この表からもわかるように、各特別区における歳入総額に占める特別区税収入額の割合には、かなりの格差があるが、財政調整交付金を加えた一般財源では、その格差がほぼ解消されているといえよう。

③ 都区財政調整のしくみ

都区財政調整は、地方交付税に準じた方法により算定した交付金を、都が特別区に交付することにより行なわれている。

以下その概略を述べる。

<項番>(ア)交付金の基本額制度 交付金の財源は、調整三税の収入見込額に条例で定める一定割合(調整率)を乗じて得た額(調整基本額)に、後に述べる納付金を加えたものであり、これが交付金の基本額と呼ばれている。交付金に関する経理は、都が特別会計をもって行なっており、一般会計から上記の調整三税の一定割合の額が繰り出されている。これらの措置は、いずれも特別区に交付すべき財源をあらかじめ明らかにし、都の財政状況に左右されることのないようにとられたものである。

<項番>(イ)交付金の種類 交付金には普通交付金(調整基本額の九八%相当額)と特別交付金(調整基本額の二%相当額)とがある。

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普通交付金は、都が各特別区ごとに基準財政需要額と基準財政収入額を算定し、基準財政需要額が基準財政収入額を超える特別区に対してその財源不足額を交付するものである。逆に、基準財政収入額が基準財政需要額を超える特別区からは、その超過額を納付金として都に納付させ、都はこれを普通交付金として特別区に交付する。これを図示すれば図<数2>12―1のとおりである。

普通交付金を算定した結果、その総額が交付金の基本額を超える場合、その不足額は一般会計から借り入れて交付されることになり、逆に交付金の基本額に満たない場合は翌年度分の普通交付金の基本額に加算される。

特別交付金は、普通交付金の額

の算定期日後に生じた災害等のため、特別の財政需要が生じた場合などに交付される。

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<項番>(ウ)普通交付金の算定方法

a基準財政需要額 普通交付金の算定に用いられる基準財政需要額とは、各特別区の財政需要を合理的に測定するためのものである。

基準財政需要額の算定の対象となる事務事業は、特別区に属する

ものおよび特別区の区長または委員会もしくは委員の権限に属するものであって、特別区において普遍的に行なわれるものである。この場合、どのような事務事業を算定対象とするかについて、客観的な基準を設けることは実際上きわめて困難なので、都区間の協議により算定事務事業を決定している。

基準財政需要額は、一般財源としての交付金を算定するためのもので、各事務事業の経費からそれに充当される特定財源(補助金、負担金、手数料等)を控除した一般財源をもってまかなわれる額として算定される。

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具体的な算定は、特別区の行政を目的別(土木費、教育費等)に分類し、この経費の額を算定するのに最も合理的な測定単位(人口、面積等)の数値に、その測定単位一単位当たりの経費(単位費用)を乗じて行なわれる。これが単位費用による原則的な算定方法であるが、このほかに義務教育施設の整備事業の経費は、従来行なわれていた一件ごとの算定方式の利点をとりいれた単位費用に準ずる方式によって算定されている。

なお、一件算定方式は、自主的な財政運営を阻害するとして昭和四九年の制度改正の際廃止されたものであるが、練馬区をはじめ周辺区における施設格差の是正に対しては、それなりの機能を果すことが期待される制度であったが、必ずしも実効はあがらなかった。この施設格差の是正のための財源措置として、新たに設けられたのが、後に述べる「その他行政費」「調整費」の人口比による配分方式であり、財政自主性に着目した措置がとられている。

b基準財政収入額 基準財政収入額は、各特別区の財政力を合理的に測定するために用いられ、これも条例、規則に算定基準が定められている。

基準財政収入額は、特別区民税、軽自動車税、特別区たばこ消費税、電気税、ガス税、鉱産税、自動車取得税交付金、地方道路譲与税、自動車重量譲与税を対象として算定されている。補助金、負担金等の特定財源は基準財政需要額の算定上控除しているため、基準財政収入額に

含まれていない。

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算定にあたっては、当該年度の各税および自動車取得税交付金の収入見込額に基準税率(一〇〇分の八五)を乗じて得た額と、地方道路譲与税、自動車重量譲与税それぞれの譲与見込額の全額が見込まれる。

この基準税率(一〇〇分の八五)が乗じられる理由は、基準財政需要額が特別区のすべての需要を算定対象としていないことに対応して、特別区が自主的に行なう行政経費についての財源を留保しておく必要があるために設けられているものである。このほかに基準財政需要額の算定項目のなかに、「その他行政費」「調整費」が設定され、特別区税および自動車取得税交付金の収入見込額のそれぞれ五%相当額が「人口」を測定単位として算定されている。この二つの費目は特定事務事業の需要を算定するものではなく、一種の留保財源の算定となっている。これらの結果、特別区の都区財政調整算定上の留保財源、すなわち自主財源比率は実質的には全体として一〇〇分の二五とみることができる。

以上、都区財政調整制度のしくみを述べたが、練馬区の最近における都区財政調整の算定状況は表<数2>12―9のとおりである。低成長経済に移行した昭和五〇年度以降は、それまでに比べて伸び率が著しく低くなっている。また、区税収入が伸びれば調整交付金が少なく、逆に区税収入が低いときには調整交付金が増えていることがわかる。

現行制度の問題点と改革の動き

昭和四九年の制度改正により、都区間の事務配分については大幅な改善が行なわれた。しかし財政制度の面では、これまで述べてきたように、ほとんど手がつけられていないのが現状である。とくに、特別区の

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財政制度の基本となっている都区財政調整制度については、都区協議方式が制度化されているとはいえ、都が主導的に特別区の行政需要を算定する仕組みになっているため、ややもすれば、区の主体性を損ないかねないという、いわゆる両刃の剣の性格を持っている。

このような現行制度に内在する問題については、今後より望ましい都区関係の形成をはかると同時に、各区の自主権の尊重と財源保障をめざした抜本的な改善が望まれている。

こうした動きに対して、特別区側としても、特別区政調査会を設置して独自の検討を行なっているが、一方各界からさまざまな形で多くの改革意見が出されている。練馬区でも、特別区政調査会にさきがけて昭和四九年五月練馬区行財政調査会を設置し、周辺区としての立場からの特別区財政のあり方をとりまとめ、その実現への努力を積み重ねてきた。詳細については後述するが、ここではこれら改革意見と改革への動きについてふれる。

①各種改革意見

表<数2>12―<数2>10は、現行制度になった昭和五〇年以降の各種調査会などの答申、提言のなかで、財政制度およびそれと密接な関係にある事務配分についての主張の主なものを抜き出したものである。それぞれに重点のおき方は異なるが、底流には共通点がみられる。すなわち○a特別区の財政自主権の強化 ○b都区財政調整制度の改革あるいは廃止 ○c機関委任事務等各種経費負担関係の明確化など、いずれも特別区の財政権能の強化や独立を指向するものである。勿論、これらの改革意見は、現行特別区制度の成り立ちや背景を考えるとき、一般の市町村と同様に地方交付税制度の適用や税制改正などの抜本的な改革が単純にできないことを認めている。しかし基礎的自治体としての特別区が、住民に対して責任を持つためには、バランスのとれた行財政権能を持つことが不可欠であり、その基本理念のもとに、抜本的な方向転換を求めているのである。

②改革の動き

以上に示したようなさまざまな改革案の提言、さらには、二三区議会をはじめ各区における自治権拡充・財政権確立の動

きを背景に、区長会、あるいは都区協議会の場で、また毎年度の都区財政調整の協議を通じて、その改善のあり方についての論議が繰り返されてきている。

区長会および都区協議会における協議経過とその内容を示せば、次のとおりである。

<資料文 type="2-32n">

   都区財政調整制度改善に関する都区協議経過

昭和五十一年五月二十一日 五十一年度第一回都区協議会

   昭和五十一年度都区財政調整都区協議における合意事項

  1. 1 事務配分及び財源配分の基本的あり方については、都区間において、早急に協議を行う。
  2. 2 標準給単価差については、昭和五十一年度から三年を目途に解消する。
  3. 3 退職手当は、当分の間、翌年度において精算する。
  4. 4 今後の都区財政調整において、起債振替等新たな方針を採用する場合には、事前に都区協議を行う。

  昭和五十一年五月二十一日

                   都区協議会会長 美濃部亮吉

昭和五十二年五月二十四日 五十二年度第一回都区協議会

 第七号協議案

       都区間における事務配分及び財源配分の

       基本的あり方等について

  上記協議案を提出する。

  昭和五十二年五月二十四日

                   都区協議会会長 美濃部亮吉

(説 明)

 都区間における事務配分及び財源配分の基本的あり方等について、協議する必要があるので、この案を提出する。

      都区間における事務配分及び財源配分の

      基本的あり方等について(案)

次の事項について合意する。

  1. 1 都区間における事務配分及び財源配分の基本的あり方については、早急に協議を行う。
  2. 2 引き続き協議を要する移管対象事務事業については、早期移管実現に努力する。

昭和五十二年八月三十一日 区長会要望

         五二特協調第一〇九号

         昭和五十二年八月三十一日

  東京都知事 美濃部亮吉殿

                    特別区長会会長 山本克忠

       都区間における事務配分及び財源配分の

       基本的あり方について

昭和四十九年の法改正によって、都と特別区の関係については、種々の改

善がなされてきたところでありますが、なお、解決すべき問題があります。

 昭和五十二年五月二十四日に開催された都区協議会においても

  1. 1 都区間における事務配分及び財源配分の基本的あり方については、早急に協議を行う。
  2. 2 引続き協議を要する移管対象事務事業については、早期移管実現に努力する。
との合意に達しております。

 特別区としましては、上記の合意に基づき、特別区長会において、独自に検討を重ねてきたところであります。一方、かねてから諮問をいたしておりました特別区政調査会からも、先般答申がありました。これらの内容をもとに、特別区長会で審議した結果、別紙のように改善すべき事項があると考えますので、すみやかに協議に入ることを要望します。

  (別 紙)

Ⅰ 都区間の事務再配分

  1. 1 都と特別区の事務区分の明確化
    1. <項番>(1) 都・区政の役割の変化に対応した都区間における事務の区分、分担の範囲を明確にする。
    2. <項番>(2) 都の事務を区長に機関委任して処理させる方式は、極力整理する。
    3. <項番>(3) 都が補助金の交付という形で特別区を通じて処理させている事務には、特別区の事務に属するものが多い。その種の事務は特別区の自主的処理に委ねる。
  2. 2 事務の移管等
    1. <項番>(1) 引続き協議を要する移管対象事務事業の移管を促進する。
    2. <項番>(2) ゴミの収集及び運搬の事務を特別区に移管する。
    3. 都は、移管のための条件整備に努め、特別区は受入体制を整備する。
    4. <項番>(3) 公園については、特殊で高度の文化的価値のあるもの、及び現在ある大規模なものを除いて、特別区に移管する。また、既に都で都市計画決定したものは、建設のうえ、区に移管する。
    5. <項番>(4) 防災事務のうち、家庭またはコミュニティを中心にして進めることが必要な防災設備の整備は、特別区の事務とする。
    6. <項番>(5) 特別区の教育委員会の権限を「市」の教育委員会と同等に改める。

Ⅱ 都区間の財源配分

  1. 1 財政調整制度の改革
    1. <項番>(1) 調整財源は都区共通財源とする。
    2. <項番>(2) 調整財源の配分対象事務の細目を都区協議により決定する。
    3. <項番>(3) 調整財源を充てる都と特別区の事務事業に要する財政需要額の算定方法は、地方交付税の手法を基礎とする。
    4. <項番>(4) 都区間配分率の決定方法は、都と特別区双方の調整財源を充当すべき財政需要額の比率をもって、都区間の調整財源の配分率とする。
    5. <項番>(5) 調整財源の配分に当っては、調整資金特別会計を創設し、運営の独立化をはかる。
    6. <項番>(6) 新しい財政調整条例を都区協議のうえ、都において制定する。
    7. <項番>(7) 区相互間の財政調整については、現行制度を基本とするが、なお、区間の施設格差を含めて、その合理的な改善を検討する。
    8. <項番>(8) 調整財源の適性の是非を検討する。

  2. 2 税の移譲等
    1. <項番>(1) 都市計画税、事業所税について、区の行う事業の経費に充てるため、区に交付する制度を確立する。
    2. <項番>(2) 市町村歳入のうち、東京都の歳入となっている国有資産等所在市町村交・納付金等について、特別区への移譲を検討する。
    3. <項番>(3) 特別区の財源強化のため、固定資産税土地分の移譲を検討する。
  3. 3 審議機関の設置
    •  都区協議会の諮問機関として、審議機関を設置する。

Ⅲ その他の改善事項

  1. 1 都が地域住民の利害と関連を有する施策を立案し、実施する場合、特別区の参加を積極的に求める。
  2. 2 特別区振興基金を増額する。
  3. 3 特定の特別区のみに該当する特殊な投資事業に、多額の投資財源を必要とする場合には、都が特別な財源措置を講ずる。
  4. 4 機関委任事務の処理に必要な経費については、都の財源で負担する。

昭和五十二年十二月二十七日 五十二年度第五回都区協議会

第一号協議案

        都区間における事務配分及び財源配分の

        基本的あり方について

 上記協議案を提出する。

  昭和五十二年十二月一九日

                   都区協議会会長 美濃部亮吉

(説 明)

 都区間の事務配分及び財源配分の基本的あり方については、五十二年五月二十四日の都区協議会の合意に基づき、都区協議会で協議を進めてきたところであり、なお、今後引き続き都区間で協議を要するものであるが、当面、その具体化を促進するため、協議する必要があるので、この案を提出する。

        都区間における事務配分及び財源配分の

        基本的あり方について(案)

 次の事項について合意する。

  1. 1 都区財政調整制度の改革については、交付税方式を基礎として、新しい都区財源配分方式の実現をはかるため、五十三年五月末日を目途に都区双方による事務的検討を行う。
  2. 2 引き続き協議を要する移管対象事務事業の移管については、移管実現に必要な条件体制の整備を鋭意進め、それらが整備されたものから可及的速かに移管を実現することとし、最終目途を五十三年度末とするものとする。

昭和五十三年九月二十一日 五十三年度第四回都区協議会

 報  告

        新しい財源配分の事務的検討について

  上記について報告する。

   昭和五十三年九月二十一日

                   都区協議会会長 美濃部亮吉

(説 明)

 昭和五十二年十二月二十七日都区協議会の下命に基づき、都区間の財源配分の基本的あり方の事務的検討結果を報告する。

    新しい財源配分の事務的検討について

 昭和五十二年十二月の都区協議会の合意をうけて設置された財源配分都区検討会は、昭和五十三年二月以来地方交付税を基礎とする新しい都区財源配分方式を検討してきたが、その結果を次のとおり報告します。

 都区財政調整の財源である調整税は、実質的には都区共通財源としての性格をもっている点について、都区の考え方は一致しているが、交付税算定事務の都区分類と都区共通事務の需要額按分基準の一部及び配分率を決定する算定方法(大都市不足分の取扱い)については、都区の考え方に相違があり意見の一致をみるに到らなかった。

 また、新しい財源配分方式の基礎となる地方交付税制度が、投資的経費の地方債振替えによる基準財政需要額の圧縮措置などにみられるように、現在非常に不安定な時期にあり、このことが配分率に直接の影響を与える結果となっている。

 以上の理由により、昭和五十四年度から、ただちに新しい財源配分方式を実施に移すことは困難であると思われるので、今後、地方交付税制度の推移を見守るとともに、継続して問題点の解決に当るべきであるとの結論となった。

昭和五十四年八月十六日 五十四年度第三回都区協議会

第一号協議案

        都区検討委員会の設置について

 上記協議案を提出する。

  昭和五十四年八月一日

                   都区協議会会長 鈴木俊一

(説 明)

 都区検討委員会の設置について、協議する必要があるので、この案を提出します。

        都区検討委員会設置要綱

第一 設  置

  •  都と特別区間の重要事項に関する諸問題について検討するため、都区協議会の下に、都区検討委員会(以下「委員会」という。)を設置する。

第二 検討事項

  •  委員会における検討事項は、次のとおりとする。

  1. 1 都と特別区の事務事業の見直し及び事務区分の明確化に関すること。
  2. 2 都区財政調整制度に関すること。
  3. 3 その他、前各号に関連する事項。

第三 構  成

  •  委員会は、次の者をもって構成する。

  1. 1 都区協議会委員。
  2. 2 前号のほか、必要に応じ都及び特別区の関係者。

第四 運  営

  1. 1 会議の開催は、各構成員の協議により行う。
  2. 2 委員会の庶務は、総務局行政部区政課及び特別区協議会事務局において行う。

   附 則

 この要綱は、昭和五十四年八月十六日から施行する。

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こうした動きのなかで、昭和五四年八月には、都区間で懸案となっている主要課題を協議する場として、都区検討委員会が設けられた。この検討委員会は、特別区の自治権拡充の流れと、他方においては表<数2>12―<数2>11にみられるように、都は未曾有の財政危機におち入っており、この財政再建をはかる一環としての区市町村との財政負担の見直しという二つの力を背景として、すすめられることになった。そしてこの検討は、都財政再建の方策をまとめるために都に設けられていた、都財政再建委員会の審議と並行してすすめられることになった。

このような状況のなかで都は、特別区財政調整交付金の財源となっている調整三税、いわゆる固定資産税、住民税法人分および特別土地保有税に対する四四%の調整率では、区側の需要額に余裕があるとして、五五、五六年度にわたり都が個別の補助金あるいは負担金で対応していた福祉施策に関連する事業を大幅に廃止し、特別区財政調整交付金に振替えることにした。また、現在特別区の行なっている国民健康保険事業は、保険料や給付金について二三区の統一をはかるため、都において事業調整を行なうこととされている。この調整に要する財源については、都が国民健康保険調整交付金を特別区に交付することとしているが、こ

の交付金の負担がぼう大となり、都財政の赤字の要因の一つになっているという理由から、これを特別区財政調整交付金に大幅に組み入れる措置を講じた。表<数2>12―<数2>12は昭和五五、五六年度における都補助事業などの特別区財政調整交付金への振り替えの状況を示したものである。このように特別区財政に大きな影響をおよぼし、しかも、都と特別区の財源配分の根幹にかかわる重要な問題は、当然のことながら都区検討委員会の検討問題となっているものであり、この結論をまって措置すべきものであった。ところが都は、単に財政再建を理由に財政負担の見直しを区に求めたのであった。

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これらの措置に対し、昭和五五年第四回区議会定例会において区長は「これらの諸問題が都の財政再建を直接の契機としているものであり、その点、大いに不満とするものでありますが、いずれにしても、特別区の自治権拡充という観点からの見直しは必要でありますので、練馬区のおかれている立場での主張をもって協議に臨んで参りたいと存じます。」と述べている。この区長の発言にもあるように、今回の都区検討委員会における協議は、特別区にとって一歩前進でありそれなりの評価をすることができる。しかしながら、都財政の再建という厳しい状況のもとでのものであり、今後の区民需要をはじめ特別区の将来の姿などを考慮した慎重な対応が必要とされている。

また、このような厳しい対応を迫られる問題は、他区、とくに格差問題を抱える周辺区と中心区との間においても、近年その立場や重点事業などの面で多くの相違が生じてきており、これが顕在化しつつある。現に都心六区(千代田、中央、港、

新宿、文京、台東の各区)からは、都区財政調整の中に、昼間人口需要の要素を大幅に組み込むよう強い要望が出されており、五六年度には一部算入されている。このように、都に対する区側の自主性が高まれば高まるほど、特別区相互間の調整の問題が大きな意味をもつことは十分予想されるところとなっている。

<節>
第三節 練馬区財政の推移
<項>
財政規模の推移
<本文>

練馬区が昭和二二年八月誕生して以来、発展してきた歴史とともに財政規模も年々増大した。

昭和二二年度の歳入歳出予算は二三〇八万円であったが、五五年度には実に九二五億円になっている。

二二年度は練馬区の誕生が年度途中のため、平年度の二三年度における歳入歳出予算、一億〇三八四万円と比較してみても、実に八九一倍の規模にまでぼう張した。

この歳入歳出予算額は、一般会計のほか特定の事業または特定の歳入をもって特定の歳出にあてる必要がある場合に設けられる特別会計からなっているが、これらの各年度における予算規模は表<数2>12―<数2>13のとおりである。

予算規模の推移を人口増加との関連、さらにはそれぞれの年度における経済動向との関係をあらわしたのが図<数2>12―2である。練馬区の人口増加は、昭和三〇年代から四〇年代前半にかけて激しい伸びを示した。これに対して、予算規模は四〇年代になってから伸びが高くなっており、人口増加に財政が伴わないで、後追い的に増大していったことを示している。また、区財政は景気の動向に左右されながら推移していることがうかがえる。

このように年を追って拡大した財政規模の内容を各年度の決算額について、教育費、土木費、民生費の三大事業を中心に、その構成比によってみると、図<数2>12―3のとおりである。

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練馬区誕生当時の二〇年代は、教育費とその他(主として区役所費であり、これは大部分が職員人件費である。)が中心であった。土木費は、二七年度に道路の維持管理などの仕事の都からの移管があったにもかかわらず、財政規模全体の約一割を占めるにすぎなかったが、三〇年代後半以降になると都市化の進展と都道や中小河川の一部などの区移管によって、土木費の比重は次第に高くなっていった。

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また民生費についても、三六年度に保育所の仕事が区に移管されたこともあって、徐々にではあるが比重を高めている。その反面、教育費の比重は相対的に低下した。

四〇年度は、制度改正により福祉事務所をはじめ、民生関係を中心として都から大幅な事務移管が行なわれ、特別区が住民に身近な区政を展開する第一歩として動きだした。このことを反映して、財政規模が拡大するとともに、教育費を中心として出発した区財政は、四〇年度に至ってその姿を変え、教育、土木、民生の三大経費が、それぞれ重要な位置を占めるようにな

った。

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四〇年代は、毎年度約二〇%以上の財政の伸びに支えられて財政需要は多様化していったが、人口増加とともに、小中学校の建設を中心とする教育費と生活基盤整備にあてられる土木費の比重は、いぜんとして高いものであった。しかし、四〇年代後半から五〇年代にかけて人口増加が鎮静化するにつれ、教育費、土木費の比重は低下した。

五〇年には再び大きな制度改正が行なわれ、区長の公選制が復活したほか、保健所をはじめ数多くの事務事業が都から移管され、区行政の対応はさらに多様化することとなったが、折からの低成長経済への移行とあいまって、厳しい財政運営が求められるようになった。

練馬区の財政は、人口の増加とともに、また住民に身近かな自治体としての行政機能の拡大によって財政規模が次第にぼう張してきたが、現在まで赤字財政になることなく、健全財政を堅持しながら運営されている。

財政収支の状況を各年度ごとに示したのが、表<数2>12―<数2>14である。

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<項>

財政状況の変せん
<本文>

財政規模の推移を通じて練馬区財政の概況をみたが、ここでは、それぞれの年代を追って財政上の課題を中心にして財政状況の変せんについてふれることにしたい。

練馬区誕生当時の区財政(昭和二〇年代)

昭和二二年五月、地方自治法の制定によって特別区が誕生し、市とほぼ同様の権能が与えられた。しかしながら、その処理すべき事務は表<数2>12―<数2>15にみられるように都の直接管理に属するものが多く、区の自主的な事業は極めて少なかった。財政上からみると、その財源も当然のことながら貧弱なもので、非常に自主性に乏しい制度のもとで発足したのである。

昭和二二年練馬区が独立した第一年目の財政状況を「練馬区財政事情の作成及び公表に関する条例」の規定にもとづき公表された内容についてみると、以下のとおりである。

図表を表示 <資料文 type="1-32">

昭和二十二年独立第一年の財政事情(昭和二十三年五月一日発表

昨年八月一日板橋区より分離し、練馬区として新たに発足して以来、既に八ケ月を経、自治区としての内外の態勢も漸次整ひつつあり、まさに本格的な活動に移らんとして居るのでありますが、東京都よりの事務事業の委譲は極めて僅少にして、現在区役所に於て、取扱つて居る事務事業の大半は、都の委任事務事業にして、都費予算をもつて執行せられ居る様な実情であり、同年度に於ける区予算総額の約二倍強にものぼつて居ります。

しかも区に委譲せられた事務事業の実施に要する諸経費におきまして

も、その大半は、都の交付金、配付税等によって賄われて居る為、健全なる自治区としての財源的措置は講ぜられず、区の自治権は甚しく収縮せられ、自主的な予算の編成も、財政の運営も殆んど不可能なことであります。殊にインフレーションの急激なる昂進に因つて、俸給の一六〇〇円ベースより、一八〇〇円、更に二九二〇円ベースに又諸給の大幅引上等の人件費の激増諸物価の騰貴に伴う所要物件費の膨張等の為、昨年十二月二十六日及本年三月三十一日の二回にわたり、追加計上せられましたが、その財源を捻出するということは非常に困難なることであります。

更にこれが、運営に当りましても東京都に於ける財政難のため、交付金の交付遅延、区税滞納による税収入の不円滑、金融難等により現在非常に苦しい状態に置かれております。けれども現在政府におきましても、地方財政委員会をもつて鋭意審議致して居る地方自治体に対する財政方針が確定し、地方税法及地方分与税法等の改正が行われ、東京都財政の基礎が確定するならば之に伴って、区財政に対しても、充分なる措置が講ぜられ、従って在来の様な都財政の依存より脱却し、特別自治区としての本来の施策を施行し、円滑なる区政の振興を図り、区民の福利増進を図ることが出来ると思うのであります。

茲に三月末日に於ける一般会計予算の経理概要を公表して練馬区財政の現況を明らかに致す次第であります。

一、収入及支出の概況

昨年八月一日、板橋区より独立して、新たに練馬区として発足し、八月三十一日に八月より十月迄三ケ月間の暫定歳入歳出予算額六、〇二八、五二〇円が編成せられましたが、十一月二十八日暫定予算を含む昭和二十二年度歳入歳出予算額一五、九〇五、八二四円が編成せられ、其の後更に二回に渉り七一七、三六二円が追加計上せられ、本年三月三十一日現在に於ては二三、〇八〇、一八六円となって居ります。この歳入歳出予算の内容を大別すると次の通りであります。

 歳入一、交付金   一七、一一〇、二四一円 七四%

   二、区 税    五、六七〇、六四一円 二五%

   三、その他      二九九、三〇四円 一%

     合計    二三、〇八〇、一八六円

 歳出一、区職員費  一一、五八五、五八四円 五〇%

   二、教育費    三、四二二、一四二円 一五%

   三、諸 費    一、五九〇、四八二円 七%

   四、庁舎建設費  三、三一七、七〇一円 一四%

   五、その他    三、一六四、二七七円 一四%

     合計    二三、〇八〇、一八六円

区民負担の概況 本年三月三十一日現在の区税調定額は四、〇七二、七三八円であつて本区総世帯数は二六、七三八世帯でありますから、一世帯当り平均負担額は一五二円三二銭であり総人口、一二七、〇七〇人でありますから、一人当り平均負担額は三二円〇五銭であります。

以上の世帯及び人口には何れも要保護者を包含してあります。

本区の財産は次の通りであります。

 授産場   一九坪   五七、〇〇〇円

 職員合宿所 一三三坪 五〇六、〇〇六円

 現金預託金      四四四、三九九円

 有価証券         四、一一〇円

 動 産      一、三五八、〇〇〇円(庁用調度什器)

 合 計      二、三六九、五一五円

結論 以上の如く本区の財政は、健全なる財政の確立と、円滑なる区政の運営を期するため、あらゆる困難の打開に努めつつあるのでありますが、益々「インフレーション」は昂進し諸経費の激増と歳入の不円滑は、区政運営上相当の困難な状態にありまして、年度収支につきましては辛うじて均衡を保ち、健全財政を維持し得る見込であります。昭和二十三年度におきましては更に相当多額の経費を、必要とせざるを得ないものと思われます。

即ち「インフレーション」の昂進による人件費、物件費の増大と小中学校整備、区役所庁舎建設等相当多額の経費が必要とせられ、従来の財源のみをもつてしては、到底望み得ないことは明らかであります。

この財源を補足する為には、次の如き方策を以て収入の増加、支出の削減を計りたいと考えているのであります。

一、収入の増加としては

  1. 1、都税附加税の新設及び賦課率の引上げ
  2. 2、独立税の新設及び賦課率の引上げ
  3. 3、使用料及び手数料の引上げ
  4. 4、都配付税の増額
  5. 5、収入源となる福祉事業の樹立

二、支出の削減について

  1. 1、行政機構の整備確立及び職員配置の合理化による人件費の節減
  2. 2、諸経費の重点的配分による不急経費の削減

以上の諸問題に付ては、具体的方策を検討中なるも、税制の改正については、政府及び都において、目下審議中にして、近く決定の見込みでありこれに伴い区税条例の改正も行われるべく予想せられ、更に配付税の増額については、現に都区行政調整委員会において、折衝を重ねておるのであります。

これらの基本的財政具体策の決定と相俟つて区の財政方策を確立し、区政の円満なる発展を期したいと念願しているのであります。

これらの問題の具体的施行については、区民各位の深甚なるご理解と熱誠なる御援助、御協力を切にお願い致す次第であります。

未来への発展を夢みて独立の道を歩み出した練馬区にとって、厳しい第一歩であったことがうかがえる。

①インフレーションと混乱のなかでの区財政

昭和二〇年代は戦後の社会秩序の混乱、インフレの昂進などの悪条件による財政需要の著しい変動に対する財政維持の努力の時期であった。すなわち、インフレによる人件費、物件費の増大、さらには荒廃からの復興という財政需要、他方では

常に実質収入が立ち遅れる状況のなかで、毎年度の当初予算は、施設、人員の現況維持のみを前提とした骨格予算をもって編成され、その後小刻みに補正していくという変則的な方法をとらざるをえなかった。

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こうした予算の編成状況を表<数2>12―<数2>16および表<数2>12―<数2>17でみると、二三年度では、最終予算は当初予算の三・五九倍にものぼっており、四回にわたる補正を行なっている。当時における歳入は、財源の大半が都からの地方配付税、都支出金であり、加えて経済情勢の悪化により税収入の見とおしが立たず、反面歳出では、人件費、物件費にこれら予算の約四〇%をさかれ、残りの大半を教育施設の建設にあてる状態で、著しく自主財源に乏しく極めて苦しい時期であった。

昭和二四年五月一日発表の財政状況の公表において区は「昭和二三年度は、涯しなきインフレーションの昂進に伴う人件費、物件費の高騰のため、財政的破局に追いこまれつつも、小中学校建設、教員合宿所、区役所及び石神井支所、庁舎出張所等の建設或いは増設等の諸事業を完成或いは進行中でありまして、練馬区の復興も確実なる歩みを続けております。」と財政の現状を区民に報告しており、インフレと混乱のなかにおいても、練馬区建設の積極的な意欲をうかがわせている。

二七年、ようやく経済の動向が安定の兆しをみせはじめると、戦後初めて都は年間予算を編成したが、練馬区においても初の年間予算として当初予算を編成した。二八年度は最終予算額が当初予算額に比べて著しく高くなっている。これは、インフレによるためだけではなく、都支出金による六・三制整備のための学校施設の建設費の計上のほか、次第に増加しつつあった人口に対する財政需要の増大のためである。

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昭和二三~三〇年度までの一般会計歳入歳出決算額の推移は、表<数2>12―<数2>18のとおりである。

②競馬益金・寄付金による施設建設

昭和二五年、特別区は共同して特別区競馬組合を設立し、大井競馬場で公営競馬を営み、その益金を区の財源にすることとした。

練馬区でもその配分を受け、貧弱な区財政を補う一助とした。昭和二五年度の分配金は三〇〇万円、昭和二六年度は九〇七万円で多額なものではなかったが、年を経るごとに増加し、現在も続いている。五五年度には二億九七〇〇万円にも達している。

この分配金は、主として教育施設充実のための財源として使われ、まず、二八年一〇月区民文化の殿堂として完成した公民館の建設費にあてられた。この公民館建設費については、当時の財政事情では資金の調達は極めて困難であったため、議会、理事者一丸となって区内選出の都議会議員の労を煩し国・都の補助金を獲得し、不足分をこの分配金をもってあてることとしたものであった。しかし予算の大部分は建築費であり、ピアノ、映写機、図書、机・椅子などの備品、調度品につい

ては財源のメドがなく、区民からの募金(募金目標五〇〇万円)によって整えたものであった。その後、この分配金は公民館分館の建設資金にもあてられた。

学校体育館兼講堂建設の要望は区内小中学校に共通したものであった。ところが校舎建設費のみが財源措置され、体育館や講堂については、都支出金などの財源措置がなかった。

区では社会教育における公民館活動の重要性に着目して、この公民館の地域配置をはかることとし、この分館の建設と学校の講堂とを一致させたのである。その第一号として光和小学校が選ばれ、競馬益金の分配金を財源として建設されたが、公民館分館という二重性格で建てられたために、表に講堂、裏に公民館分館の標札を掲げ、日本間を設けて地域住民の成人教育に利用された。建物規模は一〇〇坪前後で本格的な講堂としては狭すぎるきらいがあった。次いで北町小学校にも建設され、その後ひき続いて年次的に建設された。このうち大泉中学校のものは、建設費の一部を地元で負担して一二〇坪程度に拡げて建設された。

当時、区財政は区民の要望を十分満たすことができなかったため、このように地元住民の寄付金によって小中学校の建設がすすめられるケースが数多くあった。しかし、その後三八年に地方財政法の改正によって地元住民の寄付で学校の施設、設備を賄うことは禁止された。

③シャウプ勧告を契機とした財政自主権の強化と行政権能の拡大の動き

昭和二四~二五年にかけては、わが国の地方財政史上もっとも重要な改革の行なわれた時期であった。昭和二四年に来日したシャウプ使節団は、その「日本税制報告書」においてわが国の地方行財政の根本的な欠かんを指摘した。そして、事務の再配分を行なうよう勧告するとともに、地方財源を充実し地方財政の自主性を確保するための具体的措置を勧告した。この勧告にもとづき、二五年、税制改正が行なわれ、新しい税財政制度によって財源的裏付けが強化され、地方行政の自主、自立性が強化された。

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特別区においても東京都特別区税条例の改正が行なわれ、区の経費の大部分が区の独自の税によって賄い得るようになった。またこの改正にあわせて都区財政調整制度も従来の配付税方式による調整から納付金制度の採用による調整へと変った。

練馬区財政は、これらの税財政制度の改正によって、従来の地方配付税や都支出金に大きく依存していた状況から、自主的な財源への振替えが行なわれ、財政自主権の面では前進がみられた。しかし、財源の拡充の面では、区税収入の多い区から納付金を納付させ、税収の少ない区にこれを交付する納付金の制度が採用されたとはいえ、多大な行政需要を支える財源としては、いぜんとして非常に不十分なものであった。

図<数2>12―4は、制度改正前後の練馬区における歳入構成を示したものである。自主的な財源の割合が大きくなっていることがわかる。当時の経過について、二六年五月に公表された二五年度後期財政事情によれば「特別区は、都の条例によってのみ課税権を附与されるため地方税法改正の機会に都より大幅な事務事業の移管と、これが裏付財源の獲得につき強力な要請をしたるも、シャウブ勧告の趣旨である地方財政確立の精神に反し、特別区に移譲した税は市町村民税である特別区民税、自転車税、荷車税、木材引取税、接客人税、使用人税に制限せられた次第で、地方財政の根本的な改革を期することが、出来得なかったことは甚だ遺憾とするところであります。元来当区の歳入関係は区民各位既にご承知の通り、その大半を都より分与される地方配付税及び、補助金、交付金に依存しておった実情で自然歳出においても、自主財源の貧しいため都の一方的措置の需要額によらざるを得な

い次第で、今般の地方税法改正により、区税収入は一応昨年度に比し、著しく増加をみましたが、その反面従来分与されておった地方配付税は全面返還の上、今般移譲された事務事業の経費は従来都費で処理されたものが、今後全額区費で賄うこととなった外、区に代って都が執行している事務事業に対する経費として、特別区民税調定の三割七分一厘九毛、三七、九五二、〇〇〇円を特別納付金として都に納付せしめられており、更に又都の算定に基づく、歳出需要額に対し、彼此算出の結果四〇、四七〇、七四八円の財政調整交付金の交付を受けるなど、実質的には従来と何等変更はなく、寧ろ昨年度迄の自由財源も皆無となったため、内容においては、従来より一歩退歩的となったことは否めない様な次第であります。

然しながら今後都依存態勢より漸次脱却し自治権の拡充、自主的財政確立の理想に到達するため、更に一段の努力を払う所存でありますから、区民各位におかれても、絶大なる御支援と、御鞭撻を念願する次第であります。」と記述されている。

次いで、昭和二七年八月には、区長公選制の廃止を含む地方自治法の改正により特別区制は大きな転機を迎えた。この改正の一つのねらいは、都区の事務を明確にし、住民に身近な仕事を区に移譲することであった。これにより二重行政の弊害を除くと同時に、それまで続いた都区の自治権拡充をめぐる対立紛争に終止符を打つことが期待された。

新しく特別区が担当することになった事務には、道路の維持管理、道路の清掃、公益質屋、公共溝渠などに関する事務があり、これらは従来都が処理していたものであった。とくに、区道の維持管理がはっきり法定されたのは注目すべきことであった。これに伴う特別区への財源移譲としては、昭和二七年度に公益質屋経営の移管により一億四〇〇〇万円、昭和二八年度は区道の設置管理、街路樹の植栽管理、公共溝渠の維持管理、公衆便所の設置管理などの移管によって、四億四三八一万円が措置された。練馬区においても、これら事務事業の都からの移管により次第に財政規模は増大していった。

こうして特別区は、都の内部構成団体としての位置づけに変りながらも、住民に身近な仕事を行なう自治体として行政権能を拡大していったのである。

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高度成長期の区財政(昭和三〇年代)

この時期は、練馬区にとって急速な都市化現象に伴う行政需要が特徴的である。昭和三〇年という年は、日本の政治、経済が戦後の混乱からようやくぬけだして、安定化の方向をめざした年であった。昭和三一年版「経済白書」は、この年の経済の拡大による景気動向をたたえて「もはや戦後ではない」と結論づけている。経済の高度成長に伴う都市構造の変化も、この時期からめだってきた。

とくに、昭和三〇年以降の一〇年間は、実質年平均一〇%に達する急速な経済成長をとげ、その間、東京は、全国的に進行する産業と人口の都市集中の頂点として、政治、経済、文化における中枢の役割を一層強めていった。昭和三七年二月には、東京都の人口は産業と人口の過度の集中のため遂に一〇〇〇万人を超え、各種公共施設は行政需要との均衡を失って、「過大都市の悩み」あるいは「過大都市の弊害」として指摘され、都市機能が十分発揮できない状況に至った。

一方、この首都東京の現状を打開するため、首都圏整備事業が三九年のオリンピック誘致を契機として大きく促進された。しかし東京への産業と人口の集中は続き、根本的な解決を期待することができないまま推移していった。

①人口増加に追われる区財政

このような背景のもとで、練馬区は都心に通勤する人びとの住宅地としての発展を遂げ、二八年から年間一万人を超える人口増を続け、二二年練馬区誕生当時一〇万四一〇七人であった人口は、三九年には三八万一七九四人と実に三・八倍にのぼるぼう張をみた。ことに三〇年代後半の五か年間の増加率は四二%で都内最高の伸びを示した。

これに伴い区財政の規模も次第に拡大し、三〇年度には八億四〇〇〇万円であったものが、三九年度には四三億二〇〇〇万円に達し、この一〇か年間に五倍にもぼう張したのである。この伸張度は、都財政の伸びとほぼ同じであった。

この間、区は増え続ける児童生徒の収容に必要な学校の新設、校舎の増築のために力を注ぎ、五〇%以上の予算が、いぜんとして教育費にあてられていた。しかし、この教育予算も十分なものではなく、教室不足は二部授業のほか、一学級の児童数が五〇名以上、ときには六〇名を超える状態が続いた。いわゆる「すしづめ教育」という言葉で表現された時代であっ

た。

三〇年度における教育費の決算額は、二億六六〇四万円であったが三九年度には一四億八六八九万円と六倍に増加している(表<数2>12―<数2>18、表<数2>12―<数2>24)。

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また、急激な都市化に伴う道路、排水路などの生活基盤整備のための土木事業についてみると、三五年度までの土木費は、財政規模全体の一〇%にもみたない状況にあった。それが、三六年度には約二〇%となり、三九年度には約三〇%と教育費に次いで大きなウエイトを占めるようになった。こうして、土木事業は区財政のうえで主要な位置を占め、三九年度(決算額)には一〇億二八二九万円と三〇年度に比べ二三倍にも達した。とくに、三五年度までの区の土木事業は都からの執行委任の仕事が中心であったため、地域住民の要望に十分こたえられる状態になかった。三六年度からは後に述べるように道路の維持管理などの仕事が都から移管され、それ以降土木事業は区の自主的な事業としてきめ細かい配慮のもとですすめられるようになった。

ところで、教育費、土木費を中心とした著しい財政規模のぼう張も年々同じベースでなされたものではなかった。図<数2>12―5に示すように学校の施設整備のペースの変動による増減のほ

か、三六年度には保育所(当区の場合豊玉保育園)と都道(延長一五〇〇㎡以下)の設置、管理および普通河川の管理などが都から区に移管されたため大幅に増加している。また、三七年度には国民年金制度が発足し、その支出が増加している。財政規模の伸びが際立って小さかったのは三四年度である。この年度は、区税の伸びが小さく、しかも特別区財政調整交付金と学校建設のための都支出金が前年度に比べ伸びが少なかったためである。このようにして、練馬区の財政規模は伸び率に若干の消長を示しながら推移した。

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昭和三〇年度から三九年度までの一〇か年間における各区別の歳出規模の増加率を示したのが表<数2>12―<数2>19である。練馬区をはじめ周辺区は、人口増を反映して伸びが高い。反対に千代田、台東、豊島、

中野など主として中心区が低い伸びを示している。このように周辺区では、その財政規模を拡大させていったものの、教育施設や道路、公園などの都市施設の整備が、宅地化と人口増加に追いつかないで、立ち遅れをきたしていったのである。

②苦しい財政運営

前述したような推移をたどった練馬区財政を、その財政運営の基本をなす予算編成基本方針について昭和三三年および三六年の区勢概要によりみると、以下のとおりである。

激しい人口増加と宅地化の波に洗われながらも、限られた財源のなかで自主的な事業を展開するなど、着実な財政運営に努めていたことがうかがえる。

<資料文>

〔昭和三三年度予算編成〕

 予算編成の基本方針としては

「経常的事務事業の諸経費を極力節減し、効率化を図り区政全般の行政機能を充分活用し得るように高度の検討を加え合理化した。

 その具体的なものとして、区役所をはじめ小、中学校の消耗品について節約を目的として用品特別会計をあらたに設けて集中購入および管理をすることにした。このようにして節約捻出された財源を充当して特に重要施策として財源の許すかぎり道路整備と教育費の充実に集中させて予算編成した。」としている。

 また、重要施策については、次のとおりである。

一 道路整備事業(土木)

 近時急激なる人口の増加に伴い、また住みよい環境にするためにも、道路整備事業は最も急を要するものであり、本区の道路の特色は、未だ舗装する基礎的な砕石撒布が僅少であるため特に本年度はこの点に留意し、基礎的投入を前年度より約四五%増の原材料を購入して撤布することとした。また、これに伴って簡易舗装も約一六%増の新設工事が予算化されている。

 以下土木費の内訳は、つぎのとおりである(別表A)。

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二 教育費の充実

 急激なる人口の増加に伴い、児童、生徒も著しくふえているが、これに伴い学校の建設整備は順調なので、本区は、すし詰学級はほぼ解消の域に達しており、今後は施設内容の充実につとめる段階となっている。

 <項番>(一) PTA経費負担軽減

 本年度は、総額一六八二万七八四九円を教育費に組入れ、PTA経費の父兄負担額を軽減するため計上した。これは、現在の父兄負担額の約五八%に相当するものである。

 <項番>(二) 学校環境整備事業

 学校建設は、都の予算をもつて措置されてくるわけであるが、そのなかに新設校の垣根造成費は含まれず、従来PTAに依存していたが今回区独自に垣根整備をすることとし、とりあえず二〇校分、所要経費三三五万一一〇〇円を計上した。

 <項番>(三) 校庭舗装

 前年度は六校を舗装したが、学校の増加により本年度は特に一一校を舗装することとし、請負工事三校分所要経費一二〇万円とその他八校分は失対事業で施工することにした。

 <項番>(四) 給食場増改築工事

 昭和二三年より給食を実施してきたが、前年度同様、機械化と共に完全給食の実をあげるため、本年は特に給食場の増改築工事を実施することとし、その所要経費として七校分二六五万円を計上した。

 <項番>(五) 学校新設、増築工事

 本年度中につぎの教室数が新設される。

 木造教室……八〇教室

 鉄筋教室……三三教室

 教育費の内容は、つぎのとおりである。(別表B)

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三 主な新規事業

 本年度の主な新規事業は予算上つぎのとおりである。

 <項番>(一) 特別区国民健康保険

 都の二三区は本年一〇月より国民健康保険を一斉に実施することに決定しているので、本区もその実施に備え被保険者の掌握等資料を準備する必要があるため、その事務費として総額八一万九四八一円を計上した。

 <項番>(二) 土地改良の助長と用途地域の変更

 本区のめざましい発展と一方首都圏整備計画の具体的予算化に伴い、さらに本区自体における将来への総合的な恒久対策を具現するため従来とは別に積極的に予算上別途計上した。これに要する経費は、一三万七〇〇〇円である。

 <項番>(三) 地番整理事業

 現在の地番は、明治初年に土地課税の目的で定められた区画地番のままであり、従つて地番が入り乱れるところに現在の区民生活とかけはなれているので、本区発展のため永遠の礎石を定める目的で本年度からその整理に着手することになつた。その経費は、八八万九二二円で

ある。

〔昭和三六年度予算編成〕

   昭和三六年度予算編成の基本方針

 一 特別区の財政

 特別区の財政は、特別区が大都市の内部的構成団体たる性格を有するいわゆる制限自治体であるため、種々の制約を受けており、完全自治体である市とはその内容において大きな差がある。

 まず課税権については、地方税法において都条例をもつて規定することとされ、現在特別区は特別区民税(個人分)、特別区軽自動車、犬税を課税しているに過ぎない。

 一方、財政需要額は、自治法により制限列挙された事務について、区の提出した資料に基き都によつて算定されており、総体的には上記税が充当されることとなつている。

 しかし、各区の税収はその地域的、社会的、経済的構造の差異によって、非常に違いがあり、例えば昭和三五年度において、最高は世田谷区の二二億六〇〇万円であり最低は荒川区の三億一〇〇〇万円という状態である。

 したがつて、二三区の大都市的一体性からして各区の住民福祉に地域的な差別がないよう、税収の多い区に納付させ、少ない区に交付するという都区財政調整が行なわれている。

 しかし、この財政調整は納付区と交付区、または都心区と周辺区等の対立する条件にある各区の調整であり、また納付金と交付金が増大する傾向にある事がこの問題を難航させている。

 特別区の事務事業は、営造物の設置管理、住民に直結した全都的統制を要しない事務および委任事務とされているが、制限自治体とはいえ住民と直結した更に多くの事務事業が移管される事が要望されている。

 幸い三六年度から都道のうち幹線道路を除く部分および河川の一部ならびに保育園が区に移管されたが、なお多くの事務事業が区に移管され、財政的にもより多くの財源が付与されることによつて、住民に対するサービスも住民と密接な関係の中に一元的に行ない得るのである。

 二 昭和三六年度予算

 前述のとおり特別区である練馬区の予算は、自治体として満足なものではないが、この条件のもとに次の如く三六年度予算を編成した。

 即ち練馬区が将来首都圏の住居地域として発展する事を基本的理念として、今後住宅地化する地域には区画整理事業、土地改良事業の勧奨促進を図つて、清潔な住宅地としての基本的体系をととのえ、一方既成市街地に対しては、四ケ年計画により区道の六〇%を舗装し、側溝を一〇〇%布設するよう計画し、第二年次の予算を計上した。また庁舎については戦後の建物のため老朽化しており、さらに急激な発展による人口増、国民健康保険、国民年金などの新事業開始による職員数の増加により、改築の必要に迫られたので継続事業として改築することとした。教育費についても財源の許す限り投入し、教材費、学校施設の充実をはかつた。

 以上の重点施策による本年度の予算の内訳は別紙(省略)に示すとおりであり、積極的な年間予算を編成したのである。

 今年度特に一般財源を投入した主要事業は下記事業である。

  土木費 区道舗装費            九一、二〇〇㎡ 四、八二〇万円

      側溝布設費            五三、〇〇〇㎡ 二、六五〇万円

      区画整理指導費                    一五八万円

  教育費 教育需要費                    五、七〇二万円

      校庭舗装費            八校        三二〇万円

      垣根整備費                      七〇〇万円

      体育倉庫、塵埃焼却施設整備費   五一校       七八九万円

      フィルムライブラリー整備費   一〇〇巻       一七五万円

  その他 区庁舎建設費                 一二五、〇〇〇万円

      大泉西、谷原出張所の土地買収改築費          七〇〇万円

      地番整理費                      一三〇万円

      土地改良費                       五五万円

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昭和三九年制度改正以降の区財政(昭和四〇年代)

昭和四〇年代の区財政は、住民に身近な事務事業が昭和四〇年に都から大幅に移譲されたことを契機に、従前に比べ基礎的な自治体としての性格が強まると同時に、財政需要が多様化していった。

また、この時期は激しい人口増加のなかで都市施設整備の立ち遅れが顕在化し、練馬区の財政は厳しい状態におかれていた。

①事務事業の移管

人口増加に伴う財政上の課題については後に述べることにして、ここでは、三九年の地方自治法の改正に伴う財政規模の拡大の状況を述べる。

この制度改正による事務事業の移管は、表<数2>12―<数2>21に示すように広範にわたっており、特別区に移管された事務事業の四〇年度予算額は二三〇億円で、同年度の都一般会計当初予算四二三八億円の五・四%にあたっていた。

練馬区においては、この事務事業の移管予算の計上が当初予算の編成時に間に合わなかったため、第一次補正予算で措置している(表<数2>12―<数2>22)。その事務事業費は、七億八三〇四万円で、同年度の当初予算三三億一一三〇万円に対し、二三・六%に相当し、その移管は大規模なものであった。移管額の内訳を款別でみれば、一番高い割合を占めるのが民生費で八〇・八%、このうち生活保護費の割合は移管額全体の六一・一%を占めているのが特徴的である。次いで、土木費一九%、教育費〇・二%の順になっている。

また、生活保護をはじめとして民生関係の事務事業が都から大幅に移管されたことにより、その主な財源となっている国庫支出金が、四〇年度には飛躍的に増加して区の主要な財源の一つになった。

この事務事業の移管によって、財政規模が拡大すると同時に、その後教育、土木、福祉の事業が区の三大施策として展開されることになった。

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②施設格差問題と対応

昭和四〇年の練馬区人口は四二万人であったが、四九年には五四万人を超え、都心部における人口の減少、特別区全体での横ばい状態が続いているなかで、いぜんとして二三区中でもっとも高い伸び率を示していた。

この人口増加とこれに伴う急激な都市化のなかで、道路、下水道などの都市基盤と区民生活に直結した諸施設の整備の立ち遅れは、いわゆる「練馬格差」と呼ばれるようになった(本編「行政」図<数2>11―1参照)。

練馬区行財政調査会第一次報告(昭和四九年一二月)によれば、「今日の練馬区における公共施設の相対的水準は、約一〇年前の中野区の水準に及ばないほどの遅れた状態にある」と指摘している。しかもその間格差は一向に縮小されず、いぜんとして続く人口増加のなかで、むしろ一層拡大の傾向さえみられた。

このような都市施設の不足に加えて、環七公害や光化学スモッグの発生にみられるような環境問題をはじめ、福祉、保健衛生、さらには防災など、多様な対応を区政は区民から求められるようになっていった。しかし、このような都市施設の格差と区民要望の多様化のなかで、練馬区の財政は、次にみるような厳しい状態におかれていた。

まず第一に、投資的経費の多くが学校建設にあてられていたことである。

区財政は、図<数2>12―6に示すように、人口増加に伴って発生する緊急度の高い必需的な義務教育施設の建設に追われ、他の都市施設の格差解消には、ほとんど手がつけられない状態にあった。

第二は、ゆとりのない財政運営を余儀なくされていたことである。

一般に地方財政のゆとりは自主財源の規模とその使途でわかるといわれている。練馬区の自主財源を四九年度についてみると約二二億円(繰越金を含む)であったが、このうち、約四〇%を人件費にあてていた。その主な原因は、都区財政調整制度において人口急増などによる行政需要に対応した職員の定数措置がなされていないことにあった。

四九年度の練馬区の職員一人あたりの人口数は二一五人で、もっとも少ない区の七六人にくらべて約三倍のひらきがあっ

た。

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それにもかかわらず、四九年度において練馬区は、三六五人の定数超過となっていた。

このほか、下水道の普及の遅れに伴う排水施設や高台低地対策、あるいは用地買収が困難なため建設工事が遅延し、そのことによる工事単価の値上りにより生ずる超過負担などの経費にあてることを余儀なくされていた。

当時の都区財政調整制度のもとでは、自主財源による施設拡充や地域の実情に応じた独自のサービスの提供は、非常に困難なことであった。

第三は、都区財政調整制度が格差是正に寄与していなかったことである。

当時の都区財政調整制度には、施設格差の是正に対応する措置として「一件算定」という方式が設けられていた。しかし、この実績をみると(図<数2>12―7)、その経費の伸び率が各区ともかなり平均化しており、練馬区のように施設格差と潜在的な需

要をかかえている区にとって、財政補完措置が不十分であった。

第四は、財源を借金に依存せざるを得ない状況にあったことである。

三九年度までは、都が一括して起債をし、区に交付するというしくみになっていたが、四〇年度からは区が独自に起債をすることができるようになった。

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練馬区は、区独自の起債の発行ができるようになったこの四〇年度を契機に、格差是正の財源の多くを起債に頼らなければならなかった。

四〇年代における一般会計の財源構成を図<数2>12―8によりみると、財政規模の増大につれて一般財源の比率が年々低下しているのに対して、特別区債の比重が毎年高まっている。これは、いわゆる借金財政に次第に傾斜していったことを示しているが、一面では後世代の区民にも負担してもらうという負担の公平の観点からして、当然の措置であったともいえよう。

この起債の発行を、特別区全体の発行額に占める割合でみると、四八年度には三六九億円のうち練馬区は二七・七%の配分をうけており、異常なほどの比重を占めている。

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しかし、この練馬区に配分された起債のうち約七〇%は義務教育施設整備に関連するもので、その他の都市施設格差の是正にまでは手がまわらない状況にあった。

第五には、区民一人あたりの財政需要額が他区に比べて低い傾向にあったことである。

図<数2>12―9に示すように練馬区は、特別区平均を下回り、最高の区の二分の一にも満たない状況にあった。

これまでみてきたように、四〇年代の練馬区財政は急激にぼう張した財政需要に対応できないままに推移し、施設格差の是正問題が四〇年代後半から、五〇年代はじめにかけて区政の重要な課題となった。

③計画的な行政運営への展開

これまで述べてきた都市施設格差の問題や多様な区民要望に、区政が応えていくためには、限られた財源のなかで重要度、緊急度に応じた施策の選択を行ない、効果的なしかも計画的な行政運営をはかる必要があった。

昭和四〇年には、都からの事務事業の移管を契機に、都の指示にもとづいて「練馬区行政施設五か年計画(四〇~四四年度)」

を策定しその実現に努めた。この計画にもとづく区政運営は、練馬区にとって計画行政の第一歩であったといえよう。

その後、四四年にはこの五か年計画を改定し、新たに練馬区独自の計画として、四四~四八年度の五か年計画を策定し、その実現に最大限の努力を傾注することにした。この計画は、一定の目標を定め、これに到達するための事業計画を内容とするものであった。

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なお、この五か年計画の成果は表<数2>12―<数2>23のとおりであり、計画期間中物価の高騰などにより計画の修正を行なっているが、修正計画に対する執行率は七八・六%であった。

④スタグフレーションと不況のなかでの区財政

昭和四〇年代後半から、戦後四半世紀にわたって世界にも前例のない高度成長路線を歩んできた日本経済も、大きく変容しつつ低成長経済へ移行していった。

この転換を迎える過程において生じたインフレは、四八年の石油危機を契機として加速化し、インフレと不況が併存するスタグフレーションの様相をも示していった。このような状況は、当然のことながら社会的公正をそこない、住民の日常生活を著しく不安定にするとともに、地方自治体に対しても深刻な影響をおよぼした。

とくに、練馬区財政はぼう大な投資需要をかかえ、他の自治体以上にインフレによる影響を強くうけた。もっとも直接的

な影響は土地価格の暴騰であった。例えば学校用地の買収についてみると、その買収単価を昭和四二年を一〇〇とすれば、四六年二七九、四九年には八五七と急上昇した。これは単に区財政への圧迫という問題にとどまらず、用地取得難から事業の遅れをきたす原因ともなり、計画的な施設整備を著しく困難にした。

また、四八年末の石油危機に伴うインフレと物不足に対処して、練馬区では生活保護世帯、心身障害者、老人など社会的、経済的に弱い立場にある人びとへの援助や給付を内容とする「区民生活防衛緊急対策」を講ずるとともに、四九年度の当初予算の編成においては、福祉施策を前年度比六四・二%で計上し、このインフレにたちむかう自治体の意欲を示したのである。

昭和三九~五四年度までの一般会計歳入歳出決算額の推移は、表<数2>12―<数2>24のとおりである。

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<節>

第四節 練馬区財政の現況
<項>
昭和四九年の制度改正と練馬区の主張
<本文>

昭和四九年六月の地方自治法の一部改正と、それを受けた都区制度の改革により、区長公選の復活を頂点とする特別区の自治権の拡充が行なわれ、区は、一般市なみの権限を有することになり、新たな第一歩をふみ出すこととなった。

しかしながら、財政については、制度面における財政自主権の抜本的な拡充は見送られ、また、運営面の改善においても、他区との施設格差に象徴される練馬区の財政需要に応えるものとはならなかった。

このため、五〇年一月二五日、財政格差の解消を求める練馬区民大会が開催されたのをはじめ、二月三日には、区議会が「地方自治体の財政権の確立と特別区間の格差解消を求める意見書」を可決して都知事に提出するなど、区民、区議会、区が一体となった、改善への働きかけが行なわれた。

この間の練馬区の主張は、直接的には公共施設の格差是正に主眼がおかれていたが、以下の練馬区行財政調査会の最終報告(五一年三月三一日、会長高柳信一)に、端的に表明されている。

<資料文>

「当調査会は、今回の制度改正に先立って一昨年末、その第一次報告をもって都区財政調整制度にたいする基本的な考え方をあきらかにした。

五〇年度の都区財政調整においては、調整率の引上げ(四〇%→四三%)、自主財源比率の引上げ(一〇%→二五%)、投資的経費における一件算定の廃止、人件費の単位費用化、振興基金の創設などがとられた。これらは当調査会の主張が、部分的ではあるがとり入れられたものとして評価される。

しかしながら五〇年度改革の新方式と当調査会の基本的考え方とには、大きな距離がある。当調査会としては、第一次報告にもら

れた主張をあらためて再認識するとともに、当面次のような改善の措置をとるように東京都に求めるべきである。

①格差是正のための特別区公共施設整備特別会計の新設など

新方式においては、いわゆる練馬格差是正のための積極的措置はとられず、わずかに振興基金が創設されたのみである。当調査会は第一次報告で述べた趣旨にしたがい、格差是正のための特別措置を強調し、そのために特別区公共施設整備特別会計の新設を要請する。また、特別区振興基金も大幅に増額されるべきである。

②特別区財源の強化

a都市計画税および事業所税の調整税源への繰り入れ

現行調整三税に上記の二税を新たに調整税源に加えるべきである。都市計画関係事業が特別区に移譲されたことにかんがみ、本来は市町村税である都市計画税は全額を調整税源とする。また、五〇年度より新設された事業所税は、他府県では課税団体は、指定都市および政令で指定する市とされ、市に属する税であるとされている。したがって、これを調整財源に繰り入れることは当然である。

b都区間調整率の引上げ

東京都および特別区でおこなわれている『市』の事務については、それぞれ財政需要額を算出し、これを基礎として調整財源の都区間配分率を客観的に決定すべきである。この際、『身近な政府』重視の観点から調整率の引上げが検討されるべきである。

③人口急増地区における財政需要の算定

かねてから主張してきたように、現行財政調整制度では、人口急増地区における財政需要の算定は十分ではない。とくに投資的経費における人口急増補正を導入すること、公債費および開発公社償還金を基準財政需要額として算定すること、さらに人件費算定において急増地区の事情を考慮することをあらためて主張したい。

④自主財源事業について

五〇年度より実施されたいわゆる自主財源事業制度は、もともと都市施設の整備が地区に比較しておくれている練馬区にとっては、格差の拡大を招来するものとして、その再検討を強く求めたい。とくに、公会堂、区民会館、総合体育館、区民プールなどは、基幹的、普遍的事業として算定対象とすべきである。

都区財政調整制度については、前述のような当面の運用方式の改善にとどまらず、現行制度全体について根本的な改革をはからねばならないことは、第一次報告で強調したところである。その際、この改革には、<項番>(1)特別区の連帯による自主的調整 <項番>(2)抜本的改革への展望 <項番>(3)財政調整会計の独立化 <項番>(4)特別区連帯機構の強化 という四つの点が念頭におかれるべきである。」

<項>
財政危機の克服と行政需要への積極的対応
<本文>

一方、制度改正の出発点となった五〇年度は、四八年秋の石油ショックに端を発した経済危機が一層深刻化し、国、地方を通ずる財政危機が一挙に爆発した時期でもあった。所得税や法人課税の大幅な減収は、すでに四九年度より表面化していたが、これらの回復がみられぬまま、前年度の所得を課税対象とする住民税の大幅な減収が地方自治体の財政に追いうちをかけ、五〇年度にはパニック寸前の財政危機に直面することとなった。

本区においても、五〇年度の歳入の当初見込みに対し、約一六億円のおちこみがみられ、減額補正というかつてない異常事態を余儀なくされた。

こうした財政危機の深刻化の中で、従来より積み残された課題である、他区との施設格差の是正とシビル・ミニマムの確保の要請に加え、経済情勢の深刻化に伴う福祉需要の増大、さらには区民要望の多様化という、ぼう大な財政需要をかかえつつ、制度改革によって、それらを積極的に推進すべき基礎的自治体への転換に応える、自主的な解決能力を求められたのである。

制度改革による新しい区政の出発点は、同時に苦悩の出発点でもあった。

財政危機の表面化と区の対応

制度改革の出発点となった五〇年度は、財政危機に明け、財政危機に暮れた一年であったといっても過言ではない。すでに、石油パニックと言われる狂乱物価と区民生活の危機的状況の中で編成された五〇年度予算について、区長は、五〇年第一回区議会定例会において、

<資料文>

「昭和四九年という一年は、インフレと不況が同時進行するかつてない異常な事態のまっただ中で、区政運営全般にわたって緊張の連続の毎日という試錬の期間でありました。このおそるべき狂乱物価は、区の行財政に重くのしかかり、区民生活に直結する福祉、教育、環境整備の各分野にわたって、いまもなお練馬格差をさらに大きくしようとしております。……これからの一年、区政をとりまく諸般の情勢を展望いたしまするに、今日のこの物価の高騰と、税収の鈍化、行政需要の増大等による区財政の窮迫は、区政運営をますますきびしくするであろうことは、予想にかたくありません。このようなきびしい展望に加え、都区財政調整における周辺区の格差是正についての抜本的な改善のない状況のもとで、私は昭和五〇年度当初予算の編成を行なったわけであります」

と、困難な財政運営の状況を述べている。

しかしながら、事態は予想をさらに上回って悪化し、区長発言にみられるような認識のもとに編成された五〇年度予算も、見直しを迫られることとなった。

五〇年第二回定例会において、区長は、財政危機の現状とその克服の方針について次のように述べている。

<資料文>

「練馬区政はいまや重大な局面を迎えております。すなわち、区政運営の根幹である区財政の現況が、区政始まって以来の憂慮すべき事態に立ち至っていることであります。

今日の景気停滞とインフレーションの併存という異常な事態が進行する中で、これに伴う税収の落ち込みは自治体財政の上に重大な影響をもたらし、区民生活を防衛すべき区政は実に深刻な事態に直面しているわけであります。

当区の本年度当初予算において見込みました特別区税収入総額一四四億円は、この不況により約一六億円も下回って一二八億円に落ち込むことが予想されております。

一方、都区財政調整交付金の配分につきましてはまだ最終的な決定を見ないのでありますが、基準財政収入額算定方式の変更等により、当区の交付金もかなり厳しい額になるものと考えられます。

練馬区のみならず他の自治体においても同様でありますが、今日の自治体財政の危機は政府のいうような自治体の放慢財政に起因

するものではなく、むしろ政府の経済政策及び中央集権的な地方財政政策にこそ、その根本的な原因があると考えます。すなわち、この急激な財政危機は直接的には、高度経済成長の過熱から引き起こされた景気後退による財政収入の落ち込みと、石油危機以来の爆発的なインフレーションの進行による財政支出の急増が原因といえますが、根本的には、国と地方自治体との不適正な税財源配分、起債許可制度、超過負担などの現行地方税財政制度に内在する諸欠陥がその原因であります。

私はこれまで申し述べてまいりました状況を十分検討いたし、財政危機の克服のために、当面次の方針により対処してまいりたいと考えております。

その第一点は、当初予算の執行内容の再検討を行い、区政全般にわたって経営的視点に立って、経費の節減と事務の能率的執行に努力することであります。

第二点は、例年六月定例会には歳入歳出の増額を内容とする補正予算を提案しておりましたが、これを今定例会には提出せず、都区財政調整の終わった時点で予算全般にわたる再検討の結果とあわせて、改めてご提案申し上げることといたしました。

第三点は、区財政の現況を十分理解していただくよう、あらゆる機会を通じて広報広聴活動を行い、今後とも区議会及び区民との一体的連携を深めて具体的な活動の展開を図りたいと考えております。そしてまた、同様の悩みを持つ他の特別区とともに、国や都に対し強力な働きかけをしてまいりたいと存じております。」

また、五〇年八月四日に開催された第二回区議会臨時会では、都区財政調整の決定をうけて、財政状況の全容が明らかにされ、事務事業見直しの方針も具体化された。

<資料文>

「去る七月二四日の都区協議において昭和五〇年度の都区財政調整の決定を見たわけでありますが、以下区別算定における当区の決定内容について、ご報告いたします。

まず、基準財政収入額については、当初見込みより約三億円増の一三二億円余と算定され、一方、基準財政需要額については逆に当初見込みより約四億円減の二四九億余万円と算定された結果、特別区交付金は約七億円が落ち込んで、一一七億余万円の決定額となったものであります。

加えて、基準財政収入額の大宗を占める特別区民税につきましては、都区財政調整の収入見込額一四八億円に対して、当区の現時点では、約一七億円下回り、一三一億円程度が確実に収入し得る見込みであります。

以上の都区財政調整の結果を踏まえ、本年度の当区の財政の現状について申し上げますと、歳入面における特別区民税の大幅な落ち込み、特別区交付金の減等の要素とは別に、歳出においては四九年度の給与改定経費の都の未措置分の立てかえ執行、都議会第二回定例会において決定を見た上下水道料金等の公共料金の値上げに伴う支出増、その他今後補正を必要とする義務的経費は約三〇億円に達しますので、最終的には一般財源の不足額は二〇億円と見込まれることとなったわけであります。

私といたしましては、減収補てん、今後の行政需要に対応する財源措置につきましては、従来以上に都に対して区長会等を通じて強力に要求行動を展開してまいりたいと存じます。しかしながら、東京都の財政状況が一挙に好転することが期待し得ない現時点においては、次に述べるような当面の緊急財政対策をとらざるを得ないと考えるものであります。

第一は、当初予算の再点検であります。これにつきましては、生活防衛、住民サービスに重大な影響を及ぼすことのないよう十分配慮しつつ、一部事業の繰り延べ、経費縮減を実施するものであります。その具体的作業はおおむね今月中旬には終了いたしたいと考えておりますが、その再点検の基本的考え方は、次の三点に集約されるかと存じます。

そのひとつは、必要な事務事業ではあるが、当面これらを翌年度への債務負担行為として処理するほか、繰り延べ、縮少等によって執行をおくらせることのできる事業を洗い直すこと。そのふたつは、すでに成立した予算にかかる事務事業の内容がまだ確定していない事業、及びその後の情勢の変更から執行停止、縮少、廃止できる事業を点検すること。そのみっつには、特定財源の確保できない事業については、執行を停止するなどの措置を実施するほか、すでに行っております一般事務的経費の節減をさらに強化し、経営的視点に立った内部的努力を一層推し進めていくということであります。

私はこれらの再点検を行いまして、できるだけ速やかに区議会におはかりするとともに、区民の皆さんにもご理解を求めてまいりたいと存じております。

その第二は、職員参加による全庁挙げての事務事業総点検運動についてであります。いまさら申し上げるまでもなく、事務事業の総点検は常時適正になされるべきものでありますが、この未曾有の財政危機を克服するためには、職員一人一人が経営的視点に立っ

て、それぞれの担当する職務をいま一度点検し、最小の費用で最大の効果を上げるよう、効率的行政運営に積極的に参加することが必要であります。一方、このような非常事態に対応する余り、住民サービスを極端に低下させたり、職員の士気がそこなわれることがあってはなりません。

以上の見地から、助役を本部長とする事務事業総点検推進本部を四月二一日に設置し、総合的な区政運営の確立と事務の近代化、職員の自主的参加による民主的行政運営の推進を、全庁的に展開することといたしました。」

こうして、危機打開のための事務事業の見直しがすすめられ、第三回区議会定例会においては、特別区税のおちこみに対する減収補てんの確保の努力と合わせて、具体的な財政対策としての一七億八千万円にのぼる削減予定計画が発表された。

この削減計画は、結果的には一四億三千万円の事業削減を含む補正予算として第四回区議会定例会に提案された。その内容は、五〇年一二月一日号のねりま区報で以下のように示されている。

<資料文>

「財政危機打開のための具体策として、特別区税の落ち込みに対する減収補てんを国や都に強く要望するとともに、当初予算の再検討を実施し、今回一四億三千万円からなる事業削減をしなければならなくなりました。

この事業削減にあたっては、区民サービスの低下、また社会的、経済的に恵まれない人たちに対する施策面への波及を避けることに重点をおき、約一七億八千万円の計画を作成しました。

そして、区議会などの意見を聴き、初めの計画を改め、結局一四億三千万円を削減することにしました。

その主な内容は、

①繰り延べされるもの

道路舗装事業、野球場建設、小・中学校校舎建設などで一〇億四千万円

②事業縮小されるもの

道路維持、便利帳発行などで二億七千万円

③節減など内部努力によるもの

一般事務用品、庁舎の冷暖房・水道などの節約で一億二千万円、などからなっています」

こうした事業削減にいたる一連の動きと並行して、危機打開のためのさまざまな活動が行なわれた。

区民の理解を得る努力としては、ねりま区報が、五〇年七月二一日号「みんなで考えよう区財政の危機」と題する特集記事を掲載して財政危機の状況と不合理な地方税財政制度の実態を訴えたのをはじめ、九月二一日号より、六回にわたって「地方財政を考える」というテーマで連載するなど、広報活動が活発に行なわれた。

区議会においても、五〇年八月七日に「特別区の財政危機打開に関する意見書」を可決して内閣総理大臣、自治大臣、大蔵大臣に提出したのをはじめ、五〇年九月一日には「昭和五〇年度特別区税の減収に伴う補填等の措置に関する意見書」を可決し都知事に提出するなど、さまざまな活動が行なわれた。

さらに、五〇年一一月二二日には、財政危機突破練馬区民大会が、また一一月二五日には、特別区財源獲得大会が開催されるなど、区民、区議会、区が一体となった危機打開への努力が払われた。

効率的行財政運営への努力

破局的な財政危機を、事業の大幅な削減というかつてない非常措置で何とかのり切った区は、いぜんとして厳しい財政状況が続く中で、区民生活優先の立場をさらに鮮明にさせ、ぼう大な行政需要への積極的な対応をはかるため、効率的な行財政運営への努力をさらに推し進めていくこととなる。

五一年第一回区議会定例会において、区長は「身動きできない財政状況の中で、なすべきことが山積みしておりますが、私は初心に返り、謙虚にかつ大胆に区政運営の責を果す覚悟でございます」と述べ、以下のように当面する課題への考え方を述べている。

<資料文>

「第一に、行財政の効率的運営であります。区民の期待と要請にこたえて、諸般の政策を推進していくためには、従来にも増して、

財源の重点配分、経費の節減及び事務事業執行の効率化に努めなければなりません。昨年来、行財政運営検討委員会を設置し、現行の組織機構の再編整備と、職員配置のあり方等につきまして、検討を進めてまいっております。結論を得次第、関係方面の合意を求め、創意と活力ある運営体制の確立を目指してまいりたいと思っております。

第二に、行財政運営の基本的なあり方についてであります。現在の低成長経済の中で、なおかつ住民福祉の向上を目指す自治体行政のあり方を追求するためには、区民の理解と協力を得ながら、思い切った行財政運営の体質転換を進めていかなければなりません。限られた権限と乏しい財政基盤という厳しい現実のもとで、行政は何を選択すべきか、住民は何を要求するか、いまこそ冷静に見詰めるときでありましょう」

さらに、住民参加のシステムづくり、基本構想の策定、中期総合計画の策定、グラント・ハイツおよび朝霞キャンプの基地跡地とその周辺等の町づくり、練馬における緑の保護と回復など山積みする行政課題への積極的な対応を表明している。

こうした中で、制度改革後の練馬区の基礎的自治体としての進むべき方向を提起しつつ、それを財政危機を克服する中からこそ生み出すべきとする練馬区行財政調査会の最終報告が五一年三月三一日、区長に提出された。この報告書は、「創意と活力ある区政のために」「参加と連帯の区政のために」「自主性ある区政のために」という三つの柱立てからなる一六六ページにおよぶぼう大なものであるが、そこでは、財政危機の深刻化に対する区のとるべき措置について以下のように述べている。

<資料文>

「将来見通しとしては、低成長経済の定着によって、従来のように税の高い自然増収に依拠しながら、支出の高いテンポの拡大をはかることはむずかしくなってきた。地方自治体も、企業や家計と同様に、低成長経済のきびしい条件のもとに、自己を対応しうるように再編成し、その体質を改善することが迫られているのである。そこで、当面の財政運営にあたっては、次のことが必要になる。

第一には、特別区税・財政制度の抜本的な改善をめざして、いっそうの努力をすることである。……第二には、このような外的努力とともに、区民福祉を効果的に実現する観点から、徹底した内部努力につとめ、事務事業の総点検をおこなうなど、内部努力によ

って財政の効率的運営をはかり、区民の期待にこたえることである。しかも、前述のように当面する財政危機は、国や東京都をもふくんだ全般的危機であるばかりか、長期的性格をもつものである。国や東京都も、その財政状況は練馬区同様にきびしいものがあることを認識しておかなければならない。むろん、国や東京都にたいして主張すべきは強く主張しなければならないが、区が独自の創意と工夫で、財政危機を克服する努力もなされなければならない。いま区民が、強く注目しているのは、このような区財政における内部努力である。」

「区民生活を保護し、生活環境の保全をはかることは、区政の根本的な使命である。このような使命を達成していく場合においてその目標となるのはシビル・ミニマムの確立である。大都市においては、快適な都市生活を保障するために、全国的な画一的行政水準ともいうべきナショナル・ミニマムをうわまわるシビル・ミニマムが保障されなければならないとするのが、当調査会の基本的な考え方である。さらに、現在のようなきびしい経済状況のもとでは、区民生活の防衛のためにも区政にはこれまで以上に大きな課題が課せられている。

そこで、このようなきびしい財政状況のなかで、区政が果すべき課題にどうこたえていくかが問題の焦点であることはいうまでもない。ただ財政支出をカットして、たんに収支のバランスをはかるということにとどまってはならないことはいうまでもない。区政の基本としては、区民の生活をまもり、福祉と生活環境とを充実するという積極的な姿勢を強く貫くべきである。一部に、『バラマキ福祉』という名のもとに、あたかも自治体の福祉行政全般にいきすぎがあり、縮小すべきであるという印象をあたえているむきがあるが、日本の福祉水準は国際的にもなお低く、福祉への努力は決して後退させるべきではない。

しかし、今後の財政運営において、これまでにも増して真剣な考慮がはらわれなければならないのは、区民の負担になる財政費用(税・受益者負担)を能うかぎり効率的に使用し、最小の経費で最大の効果をあげて区政の課題にこたえるようにつとめることである。さらに、財政費用の負担においても、その公平化を徹底するとともに、公正な支出によって、区民の期待にこたえることが必要なのである。

練馬区においては、その人口急増地区としての特性上、他区に比較すれば、その行政需要にたいしてはより少い人員で対応してきたことは認められるが、行政機構に内在する膨張体質を克服し、行政を簡素化する努力が十分であったとはいいがたい。また、わが

国に特有な縦割り機構もまたこの膨張傾向をすすめたことも否定しがたい。

財政危機は、行政の効率化をはかる好機であり、区政担当者は、行政機構と事務事業の点検につとめるべきである。その際、官僚機構がともすれば陥りやすい、財政支出配分における総花的、漸増(あるいは漸減)的方式を排し、政策課題に即した重点的傾斜的方式にのっとって推進することが必要である。

ともあれ、当面の財政危機を克服して低成長経済下においても十分に対応しうる財政体質をつくることが当面の重要な課題となるのである。これは、高度経済成長期のような積極的施策とはことなり、区民の誰からも拍手をもって歓迎されるようなハデな施策とはいえない。区民に負担の増大を求めることもおこるし、区職員にも犠牲を強いることも生じるというきびしい選択をもふくんでいる。しかし、練馬区が、真の自治体として存立していくためには、この財政危機を自己の努力において克服することが必要であり、いまこそその自治能力が問われているのである。(中略)

内部努力としてとられるべき主要なものをしめせば、次のようなものがあげられる。

  1. ① 財政運営における計画性を高めるために中期財政計画を立案すること。
  2. ② 事務・事業の再点検をおこない、既定経費について徹底的な洗い直しをおこなうこと。
  3. ③ とくに補助金について積極的な整理をすすめること。
  4. ④ 行政組織の簡素合理化につとめるとともに、行政効率を高めること。
  5. ⑤ 使用料・手数料については、再検討をおこない、区民負担の公正化をはかるとともに財源の充実に資するための方策をとること。
  6. ⑥ 特別区の独自の財源として、超過課税や法定外普通税の活用を検討すること。
  7. ⑦ 大きな施設格差に悩む練馬区としては、行政諸施設の拡充について、『公社方式』のより積極的活用をはかるなど、独自の工夫をこらすこと。
  8. ⑧ 財政に対する住民参加をはかるとともに、財政情報の公開とPRにつとめ、区民の財政にたいする理解をうるために『財政白書』を公表すること」

このような調査会の報告と前後して、さまざまな行財政運営の効率化への努力が続けられた。

五〇年八月に実施された事務事業総点検の結果の集約と事業への反映の作業がすすめられる一方、五〇年一二月に設置された、助役を委員長とする行財政運営検討委員会では、組織機構の再編と職員配置の見直し、使用料・手数料の見直しの検討がすすめられた。五二年九月にはこれらの検討結果がまとまり、組織機構の改正と使用料・手数料の改定が五二年第三回区議会定例会に示されることとなった。

とくに、組織機構の改正は、「組織機構の拡大および人員増をもたらす組織機構の再編整備については、極力排除する」方針のもとに検討され、職員定数の抑制方針と相まって、以後、組織改正および定数管理の基本的流れとなって今日に至っている。

いずれにしろ、五〇年度に表面化した財政危機を契機として、低経済成長に対応する効率的な行財政運営への努力はその後も続けられ、毎年度の予算編成の基調となりながら現在も続けられている。

これら一連の効率的行財政運営への努力は、単なる財政危機打開のためにするものではなく、健全財政を維持し、ぼう大な行政需要に積極的に応えるためのものであり、以下の五二年第一回区議会における区長発言に集約されている。

<資料文>

「再三申し上げておりますように、区財政の展望については全く楽観を許さない状況であります。このような時期においては、単に数字だけの健全性を確保するためならば何もしなければよいわけでありますが、常日ごろから私どもに寄せられる多種多様で、しかも切実な区民の要求に対応し、可能な限りの積極的運用を図ることは、現時点における最も大切な私の責務であります。ときには多くのご要請をお受けできない苦しさはありますが、私は積極的な取り組みとあわせて健全性を確保することに努める所存でございます」

計画的行政への取り組み

区の自治権の拡充に伴う区民の期待の高まりの中で、行政需要の増大と、一方における経済基調の低成長への転換の中で、財政危機の進行は、区行政の計画的取り組みの必要性を増大させ

た。すでに、区では四七年より、総合的計画的区政運営をめざした取り組みが開始されていたが、経済情勢の激変は大方の予測を越え、具体的な内容をもつ計画の発表を困難なものにさせていた。

五〇年第二回区議会定例会において、区長は、「従来から策定を進めておりました中期総合計画につきましては、原案を作成いたしましたが、深刻な財政危機に直面し、この現況を踏まえた新たな視点からの再検討を余儀なくされております。この再検討に当たり必要なことは、あくまでも区民生活防衛及び福祉優先という『生活優先の原理』を確認することであります。そしてまた、このような危機的状況の中で、多様な住民要求について何を優先させるかという選択を計画的に行なっていかなければなりません。この方針に基づいて計画の策定を急ぎたいと存じます」と述べている。

翌五一年五月、練馬区の中期総合計画は、昭和五一年度を初年度とする三か年の実施計画として、はじめて策定された。この計画の策定にあたっては、計画策定の目的および計画の性格を明らかにし、それをうけて、区行政の取り組むべき課題を体系化して事業の計画的な実施をはかることとされた。

その概要は以下のとおりである。

①計画策定の目的

  1. <項番>(ア)区民が安心して快適な生活を送れるよう、区民生活にとって必要最低水準であるシビル・ミニマムを確保するため、長期的な区政の目標とその目標を達成するための施策を確立し、その実現を強力に推進する。
  2. <項番>(イ)他区との比較において立ち遅れている公共施設の整備を早急にはかり、本区の行政水準の向上をはかる。
  3. <項番>(ウ)区行政の計画的かつ効率的運営を推進し、長期的に財政危機を克服する。

②計画の性格

  1. <項番>(ア)区行政の指針となる総合的な行財政計画である。
  2. <項番>(イ)向こう三か年度の事業規模、事業費を示し、三か年間の区行政を明らかにする計画である。
  3. <項番>(ウ)実現可能性を確保するため、三か年の財政収支予測を作成し、現実的でかつ毎年度の予算編成の指針となる計画である。

③区行政の取り組むべき課題

  •  区行政の計画的な推進をはかるため、区行政の取り組むべき課題を明らかにし、それを体系化して、課題ごとに全体計画の目標を設定し、その目標の達成をめざして施策を推進する。

このような内容をもって作成された中期総合計画は、他区との施設格差の是正を基調としながら、区民福祉の向上をはかるために、行財政の効率的運営を確保するとともに、限られた財源の優先的重点的な配分を行ない、政策課題を効果的、計画的に達成しようとする意図のもとに策定された。

五一~五三年度計画では、計画策定の趣旨を以下のように述べている。

<資料文>

「練馬区における下水道、道路、公園、図書館、保育園など都市施設の不備や立ち遅れと、光化学スモッグや環七公害に代表される生活環境の悪化は、まさに、急激な人口増加と、都市化現象の中で生まれてきた落し子であり、都市問題の集約された姿でもある。

昭和三〇年代以降の高度経済成長政策を背景に、年率一〇%以上の高い伸び率を示した人口増加は、宅地などの乱開発とあいまって、公害問題、住宅問題、交通問題を激化させた。区部の中においてもとくに激しくこの荒波にさらされた練馬区では、都市政策の不在のもとで社会資本の絶対的不足が顕著になり、二三区の中において著しい都市基盤の未整備と公共施設の不備が生じた。これがいわゆる“練馬格差”と呼ばれるものである。

このような格差を是正するとともに、区民に対して快適な生活環境を確保し、住民福祉の向上をはかることが、区政の取り組むべき最重要課題となっている。

また、現在区政においては、昭和五〇年四月以降の自治権拡充に伴い、自立的、主体的な区政運営が一層求められているとともに、未曾有の財政危機に直面するなど、区政をとりまく内外の諸情勢が激変しているところである。

このような区政をめぐる情勢のなかで、区民の期待と要請にこたえて諸般の施策を推進してゆくためには、従来にも増して行財政

の効率的運営をはかっていかなければならない。

このためには、現状を深く分析するとともに、複雑にからみ合った諸問題を分類、整理し、解決するための施策を相互に関連づけ体系化して計画的に推進をはかる必要がある。

以上の観点から、本計画を策定し、行財政の効率的運営を確保するとともに、区民生活の一層の向上をはかるものである」

以来、中期総合計画は、毎年度の予算編成の指針となるとともに、予算編成の通知と一本になって改定の通知が出されることとなった。とくに、政策的な経費については、予算見積りと同時に向こう三か年間の計画を提出するしくみがとられるようになり、計画行政は次第に区政運営の中に定着するようになった。さらに、五二年一〇月には、四八年にその素案が作成されて以来見直しが進められていた基本構想が、将来的な区政の方向を定めるものとして策定され、ひき続いて長期総合計画の策定への取り組みが開始されることとなった。

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一方、五〇年度に表面化した財政危機は、その後もほとんど回復を見ぬまま慢性化し、日本経済も安定的な発展が予測できない状態が続く中で、練馬区は、ぼう大な財政需要への対応を迫られていた。こうした中で、施設建設の計画的な整備をはじめ、区民生活の向上をめざす施策の充実をはかる

ためには、後年度の財政負担に十分配慮しながら、長期的な財政見とおしのうえに立った政策の選択が求められた。

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とくに東京都財政の破局的な危機が進行し、その影響が区財政に深刻な影をおとすなかで、区民会館の建設、庁舎の建設などをはじめ従来から懸案となっていた大規模な投資需要をひかえ、長期的な財政見とおしなしには、計画の選択は不可能なことであった。このため、中期総合計画は、中期財政計画としての役割を強く要求されることとなるが、五二~五四年度の改定時より、毎年度、三か年の財政収支の予測にとどまらず、より長期間の財政予測をふまえながら、事業の慎重な選択が行なわれた。

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五五年一〇月に作成された長期財政収支試算(表<数2>12―<数2>25)をみると、六〇年度までに、中期総合計画で予定される主要な施設建設が完了するという想定のもとにおいても、現行の行財政制度に大きな変動がない限り、人件費の抑制、一般行政経費の圧縮、施設建設基金の計画的運用などの努力によって、その需要をみたすだけの財政運営は確保される見とおしとなって

いる。しかしながら、今後の投資需要は、主要な施設建設計画(表<数2>12―<数2>26)を見込んだ計画事業費で八七〇億二六〇〇万円とぼう大なものであり、しかも義務的経費の増大、公債費比率の高率での推移が予測されており、長期的な見とおしにたった財政運営が求められていることがうかがわれる。

<項>
区財政の現状と課題
<本文>

これまで、区財政の現況を、主として財政政策的な面からみてきたが、ここで、普通会計決算による練馬区の財政状況を、四〇年度からの数値をもとに概観することとする。

なお、その中で二三区全体、大都市全体、都市全体の三者と練馬区との比較をすることとなるが、この場合「大都市」とは政令指定市を、また「都市」とはそれ以外の市を指す。また、四〇年度以降の各年度の数値は、後掲の表<数2>12―<数2>39に示してあるとおりである。

財政規模

練馬区の歳入は、四〇年度の五三億四八〇〇万円から、五三年度の六六四億三七〇〇万円へと、この一三年間に一二・四倍にぼう張した。また歳出は、四九億〇二〇〇万円から六三六億一七〇〇万円へと一三倍に拡大し、歳入の伸びをやや上回る伸びを示している。この間の国民総生産の伸びは六・二倍であるから、それを倍する勢いで練馬区の財政規模がぼう張したことになる。

各年度の伸び率をみると、歳入・歳出ともに、四〇年代は二〇%を超える高い伸びで推移したのに対し、五〇年度以降は、ひとけたから一〇%台の低い伸びで推移している。とくに、四九年度と五〇年度を比較すると、五〇年度は保健所をはじめとする事務事業が都から大幅に移管されたにもかかわらず、低い伸びとなっており、経済基調の転換に伴う苦しい財政運営の状況がうかがわれる。

他団体の状況について、四〇年度に対する五三年度の伸びをみると、歳入で二三区八・一倍、大都市一一・二倍、都市一

一・二倍、歳出で二三区八・五倍、大都市一一・二倍、都市一一・一倍であり、練馬区の財政規模の拡大は歳入・歳出とも非常に高く、この間の行政需要の激増ぶりを物語っている。しかしながら、五〇年度以降の各年度の伸び率をみると、逆に練馬区のそれは、他団体をかなり下回っている。これは、四〇年代後半のぼう大な施設建設、とくに急激な人口増加に伴う義務教育施設の整備が、近年の用地取得難や人口増加の沈静化に伴って相対的に低下したことが主要な原因と思われる。

歳入

特別区の歳入は、特別区税、地方譲与税、自動車取得税交付金、特別区財政調整交付金、交通安全対策特別交付金、分担金・負担金、使用料、手数料、国庫支出金、都支出金、財産収入、寄付金、繰入金、繰越金、諸収入、特別区債と、多種にわたっている。

ここでは、そのなかでも主要なものをとりあげて、歳入の特色を概観することとする。

①地方税と財政調整交付金

一般財源の主要な部分を占める地方税と財政調整交付金(または地方交付税)の両者が歳入に占める割合をみると、練馬区、二三区が六〇%近くを占めているのに対し、大都市、都市ともに五〇%弱のウエイトで推移している。このうち地方税は、五一年度以降、練馬区が三二%、二三区と他都市が三六%程度で推移しているのに対し、財政調整交付金(地方交付税)は練馬区、二三区が二五%前後を占め、都市は一二%程度、大都市は九%程度を占めているにすぎない。

しかし、四〇年代と比較すると、いずれも地方税のウエイトが減少し、財政調整交付金(地方交付税)のウエイトが大きくなっている。これは財政調整交付金への依存度が高くなっていることを示しており、本区の場合とくにその傾向が著しく、財政運営のむずかしさを示している。

②国・都道府県支出金と地方債

特定財源の主要な部分を占める国庫支出金、都道府県支出金、地方債の状況をみると、練馬区は地方債のウエイトが高く、他団体に比して、国庫支出金の構成比が低いことが特色となっている。

地方債は、自治体の長期間にわたる借金であるが、財源の乏しさを補うものとして、また、住民負担の世代間の公平化をはかるものとして、施設建設、なかでも用地取得費の主要な財源として活用されている。表<数2>12―<数2>27にみられるように、特別区の地方債は教育費に主としてあてられ、大都市、都市の地方債は、土木費、とくに都市計画関係の経費に主としてあてられていることが特色となっている。逆に、特別区が大規模な都市計画関連事業の権限を有していないことからしても、練馬区の地方債への高い依存度は、練馬区の施設需要のぼう大さを別の面から物語っているといえる。

国庫支出金をみると、特別区の場合、歳入に占める割合が大都市、都市に比べてかなり低いことが特色となっている。これは、表<数2>12―<数2>28にみるように、特別区の場合には、生活保護費がその半分近くを占めているのに対し、大都市、都市の場合、普通建設事業支出金の割合がそれ以上に高いことによっている。さらに、普通建設事業費にあてられる国庫支出金の内訳をみると、表<数2>12―<数2>29のように、地方債の場合と同様、特別区が教育費の国庫支出金を主としているのに対し、大都市、都市は特別区に権限の少ない土木費への国庫支出金を主としている。

なお、国庫支出金は、特別区の場合、五〇年度以降一〇数%を占めるようになり、従来よりも高い伸び率で推移している。これは、その主要な部分である生活保護費等の扶助費の基準改定や対象増に伴う確実な伸びに、五〇年度より特別区の事務となった、保健所設置市の事務に係る国庫支出金が加わった結果であり、区の財源として従来にも増して重要な位置を占めている。この国庫支出金については、以前からいくつかの問題点が指摘されているが、とくに、地方自治体が現実に支出した額よりも、国庫支出金の交付基準となった額が下回ることによって、その差額が地方自治体の持ち出しとなる、いわゆる超過負担が問題とされている。練馬区の場合も例外ではなく、例えば、五三年度の決算をみると、表<数2>12―<数2>30のとおり、主要なものだけでも二九億三四〇〇万円の超過負担を生じている。

歳出

歳出は、通常、どの行政分野にどのくらい予算が費やされているかによってその自治体が行政の力点をどこにおいたかをみる方法(目的別歳出の状況)と、経費の経済的性質に着目してその自治体の財政状況を判断す

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る方法(性質別歳出の状況)との二側面から検討される。以下、それぞれの側面から、練馬区の歳出の特色をみることとする。

①目的別歳出の状況

区市町村普通会計の目的別歳出分野は、議会費、総務費、民生費、衛生費、労働費、農林水産費、商工費、土木費、消防費、教育費、災害復旧費、公債費、諸支出金、前年度繰上充用金、特別区財政調整納付金と、多方面にわたっている。

これらのうち、特別区は、衛生費の中の清掃事業、土木費の中の道路橋りょう費、街路費、下水道費、住宅費などの分野において、都との関係における権限上の制約や、従来の沿革などから一般市町村の事務と大きく異なっており、歳入構造と同様、歳出においても区と一般市との単純な比較はできない。しかしながら、区も一般市もその事務は、民生費、土木費、教育費が主要な部分を占めており、この三大行政について以下、目的別歳出の特色をみることとする。

まず、特別区と他団体との目的別歳出の構造の大きな相違は、特別区では、民生費、教育費のウエイトが高く、土木費のウエイトが低いことである。これは、特別区の区域では都市計画、住宅建設などの大規模な投資的需要を都が主として行なっているためである。

目的別歳出の伸び率の推移をみると、練馬区は、五〇年度以降、他団体に比べ、民生費の上昇傾向が著しく、教育費の伸びが鈍化していることが特色となっている。四〇年度と五三年度の比較でみた場合でも、練馬区の民生費の伸びは一九倍に達し、二三区の一三・六倍、都市の一五・五倍に比較してかなり高くなっており、大都市の一九・四倍をも追いこす勢いをみせている。これは、義務教育施設の需要の鈍化と福祉施策の重点的推進によるところが大きい。

<項番>(ア)民生費

 民生費の目的別、性質別の内訳をみると、表<数2>12―<数2>31のとおり、特別区は、他団体に比べ、児童福祉費、とくに、保育所にかかる経費が大きなウエイトを占め、また、それにかかる人件費、普通建設事業費が大きいことが特徴的である。とりわけ

練馬区の場合その傾向が顕著である。これは、練馬区が大都市の中の周辺部に位置し、大都市特有の保育需要が高いことをあらわしている。二三区全体に比べ人件費の比率が低いのは、施設建設の需要が高いことが主要な原因と思われる。

 <項番>(イ)土木費

土木費の目的別、性質別の内訳をみると、表<数2>12―<数2>32のとおりであり、特別区は、大都市、都市がかかえる都市計画費、住宅費などの大規模な経費をもたないために、相対的に生活道路を主体とする道路橋りょう費が高くなっており、また、道路橋りょう費が都市計画費等に比べ、多くの人員を要することから、人件費のウエイトが高いことが特色である。

 <項番>(ウ)教育費

教育費の目的別、性質別の内訳をみると、表<数2>12―<数2>33のとおりであり、練馬区の義務教育施設が占める割合が非常に高いことが特徴的である。他団体が、相対的に社会教育費にウエイトをかけているのに比べ、基礎的な義務教育施設の整備に重点をおかざるを得ず、また、人件費のウエイトも高くなっている。

②性質別歳出の状況

区市町村普通会計の性質別歳出分野は、人件費、物件費、維持補修費、扶助費、補助費等、普通建設事業費、災害復旧事業費、失業対策事業費、公債費、積立金、投資及び出資金、貸付金、繰出金、前年度繰上充用金に分けられる。

これらの性質別経費は、通常、義務的経費、投資的経費、その他に大別される。

義務的経費は、職員給与等の人件費、生活保護費等の扶助費、地方債の償還費である公債費からなり、その経費の性格上、任意に削減できない経費であり、その歳出に占める割合が高まれば、それだけ財政の硬直化を招くものとされる。

投資的経費は、普通建設事業費、災害復旧費、失業対策事業費からなり、道路、公園、学校、保育所の建設などその経費の最終使途が社会資本の形成につながる支出の総称である。

その他の経費は、一般事務費や施設運営費などの物件費、施設の物理的な効用を維持するための修繕費である維持補修

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費など、義務的経費、投資的経費以外の経費からなっている。

特別区と他団体との性質別歳出の構造の大きな相違点は、特別区が義務的経費のウエイトが高く、投資的経費の割合が相対的に低いことである。とくに、義務的経費の比重の高さは、五〇年度以降顕著であり、大都市、都市が四五%以下の構成費で推移しているのに対し、五一年度に、二三区全体で六〇%を超えたのをはじめ、歳出の五割以上の高い構成比で推移している。

練馬区においても、二三区に比べれば低いものの、義務的経費の割合は、大都市、都市と比較すると、五一年度以降、一〇%以上高い構成比で推移している。

また、各年度の伸び率は、近年、人件費の給与水準の改定が低率で推移していることを反映して、低くなっているが、四〇年度と五三年度の比較でみると、いずれの団体も歳出の伸びを上回って義務的経費が伸びている。とくに練馬区の場合、義務的経費は、歳出全体の一三・〇倍に対し一七・七倍になっている。

以下、義務的経費、投資的経費について、性質別経費の特徴をみることとする。

 <項番>(ア)義務的経費

すでにみてきたように、義務的経費は、歳出の大きなウエイトを占めている。その内訳をみると、練馬区は、大都市、都市に比べ、人件費、扶助費、公債費のいずれもその構成比および、四〇年度と比較した伸びが高いことが特色となっている。

  a 人件費

人件費は、四〇年代から大都市、都市よりも高い割合で推移しており、とくに、近年、大都市、都市の人件費の割合が低下傾向を示しているのに対し、特別区の場合、ほぼ横ばいとなっており、その差は増大している。これは、人口の急増への対応や、施設建設の増大に伴う施設職員の増加によることが大きな原因と思われるが、さらに、目的別歳出の項でみたように、民生費、土木費、教育費の基幹的事業において、人的サービスを中心とする事業を中心に展開されていることが大きな

要因になっている。

一方、五一年度からの三か年をみる限り、練馬区の人件費のウエイトは徐々に低下する傾向をみせている。これは、五〇年度以降の厳しい財政運営の中での職員の抑制効果によるところが大きいが、今後も施設建設の需要は高く、これらに要する人件費の増大には、慎重な配慮が必要になってきている。

  b 扶助費

扶助費の構成比と伸びも増大している。構成比をみると、近年、特別区が徐々にそのウエイトを高めているのに対し、大都市、都市のウエイトは、めだってふえていない。また伸び率においては、逆に、近年、大都市、都市の伸びの方が高いが、四〇年度と五三年度を比較すると、特別区の一三・七倍に対し練馬区は一八・二倍で、大都市一七・七倍、都市一五・一倍と比べても練馬区の伸びが大きいことがみられる。

扶助費は、生活保護費など所得保障の性格を有する経費であり、国の制度の基準改定に伴って必然的に増大する経費が主要な部分を占めているが、さらに、都や区が、他の自治体以上に、国の基準や範囲を上回る福祉施策を展開してきたことが、特別区における扶助費の高い構成比と伸びをもたらしたと思われる。

  c 公債費

四〇年度に比較して、五三年度の公債費は特別区が一五六〇・七倍、大都市が一六・七倍、都市が一五・八倍と、いずれも他の経費に比べて非常に高い伸びをみせているが、とくに練馬区の場合、実に三〇三八倍と極端な伸びを示している。特別区の場合、地方債を発行できるようになったのは、四〇年度からであり、その償還費が急速に累積して他の自治体と比較にならない伸びを示すことは当然であるとしても、練馬区の伸びは二三区全体に比べても倍近くに達している。各年度の伸び率は、徐々に減少する傾向にあるが、それでも他の団体に比べ、かなり高い数値を示している。また歳出に占める構成比をみると、各団体とも増加傾向にあるが、練馬区の公債費はとくに急速にそのウエイトを高めて群を抜いていることがわか

る。

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ここで、練馬区における特別区債等の状況をみると表<数2>12―<数2>34のとおりである。

すでに歳入の項でみたように、練馬区における特別区債は、義務教育施設が大きな比重を占めているが、これは過去一貫した傾向である。とくに義務教育施設の用地取得費にあてられたものが圧倒的に多く、四〇年度から五四年度までに発行された特別区債(東京都区市町村振興基金を含む)の総額の五割以上を占め、その額も三〇〇億円を超えるぼう大なものとなっている。さらにこれに、四八年度から発行された公共用地先行取得債を加えると四三〇億円を超え、過去に発行された特別区債の総額

の八割弱を占めることとなり、練馬区の特別区債のほとんどは、用地取得に伴うものであることがわかる。

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四〇年度から五四年度までに発行された特別区債の額は、五六二億五四〇〇万円に達し、五二年度の財政規模を上回るぼう大な量になっている。起債依存度(歳入総額に占める特別区債の割合)をみても、平均して一割をこえる高いウエイトを占めている。また、地方債残高(返済の終わっていない元金)をみると、五四年度で四二九億九四〇〇万円となっており、五四年度に歳入された特別区税の二倍近くの額となっている。

 <項番>(イ)投資的経費

投資的経費の状況をみると、練

馬区は、二三区全体に比べ、構成比、伸び率ともに高くなっており、周辺区として、大きな需要をかかえていることがうかがえる。とくに四〇年度と五三年度を比較すると、二三区全体が五・三倍となっているのに対し、練馬区は九・七倍と非常に高い増加を示している。

四〇年度から五三年度に投入された練馬区の投資的経費の総額は、一二九四億六三〇〇万円にのぼり、歳出総額の三四・五%を占めている。同じ期間に投入された投資的経費の歳出総額に占める割合を他団体と比べると、二三区全体が二五・〇%、大都市が三四・五%、都市が三四・九%となっており、練馬区は、都市計画費や住宅費等の大規模な投資需要をかかえる大都市や都市と同水準の投資的経費の投入を行なってきたことになる。

しかしながら、練馬区の投資的経費は、五〇年度以降、急激な伸びの鈍化がみられ、大都市、都市が投資的経費の回復をみせているのとは対象的である。

投資的経費の状況を、普通建設事業費の目的別の内訳でみると、表<数2>12―<数2>35のとおりであり、特別区と他団体の相違の大きな特徴は、他団体は土木費のウエイトが非常に高く、逆に、特別区は、民生費および教育費の比重が相対的に高くなっていることである。

とくに、練馬区の場合、二三区に比べてもなお、民生費の比重が高く、土木費が低くなっていることが目立っている。

また、普通建設事業費にあてられる歳入の状況をみると表<数2>12―<数2>36のとおり、特別区は、国庫支出金の割合が低く、地方債に大きく依存している。大都市、都市の国庫支出金のウエイトが高いのは、都市計画関係の事業への国庫負担が大きいためであるが、一方、練馬区の場合、とくに地方債への依存が高く、二三区全体のそれが大都市、都市に比べかなり低いのと比べきわだっており、逆に、地方税等の一般財源の割合が低いことが特徴的である。

さらに、本区の投資的経費の特徴は、公債費のところでみたように、用地費にあてられる地方債のウエイトが非常に高く、投資的経費に占める用地費のウエイトも高くなっていることである。

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表<数2>12―<数2>37にみるように、五三年度決算における用地費は、投資的経費全体の四割近くを占めており、他団体が二割台であるのに対し、非常に高いことがわかる。一方、財源内訳の「その他」の財源は、主として地方税等の一般財源であり、他団体がかなりのウエイトで一般財源を投入しているのに対し、練馬区は、ぼう大な需要に応えるために、その財源の多くを地方債に依存せざるを得ない状況にある。

このように本区の用地取得費は、ぼう大な財政需要となっているが、近年その伸びは著しく鈍化している。それは表<数2>12―<数2>38にみられるように、計画どおりの買収が進まなかったためである。本区では、なお多くの用地取得の需要をかかえており、円滑な用地取得の方策が求められている。

以上みてきたように、練馬区はぼう大な規模の施設整備を行なってきた。しかも今後とも大きな投資需要をかかえていることは、前述した「計画的行政の取り組み」の項でみたように、長期財政試算(表<数2>12―<数2>25)でも明らかである。この試算によれば、五五年度から六〇年度までの六年間に予想される投資需要を一〇二九億八〇〇〇万円と見込んでおり、これは、四〇年度から五四年度までの一五年間に、区が投入してきた投資的経費の総額である一四三三億七七〇〇万円に匹敵するぼう大なものである。しかも、この試算が見込んでいる需要は、現

在中期総合計画等ですでに予定されているものであり、今後さらに多くの需要が生まれてくることが予想される。またそれは、これまでの施設建設が、義務教育施設に大きなウエイトを傾けていたのとは、質の違う需要である。

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ここで問題とされるのは、投資的経費が生み出す後年度負担への波及効果である。練馬区における人件費は、保育所や小・中学校等の施設関係職員の増大によって、歳出に占める割合を高めており、また、公債費はぼう大な投資的経費の財源にあてるための特別区債の大量の発行によって増大している。さらに、施設建設に伴って、その運営費や、建物の維持管理費が、必然的にぼう張してくるので、こうした施設建設の後年度負担への波及効果について、今後の投資的経費の選択には、従来にも増して、きわめて慎重な配慮が必要になってきている。

これまでみてきたように、区財政は多くの困難な課題をかかえており、今後の財政運営には、従来にも増して慎重な配慮が必要となっている。しかしながら、こうした傾向は、経済全体の基調が高度成長から低成長へ移行する過程で、わが国の地方財政が四年連続一~二兆円を超す財源不足を生ずるという実態にみられるように、地方財政全体

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に共通するものであり、区のみでは解決のつかない、現行制度そのものに内在する矛盾にその主要な要因があることはいうまでもない。こうした中で、練馬区は、区民の生活と福祉を守り、周辺区として多大な行政需要に対応していくために、内に向かって財政の弾力性を確保していくよう最大限の努力を払う一方で、外に向かって、財政需要に十分対応できない現行税財政制度の抜本的な改善を主張し、区の財政自主権の確立をはかる努力を積み重ねている。

<項>
特別会計
<本文>

練馬区の特別会計は、現在、国民健康保険会計、公益質屋事業会計、学校給食会計の三つが設けられている。

五四年度の各会計歳出決算額は、それぞれ、一二四億三四〇八万九〇〇〇円、三七五二万九〇〇〇円、四億六五八七万二〇〇〇円で、合計一二九億三七四九万円と、一般会計歳出決算額六八四億五六〇二万一〇〇〇円に対し、一八・九%にあたる規模を有し、区財政の大きな位置を占めている。

過去においては、分譲住宅建設事業会計が三〇年度から三五年度まで、用品会計が三二年度から四〇年度まで設けられていたが、前者は事業が廃止され、後者は用品調達基金へと引き継がれ、現在は存在していない。

国民健康保険会計

国民健康保険会計(表<数2>12―<数2>40)は、三四年一二月に発足し、三五年度の歳出決算額一億八七二四万一〇〇〇円から、五四年度の一二四億三四〇八万九〇〇〇円へと、発足当時と比べ、六六・四倍の規模にぼう張して今日に至っている。とくに、四九年度以降、急速な伸びをみせているが、これは、発足以来のたび重なる医療費の引上げ、老人医療費の無料化、被保険者の健康に対する関心の高まりと受診率の増加に加え、四八年一二月より、高額療養費支給制度が開始されたことなどの理由によるものと思われる。

歳出の内訳は、人件費等の総務費、療養諸費・高額療養費等の保険給付費および保健施設費等からなるが、そのほとんどは保険給付費であり、五四年度では、この保険給付費が歳出全体の九五・八%を占めている。

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歳入は、国庫支出金、都支出金、保険料等からなり、そのもっとも大きな財源は国庫支出金で、五四年度の歳入全体の五三・八%を占めている。また、都支出金は特別区に特有のもので、他の市町村においては、保険料でまかなわなければならない部分であり、五四年度では歳入全体の一四・七%を占めている。その分、特別区の保険料は、他の市町村に比べ低くおさえられているのが特徴であるが、近年、東京都財政の危機的状況を反映して、都支出金の都区財政調整の需要額への組み入れが五五年度より行なわれ、今後の区財政の大きな問題点のひとつになっている。

公益質屋事業会計

公益質屋事業会計は、低所得者に対して、物品を質として資金を貸付ける目的で、昭和二七年四月より設けられたもので、二七年度の歳出決算額、五五二万八〇〇〇円から五四年度の三七五二万九〇〇〇円へと六・八倍の規模に増加している(表<数2>12―<数2>41、図<数2>12―<数2>10)。しかしながら、過去の傾向をみると、四八年度まで

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はそれほど大きな伸びはみせておらず、とくに四六年度、四七年度には、二年連続して前年の実績を下回り、公益質屋事業そのものの意義が問われた時期もあった。一方、四九年度以降、当時の石油ショックによる急激な物価の高騰や、不況による区民生活の悪化を反映して、急速にその規模をふくらまして今日に至っている。貸付の状況をみても(『現勢資料編』三〇四ページ参照)、四八年度までは、一件あたりの貸付額は上昇しているものの、件数の減少がみられたが、四九年度以降は、件数、金額ともに上昇をみせている。

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学校給食会計

学校給食会計(表<数2>12―<数2>42、図<数2>12―<数2>11)は、センター調理校(第一総合調理場、第二総合調理場)の給食費の経理を一括して取り扱う目的で、昭和三九年度より設けられたもので、三九年度の歳出決算額、四五四一万九〇〇〇円から、五四年度の四億六五七六万八〇〇〇円へと、発足当時に比べ、一〇・三倍に増加している。しかしながら、その間の各年度の推移をみると、大きな変動をみせている。これは、学校給食の内容改善、給食会計に組み入れら

れる内容の変化、総合調理場の調理能力等からする自体校整備への流れの転換など、さまざまな要因によるものである。とくに、四五年度から四六年度への急激なおちこみが目立つが、これは、当時、パン、牛乳等の学校給食会取扱物資の代金収入を、学校給食会が事務を取り扱うことに移行されたため、それらの収支が、本会計から除外されたためである。これについては、近年、再び学校給食会計の中で一括して取り扱うべき性格のものとされ、徐々に本会計の中に組み入れられつつある。

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<項>

財産
<本文>
公有財産

区には、五四年度末現在、推定価格二〇四八億九〇九〇万八〇〇〇円にのぼる公有財産が存在し、それは、五四年度歳出決算額の三倍に匹敵する規模である(表<数2>12―<数2>43)。これらは、過去における財政支出の結果としての蓄積された財産であり、基金とともに区にとって重要な位置を占めている。その額は、過去における財政支出の拡大と物価の上昇につれて急速にぼう張し、練馬区発足当時二三年度末の五六八〇万一〇〇〇円から、実に三六〇七・二倍の額となり、現在に至っている。

公有財産の中で、もっとも主要な位置を占めているのは、土地と建物であり、その規模と金額の拡大は、過去における区の施設建設のぼう大さをストックの面から裏づけている。

土地は、二三年度末の三万二二九四㎡から五四年度末の一六七万八一七五㎡へと五二倍に増加している。その金額も、八〇万五〇〇〇円から一七二三億七八九六万六〇〇〇円へと、実に二一万四一三五・四倍の額にふくれあがり、五四年度の公有財産推定価格総額の八四・一%を占め、もっとも大きな財産である。

建物は、二三年度末の一万二八七六㎡から、五四年度末の六五万六五七三㎡へと、五一倍に増大している。その金額は、五二五七万三〇〇〇円から、三〇一億三六八三万九〇〇〇円へと五七三・二倍にぼう張し、五四年度の公有財産推定価格総額の一四・七%を占めている。

基金

練馬区には、五四年度末現在、区民会館および庁舎建設基金、区民施設建設基金、宅地等開発関連施設整備基金、保護樹木等保存基金、用品調達基金の五つの基金が設けられている。これらの基金が設けられたのは、それぞれ、四六年三月、四三年三月、五四年七月、五三年三月、四一年四月であるが、過去にも、前二者の前身となる基金が設けられており、現在の基金に引き継がれて今日に至っている。また、近年の用地取得難への対応をはかるため、一

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定の資金の運用により、用地取得の円滑化をはかることを目的とした基金の設置が予定されている。

これらは、特定の財政需要にあてる目的で、過去から積み立てられてきた財産であり、五四年度末現在、その額は八〇億九九〇〇万円にのぼり、今後予定される施設建設等の経費に充当すべき財産として、貴重な存在となっている。とくに、五〇年度以降は、ぼう大な施設建設需要に対応するための資金として、毎年度積極的な積み立てが行なわれている(表<数2>12―<数2>44)。

その中でも大きな位置を占めているのは、区民会館および庁舎建設基金と区民施設建設基金であり、それぞれ、五四年度末現在、四三億五九〇〇万円、三二億七八〇〇万円と、区の基金のほとんどを占めている。この両者は、今後の大規模な施設建設需要に対応して、計画的に運用することが予定されている。

なお、宅地等開発関連施設整備基金は、宅地開発の進行に伴って必要となる義務教育施設と公園の整備にあてる目的で、開発業者の負担金を積み立てているものであり、また、保護樹木等保存基金は、「緑の保護と回復に関する条例」にもとづいて指定された樹林地の買い取り請求が出された際への対応として設けられたものである。その額は、五四年度末でそれぞれ、一億〇一〇〇万円、三億六一〇〇万円となっている。

<項>
財団法人練馬区開発公社
<本文>

財団法人練馬区開発公社は、民間資金の活用をはかることにより、公共施設の整備に必要な用地を計画的に、しかも機動的に取得するために、昭和四五年七月民法第三四条の規定にもとづく公益法人として、練馬区の出資(基本財産一〇〇万円、運用財産五〇万円)により設立したものである。

公社設立の際の趣意書は以下のとおりである。

<資料文>

  財団法人 練馬区開発公社設立趣意書

練馬区は、東京の住宅地として急速に市街化されてきていますが、区民生活の基盤をなす各種の公共施設の整備状況はきわめて立遅れた状況にあり、その整備を推進して区民福祉の向上をはかることは、本区にとって最大の課題であるといえます。

このため、本区では、昭和四四年度に「練馬区行政施設建設五ケ年計画」を策定し、行政施設水準の向上に努めておりますが、これの実現のためには、必要な公共用地の確保をはかることが是非とも必要であります。

しかしながら、本区における公共用地の取得は、財源上の制約による買収資金の不足と、著しい地価の高騰、スプロール化による適地そのものの減少などによって非常に困難な状況にあり、とくに毎年二~三校の新設を必要とされる小・中学校用地の確保には苦慮しております。

他方、本区の約四七%を占める旧緑地地域において施行が予定されている土地区画整理事業についても、計画的な街づくりと事業促進の立場から、公共用地の先行取得を行なう必要が見込まれています。

このような状況の下にあって、公共用地の取得を円滑に進めて行くためには、必要な資金を必要な時に確保し、先行取得を含めた計画的かつ機動的な用地取得を行なうことが必要とされますが、これには本区の財政能力を超えた多額の資金の投入を要するので、これに対応した方策を講ずることが必要とされます。

ここにおいて、本区は、財団法人練馬区開発公社を設立して民間資金の活用による必要な資金の確保を図り、計画的かつ機動的な公共用地の取得を行ない、公共施設の整備を促進して区民福祉の向上をはかろうとするものであります。

   昭和四五年七月二九日

                                 財団法人練馬区開発公社設立者

                                     練 馬 区

                                       代表者 練馬区長 片  健 治

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設立については、計画的な街づくりを促進するために、土地区画整理事業の実施を前提とした公共用地の先行取得をも行なうことを意図していたものであった。また、昭和五〇年には、区の学校建設事業の財源不足を補うため、公社の寄付行為を変更し、その事業を公社事業として実施できるようにしている。

この公社は、練馬区の委託により事業を行なうこととされており、公社活動の原動力である民間資金の借入れは、区内二八の金融機関の協調融資により行なわれ、借入限度額は寄付行為において五〇億円以内と定められている。

公社役員は、理事五名以上一〇名以内、監事二名からなり、理事長は、区長の職にある者をもってあてることになっている。これら役員は、いずれも区の部長級の職員が兼務しており、事務局職員も区職員が兼務し事務を執行している。

公社が取得した用地の年度別実績は表<数2>12―<数2>45のとおりである。ここ数年来、公共用地の先行取得のための地方債の許可が得やすい状況にあるため、公社事業の活用実績は少なくなっている。

<章>

第十三章 税制

<節>
第一節 地方税の沿革
<本文>

維新政府は地方税制についても改革の必要を認めていたが、当初は旧幕時代の制度をほとんどそのまま継承せざるを得なかった。そのため国税と地方税の区分は不明確で、国が徴収した地租、小物成(山林などの収益および商工業に対する雑税)、課役の一部分が府県の費用にもあてられるという状態であった。

明治五年より雑税の一部が府県税(「賦金」とも称した)として認められ、明治八年には国税と府県税が区別される等、税制の整備も徐々に進められたが、維新以後明治一一年までの地方財政は、府県に対する若干の官費の支給を除いて主として民費によって賄われ、賦金収入によってこれを補っていた。

民費は、旧幕時代の町村入用が転化したもので、当時の府県、区(現在の市)および町村が、国や府県から委任された事務も含めて独立した財政運営を行なうため、住民が共同して負担した経費であり、各区町村の慣行や便宜に従って、地価割、戸数割、人口割等任意の方法で徴収された。

明治一〇年における東京府の民費支出額と府税支出額を対比すると、前者は三五万六〇〇〇円で、後者の一四万九〇〇〇円に比べ七対三の高率を示し、民費の重要な役割を物語っている。

明治一一年に郡区町村編成法、府県会規則とともに三新法といわれる地方税規則が公布され、それまで府県税および民費の名称で徴収されていた府県費・区費が、地方税と改められた。

地方税規則は、地方税の種目を地租五分の一以内(地価割)、営業税、雑種税および戸数割の四種とするとともに、「各町村限及区限ノ入費ハ其区内人民ノ協議ニ任セ地方税ヲ以テ支弁スルノ限ニアラス」と定め、地方税の使途を府県費に限定した。

これにより府県財政について一定の方向が与えられたが、区町村限ノ入費(区町村費)についてはその種目および制限がなんら規定されず、区町村の協議的自治的な運用にゆだねられていた。

区町村協議費はその後国や府県の補助の減少と相まって累増するに至ったため、政府は明治一七年に区町村規則等を制定して区町村費と改めるとともに、その徴収科目と支弁課目を限定し、徴収権を確立する等の改革を行なった。

明治二一年には市制町村制が公布され、市町村は自治体として法人格を認められるとともに、国税、府県税の附加税と直接または間接の特別税を課することが認められた。

しかし、市町村の収入財源としてあげられた財産収入、使用料手数料、科料、過怠金、市町村税および夫役現品のうち、市町村税や夫役現品は、他の収入で不足する場合の最後の財源とされた。また、市町村税に附加税第一主義をとり、特別税は附加税のほかに税目を起さなければならないときに限って課徴する等の制限が加えられた(町村費の市町村税への改称は明治二五年の大蔵省告示)。

明治二三年には府県制が公布され、従来の地方税は府県税と改称された。

市制町村制および府県制の公布によって、わが国の地方税制度もようやく近代的に整備されることとなったが、当時の地方税の体系は次のとおりである。

<資料文 type="1-73">

    ┏━附 加 税 ━━地租割、所得税附加税

府県税━┫

    ┗━独 立 税 ━━営業税、雑種税、戸数割または家屋税

<資料文 type="1-73">

    ┏━国税附加税 ━━地租割、所得税附加税

市町村税╋━府県税附加税━━営業割、戸数割または家屋割

    ┗━独 立 税 ━━段別割、その他の特別税

大正一五年には第一次大戦後の地方財政の膨張に対処するため、地方税制限に関する法律(明治四一年)が改正され、地方税に関する法律が制定された。この内容は、家屋税および特別地税(府県税)とその附加税(市町村税)を新設し、営業税および雑種税の税目の整理を行ない、また市町村の所得税附加税を原則として廃止し、府県税附加税の制限率を引き上げ、戸数割を市町村税とすること等であった。

当時の地方税体系は次のとおりである。

<資料文 type="1-73">

                  ┏━地租附加税、営業収益税附加税、取引所営業税附加税、

          ┏━国税附加税━┫

    ┏━普通税━┫       ┗━鉱業税附加税、砂鉱区税附加税、所得税附加税

府県税━┫     ┗━独 立 税━━━特別地税、家屋税、営業税、雑種税

    ┗━目的税━━都市計画税、罹災救助基金法によるもの

<資料文 type="1-73">

                        ┏━地租附加税、営業収益税附加税、取引所営業税附加税、

                ┏━国税附加税━┫

          ┏━附加税━┫       ┗━鉱業税附加税、砂鉱区税附加税、所得税附加税

    ┏━普通税━┫     ┗━府県税附加税━━前記府県独立税に対する附加税

市町村税┫     ┗━独立税━━戸数割、その他の特別税

    ┗━目的税━━都市計画特別税

昭和に入って、日華事変が拡大しつつあった昭和一五年には、国税、地方税を通ずる税制の大改革が行なわれ、地方税に関する法律に代って、地方税法と地方分与税法が新たに制定された。

この改正の主な内容は、(一)地方の所得税附加税と戸数割を廃止し、地方税体系を国の地租、家屋税および営業税の附加税を中軸とする物税本位に改める。(二)市町村の独立税として新たに市町村民税をもうける。(三)雑種税、市町村特別税および目的税を拡充整備する。(四)還付税および配付税を内容とする地方分与税を創設する、というものであった。

還付税は国税として徴収した地租、家屋税、営業税の全額を徴収地の道府県に分与するものであったが、配付税は所得税、法人税、入場税および遊興飲食税の一定割合を、徴収地に関係なく財政調整的に、道府県と市町村に交付するものであった。

その結果、新地方税体系は次のように構成されることとなった。

<資料文 type="1-73">

         ┏━国税附加税━地租附加税・家屋税附加税・営業税附加税・鉱区税附加税

    ┏━普通税┫

    ┃    ┗━独 立 税━段別税・船舶税・自動車税・電柱税・不動産取得税・漁業権税・狩猟者税・芸妓税

道府県税┫

    ┃    ┏━都市計画税━地租割・家屋税割・営業税割・道府県税独立税割

    ┗━目的税┫

         ┗━水利税 地租割・段別割

<資料文 type="1-73">

         ┏━国税附加税━地租附加税・家屋税附加税・営業税附加税・鉱区税附加税

    ┏━普通税╋━道府県税附加税━前記道府県独立税に対する附加税

    ┃    ┗━独 立 税━市町村民税・舟税・自転車税・荷車税・金庫税・扇風機税・屠畜税・犬税・主務大臣の許可をうけて起こした税目

市町村税┫

    ┃    ┏━都市計画税━地租割・家屋税割・営業税割・道府県税独立税割・市町村税独立税割・主務大臣の許可をうけて起こした税目

    ┗━目的税╋━水利地益税━地租割・段別税割

         ┗━共同施設税━府県知事の許可をうけて起こした税目

第二次大戦が終結すると、わが国の地方制度は自治権の強化と民主化を図るため抜本的に改革されることとなり、それに応じて地方税制についても、地方財源の拡充、地方財政の自主性の強化および財源の適正な調整の観点から、数次にわたる改正が行なわれた。

まず、昭和二一年九月には府県制、東京都制、市制町村制の改正とあわせて、地方税法と地方分与税法が改正された。

これにより、還付税(地租、家屋税および営業税)の税率引き上げ、配付税の増額と市町村民税の大幅な引き上げ並びに府県の独立税としての府県民税の創設等が行なわれ、地方税負担が大幅に増大した。

昭和二二年五月、日本国憲法と同時に地方自治法が施行され、地方自治の本旨に基づいた地方行政の体制が樹立された。地方税制もそれに応じて自主制を確立し、あわせてインフレの高進に対応して地方財源の充足を図るため、地方税法と地方分与税法の改正が行なわれた。

この改正の主な点は、(一)国税附加税と還付税を廃止し、地租、家屋税、営業税を府県の独立税に加える。(二)鉱区税、遊興飲食税を地方税に移譲して府県の独立税とする。(三)住民税の税率を引き上げる、というものであった。

また、地方分与税は地方配付税と改称され、その算定方法等の改正が行なわれた。

さらに昭和二三、二四年にはインフレの進行に対処し、他方、六三制教育制度や自治体警察制度の実施等のための財源を確保するため、電気ガス税、木材引取税等の新税の創設、入湯税・狩猟免許税の地方への移譲、あるいは住民税その他の税率の引き上げ等、地方税源強化のための改正が行なわれた。このような増税により当時の税体系は乱れ(表<数2>13―1)、一方国民からは減税の要望が強く出された。

昭和二四年春に占領軍の要請でシャウプを団長とする税制使節団が来日し、同年九月地方税の強化を主眼とした税制改革の画期的な勧告を行なった。この勧告に基づいて、昭和二五年に現行税制の基礎をなす新しい地方税法が制定された。

新地方税制の主な改正点は次のとおりである。

一、市町村をもって基礎的地方自治体とし、地方自治の基盤を培うため有力な直接税を市町村に与え、その財政収入の充実を図る。

二、地方税の自主性を強化するため、附加税制度を全廃するとともに、道府県税と市町村税を分離して、税務行政の責任を明確化する。

三、地域間における地方税負担の均衡化を期するため、全税目にわたって税率を明確に規定する。

四、地方税として課税効率が低い雑税を整理し、附加価値税を創設する。

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その結果、昭和二五年における地方税の体系は、表<数2>13―2に示すとおりとなった。また、これに伴って従来の地方配付税は廃止され、各地方団体の財源を調整、保障する措置として、新たに地方財政平衡交付金制度が設けられた。

この地方税制は、昭和二六、二七年において、市町村民税に法人税割が加えられ、漁業権税、広告税、接客人税が廃止される等の小改正が行なわれたが、地方財政は悪化の一途を辿り、特に道府県の税源を拡充することが緊急の課題となった。

そこで昭和二九年に地方税法が改正され、シャウプ税制にかなりの変更が加えられた。これによって地方税制は安定したものとなり、ほぼその姿のまま現在に至っている。

その主な改正点と税体系は次のとおりである(税体系は表<数2>13―3)。

一、市町村民税の一部が移譲され、昭和二五年に廃止された道府県民税が再び創設された。

二、附加価値税が廃止され、暫定的に実施されていた事業税と特別所得税を統合して事業税が設置された。

三、不動産取得税、道府県たばこ消費税、娯楽施設利用税、揮発油譲与税、市町村たばこ消費税が創設された。

四、入場税が国税に移譲され、その税収の九〇%を道府県に配分する入場譲与税が創設された。また大規模償却資産に対する固定資産税の一部が、市町村から道府県に移譲された。

また、地方財政平衡交付金制度に代って、所得税、法人税および酒税の収入額の一定割合を財源とする地方交付税制度が設けられた。

昭和三〇年以後の税目の新設、廃止等を中心とした税制の推移は次のとおりである。

昭和三〇年 地方道路譲与税(道府県及び市町村財源)が創設された。

昭和三一年 軽油引取税(道府県税)、都市計画税(市町村税)が創設された。

昭和三二年 特別とん譲与税(開港所在市町村財源)が創設された。また、入湯税(市町村税)が目的税に改められた。

昭和三三年 自転車荷車税が廃止され、軽自動車税(市町村税)が創設された。

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昭和三六年 遊興飲食税の名称が料理飲食等消費税に改められた。
 また、市町村民税所得割の課税方式について、所得税を課税標準とする方式、および課税総所得金額から所得税額を控除したものを課税標準とする方式が廃止された。

昭和三七年 所得税の一部が道府県民税へ移譲され、その税率が二段階の比例税率に改められるとともに、入場譲与税が廃止された。

昭和三八年 狩猟者税が廃止され、狩猟免許税と入猟税(いずれも道府県税)が創設された。

昭和三九年 市町村民税の課税方式が統一された。

昭和四〇年 石油ガス譲与税(道府県及び指定市財源)が創設された。

昭和四三年 地方団体の道路整備財源の充実をはかるため、道府県税として自動車取得税が創設された。

昭和四四年 宅地開発に必要な公共事業財源にあてるため、宅地開発税(市町村税)が創設された。

昭和四六年 市町村の道路整備財源の充実のため、自動車重量譲与税が創設された。

昭和四七年 航空機燃料譲与税(空港関係道府県および市町村財源)が創設された。

昭和四八年 宅地の供給促進と地価の抑制のため、土地税制の一環として特別土地保有税(市町村税)が創設された。

昭和四九年 電気ガス税について電気税とガス税に分離された。

昭和五〇年 大都市税源の充実をはかるため、都市環境整備の目的税として、事業所税が創設された。

昭和五四年 狩猟免許税の名称が狩猟者登録税に改められた。

この結果、昭和五四年における地方税の体系は、表<数2>13―4のとおりとなった。

<節>
第二節 特別区税の推移
<本文>

昭和二二年、地方自治法の制定に伴う地方税法の改正により、東京都の区が特別区に、区税が特別区税に改められた。

特別区税は特別区の制度とともに、大都市行政の一体性を確保する見地から設けられた都に固有の制度であって、沿革的にも他の市町村の税制とは異なる独自の歩みを辿っている。

特別区の前身としての区の発足は、明治二二年五月の東京市の誕生にさかのぼる。この市制施行によって、それまで府に直属し市的性格をもって独立していた一五区は東京市の下部機構とされ、その権能もほとんど市に帰属することとなった。

しかし、区には小学校の設置管理を主とする事務が残され、その財源とするため、協議費が転化した区費と称される附加税(所得税、営業税、雑種税、売薬税の各附加税)を徴することが認められた。

明治四四年一〇月、改正市制の施行によって区に法人格が与えられると、同時に「市制第六条ノ市ノ区ニ関スル件」(勅令)第一三条に次のとおり区の課税権が明定され、それまでの区費は廃止された。

  • 「区ハソノ財産及営造物ニ関シ必要ナル費用ヲ支弁スル義務ヲ負フ。前項ノ支出ハ区ノ財産ヨリ生スル収入、使用料ソノ他法令ニ依リ区ニ属スル収入ヲ以テ之ニ充テ、猶不足アル時ハ市ハ其区ニ於テ特ニ賦課徴収スル市税ヲ以テ之ニ充ツヘシ。前項ノ市税ニ付市会ノ議決スヘキ事項ハ区会之ヲ議決ス。但市ノ定メタル制限ヲ超ユルヲ得ス。」

当時区が負担する経費は、区に属する財産、営造物に関する経費と教育費の一部にすぎなかったが、この時から、区は区財政の最後によるべき財源として、市の定めた範囲内ではあったが、区税を賦課徴収する権限をもつこととなった。

この区税は「区に属する市税」と呼ばれ、昭和一四年度までの間、府税家屋税の附加税を柱に、ときにより府税営業税、雑種税あるいは地租附加税をもあわせながら賦課徴収された。

昭和一五年四月、市制町村制が改正され、区に属する市税は廃止された。以後区財政の不足分はすべて市から割当てられる区財政交付金によることとなり、区税の空白時代が続いた。

この間、昭和一八年七月に都制が施行されると地方税法も改正され、都は従来の府税と市税とを合わせた都税を課徴することとなった。

昭和二一年九月、都制の改正とともに地方税法および地方分与税法が一部改正され、「東京都ノ区ハ東京都条例ノ定ムル所ニ依リ其ノ区域内ニ於テ東京都ノ課スルコトヲ得ル税ノ全部又ハ一部ヲ区税トシテ課スルコトヲ得。前項ノ東京都条例ニツイテハ内務大臣ノ許可ヲ受クヘシ。」(第八五条の一一)と規定された。これにより、区は再び都条例の定めるところに従って、都が課しうる税を区税として課しうるとされたのである。

ついで翌二二年の地方自治法の制定にともなう地方税法の改正により、区税が特別区税に改められた。

なお、ついでながらこの時、法定外普通税についても、「東京都ノ特別区ハ前条第一項ノ外別ニ税目ヲ起シテ独立税ヲ課スルコトヲ得。前項ノ独立税ノ新設及変更ニ付テハ東京都ノ同意並ニ内務大臣及大蔵大臣ノ許可ヲ受クヘシ。」(第八五の一一)と規定された。

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これに基づき、都は昭和二二年三月東京都特別区税条例を制定し、地租附加税、家屋税附加税、特別区民税、舟税、自転車税、荷車税、金庫税、犬税を特別区税として設定した。

練馬区では、同年一一月一三日この都条例に基づき「練馬区特別区税条例」を公布施行したが、都条例において同年一二月に不動産取得税附加税と原動機税附加税が、翌二三年七月に使用人税が加えられたため、昭和二三年には、区税は附加税四、独立税七の一一税目となった(表<数2>13―5参照)。

昭和二五年にはシャウプ使節の勧告によって地方税法の全面的改正が行なわれたが、特別区税においては基本的改正は行なわれず、東京都特別区税条例の全面的改正も、税目の改正がその中心であった。

従って、区税においても従来の一一税目が、特別区民税、自転車税、荷車税、木材引取税、接客人税、使用人税、犬税の七税目に整理されることとなった。

なお、このときの改革において、従来区において取扱っていた都税関係の事務は、都が各区に設置した税務事

務所において取扱うこととなった。

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昭和二六年には法人に対する市町村民税が創設されたが、特別区においては都税として賦課徴収されることとなった。

また、給与所得者に対する特別区民税の徴収方法として、特別徴収制度が導入された。

なお、この年に使用人税が廃止された。

昭和二七年には接客人税が廃止され、従来の自転車税に原動機付自転車が加えられた。

昭和二九年には新設された道府県民税のうち個人に対するものが特別区民税に加えられた。

昭和三一年には自転車税、荷車税が自転車荷車税に改められた。

昭和三三年には自転車荷車税が廃止され、特別区軽自動車税が創設された。

以来、昭和三九年度までこの制度が続けられたが、その税率の推移等は表<数2>13―6のとおりである。

昭和三九年七月、地方自治法等の一部を改正する法律が公布され、地方税法の一部も改正された。これによ

り、昭和四〇年四月以降、都から区へ大幅な事務の移譲が行なわれるとともに、特別区の課税権について、市町村民税法人分と固定資産税を除くほか、原則的に市と同様の権能が地方税法に法定化された。すなわち、従来の東京都特別区税条例による特別区税の課税方式が廃止され、各特別区の区税条例によって特別区税を賦課徴収するという現行制度の根幹が定められたのである。

練馬区では、昭和三九年一二月に新たな練馬区特別区税条例を制定し、四〇年四月より区の普通税として、特別区民税、軽自動車税、特別区たばこ消費税、電気ガス税、鉱産税および木材引取税を賦課徴収することとなった。

また、それまでの税務課(練馬・石神井の二課体制、計九〇名)を課税課と納税課(計一〇〇名)に再編成し、執行体制を強化した。

各税の内容とその後の推移を概説すると、次のとおりである。

特別区民税

特別区民税は一般に個人住民税とよばれ、特別区税の大宗をなすものである。

今回の改正では税率等住民の負担に変更はなかったが、従来の特別区民税に含まれていた道府県民税相当分が都民税として分離されたので、新しい特別区民税は市町村民税相当分のみとなった。またこの都民税分については、特別区民税とともに区が賦課徴収し、毎月都に払込むこととされた。

特別区民税は、一月一日現在練馬区に住所を有する個人に均等割額と所得割額の合算額を、区内に住所はないが事務所、事業所または家屋敷を有する個人に均等割額を課すものである。均等割額は一律六〇〇円であるが、所得割額は前年の総所得金額(収入金額から必要経費を差引いたものの総額)から所得控除を行ない、税率(所得金額に応じて二~一四%の一三段階に区分、表<数2>13―7参照)を乗じて算出することとされている。

昭和四〇年度の主な所得控除は、基礎控除の九万円と扶養親族が一人の場合は七万円、扶養親族が一人を超える場合一人ごとに三万円の扶養控除を加算して得た金額であった。

図表を表示 図表を表示

昭和四一年度以降、この所得控除は国民所得水準、地方財政、所得税の課税最低限等の動向を考慮して毎年のように引き上げられた。課税最低限でみたその推移は、表<数2>13―8に示すとおりである。

昭和四四年には特別徴収分の徴収方法が、従来の年間一〇回分割から一二回分割徴収に改められた。

昭和四八年には課税最低限の引き上げのほか、一〇年間据え置かれてきた税率の緩和と、退職者所得控除の引き上げが行なわれた。

昭和五一年には均等割の税率が約三倍引き上げられ、一七〇〇円と定められた。

これは、均等割が据え置かれていた二五年間における国民所得水

準や物価水準の変動、および地方団体の行政サービス水準の向上等の事情を考慮して、税負担の見直しが行なわれたためである。

軽自動車税

軽自動車税は、軽自動車の所有者に担税力を見出し、その所有者に課税するものであり、財産税としての性格と道路損傷負担金的性格をあわせて有するものといわれている。

課税対象は原動機付自転車、軽自動車、小型特殊自動車および二輪の小型自動車で、四月一日現在練馬区に定置場を有する所有者に課税するものである。税率は軽自動車の種類、総排気量および用途に従って定められており、昭和四〇年に四輪以上の乗用のみ引き上げられてから五〇年度まで据え置かれていたが、昭和五一年に約三〇%、昭和五四年に約一〇%の引き上げが行なわれた(表<数2>13―9参照)。

これは、販売価格が上昇していること、道路維持管理の経費も増大していること等の事情が考慮されたためである。

図表を表示
特別区たばこ消費税

特別区たばこ消費税は、昭和四〇年度から特別区が課すことのできる税として法定された消費税である。しかし、納税義務者は日本専売公社とされており、その賦課徴収については、都たばこ消費税の賦課徴収と併せて毎月都が行ない、各特別区に払い込むこととされている。

税額は課税標準額に税率を乗じて算出され、課税標準の計算は、前年

中の一本当り全国平均小売価格(自治大臣が算定)に、公社が区内の小売人または消費者に売り渡した製造たばこの本数を乗ずることとなっている。税率は当初一五%であったが、四二年度から一八・一%に引き上げられた。

電気ガス税
図表を表示

電気ガス税は、電気またはガスの消費に担税力を見出して課税する消費税であるが、零細負担排除の趣旨から、免税点制度が設けられている。

この課税標準は毎月の使用料金とされ、税率はそれぞれ七%であった。しかし、その後の地方財政の動向や消費水準の上昇等が考慮され、表<数2>13―<数2>10のとおり税率の引き下げと免税点の引き上げが行なわれている。

また昭和四九年には、電気とガスの性格、用途、消費実態に相違があるので、これが電気税とガス税に分離された。

鉱産税・木材引取税

鉱産税は鉱物の掘採事業に対し鉱物の価格を課税標準として課する税であり、事業に対する一種の外形標準課税で、鉱山所在町村の特別な財政需要のための応益的な性格を有するものである。

税率は一%で、その後改正は行なわれていない。また木材引取税は素材の引取行為を課税対象とし、引取者に対して課する流通税であり、比較的財源に乏しい山林所在市町村の財政事情にかんがみ設けられた税目である。課税標準は山元における価格で、税率は二%とされており、その後改正は行なわれていない。

なお、両税目とも特別区が課すことのできる税目であるため、昭和三九年の改正時に明文化したものであるが、練馬区における課税実績は生じていない。

<節>

第三節 都税の推移
<本文>

昭和一八年七月の都制施行に伴い、従来の府税と市税とを合せた都税が創設され、都は税法上他の地方団体と異なる税制をとることとなった。

当時の地方税制は昭和一五年に行なわれた税制改革にもとづくものであり、国税の地租、家屋税および営業税の三収益税附加税を中心とし、独立税として物税本位主義によって組織されていたが、特別区の存する区域においては従来の府税と市税を合せて都税とし、その賦課徴収事務は区長がこれに当った。

当初の都税体系は次のとおりである。

<資料文 type="1-73">

                   ┏━国税附加税━地租附加税・家屋税附加税・営業税附加税・鉱区税附加税

             ┏━普通税━┫

             ┃     ┗━独 立 税━段別税・船舶税・自動車税・電柱税・不動産取得税・狩猟者税・芸妓税

   ┏━府県税相当分━━┫             ╭ 地租割・営業税割・家屋税割(市町村の区域を除く)・

   ┃         ┗━目的税━━━都市計画税━╎

   ┃                       ╰ 独立税割(市町村の区域および市税相当分独立税に対するものを除く)

都 税┫

   ┃                       ╭ 都民税・舟税・自転車税・金庫税・犬税・商品切手発行税・

   ┃         ┏━普通税━━━独 立 税━╎

   ┗━市町村税相当分━┫             ╰ 軌道税・倶楽部税・傭人税・玉突台税・タンク税

             ┃     ┏━都市計画税━独立税割(府県税相当分独立税に対するものを除く)

             ┗━目的税━┫

                   ┗━水利地益税━排水設備事業費段別割・在来下水渠整理事業費段別割

昭和一九年には雑税の整理等が行なわれ、鉱区税附加税、船舶税、舟税、自転車税、金庫税、倶楽部税、商品切手発行税、玉突台税、タンク税の九税目が廃止され、さらに二〇年には犬税と傭人税が廃止された。

終戦後は社会情勢の急激な変動、インフレに伴う国民経済や自治体財政の不安定等によって、昭和二四年まで毎年のように税法と都税条例の改正が行なわれた。

昭和二五年にはシャウプ勧告にもとづく新しい地方税制が施行され、八月より都税条例も全面的に改正された。

新しい都税体系は次のとおりである。

<資料文 type ="1-60">

都の全域で課するもの(道府県税相当分)―事業税・特別所得税・入場税・遊興飲食税・自動車税・鉱区税・漁業権税・狩猟者税

特別区の存する区域で課するもの(市町村税相当分)―固定資産税・電気ガス税・広告税・商品切手発行税・と畜税

昭和二六年には都民税(法人分)が創設された。

昭和二七年には漁業権税、広告税が廃止された。

昭和二八年には入湯税が創設された。

昭和二九年には不動産取得税、都たばこ消費税および娯楽施設利用税が新設されたほか、従来の事業税と特別所得税が統合されて事業税となった。

また、特別区の存する区域において課する普通税として新設された道府県民税のうち、法人に対するものが従来の法人の市町村民税に合せて都民税とされ、市町村の存する区域において課する普通税として、道府県民税たる都民税および大規模償却資産に対する固定資産税が創設された。なお、入場税が地方譲与税の財源として国税に移管された。

この結果、都税の体系は次のように大幅に改められた。

<資料文 type ="1-60">

都の全域で課するもの―事業税・不動産取得税・都たばこ消費税・娯楽施設利用税・遊興飲食税・自動車税・鉱区税・狩猟者税・固定資産税(大規模償却資産分)

特別区の存する区域で課するもの―都民税(法人分)・固定資産税・都たばこ消費税(市町村分)・電気ガス税・入湯税・商品切手発行税

市町村の存する区域で課するもの―都民税(個人分・法人分)

昭和三〇年には特別区の存する区域内で課するものとして、鉱産税が創設された。

昭和三一年には都の全域において課する軽油引取税と、特別区の存する区域において課する都市計画税が創設された。

昭和三三年には軽自動車税が創設されたことに伴って、従来自動車税の課税客体であった軽自動車および二輪の小型自動車が自動車税の対象から除かれた。なお、特別区内に主たる定置場を有する軽自動車および二輪の小型自動車に対して都軽自動車税が創設された。

昭和三六年には遊興飲食税が料理飲食等消費税と改称された。

昭和三八年には狩猟者税が廃止され、狩猟免許税と入猟税が創設された。

昭和四〇年には都と特別区との間における事務と税源を再配分するための改正が行なわれ、都税の体系は次のように改められた。

<資料文 type="1-73">

                 ╭都民税(府県民税の個人分・法人分)事業税・不動産取得税・都たばこ消費税・娯楽施設利用税・

          ┏法定普通税━╎

都の全域で課するもの┫      ╰料理飲食等消費税・自動車税・鉱区税・狩猟免許税・固定資産税(大規模償却資産)

(道府県税相当分) ┗目的税 軽油引取税・入猟税

<資料文 type="1-73">

特別区の存する区域で┏法定普通税 ━都民税(市町村民税法人分)・固定資産税

課するもの     ╋法定外普通税━商品切手発行税

 (市町村税相当分)┗目的税   ━入湯税・都市計画税

その後の都税については税体系の根本的な変更はないが、創設された税目は次のとおりである。

昭和四三年には目的税として自動車取得税が設けられた。

昭和四八年には特別区の存する区域において課する普通税として、特別土地保有税が新設された。

昭和五〇年には特別区の存する区域において課する目的税として、事業所税が創設された。

昭和五四年には狩猟免許税が狩猟者登録税と改称された。

この結果、現在の都税の種類は、都の全域で課するものと特別区の存する区域で課するものを合せて一八税目となっている。

このうち、大規模償却資産に対する固定資産税については現在該当がないが、都税の体系を示すと次のとおりである。

<資料文 type="yoko_0769">

               ┏━都民税(個人、法人)

               ┃ 事業税(個人、法人)

     都         ┃ 不動産取得税

     の  ┏法定普通税━┫ 都たばこ消費税

     全  ┃      ┃ 娯楽施設利用税

     域  ┃      ┃ 料理飲食等消費税

     で  ┃      ┃ 自動車税

   ┏━課━━┫      ┃ 鉱区税

   ┃ す  ┃      ┃ 狩猟者登録税

   ┃ る  ┃      ┗━固定資産税(大規模償却資産)

 都 ┃ も  ┃      ┏━自動車取得税

   ┃ の  ┗目 的 税━┫ 軽油引取税

  ━┫           ┗━入猟税

   ┃                

 税 ┃ 特で        ┏━都民税(市町村民税法人分)

   ┃ 別課 ┏法定普通税━┫ 固定資産税

   ┃ 区す ┃      ┗━特別土地保有税

   ┃ のる ┃

   ┗━存も━┫法定外普通税━━商品切手発行税

     すの ┃

     る  ┃      ┏━入湯税

     区  ┗目 的 税━┫ 事業所税

     域         ┗━都市計画税

なお、これら都税のうち、特別区内で課する法人都民税の市町村民税相当分、固定資産税および特別土地保有税の三税については、収入額の一部を特別区財政調整制度によって、二三特別区に配分することとされている。

<節>

第四節 自衛隊関係全国税務協議会のあゆみ
<本文> <資料文 type="2-33i">

  協議会の設立

 自衛隊隊員に対する道府県民税、市町村民税の賦課徴収については、昭和二六年五月四日付地財委税第八八五号の二地財委局長通達に基づいて、普通徴収として取扱ってきたのであるが、自衛隊隊員はその職務の性質上ひん繁な移動が行われるので、課税権の帰属の明確を欠く場合がしばしば見られ、課税後の移動で納税義務者の所在が不明となる等により徴税成績もあがらず、収入率は四〇パーセント程度という低率であった。このような状況に対処するため已むを得ず次善の策として、納税貯蓄組合等を結成してその向上を図ったが、いぜんとして、成績の好転を期待できず誠に寒心にたえない状態であった。したがって地方財政に及ぼす影響もはなはだしく、この問題を解決すべく昭和二七年一二月頃から、練馬区長が中心となって、関係方面を打診すると共に、昭和二八年二月都内に保安隊機関の所在する市と区が協議の結果、全国所在市区町村が共同して関係官庁に陳情することとした。同年二月二五日付共同陳情の賛否に関する文書を関係市区町村に発し大方の賛同を得たので、同年八月六、七の両日東京区政会館において、第一管区管内所在市区町村により、保安隊関係連絡税務協議会を結成し今後緊密な連けいの下に強力に推進することを約して、第一管区の協議会が発足した。同時に自治庁長官、保安庁長官、衆議院議長、参議院議長、地方財政審議会長および第一管区総監あて、保安隊隊員の市町村民税の徴収に関し、特別徴収の方法によるよう、すみやかに御配意願いたい旨の陳情書を提出した。

 一方自治庁においても地方税法上保安官の徴税方法につき再検討され、保安庁とも協議の結果、関係市区町村による全国組織の結成を前提に、昭和二九年二月一六日づけ自丙市発第一三号自治庁税務部長名を以って、昭和二九年度から保安官に係る道府県民税、市町村民税は、特別徴収の方法によって取扱う旨通達されたのである。

 なお、保安隊関係連絡税務協議会においては、これにそなえて全国組織にすべく、昭和二八年一二月二一日から二三日まで練馬公民館において、全国関係市区町村の会合がもたれ、自治省、保安庁の指導と協力の下に、保安隊関係全国税務協議会を結成した。この結成大会が本協議会第一回の総会となったのである。

 昭和二九年七月一日保安隊関係全国税務協議会は、自衛隊関係全国税務協議会と改称された。

  協議会の活動

 前述のとおり自衛隊隊員に係る道府県民税、市町村民税の徴収は特別徴収の方法により行うことに決定されたのであるが、特別徴収義務者として行うべき仕訳送金事務は当時の自衛隊の事情から困難なため、仕訳送金事務については所在市区町村で行うこととされた。以上のような変則的経緯

を経て、異動者の絶対はあくという重大事項が確約され好成果を招来したのである。

 このような経過をたどりつつ加入市区町村数も協議会発足当時三六三(課税人員八八、一四七人)であったが、昭和四七年度には、一、五七九(課税人員二二八、二五一人)と増大し、徴収率も九九パーセントを超える優秀な成績を示してきた次第である(表<数2>13―<数2>11参照)。

  協議会の運営

一基本的運営

  •  協議会に総会、幹事会および副会長を置き、総会は年一回各ブロック持ち廻りで開催し、年度事業計画および予算、決算を議決することとした。
  •  しかしながら、総会開催に当って、全国加入市区町村の定足数の出席は実際上不可能であるので、幹事会をもってこれに代えることができることとした。幹事会は会の運営および、会計に関することをきめ、副会長会は、会長の諮問に応じ、緊急事案および懸案事項の処理に当り、本会に会務を処理させるため事務局が設置されたのである。なお、運営に要する経費は総会の決定による額によって加入市区町村が負担することとした。

二地域組織

  •  全国を四ブロックに分け本会の地域組織とし、それぞれに地区協議会をおき、全国税務協議会との連絡および、地域問題の処理にあたることとした。

 

  自衛隊関係全国税務協議会会則

第 一 条 本会は自衛隊関係全国税務協議会と称し、自衛隊員の居住地市区町村長を以って組織する。

第 二 条 本会の事務局を東京都千代田区九段北一~一~四東京区政会館内に置く。

第 三 条 本会は自衛隊員の道府県民税及び市町村民税に対する賦課徴収に関し、関係市町村相互間の連絡及び受嘱託等相提携して、税務行政の円滑なる運営を期することを目的とする。

第 四 条 本会は前条の目的を達成する為左の事業を行う。

  1. 一、自衛隊員の道府県民税及び市町村民税に対する賦課徴収事務の共同処理並びに調査研究。
  2. 二、その他関係官庁との連絡協調。

第 五 条 本会に左の役員を置く。

  • 一、会長 一名 二、副会長 若干名 三、幹事 若干名 
    四、会計監事 二名

第 六 条 役員は左の方法により選任する。

  1. 一、会長は幹事の互選とする。
  2. 二、副会長は別表のブロック幹事の互選とする。
  3. 三、幹事は部隊等所在する市区町村並びに納税義務を有する自衛隊員の二百人以上が居住する市区町村の長を以って充てる。
  4. 四、会計監事は幹事の互選とする。

第 七 条 会長は本会を統理し本会を代表する。副会長は会長を補佐し、会長事故あるときその職務を代理する。

会計監事は本会の会計を監査し毎年度幹事会に報告する。

第 八 条 役員の任期は一年とし、再任を妨げない。

第 九 条 事務局に左の職員を置き、会長これを任免する。
但し、事務局長の任期は四年とし、副会長会の議を経て会長これを任免する。

  1. 一、事務局長 会長の命により本会の会務を処理する。
  2. 二、書記 事務局長の命により会務を分掌する。
  3. 三、嘱託

第 十 条 本会に左の会議を置く。

  1. 一、総会 毎年一回七月開催する。
  2. 二、幹事会 本会の運営並びに会計に関すること。
  3. 三、副会長会 会長の諮問に応じ、総会の委任事項及び緊急事案について審議する。
    前項第一号の総会は第二号の幹事会にかえることができる。

第十一条 会議は会長がこれを招集し、議長は会議で決める。

第十二条 会議は半数以上の者が出席しなければこれを開くことができない。会議の議事は出席者の過半数を以ってこれを決定し可否同数のときは議長の決するところによる。

第十三条 総会に議案を提出せんとするときは、五月末日までに文書をもって会長に申入れるものとする。
但し、緊急の場合はこの限りではない。

第十四条 本会の経費は関係市区町村の支弁とする。
前項の支弁の額は毎年度幹事会の議を経て決定する。尚本会の会計年度は毎年六月に始まり、翌年五月で終るものとする。

第十五条 本会に顧問を置くことができる。

  1. 一、顧問は副会長の推薦により総会の同意を得て会長これを委嘱する。
  2. 二、顧問は会長の要請により、会議に出席し意見を述べることができる。

第十六条 この会則の施行に関し必要な事項は会長これを定める。

   付    則

この会則は昭和二十九年五月六日から施行する。

  • 但し現役員の任期については第八条の規定にかかわらず昭和三十年七月末日までとする。

    付   則

この会則は昭和三十三年七月二十三日から施行する。

    付   則

この会則は昭和三十七年八月一日から施行する。

    付   則

この会則は昭和四十二年八月三日から施行する。

    付   則

この会則は昭和四十三年八月八日から施行し昭和四十三年四月一日から適用する。

    別   表

第一ブロック 東京、千葉、神奈川、栃木、茨城、群馬、埼玉、青森、岩手、宮城、秋田、山形、福島、新潟、長野、富山、石川、

愛知、静岡、山梨。

第二ブロック 北海道。(全域)

第三ブロック 京都、鳥取、島根、滋賀、奈良、和歌山、大阪、兵庫、岡山、広島、愛媛、高知、徳島、香川、福井、三重、岐阜。

第四ブロック 山口、熊本、福岡、鹿児島、佐賀、宮崎、大分、長崎。

  協議会事務局機構

 協議会設立当初から須田東京都練馬区長が会長であった関係から、練馬区税務課内に事務局を置き練馬区税務課職員により一〇年間運営された。

 しかしながら本会創立一〇周年を期に、第一〇回総会において事務局独立による自主運営によって、その使命達成を図るよう決定がなされ、練馬区役所内に事務局が設置され、事務局長、書記および嘱託が会務を処理した。

 その後昭和四三年四月一日より事務局を東京都千代田区九段北一の一の四東京区政会館内に移転し、解散のときまで運営に当ったのである。

  歴代役員

 会    長   昭和二八・一二・二一~四二・ 六・二一 練馬区長 須田  操

 会長職務代理   〃 四二・ 六・二二~四二・ 七・一六 立川市長 桜井 三男

 会長職務代理   〃 四二・ 七・一七~四二・ 八・ 三 伊丹市長 伏見 正慶

 会    長   〃 四二・ 八・ 三~四八・一一・三〇 港区長  小田 清一

 副会長

   第一ブロック 昭和二八・一二・二一~三四・ 八・ 七 江東区長 二瓶 哲治

          〃 三四・ 八・ 七~四二・ 七・一七 立川市長 桜井 三男

          〃 四二・ 七・一八~四八・一一・三〇 小平市長 大島 宇一

   第二ブロック 昭和二八・一二・二一~三四・ 五・ 一 札幌市長 高田 富与

          〃 三四・ 五・ 二~四六・ 五・ 一 〃    原田 与作

          〃 四六・ 五・ 二~四八・一一・三〇 〃    板垣 武四

   第三ブロック 昭和二八・一二・二一~三六・一〇・一五 伊丹市長 坂上 喜穂

          〃 三六・一二・ 四~四八・一一・三〇 〃    伏見 正慶

   第四ブロック 昭和二八・一二・二一~三一・ 二・二三 熊本市長 林田 正治

          〃 三一・ 三・一六~三一・ 八・三一 〃    坂口 主税

          〃 三一・ 八・三一~三二・ 八・三一 大村市長 大村 純毅

          〃 三二・ 九・ 一~三八・ 一・ 四 熊本市長 坂口 主税

          〃 三八・ 二・一四~四五・一一・二六 〃   石坂   繁

          〃 四五・一二・二一~四八・一一・三〇 〃    星子 敏雄

   会計監事   昭和二八・一二・二一~三〇・ 四・三〇 立川市長 板谷信一郎

          〃 二八・一二・二一~四二・ 四・二九 姫路市長 石見 元秀

          〃 三〇・ 五・ 一~三四・ 四・三〇 立川市長 中島 舜司

          〃 四二・ 四・三〇~四八・一一・三〇 姫路市長 吉田 豊信

          〃 三四・ 八・ 七~四八・一二・三〇 目黒区長 君塚 幸吉

   歴代事務局長

 兼任事務局長   昭和二八・一二・二一~二九・一〇・二四 練馬区税務課長  清野  浩

   〃      昭和二九・一〇・二五~三二・ 一・ 四 〃    宮田 千春

   〃      昭和三二・ 一・ 五~三三・一一・三〇 〃    岩波 繁次

   〃      昭和三三・一二・ 一~三七・一一・三〇 〃    福武 広人

 専任事務局長   昭和三七・一二・ 一~四七・一一・三〇      〃   

   〃      昭和四七・一二・ 一~四八・一一・三〇      内藤  直

  協議会の解散

 本協議会は以上のように大きな成果を収めてきたが、昭和四六年ごろから自衛隊隊員にかかる、道府県民税、市町村民税の特別徴収について、通常の特別徴収の取扱にすることができないかという声が、特に市区町村の議会方面からあがりはじめ、昭和四七年九月五日、旭川市における第二〇回総会において、「自衛隊隊員にかかる住民税の特別徴収について」の要望書が決議された。

    要 望 書

 自衛隊隊員にかかる住民税の賦課徴収につきましては、自衛隊の職務、隊員の勤務の特殊性にかんがみ、税務事務の困難性に対処するため昭和二九年以来、自治省の御指導と、関係市区町村の相互協力により、特別徴収義務者である国にかわって仕分け送金事務等を行うとともにその経費も関係市区町村で分担し、税務行政の円滑なる運営を期してまいりました。

 爾来、自衛隊員にかかる地方税の徴税成績は順調な成果をおさめていることは、自治省並びに防衛庁の力強い御指導と御協力の賜と存じ衷心より感謝を申上げる次第であります。

 しかしながら、この制度が創設されてから既に一九年を経過し、発足当時とは経済社会情勢などの変遷は誠に著しいものがあります。このような現況の中で自衛隊隊員にかかる住民税の賦課徴収のみを法に定められた特別徴収の方法によらないで例外的事務処理を行うことは関係市区町村においては勿論、他の特別徴収義務者の間においても強い批判の声が湧き起って来ております。

 私達は現行共同事務処理徴収方法についての今日に到るまでの有効性並びに実績については高く評価しつつも、時代の変遷に伴う内外情勢の諸変化を思う時、自衛隊員にかかる住民税の賦課徴収は現行地方税法を遵守した本来的な特別徴収に立ちかえるときがきていると考えます。

 貴殿におかれましては自衛隊関係全国税務協議会加入市区町村の苦衷を深く御賢察下され、速やかに取扱制度の改正方につき特段の御高配を戴きたく、ここに創立二〇周年の輝かしい全国総会の決議により右要望いたします。

  昭和四七年九月五日

                   自衛隊関係全国税務協議会

                      第二〇回 全国総会

 自治大臣  宛

 防衛庁長官 

 

 この要望書は昭和四七年一〇月二三日、小田会長、須田顧問、大島副会長および事務局長が自治大臣と防衛庁長官に面接し、それぞれ要望書を手交、善処方を要望した。自治省、防衛庁においてもこの動きを察知され自衛隊隊員に対する道府県民税、市町村民税の徴収方法について種々検討されていたので、同年一一月二七日に自治省、防衛庁係官の出席を得て在京の税務担当課長(港区、目黒区、練馬区、小平市)と事務連絡協議会を開催し、主として市区町村の立場から自治省、防衛庁と、取扱いの方法、実施の時期等について協議した。

 翌 八年一月、給与支払報告書提出の問題があるので、自治省の指導を受け、一月二二日づけ、自全税協発第五七三号「昭和四十八年自衛隊隊員

の住民税の特別徴収についての経過報告について」をもって幹事市区町村へ経過を報告した。

 同年一月三〇日には、自治省と前記税務担当の課長と再度事務連絡協議会を開催し、転動に伴う異動の問題、納入書の問題などを検討し、これをもとに自治省、防衛庁と協議した。

 同年三月市区町村における課税時期となったので、市区町村への事務連絡の必要が生じ、三月二日づけ自全税協発第五七八号会長通知「自衛隊隊員の昭和四十八年度住民税特別徴収について(中間報告)」を所在市区町村および課税市区町村あて通知した。

 その後、自治省、防衛庁との検討事項もすすみ、最大の問題点として「特別徴収義務者が国であって、退職以外の異動の際には法による異動届出書が提出されない」という点があげられ、この異動届出書が提出されず部隊ごとに税額が納入されると、自衛隊隊員は異動がはげしいので市区町村においては異動をはあくできず、徴収簿の消し込みもできなくなるなどの問題が生じるので、最終的に自治省防衛庁との協議により「異動連絡票」を作成のうえ提出されることとなった。

 さらに、自衛隊隊員の特別徴収の取扱について市区町村の意向を反映するため、同年三月一〇日東京区政会館において自治省係官の出席を得て「昭和四十八年度自衛隊隊員の住民税特別徴収の取扱について」を議題として事務研究会を開催した。

 この研究会においては、特別徴収義務者、異動連絡票、昭和四七年度分についての意見、退職分との区別、税額通知書送達方法および全国統一様式第四号の残余の例外的使用などについて検討された。

 答申案は、同年四月四日、自治省の出席を得て作成し、四月一二日の第四回副会長会へ提出され、同年七月三一日松山市における第二一回総会において、報告第三号として報告、承認された。昭和四八年四月一七日づけ自治市第二〇号税務局長通達「防衛庁職員に対する市町村民税、道府県民税の徴収の方法について」により、昭和四八年度分、道府県民税、市町村民税(同年六月以降の徴収分)から通常の特別徴収の取扱となるので、同年四月二八日づけ自全税協発第五八三号会長通知「昭和四十八年度自衛隊隊員の住民税特別徴収について」に税務局長通達自治市第二〇号を添付し、所在市区町村および課税市区町村あて連絡した。以上のような経過をたどり、防衛庁職員に係る道府県民税、市町村民税は通常の特別徴収によることとされ、自衛隊関係全国税務協議会の設置目的である共同事務処理の解消に伴い、本協議会はここに解散することとなった。しかしながら、徴収方法があらためられたことに伴い軌道に乗るまでに、種々問題が発生することが予想されたので、事務局は昭和四八年一二月一〇日まで存続して、問題の解決にあたった。

 

 自衛隊関係全国税務協議会創立十周年記念式典式辞・祝辞

 ○会長式辞

 式 辞

 本日茲に本会第十回総会を開催いたしましたところ御来賓の皆様並に関係各位におかれましては御繁忙のところ且はこの暑中にも拘らず、多数御来席いただきまして洵に有難うございました。御承知の通り、昭和二十八年発足して以来関係各省、庁の御懇篤なる御指導の下に、われわれ関係市

町村が一致団結いたしまして努力したその実りが本会現在の好成績を納めておるのでありまして、ここに創立十周年を迎えこれが記念式典を挙行出来ますことは洵に御同慶に堪えないところでございます。顧みまするに本会発足当時から現在に至る歩みにおきまして当時の全国関係市町村の各位がいかに御理解があって、この強固な団結が出来得たかということを考えるものであります。

 本日御出席の各位のうちには、本会結成当時の模様をつぶさには御承知ない向きもあると存じますので、この記念すべき第十回総会に当り創立当時の全国の模様、本会結成の経過等をお話申し上げて今後とも本会発展のため一層の御協力をお願いいたしたいと存じます。私がはじめて練馬区長に就任いたしましたのは昭和二十六年九月でありましたが、当時の練馬区は人口わずかに十二万余、その年額総予算も亦一億三百余万円に過ぎないという状況でありました。この当時の練馬区は板橋区より分離独立して四年目といういわゆる新興区でありまして面積においては東京都二十三区中第三位の広大な地域を擁し乍ら人口においては最下位という有様で、これが財政におきましても区税収入額は需要額の半分そこそこという誠に貧弱な区でありました。

 しかも就任してみますると区税の徴収率がこれ又甚だ低調でありまして、この際健全財政を保つためには遺憾ながら徴税においてもより厳重なる措置をとらなければならぬと決意いたしまして、早速滞納処分の強化に着手、先ず現在の自衛隊第一師団本部があります北町地区一帯の滞納分の差し押えを始めたのであります。ところが偶然にもその地域には区議会唯一人の共産党員の区会議員が居りまして、このことを知ると早速私の部屋に参りまして「区長あまりひどいことをするな、国家公務員である保安隊員がわずか三〇%程度の納税成績しかあげていないのに、一般民間人を対象とする普通徴収では八〇%からの成績をあげているではないか。それなのに民間人の三分の一の低い成績しかおさめていない国家公務員である隊員の税金を放っておいて好成績の民間側を差し押えるとは何事であるか。」という抗議を受けたのであります。そこで色々説明をいたしたのでありますが「国は国民の血税で保安隊をつくり各所在市町村に厄介になりながら隊員の税金は満足に払わせない。こんなことでは党本部に連絡して全国的に保安隊廃止と、納税反対の運動をやる外ない。」ということを申し入れて参ったのであります。

 御案内とも存じますが当時保安隊員に対する住民税の賦課徴収については普通徴収の方法により行われておりまして、その職務の性質上頻繁な移動が行われるために、課税権の帰属問題とか、納税義務者の所在不明とか、色々な悪条件を生じ課税市町村にとって極めて不備、不便の点が多くその徴収成績も全国平均三〇数%という現在では想像もつかない程悪い状態でありました。練馬区におきましても同様でありまして、このままでは一般区民の納税意欲に悪影響を及ぼすことになりかねないと考えまして当時の第一管区本部にお願いしまして隊員の納税貯蓄組合を結成していただくとか種々積極的手段を講じて見ましたが結果は四〇%そこそこの成績より向上せず、この下は共通の悩みをもつ関係市町村が手を結んで特別徴収の方法に切り替えていただくよう御当局にお願いする外ないと考えておりました。そこへ共産党議員からのこのような抗議申し入れがあった訳でありまして、この問題を大きく共産党が運動方針としてとりあげた場合地方

財政に及ぼす影響の重大さを憂えまして、早速当時の自治庁に参りしてつぶさに事情を御報告しこれが善処方をお願いするとともに、保安庁にも御相談をいただいのであります。一方在京所在市、区の御意見を伺いましたところ皆同様なお考えでありましたので協議の結果、全国所在市町村に呼びかけこれが目的達成のため関係当局に共同陳情することに意見の一致を見たのであります。爾来練馬区において準備をすすめ、全国所在市町村大方の御賛同を得ましたので、更に具体的推進を図るべく翌二十八年八月東京区政会館に、第一管区所在市町村の方々にお集りをいただきまして保安隊関係連絡税務協議会乃ち現在の第一ブロック協議会を結成いたすと同時にときの自治庁長官、保安庁長官、衆・参両院議長、並に地方財政審議会長、第一管区総監宛に「今後保安隊員の市町村民税の徴収については特別徴収の方法により徴収できるよう至急善処されたい」旨の陳情書を提出いたしたのであります。

 ところが自治庁におかれても保安官の市町村民税の徴収方法につき夫々関係方面と連絡検討されておりまして、独り第一管区、……当時は現在の東部及東北方面と中部方面の一部の管内を第一管区と申しましたが。……「第一管区のみでは所期の効果は挙がらない。これが実効を挙げるには全国の関係市町村が打って一丸となり全国統一組織を結成して保安庁の協力を得る以外に方法はない。それが出来れば必ず徴収方法の改善に努力しよう」との御約束をいただいのであります。

 そこでこの第四ブロックには私のところの助役が参りまして熊本市長さんにお願い申上管内関係市町村にお勧めをいただいたのでございます。そして第三ブロックには私が、第二ブロックの北海道にはときの税務課長が伺いまして夫々御協力をお願いいたしたのでございます。その結果全国関係市町村の御賛同を得ましたので同年十二月二十一日より三日間に亘り練馬公民館において全国関係市町村会議を開催いたし、自治庁、保安庁の御指導と御協力をいただき、ここにはじめて保安隊関係全国税務協議会の誕生を見たのでございます。そうして翌二十九年二月には遂に待望の「保安官に係る市町村民税は昭和二十九年度より特別徴収の方法により取扱う」旨の自治庁通達が出されまして漸く現在のような徴税率九九%という好成績を見るに至ったのであります。この間のことを考えますと当時の関係市町村が深い理解と強い団結により相互協力した賜であることは申すまでもありませんが自治庁、保安庁、当時の方々があの事務繁忙の中にありまして能く市町村側の苦衷を御賢察下さいまして積極的に御指導、御奔走賜りましたことは私にとりましても終生忘れることの出来ない感激でございます。殊に当時の保安庁におきましては特別徴収の方法を実施する場合一〇〇人以上の会計担当官を増員しなければ出来ないということで一部には強い反対の向もございましたが本日御臨席をいただいております、そのときの内局並に各幕の担当官の方々の御理解ある御力添えと長官の御決断によりまして全面的御協力をいただくことが出来まして現在の協議会の隆昌を見るに至ったのでございます。茲に十周年記念式典をあげるに当り、当時を回想いたしますとき感慨更に一層でございます。この席上をかりまして自治省、防衛庁当時の方々の御厚志に対し協議会を代表いたしまして心から謝意を表する次第でございます。

 尚発足当時は僅か三百余の加入市町村でありました本協議会も十年の年輪を加えると共に保安隊は自衛隊と移り替り隊の充実強化に伴い駐在市町

村も年々逓増の一途をたどり現在では実に一千有余の加入市町村を数えるに至りました。随いまして本会運営の衝にあります事務局の事務量も亦著しく膨張して参っております。

 さきに経過の中でお話し申し上げました通り私が本会設立の提唱者であり且つ当初より引続き会長の重責を仰せ付かって参りました関係から、大してお役にはたたなかったかも知れませんが私のところの税務課職員の奉仕によりこの十年間事務局の運営をいたして参ったのであります。しかるに先般の国勢調査による人口増加率において全国第一位にあります我が練馬区は年々三万有余の人口増加を看、これに伴う事務事業の激増と、加えて今回の課税方式改正による事務の急増とによりまして税務課配属の職員も急激に手薄にあいなり、事務局のお世話まではなんとも手が届きかねるという苦境に立ち至りました。幸い本会も十年の年代を経て極めて健に育ち、益々相互協力団体としての力強さを具えて参りましたことは洵に喜ばしい限りでございます。これを機会に副会長会の決定通り会員各位の御理解ある御賛同をいただきました本会振進のセンターである事務局の独立と専任職員の充足強化とにより、これが円滑なる運営と本会将来のより堅実な発展を期待するものであります。

 ここに式辞を結ぶにあたり本会十年の星霜の間、各位から寄せられました御厚志に対し謹んで御礼申しあげますと共に今後とも何分の御支援、御協力を賜わりますようお願いいたします。尚本総会開催については第四ブロック協議会、特に当熊本市の市長さん、議長さんを始関係皆さんの絶大なる御賛助と御奉仕とにより斯くも盛大に挙行出来ますことを御報告申し上げますと共にその御厚志に対し心から感謝申し上げる次第でございます。洵に有難うございました。

 最後に今朝宿を出がけに、この十年の歩みを回想しながらものしました腰折れを御披露いたしまして御挨拶を終ります。

 今の税金のことを昔は、分米、分銭と言い、総称して年貢と申しました。これは「貢(みつぎ)」とも申します。

   国守る大和おのこの貢をば

        果して嬉しともに十年

 昭和三十七年八月八日

       自衛隊関係全国税務協議会 会長 須田 操

 

○横山自治省市町村税課長補佐 篠田自治大臣の祝辞を代読いたします。

 祝辞

 自衛隊全国税務協議会の創立十周年を記念する第十回総会が開催されるにあたり一言御祝辞を申し述べます。自衛隊関係全国税務協議会は自衛隊員に関る住民税を賦課徴収するについて自衛隊の職務、隊員の特殊性に基づき税務事務の困難性に対処する為に関係市町村が相寄り相携えてもって税務行政の円滑なる運営を期することを目的とせられる団体であります。当会は昭和二十八年末東京都練馬区を初めとする関係市町村に依って、保安隊関係全国税務協議会として結成されまして以来、関係官庁との連絡のもと、会の目的たる住民税の賦課徴収事務の共同処理並びに共同調査研究に誠心努力を重ねて来られたのでありまして、ここに十周年の歴史を築かれたのであります。承りますれば発足当初は加入市町村数三百六十二、住民税調定額一億二千九百万円、徴収率わずか四十%に過ぎなかったものが、

十年を経ました今日では加入市町村が一千三十二、調定額四億四千九百万円、しかして徴収率は実に九九・七%と飛躍的向上を見ておられるのであります。かかる成果は関係官庁の協力と共に、当会加入全市町村関係者のたゆみない努力と見事なチームワークに依り初めてもたらすものと関係者一同心から敬意を表する次第であります。自主財源の充実あってこそ市町村の自治は健在であり国民生活の向上とともに自治行政の果すべき役割は益々広範かつ重大となっております。本日この記念すべき総会に参会せられた方々の総べてがこの機会に自治を荷うその責務について思いを新たにされ今後一層の研鑽をせられると共に当協議会が益々発展しその目的達成のために遺憾なく成果を上げられることを要望して祝辞といたします。

 昭和三十七年八月八日

              自治大臣 篠田弘作(代読)

 

○西部方面総監部 熊谷陸将補

 祝辞

 此度自衛隊関係全国税務協議会設立十周年を迎え第十回総会を開催されるに際しお祝を述べる機会を得ましたことは誠に光栄の至りに存じます。御承知の通り、自衛隊は、その部隊等が全国に散在している関係から広大なる人員が分散しているのに加えて、隊務遂行上移動が多く市町村民税の賦課徴収事務の困難がつとに指摘されていたところであります。このために昭和二十八年関係市町村に依る自衛隊関係全国税務協議会が設立され、以後、自治省の指導のもとに特別徴収制度が施行され、更に数次にわたり、関係市町村間の緊密な連絡と調整の結果十年を経過した今日、徴収率の飛躍的な好成績をおさめていることは会の発足以前より引き続き御尽力されている練馬区長の須田操氏初め関係市町村長並びに協議会事務局の皆様の御努力の賜でありまして地方財政の健全化と税務処理の能率化のため誠に御同慶にたえないところであります。本総会におきまして関係市町村より提出された議題に従い徴収率、事務改善について検討する機会を持たれた事は極めて有意義でありその成果を注目して期待しているところであります。自衛隊の市町村民税の納税につきましては、会の設立の趣旨に沿い今後も御協力申し上げる所存でありますので、従来同様適切なる御指導をいただけるようお願いいたしたいと存じます。簡単ではありますが、これをもちまして祝辞といたします。

 昭和三十七年八月八日

            防衛庁長官 志賀健次郎(代読)

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<節>

第五節 税収の現況
<本文>

昭和五三年度における練馬区の地方税収入額は、特別区税(以下「区税」と略称する。)が約二一二億円、都税が約三四八億円であった。これを二三区との対比でみると、区税は二三区中第四位で総区税収入の六%であるが、都税は二三区中第一二位で区部の都税収入(二三区都税事務所税収合計)の二・四%となっている。

ちなみに、昭和五三年一月一日における練馬区の人口は約五五万八〇〇〇人で、二三区中第四位、区部総人口の六・七%に相当しており、練馬区の税収では区税収入がこの人口の位置づけに近い。

これら税収の税目別内訳をみると、区税については表<数2>13―<数2>12のとおりであり、その構成比は特別区民税八九・三%、軽自動車税〇・三%、特別区たばこ消費税六・八%、電気税とガス税で三・六%となっている。

一方二三区全体の税目別収入構成比をみると、特別区民税は八一・二%、軽自動車税〇・三%、特別区たばこ消費税一一・九%、電気税とガス税で六・六%となっており、二三区と比べ練馬区の特別区民税に対する依存度の大きさが目立つ。

また、練馬区の税収が二三区の税収に占める割合も、特別区民税は六・六%と人口比にほば見合っているが、たばこ、電気・ガスの諸税は人口比の半分程度にすぎない。

なお、収入率(課税額に対する収入額の割合)をみると、たばこ・電気・ガスの諸税は一〇〇%であるが、特別区民税は九〇%台、軽自動車税は八〇%台で、軽自動車税の収入率が低い。一般に大都市は住民の異動が激しいため、収入率が地方都市より低い傾向にあるが、軽自動車税はさらに定置場が課税地となっていること、税額が少額であること等の要因が重なって、収入率を低くしている。

練馬区と二三区の収入率を対比すると、特別区民税ではいずれも九三%余で大差はないが、軽自動車税では練馬区が八〇

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・七%で、二三区より三・三%低いのが目立つ。これは練馬に陸運事務所が所在している関係から、軽自動車の定置場のみを練馬区内におく者が多いためと思われる。

次に都税についてみると、昭和五二年度の収入額であるが、表<数2>13―<数2>13のとおりであり、その構成比は都民税三二・八%(個人分二六・八%、法人分六・〇%)、事業税一〇・七%(個人分一・一%、法人分九・六%)、固定資産税三四・三%、自動車税七・八%、都市計画税九・二%で、都税一八税目中以上の五税目で九四・八%を占めている(ただし、都たばこ消費税は渋谷都税事務所で一括課徴しているので、練馬都税事務所の所管する都税は一七税目である)。

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これを二三区の税目別収入構成と対比すると、二三区では都民税三〇・七%(個人分九%、法人分二一・七%)、事業税三一・六%(個人分〇・五%、法人分三一・一%)、固定資産税一八・六%、自動車税二・五%、都市計画税三・八%で、以上の五税目で八七・二%、これに料理飲食等消費税四・六%を加えても九一・八%となっており、練馬区の都民税、固定資産税、自動車税、都市計画税の比重の高さが目立つ。とりわけ、都税の主要税目である法人都民税と

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法人事業税については、練馬区の比重は極めて低く、二三区の税収中に占める割合もそれぞれ〇・六%にすぎない。

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自動車税は逆に二三区税収の六・九%と、人口比をやや上回っている。

また収入率についてみると、不動産取得税、料理飲食等消費税、特別土地保有税、自動車取得税の四税目のほかの都税は九〇%をこえているが、練馬区と二三区を対比すると、個人都民税、娯楽施設利用税を除いて、各税目とも練馬区の収入率は二三区より低い。

現在、練馬区は区の面積の八〇%以上が都市計画上の住居専用地域であり、住居地域や日用品の供給を主体とした近隣商業地域を含めると、九五%に達するという極めて純度の高い住宅地域となっている。

区内の事業所は、西武鉄道の駅前や主要道路沿いの商店街を中心として、小売業、サービス業、製造業等が広がっているが、製造業のウエイトは低く、しかも、事業所の多くは中小零細企業で占められている(図<数2>13―1、表<数2>13―<数2>14)。

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練馬区における税収の税目別構成の特色は、こうした区内の地域特性を直接反映しているといえよう。

なお、区税および都税収入の税目別構成を二三区別に示すと、図<数2>13―2・3のとおりである。区税、都税ともに税目別構成比の相違から各区の特色がうかがえるが、練馬区は、特別区民税の比重では世田谷区、杉並区についで二三区で三番目に高い区であることが図<数2>13―2から、また、法人二税の比重では二三区で最も低い区であることが図<数2>13―3から読みとれる。

さて、次に区税の大宗を占める特別区民税の納税義務者数についてふれてみよう。これは個人都民税の納税義務者でもあるが、所得区分別のそれは表<数2>13―<数2>15の<項番>(1)のとおりである。

給与、営業、農業、その他の事業、そ

の他の五つの所得区分別の構成比は練馬区、二三区ともほぼ同様で、給与所得者が約八四%と大部分を占め、営業所得者の約八%がこれについでいる。しかし、練馬区の納税義務者数が二三区中に占める割合では、農業所得者が約一九%と特に多くなっており、専業農家が極端に減少した今日、なお二三区内で最も高い農家人口をもつ練馬区の特色を示している。

普通徴収(納税義務者が個別に直接納税する方式)と特別徴収(事業所の責任者を通じて納税する方式)の徴収区分別の構成比も、練馬区、二三区ともほぼ同様で、特別徴収分が約六二%を占め、残りが普通徴収となっている(表<数2>13―<数2>15の<項番>(2))。

なお、納税義務者が区内人口に占める割合をみると、練馬区では三七・九%となり、二三区より四・四%少くなっている。そのため、練馬区の納税義務者の二三区中に占める割合は六%と、人口比より〇・七ポイント低くなっている。

また、納税者の所得階層構成をみるため、所得割の課税標準(収入額から必要経費と所得控除額を差し引いた課税所得金額)段階別の資料から練馬区と二三区を対比すると、図<数2>13―4に示すとおりとなり、一一〇~一五〇万円層を境に、課税標準の低い階層の割合は練馬区より二三区の方が多く、課税標準の高い階層の割合は二三区より練馬区の方が多い。一一〇万円以下の階層は、練馬区の五三・六%に対し二三区は五八・六%で、練馬区は二三区より五%少い。

<節>
第六節 税収の推移
<本文>

昭和二二年練馬区の誕生以来、練馬区における区税および都税収入は、昭和二五年度のシャウプ勧告による新地方税制の発足、昭和四〇年度の都区税制の再編成という大きな制度の改正を経験した。

いま、新地方税制が発足した昭和二五年度から現在までの、練馬区と二三区の区税および都税収入を年次別にたどってみると、図<数2>13―5のような軌跡が描かれる。

昭和二五年度における練馬区の税収は、区税が一億一〇〇〇万円、都税が一億四〇〇〇万円ほどであったので、昭和五三

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年度の税収は、区税で一九〇倍、都税で二五〇倍に増加したことになる。同期間の二三区の税収の伸びをみると、区税は五八倍、都税は七八倍であり、練馬区の増加率は区税、都税とも二三区の三・二倍になっている。

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この間における人口の推移をみると、練馬区は昭和二五年の約一二万人の人口が、五三年には五五万八〇〇〇人と四・六倍に増加し、同期間の二三区人口が五一六万人から八三一万五〇〇〇人へと一・六倍に増加しているのに対し、増加率で三倍近く上回る増加ぶりをみせている。

とりわけ、昭和四〇年代に入って人口減少傾向の目立つ二三区内にあって、練馬区は最近まで人口の増加が続き、その増加率は二三区中で最も高くなっている(表<数2>13―<数2>16)。

練馬区における税収の急激な増加は、こうした二三区最大の人口の増加とそれによる都市化の進展に加え、それを上回る区民所得や電気・ガス・たばこ・飲食面の消費の伸び、住宅・自動車といった資産の増加等が作用しているものと思われる。

こうした税収の増勢の中で、現行税制が発足した昭和四〇年度の練馬区の税収は、前年度に比べて区税収入は急減し、逆に都税収入が激増している。

昭和四〇年度は、それまで区税とされていた府県民税個人分が都税となり、逆に都税とされていた市町村たばこ消費税、電気・ガス税、鉱産税および都軽自動車税が区税となった年であることは、税制の推移でみてきたとおりである。

この改正による税収の増減をみると、練馬区の昭和四〇年度の税収のうち、区税と

なった新税目四税の収入が約四億九〇〇万円、都税となった個人都民税が約一〇億九二〇〇万円で、新税制によるこの増減では区税分が六億八三〇〇万円の減収となっている。しかし区税収入は、他の税目の増収もあって、前年度に比べ二四〇〇万円、一%の減少にとどまった。これに対し都税では、他の税目の増収も含め、前年度に比べ四〇年度は一三億一一〇〇万円、八〇%の増収となっている。

二三区全体の推移をみると、昭和四〇年度に個人都民税約二四四億円が区税から都税に、たばこ他三税約一八一億が都税から区税となり、この入れかえで区税は約六三億円、九%弱の減少になっている。他の税目を含めた税収の昭和三九年度と四〇年度との対比では、区税で四八億九四〇〇万円、八・二%の増加、都税で二八九億九九〇〇万円、九・四%の増加となっており、区税、都税ともに練馬区の区税のような減収はみせていない。

これらの税収は税目別にはどう推移しているのだろうか。次に、昭和四〇年度の現行税制発足以降を中心に、税目別の推移を概観してみよう。

区税の推移

昭和二五年度から五三年度までの、練馬区と二三区の区税収入は表<数2>13―<数2>17のとおりであり、昭和五三年度収入額は四〇年度収入額に対して、二三区は五・五倍であるが、練馬区は八・九倍となっている。同期間の二三区各区の伸び率は図<数2>13―2に示したとおりであり、練馬区の伸び率は二三区の中で最も大きく、他区をはるかに引き離している。

しかし、収入率の推移をみると、練馬区の収入率は年々向上してはいるものの二三区の平均値を下回っており、昭和五三年度の収入率も九三・八%で、二三区より〇・五ポイント低くなっている。

次に、区税収入の税目別推移を考察する。

練馬区の税目別収入額の推移を図示すると図<数2>13―6のとおりとなるが、昭和四〇年度の収入額を一〇〇として指数化し、練馬区と二三区を対比すると、表<数2>13―<数2>18のとおりとなる。

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税目別の伸び率をみると、練馬区、二三区とも特別区民税が最も大きく、ついで特別区たばこ消費税、電気税・ガス税、軽自動車税となっており、昭和四〇年度に対する五三年度の特別区民税の伸び率は、軽自動車税の伸び率の三・八倍にもなっている。特別区民税の伸びが高いのは、同税の税率が所得額に比例した累進課税となっているためである。

また、練馬区の伸び率は各税目とも二三区の伸び率よりも大きく、そのため練馬区の税収が二三区の中で占める割合も、年々増加している。

昭和五三年度収入額が四〇年度の九・六倍に増加した練馬区の特別区民税について、納税義務者数の推移をみると表<数2>13―<数2>19のとおりであり、その殆どを占める現年度分の納税義務者数は、昭和四〇年度の一四万九〇〇〇人が、五三年度の二一万一〇〇〇人余に一・四倍に増加したにすぎない。

また、昭和五三年度収入額が四〇年度の二・五倍に増加した練馬区の軽自動車税について、登録台数の推移を示すと図<数2>13―7のとおりであり、昭和四〇年度の二万二五七六台が、五三年度には三万五四六三台になり、約一・六倍に増加している。このうち、とりわけ五〇<数2>ccクラスのバイクの増加が顕著である。

区税収入で特別区民税につぐ税目となっている特別区たばこ消費税収入額は、練馬区では昭和五三年度は四〇年度の七・一倍と大きな伸びをみせている。しかし、収入額を人口一人当りに換算すると、五三年度の練馬区は二五七五円、二三区は五〇三二円となり、練馬区のそれは二三区の中で最も低い。練馬区のこの税収が二三区に占める割合は年々増加してはいるものの、ようやく人口比の半分程度にすぎない。

昭和四〇年度から区税となった電気・ガス税は、以後徐々に税率が緩和され、また、免税点の引き上げも行なわれているが、練馬区の税収は五三年度で四〇年度の四・一倍に増加している。しかし、二三区中に占める割合は三%程度であり、さほどの増減はみせていない。

次に練馬区と二三区について区税収入額の推移を年度別の税目別構成比の変化でみると、昭和二五年度の税制発足以来、

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一貫して特別区民税が税収の大宗を占めてはいるが、昭和四〇年度の税制改正を境として、税収構成に大きな転換があったことが目立っている(図<数2>13―8)。

昭和三九年度までの区税は、府県民税個人分が特別区民税とされていたこともあって、税収の殆どが特別区民税で占められており、税目別構成比も練馬区と二三区とがほぼ同様となっている。

しかし、税制改正があった昭和四〇年以後は、特別区民税以外の税収の構成比が増大し、相対的に特別区民税の比重が小さくなっている。この変化は練馬区より二三区の方が著しいが、その後の推移では、練馬区、二三区ともに、再び特別区民税の比重が次第に増大する傾向をみせている。

都税の推移

昭和二五年度から五三年度までの練馬区と二三区の都税収入は表<数2>13―<数2>20のとおりであり、昭和五三年度収入額は四〇年度収入額に対して、二三区は六・六倍であるが、練馬区は一一・九倍に急増している。同期間の二三区各区の伸び率は図<数2>13―3に示したとおりであり、練馬区の伸び率は二三区の中で最も大きく、他区をはるかに引き離している。

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しかし、収入率の推移をみると、練馬区の収入率は年々向上しているものの、昭和三五年度以降は二三区の平均値を下回っており、昭和五三年度の収入率も八九・五%で、二三区より六・二ポイントも低くなっている。

これをさきにみた区税と比較すると、練馬区の都税は区税より伸び率は高いが、収入率と二三区中に占める税収の割合では、区税よりはるかに低くなっている。

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次に、税目別推移をみるため、昭和四〇年度の収入額を一〇〇として指数化し、税目別に練馬区と二三区を対比すると、表<数2>13―<数2>21のとおりとなる。これによって税目別の伸び率をみると、各税目とも練馬区の伸び率の方が二三区より大きくなっているが、税目別の伸び率の大きい順序は、練馬区と二三区とで相違している。

練馬区の昭和四〇年度に対する五二年度の伸び率は、都市計画税の三三・一倍が最も大きく、料理飲食等消費税の一五・八倍、固定資産税の一五・四倍、その他の目的税の一二・六倍、都民税の八倍と続いている。

これに対して二三区の同期間の伸び率は、都市計画税の一二・五倍が最も大きく、都民税の七・三倍、その他の目的税の六・九倍、固定資産税の六・六倍、事業税の五・七倍と続いており、都市計画税、固定資産税、不動産取得税と料理飲食等消費税の伸び率は、練馬区が二三区の二倍以上になっている。また、練馬区の自動車税は八倍に伸びて、二三区の二倍近い伸びをみせている。

練馬区の税収が二三区に占める割合では、各税目中自動車税が六%台で最も高く、五%台の都市計画税、四%台の固定資産税、不動産取得税、二%台の都民税、〇・七%台の事業税がこれに続いて、料理飲食等消費税は〇・四%となっている。このうち、自動車税と固定資産税は次第にその割合が大きくなっているが、その他の税目はその割合がほぼ一定している。

次に、練馬区と二三区について、都税収入額の推移を年度別の税目別構成比の変化でみると、練馬区と二三区の推移に大きな相違があることがわかる(図<数2>13―9)。

練馬区の収入では、昭和三九年度以前は固定資産税が大きな比重をしめ、昭和四〇年度以降都民税にその地位を渡したものの、五〇年度をすぎると再び固定資産税の比重が増大している。また、法人二税の比重は小さく、その構成比は大きな変化をみせていない。

これに対して二三区の収入では、昭和三九年度以前は事業税(大部分は法人分)についで「その他の普通税」の比重が大きくなっているのが目立っている。しかし、昭和四〇年度以降は「その他の普通税」に代って都民税(大半は法人分)の比重が

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年々増大し、事業税と肩を並べるまでになっている。

地方税の負担状況

昭和五三年度における練馬区の区税および都税収入から住民一人当りの地方税負担額を算出すると、区税分三万八〇三〇円、都税分六万二二八五円、合計一〇万三一五円となる(表<数2>13―<数2>22の<項番>(1))。

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昭和四〇年度からの推移をみると、区税分は六・四倍、都税分は八・六倍、合計で七・六倍に伸びており、同期間の二三区(六・五倍)、全国(六・七倍)より高い伸び率を示している(表<数2>13―<数2>22の<項番>(2))。

しかし、練馬区民の地方税平均負担額は、二三区と全国平均の地方税負担額のいずれより下回っている。

なお、区税と特別区民税の一人当り負担額を二三区の区別に示すと、図<数2>13―<数2>10のとおりである。

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また、地方税収額の推移を全国との対比で示すと、表<数2>13―<数2>23・<数2>24のとおりである。

この表から四〇年度以降の地方税収入額の動向をみると、練馬区は全国を大きく上回る伸びをみせているが、二三区の伸びは全国をやや下回り、その全国に占める税収額のウエイトも漸減する傾向をみせている。また、地方税収中に占める市町村税と道府県税の割合をみると、四五年度以降は市町村税・区税の割合が増加し、道府県税・都税の割合は減少している。しかしこの両者の割合は、全国と二三区では著しい相違をみせており、五三年度についてみても、全国では五四%対四六%と市町村税が道府県税を上回っているのに対して、二三区では一九%対八一%と区税の割合は都税を大幅に下回っている。地方税収入額におけるこの区税の割合の低さは、これまで述べた特別区における地方税制の独自なあり方をはっきりと示している。

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<章>

第十四章 広報・広聴・相談

<節>
第一節 広報
<本文>

区政に対する区民の意識は年とともに高まりをみせてきている。住環境をめぐるさまざまな問題に対して区民の認識が広まる一方、区政に課された仕事は複雑多岐なものとなり、区政と区との密接なつながりが強く望まれるところとなる。

広報活動はこうした区民と区とのコミュニケーションを円滑に進める窓口として重要な役割を担っている。その主な仕事は広報紙をはじめとする各種出版物の発行と報道機関に対する情報提供で、企画部広報課がこれに当っている。

<項>
出版物の発行
<本文>
ねりま区報

本区の定期広報紙であるねりま区報が過去取り上げて来た区政の現状や区内の動向、あるいはおしらせなどの情報量はおびただしいものになっている。

現在の区報の前身は、昭和二八年五月一一日、それまであった「区政ニュース」を改め、「練馬区広報」として創刊されたものである。その後四五年四月一五日に「ねりま区報」となって今日に至っているが、この間発行回数も適宜増え、四八年三月までは月一回(一五日発行)であったものが四月からは月二回(一日・一五日)となり、五〇年六月以降は月三回(一日・一一日・二一日)になった。

二八年の創刊から数えて、五五年一一月一一日版は四七五号目である。こうして過去四七五回にわたり発行された区報は

いわば区の二七年間の足跡を記し続けてきたわけである。いま二、三の区報からその一端を拾ってみる。

第一号二八年五月一一日)紙上には「暗渠進む千川上水」のみだしで、千川が商店街発展の障害となっており、交通対策上も無視できないものとして暗渠化への区民の要望が強く、前年度より工事が着手された事、二八年度は武蔵高校より練馬駅前までが予定されていることが報じられている。

第五〇号三七年三月七日)紙上は一面すべてを使って区民税が所得課税主義に改められる旨を報じ、その理由を説明している。この時の改正は前年四月の地方税法一部改正にともなうものである。

第一〇〇号四一年四月一五日)では、アメリカシロヒトリが六月から九月にかけて発生するので、各家庭での駆除に協力を依頼する呼びかけがあり、三九年一〇月に第一回目の開催を迎えた寿教室(六〇歳以上の老人対象)の四一年度開催予定が報じられている。場所は練馬公民館、受講料は無料、ただしお茶菓子代五〇円をそえて申し込んで下さい、とある。

第一五〇号四四年六月一五日)紙上には、「万一の交通事故のため」として交通災害共済への加入を呼びかけ、その意義を説明している。この制度は前年一〇月一日に二三区の共同のもとにスタートしたものである。

第二〇〇号四七年八月一五日)には、区を自然の木と花で埋めたいとする願いから区の花「つつじ」と木「こぶし」の図案を一般区民から募集した記事が掲載されている。応募作品は「つつじ」が五〇点、「こぶし」が一九点、七月二一日に選考委員会が開催されたが、この結果「つつじ」の図案が決定されたこと、「こぶし」は点数が少なく、今回は見送りとなったことなどが報じられている。

第三〇〇号五一年四月一一日)紙上は風しんの流行が取りあげられ、去る四一年にも東京だけで三万四〇〇〇人の患者を数えたこと、その周期は約九年であることなどが説明され、とくに妊産婦への注意が述べられている。また裏面にはカタクリの花の写真が掲載され、保護への呼びかけを行なっている。

第四〇〇号五三年一二月一一日)には、一面に石神井保健所新庁舎が完成された旨の記事が大きく取り上げられている。

保健所は東京都の仕事であったが、五〇年度より区に移管された。また三面には武蔵関駅の北口が完成したと報じられている。

第四七五号五五年一一月一一日)の一面は「都市計画道路再検討」と題して、区の意見が公開された。道路問題は本区にとって最も重要な課題のひとつである。都の計画してきた道路に対して近年さまざまな住民運動が展開され、都では再検討の必要性に迫られた。四七年以降見直しを行なってきたが、五四年一二月「都市計画道路再検討素案」を発表した。これに対する区民の意見を盛り込んで区議会および区の都市計画審議会でまとめられたものが「区の意見(全文)」として掲載されたのである。

要点は道路の機能面のみのメリットだけでなく、さまざまなデメリット面を深く追求しなくてはならないとする姿勢にある。

以上ざっと目を通しただけでも当時の区の抱えていた問題の一面が浮かび上がる。現在の紙面はタブロイド版四ページが通常であるが適宜特集号を組むなど増ページされることもある。発行部数は二二万五二〇〇部(五五年一一月現在)で主要日刊紙に折り込み、各家庭に配布されている。また区内各駅、区の公共施設窓口などにも相当部数が置かれており、広く区民に行きわたるよう配慮されている。

わたしの便利帳

区の事業内容、施設状況、または区民生活に関連する一般公共施設などの現況を盛り込んだ区政案内である。これ一冊で区政のあらましはおよそ理解できる仕組みになっており、区民が区を利用するための手引きとしても役立っている。

四三年度より毎年新たに編集されており、希望者に庁舎および出張所などの窓口で配布している。当初は都の仕事として行なわれてきたが、五三年一月発行のものからは区予算で作られることとなった。また五五年度には各家庭にも配布されたが、以後は隔年発行の予定である。

区勢概要

区内の情勢、区の行財政の実績、および主要官公署の仕事などの概要を各分野別にとりまとめ、毎年一冊発行されている。本区の現状はほぼこれに網羅され、別に調査統計係から出版されている「練馬区統計書」(数字資料)と合わせてみれば各年度の情勢はおよそ把握できる。

区勢概要の前身は「区政要覧」と称し、現在の統計書の機能を兼ね備えた内容のものであった。区政要覧の発刊は二五年度版(二六年発行)で、それ以前のものは見当らない。「区勢概要」となったのは二八年版からであるが、内容は統計書ができる四〇年まで区政要覧の延長線上にある。現在一般区民向けに発行されてはいないが、区立図書館あるいは庁舎の資料コーナーなどで閲覧に供している。

子ども広報「ねりまのこども」

小学校三年生から六年生までを対象として、子どもの地域社会への関心を深め、同時に子ども間の相互交流を目的に五〇年度より創設された。当初は年度二回の発行をみたが、翌五一年度からは三回発行されることになった。五五年度現在の発行部数は三万九〇〇〇部で、各小学校に配送、対象児童に手渡されている。

写真集

本区の民情を中心テーマとした写真集は過去三度発行されている。それぞれ区政一〇周年、二〇周年、三〇周年を記念して企画されたものである。このうち一〇周年と三〇周年の企画を企画部(一〇周年時点は企画課)二〇周年は総務部で扱ったが、いずれも提供写真を主体として編集されている。それぞれの時代性を反映する資料として今日大きな評価を得ている。

庁内広報「職員報ねりま」

区職員の知識向上、職場の情報と意思疎通を目的とし、四三年九月に創刊された。区政の動きあるいは問題点を示し、職員ひとりひとりの認識を高めてゆこうとする啓蒙紙である。当初は定期刊行物ではなかったが、四七年度には隔月となり、翌四八年度からは月刊となった。

その他の刊行物

これまで定期的に発行されている出版物を中心にみてきたが、企画部あるいは広報課が適宜企画し編集した刊行物は枚挙にいとまがない。一々についての詳述はここでは省くが、『現勢資料編』一一八二ページ以下にあらましが掲載されている。必要の向きはこれを参照されたい。

<項>
視覚障害者広報
<本文>

目の不自由な人を対象に本区では点字区報および声の区報(録音テープ)を発行し、対象者に郵送している。

点字区報は四五年四月から月一回の発行を開始し、五一年四月より月二回となり、さらに五三年四月以降月三回となった(三日・一三日・一三日発行)。形状はB五版約四〇ページもので五五年現在の部数は一一〇部である。

声の区報は六〇分の録音テープ一本分にまとめた情報を対象者宛てに貸し出し、聴取後返却を願う形をとっている。四八年七月以降月一回発行され、五一年四月から月二回、五三年四月より月三回になったのは点字区報に準拠したものである。部数は五五年現在一七〇部を制作している。

以上のほかに五三年三月には「公共施設等の案内地図=点字版」が発行され好評を博している。

<項>
区政映画制作
<本文>

区政への理解を深めてもらうことを目的として、自然や行事あるいは区の仕事などを映画にとり広く貸し出しを行なっている。第一作目は四二年に制作されており、以後適宜企画され、今日では一年から二年に一本の割でつくられている。これまでに制作された映画は次のとおりである。

太陽と緑の練馬」(四二年)区政二〇周年記念映画である。一六ミリ・カラー、四〇分もの。

明日のねりまをめざして」(四九年)区の事務事業の紹介と将来の町づくりへの区民参加を呼びかけたものである。一六

ミリ・カラー、一五分。

樹令の詩」(四九年)本区での重要な課題のひとつである福祉問題のうち、老人福祉を取り扱ったもので、ひとり暮らし老人の実態を描く。一六ミリ・カラー、一五分。

’75ねりまの記録」(五一年)四九年から五〇年にかけての記録映画である。ことに五〇年は都の事業が大幅に区に移管され、区長公選も二四年ぶりに復活するなど区の自治にとっても激動の年であった。区民運動も活発に行なわれ、一方災害に対する意識も深まっている。こうした区民と区との動きをテーマにまとめている。一六ミリ・カラー、二〇分。

ただ今、三〇才=<数3>'77ねりまレポート」(五三年)区独立三〇周年を記念して制作され、テーマは「緑に囲まれた静かで市民意識の高いまち」。区の抱えているさまざまな問題に対してアプローチし、区民の声などを折り込んでゆく。八ミリおよび一六ミリ・カラー、二六分。

わがまち練馬」(五四年)古くから練馬に伝わる行事を中心に風俗などにも触れ、練馬の「ふるさと」とは何であったかを問う。その上で人々の心の「ふれあい」に迫ろうとする。八ミリおよび一六ミリのカラー作品。

<項>
広報車
<本文>

区の施策にともなう特定地域への報知事項または緊急を要する連絡事項の生じた場合に出動する広報車は、三二年九月から活動を開始した。名称をねりま大根にちなんで「すずしろ号」と名づけ、当初は区民相談その他の事業にも適宜利用されていた。

四〇年に至って新たに広報車を買い替えたが、この時名称を区民から公募している。結果は「第二すずしろ号」に落ちつき、現在なお活躍中である。

<項>

資料コーナー
<本文>

区で発行する出版物や資料類その他刊行物を収集したコーナーで、一般区民の閲覧に供している。四七年一一月一日に現在の第一庁舎一階のロビーに開設され、五五年九月二日、第二庁舎二階へ移転した。蔵書数は約一二〇〇点である。

<節>
第二節 広聴
<本文>
対話集会

本区では、集団広聴活動の一環として、四八年度から対話集会を実施している。これは、区政に対するさまざまな意見、要望等区民の声を積極的に吸収して行政に反映させ、区民生活と環境整備の向上をねらいとして行なわれたものである。初年度の実施状況は後掲のとおりで、一三回実施された。教育、福祉、区政関係の集会が多く実施されており、区民の関心の程がうかがえる。

その後も、対話集会は、区民の要望に応じて毎年開催されている。集会名には区民の関心の対象が反映されており、本区のかかえている問題の一端を知ることができる。

昭和四八年度記録
集会名会場開催日参加人員
福祉を考える 石神井庁舎四階会議室 昭和四八・ 六・ 四(月)  ――
福祉を考える 区役所五階会議室   〃   六・一二(月)  ――
豊玉地区教育こん談会 豊玉第二小図書室   〃  一〇・二〇(土)  ――

障害児をもつ親の会との対話

練馬保健所   〃  一〇・二一(日)  ――
区政一般 練馬公民館二階   〃  一〇・二六(金)  ――
公害をなくす会 区役所五階会議室   〃  一一・一〇(土)  ――
大泉地区教育こん談会 大泉中学校   〃  一一・一七(土)  ――
区政一般 石神井庁舎四階会議室   〃  一一・一七(土)  ――
区政一般 区役所五階会議室   〃  一一・二〇(火)  ――
保育園保護者連合会との対話 区役所   〃  一二・二一(金)  ――
練馬不就学児をなくす会との対話 区役所五階会議室   〃  一二・二二(土)  ――
土木クラブ・土建協力会との対話 練馬公民館二階 昭和四九・ 一・一九(土)  ――
練馬区生活防衛区民集会 練馬公民館講堂   〃   二・二三(土)  ――
昭和四九年度記録
集会名会場開催日参加人員
練馬不就学児問題について 練馬庁舎五階会議室 昭和四九・ 四・ 三(水)  六〇
農業の振興について 練馬農協春日町本店   〃   四・一〇(水)  五〇
グラントハイツ問題について むつみ台団地集会所   〃   四・二一(日)  七一
公営住宅問題について 石神井区民館五階展示室   〃   四・二四(水)  九〇
私立幼稚園について 練馬庁舎五階会議室   〃   四・二七(土)  四五
福祉について 区議会第一会議室   〃   五・二二(水)  二八
ニチバン跡地利用について 協和銀行中村橋支店   〃   五・三一(金)  七〇

働く婦人の悩みについて

石神井区民館四階集会室 昭和四九・ 八・二九(木)  五〇
老人福祉について 練馬公民館講堂   〃   九・一九(木)  六八
練馬の教育施設を考える 練馬庁舎五階会議室   〃  一〇・二一(月)  七〇
環境問題について 関区民館会議室   〃  一二・二三(月)  三〇
練馬障害児問題について 練馬庁舎区長応接室 昭和五〇・ 一・一六(木) 一六
学校給食について 石神井区民館四階集会室   〃   一・二二(水)  三五
消費者センター設置を考える 練馬庁舎四階会議室   〃   二・ 三(月)  三五
環境問題について 大泉北小学校講堂   〃   二・ 八(土) 一二〇
西武線高架問題について 大泉小学校図書室   〃   三・一六(日)  一八
グラントハイツ跡地利用について むつみ台団地集会所   〃   三・一六(日)  五〇
(開催数一七回、参加総数七六六人)

なお、四九年度は、四八年一二月に作成した「練馬区基本構想(素案)」の説明会を区内各地で一五回開催し、延五一〇名の参加があった。これは、まちづくりの基本理念を定める構想およびそれを実現するための長期計画は、区民の参加を得て策定するとの考え方に基づいて開催されたものである。

昭和五〇年度記録
集会名会場開催日参加人員
仮称都立光ケ丘高校の建設について 練馬庁舎助役応接室 昭和五〇・ 八・ 九(土)  二五
グラントハイツ周辺問題について 練馬庁舎助役応接室   〃   九・二三(火)  二〇

保育全般について

練馬庁舎二階会議室   〃  一〇・ 二(木)  六〇
豊玉北三丁目都営住宅建替反対について 桜台幼稚園   〃  一〇・一四(火)  八〇
都立高校校増設について 教育委員会会議室   〃  一〇・二三(木)  七〇
グラントハイツ開発計画等について 田柄会館   〃  一〇・二三(木)  一八
中学生対話集会 練馬庁舎五階会議室 昭和五一・ 二・一四(土)  五〇
心身障害者福祉について 練馬庁舎五階会議室   〃   二・一八(水)  四八
保育料値上げについて 上野ビル三階会議室   〃   三・ 一(月)  二六
保育料問題について 石神井区民館五階会議室   〃   三・一五(月) 一五〇
(開催数一〇回、五四七人)
昭和五一年度記録
集会名会場開催日参加人員
都・区と話し合う会 石神井区民館五階展示室 昭和五一・ 五・二五(火) 二五〇
保育料改訂問題について 上野ビル三階会議室   〃   八・一一(水)  三〇
    〃 上石神井小学校講堂   〃   八・一三(金)  五〇
    〃 練馬公民館講堂   〃   八・一四(土)  八〇
災害対策について 関町北小学校講堂   〃  一一・ 九(火) 一〇〇
保育料改訂問題について 区議会第一・第二会議室   〃  一一・二六(金) 一〇〇
区財政および重点施策について 練馬公民館講堂 昭和五二・ 二・一五(火) 一〇〇
(開催数七回、七一〇人)

昭和五二年度記録
集会名会場開催日参加人員
生協活動について 石神井区民館 昭和五二・ 四・一二(火)  八○
福祉全般について 区議会会議室   〃   四・一四(木)  三○
石神井川改修について 関町小講堂   〃   四・一六(土)  六〇
消費者問題について 区議会会議室   〃   六・一五(水)  二〇
基本構想について 助役応接室   〃   六・一七(金)  二〇
保育問題全般について 区議会会議室   〃   六・一八(土)  三○
区政一般について 平和台四丁目   〃   八・ 八(月)  二〇
スーパー建設促進について 練馬庁舎五階会議室   〃  一〇・二〇(木)  六〇
スーパー建設反対について   〃   〃  一〇・二二(土)  六〇
区政一般について 区議会会議室   〃  一二・ 五(月)  三五
母子家庭優先施策について 区長応接室   〃  一二・二〇(火)  一〇
肢体不自由児対策について 助役応接室   〃  一二・二一(水)  一五
障害児保育について   〃   〃  一二・二二(木)  一〇
「成人の日」の集い対話集会 豊島園 昭和五三・ 一・一五(日)  三○
商工業従業員表彰者との集い 産業会館会議室   〃   二・二二(水)  一〇
学童クラブ新設について むつみ台団地集会室   〃   三・ 三(金)  四〇
(開催数一六回、五三〇人)

昭和五三年度記録
集会名会場開催日参加人員相手団体
集中豪雨について 練馬農協桜台支店 五三・ 四・二八(金)  五〇 罹災地周辺住民
城南住宅の諸問題について 城南住宅組合事務所 〃   五・一一(水)  四〇 城南住宅居住者
区立保育園長との集い会 庁舎五階会議室 〃   五・二九(月)  三五 園長
白子川への管渠接続について 吹上公民館(和光市) 〃   六・ 八(木)  九〇 和光市民
上石神井駅構内書店進出反対について 庁舎五階会議室 〃   九・ 二(土)  四〇 東京都書店組合練馬支部
障害者福祉(精薄者・児対策)について 〃  一〇・ 六(金)  四〇 練馬手をつなぐ親の会
学童クラブの増設について 中村児童館 五四・ 二・ 一(木)  二五 周辺関係者
石神井東中学校跡地利用について 庁舎五階会議室 〃   二・ 六(火)  一五 周辺関係者
区政一般について 助役応接室 〃   二・ 七(水)  三〇 住民運動団体
(開催数九回、三六五人)

なお、対話集会では、課題によって区長以下関係部・課長、学識経験者が出席し、区民との直接対話を行なっている。この行事が民主的な区政の推進に寄与するところは大きなものがある。

区政モニター

この制度は、区政モニターを通して区政に対する区民の意見や要望を継続的および体系的に聴いて、それらを区政に吸収反映させることをねらいとして、昭和四〇年に導入された。

発足当初は、一般公募によって二五名がモニター(任期は半年)となった。その後広聴活動が重視され、とりわけモニター制度の果たす役割が増大するに伴い、四九年度から、モニター数を三〇〇名に大幅増員した。五〇年度からは任期も二年

間となり、五二年度には募集方法もかわって、一五〇名が一般公募、残り一五〇名は選挙人名簿による無作為抽出によって委嘱されることになった。

区政モニター関係の活動は、大きく次の五つに分けられる。五四年度を中心にその活動状況を紹介すると次のとおりである。

<項番>(1)モニター会議には、全体会議、部門別会議、地区別会議、ブロック別会議がある。モニターは全員、生活環境、福祉、教育のいずれかの部門に所属しており、各部門では左のように会議が開かれた。本区では、区内を五地区に分け、各地区をさらに三ブロック計一五ブロックに分けているが、それぞれの単位で行なわれるものが、地区別およびブロック別会議である。

なお、このほかにモニターが自主的に運営する会議もある。

<項番>(2)モニター自治大学講座は、区民の自治意識の向上をねらいとして、四九年度から実施されている。五三年度は九月に四六〇名が参加して実施されたが、五四年度は選挙等の関係で中止された。

<項番>(3)モニターアンケートは、テーマ別に毎年三回程実施されている。五四年度は次のように実施された。

  •     テーマ               送付数    回収数    回収率
  • モニター会議のテーマおよび運営について   二九五通   二八〇通   九四・九%
  • 保健衛生について              二九二通   二七〇通   九二・五%
  • 特別区税について              二八八通   二四一通   八三・七%

<項番>(4)モニター随時通信は、各モニターが区政にかかわるさまざまな問題について、感じたことや意見等を随時伝達してもらうために実施されている。五四年度は、通信数一七五件があった。各通信は内容によって主管別に種分けされ、全体で一五九件が処理された(処理率九〇・九%)。

<項番>(5)モニターしんぶんとは、モニターの活動記録を掲載した、区長室発行の小冊子である。四九年一二月に第一号が出されて以来、五四年度末現在までに一七号が発行されている。

陳情

区民からの陳情や要望は直接行政担当者(区長)へ提出されるものと区議会へ提出されるものとがあるが、この項では区長への陳情について触れておく。

四八年一二月に区長室が開設されて以来、区長への陳情はここで一括して受けつけることとなった。受けつけられた陳情書類等は各担当主管部に回され、陳情者への適切な回答が行なわれる訳である。毎年受けつけられる陳情等は約二〇〇件から三〇〇件にのぼる。

広聴電話・葉書

区では昼間仕事の都合などで来庁できない人々のために夜の広聴電話を、また一般区民からの気軽な意見を聴くために広聴葉書を設けている。

広聴葉書は区の公共施設の窓口、あるいは区内各駅におかれている。

区民意識意向調査

この調査は、四五年度から行なわれており、当初は広報室(現広報課)が担当した。

<資料文 type="1-73">

  • 四五年度調査内容
  • ○区民のみた練馬区の生活環境 ○区民の定着性と近隣関係意識 ○区役所との接触と区政の情報源 ○区長の知名度と公選問題
  • ○区民の権利意識と区政参加意識 ○区発展のイメージと区行政への要望 ○グラントハイツ問題への関心と意見

調査のねらいは、区民の暮らしの実態や生活環境に対する意識および区政に対する意識意向と意見等を調べることによって、よりよい区政を実現しようとするところにある。四九年度からは、前年一二月に発足した区長室が調査を実施している。四九年度以降の調査内容は次のとおりである。

<資料文 type="1-73">

  • 四九年度調査内容
  • ○物価と消費者 ○生活環境 ○区民の定着性と近隣関係 ○区政への関心 ○区政への要望

<資料文 type="1-73">

  • 五〇年度調査内容
  • ○生活環境 ○区政への関心 ○近隣関係と地域社会 ○区政への要望 ○財政と福祉

<資料文 type="1-73">

  • 五一年度調査内容
  • ○医療問題

<資料文 type="1-73">

  • 五二年度調査内容
  • ○住宅 ○地域生活と区の行政(地域生活と区政への関心、地域生活における区民の共同性、生活環境の悪化、区役所・区行政のイメージ、図書館

<資料文 type="1-73">

  • 五三年度調査内容
  • ○教育(教育一般に関する意識、中学教育に関する意識、家庭教師、塾について、中学生の日常生活、教育のイメージ、教育行政への要望
  • ○区民生活と区の行政(練馬区民祭について、区役所イメージについて、区政の情報回路について、区の広聴活動について、生活環境の変化、重点施策希望

施設見学

区民に庁舎やその他の施設を見学してもらい、区政への理解と協力を願うため行なっているものである。一般区民による見学のほかに小学校での社会科の実習としても利用されている。

小学校では毎年三年生の児童を対象に実施し、そのためのパンフレットを配布するなど細かい配慮がなされている。

一日区長

本区では、板橋区から分離独立した昭和二二年八月一日を記念し、四九年より「一日区長」の行事を実施している。実施の目的は、区の誕生日ともいえる八月一日を広く区民に周知させ、区政に対する関心、認識を深めるとともに、区政への積極的な理解者となってもらうことにある。

四九年八月一日実施の一日区長には区内在住の女優・壇ふみさんを迎えた。また、助役、収入役、教育長、各部長等の一日役職者には、先に応募した区民が次のように就任した。

一日役職氏名住所備考
区長 壇 ふみ 石神井町 女優
助役 今野 和子 下石神井 主婦
収入役 増田 俊子 春日町 主婦
教育長 倉本 博子 田柄 主婦
企画部長 松川 竜彦 北大泉 学生
総務部長 高島 菊次郎 大泉学園町 学生
区民部長 松田 葉子 早宮 学生
厚生部長 永野 良明 富士見台 学生
児童部長 斉藤 陽子 豊玉中 主婦
環境部長 田中 加津子 北町 主婦
土木部長 野島 緑 春日町 学生
建築部長 小島 義行 豊玉北 学生
教育委員会事務局次長 古川 明 早宮 学生
区議会事務局長 内海 義昭 桜台 自営業

当日、区長以下の一日役職者は、豊島園で早期開催されていた「青少年おはようサイクリング」に参加した後、区役所で辞令の交付を受け、それぞれの部で事務事業の説明を聴き、庁内視察をした。一〇時半には一日庁議が開かれ、活発な意見が出された。また壇一日区長からは「区民の意見を十分聞いて、その場しのぎのものではなく、いいものを作り出すよう努力してほしい」旨の要望、発言があった。最後に田畑区長から、

<資料文>

これを機会に区政に一層関心を持っていただき、ご意見、ご希望をどしどしいってほしい。知人、隣近所の人達にも呼びかけその輪を広げてもらいたい。また友人、区民の意見を聴き、区民参加による区政を行なうことは、区政の民主化につながる。なお、今日のみなさんのご意見、ご要望は、今後十分区政に生かしていきたい。 (「ねりま区報」二四七号

という主旨の発言があり、行事を終えた。

第二回の一日区長(五〇年八月一日実施)は、区内在住の女優・中原ひとみさんを招いて行なわれた。当日は、「わたしと

練馬」「練馬の将来」というテーマで、作文に入選した区民が一日区長を囲み、座談会が開催された。また、区議会議長、副議長訪問、庁内視察も行なわれている。

作文入選者
氏名職業または学校名住所テーマ
小・中学生の部 滝沢のぶ子 向山小四年 向山 私と練馬
小野里美 練馬小五年 春日町
米田一也 谷原小五年 高野台 練馬の将来
一般の部 川中子智子 主婦 谷原 私と練馬
吉田いそ 貫井
山田政子 田柄 練馬の将来
富岡珙子 南田中
山中 弘 無職 上石神井
塚越秀太郎 公務員 関町 私と練馬
注:高・短大・大学生の部は、応募者なしのため、一般の部へ編入した。
  応募作品二五点(一般二〇点、小中五点)、入選作品九点(一般六点、小・中三点)

五一年の行事は、八月一日が日曜日と重なったため、前日の七月三一日に実施された。当日の役職者は、区内の中学校、高等学校の生徒が次のように委嘱されている。

一日区長 市瀬美佐枝

<資料文>

     (開進第二中学校

 〃   石田 綾子

     (開進第三中学校

 〃   渋井 清美

     (石神井中学校

 〃   古野 千秋

     (石神井東中学校

一日助役 浅野  猛(井草高等学校

 〃   大山  実(石神井高等学校

 〃   舩木けい子(石神井高等学校

 〃   春木福三郎(大泉高等学校

今回のテーマは、「青少年が日没後でも安心して利用できる夜間防犯協力道路の指定について」と設定された。これは、同年二月に行なわれた区長と中学生との対話集会における中学生の提案をうけて、課題としたものである。また当日は、関係部課でも説明聴取、モデル道路候補地の視察と地域住民との意見交換、関係行政機関(警察署等)の訪問、協議、関係地域団体を含め、モデル道路の指定についての会議開催が行なわれた。

五二年八月一日は、練馬区独立三〇周年にあたる。この記念すべき日の一日区長には、区独立の日に生まれ、ひき続き区内に在住する主婦の西迫喜子さんを迎えた。この年三月には、「みどりを保護し回復する条例」が施行され、区の緑化施策が展開されていたため、今回の一日区長の職務は緑化行政の分野に設定され、「みどりを育てるつどい」、区の木「こぶし」の記念植樹、くちなしの苗木の無料配布等の行事が行なわれた。

五三年の行事は、当初、「この子らのために今を考えよう」というテーマのもとに、一日区長の職務を幼児教育の分野に設定してさまざまな行事が組まれた。しかし、当日はあいにくの雨天のためこの計画は中止となり、第二次案によって、記念植樹、庁舎見学、区長ほか役職者との懇談会等が行なわれた。なお当日の一日区長には、区内の私立幼稚園および私立保育園の次の先生方が就任した。

  • 杉江 経子(大泉双葉幼稚園
  • 飯田 隆子(寿福寺幼稚園
  • 川谷登喜子(関町カトレア幼稚園
  • 市村 数子(練馬幼稚園
  • 高森 康子(練馬いずみ幼稚園
  • 金光  操(練馬和光保育園

五四年は、国際児童年にちなみ、国際児童画パネル展および小・中学生の優秀作文発表会が行なわれた。当日の一日区長

には、田中恭子関町小学校教頭と小宮根泉石神井南中学校教諭が就任し、優秀作文の講評、「子どものあすを考える」と題する講演を行なっている。なお、国際児童画パネル展では、約五〇か国、一五〇点の絵画(日本ユネスコ協会連盟所有)が展示された。

<節>
第三節 相談
<本文>

本区では区政、都政および国の行政にまつわる諸問題はもちろん、区民の日常生活の中から生まれてくるさまざまな疑問や難問に対処すべく、各専門家による相談業務を開設している。

おもな相談窓口は練馬区区民相談所(豊玉北五―一八)、石神井庁舎区民相談室(石神井町三―三〇―二六石神井庁舎内)、練馬福祉事務所(練馬区役所内)、石神井福祉事務所(石神井庁舎内)、練馬・石神井各保健所、北・大泉各保健相談所、老人福祉課(練馬区役所庁舎)、総合教育センター、練馬福祉会館、心身障害者福祉センター、総合体育館など、相談内容に応じてそれぞれ異なっているが、そのあらましは次の通りである。

○区民相談所・区民相談室
相談の内容備考
一般区民相談 区のしごとに対する苦情、要望、意見などについての相談
法律相談(予約制) 借地、借家、相続、金銭貸借などの法律に関する問題を弁護士が相談
交通事故相談
   (予約制)
交通事故の示談、調停、訴訟などの方法について弁護士、専門相談員が相談

身の上相談
   (予約制)

家庭内のこと、一身上の悩みごと忙ついて専門相談員が相談
不動産取引事前相談
   (予約制)
不動産取引にあたり、紛争や事故を未然に防ぐための相談 練馬区区民相談所のみ
住宅(建築)相談
   (予約制)
住宅の新築、増改築の設計や内装、設備故障修理の相談
外構(フェンスブロック塀等)
   相談(予約制)
新設ブロック塀、補強工事、工事相談、製品相談
人権擁護相談 不当な差別、名誉信用の央ついなどを受けた場合、人権擁護委員が相談
行政相談 郵便、登記、年金、公害など、国や区に対する苦情の解決のため行政相談委員が相談
身障者職業更生相談 身体障害者の方で、新しく仕事につく人や仕事を替えたい人の指導、あっせん相談 練馬区区民相談所のみ
商工相談 税務相談 税金、会計、帳簿など税に関する一切について税理士、会計士が相談
経営相談 経営計画、業界展望、販売促進などについて中小企業診断士が相談 練馬区区民相談所のみ
労務相談 就業規則、各種保険、年金、給与などについて社会保険労務士が相談
労働相談 賃金、労働時間、労働福祉、労働組合の結成運営など労働全般の相談 練馬区区民相談所のみ
国民年金相談 国民年金に関係のある相談

○福祉事務所
相談の内容
生活保護相談 生活に困っている人の相談・指導
保育園・母子寮・入院助産相談 保育園・母子寮への入所など
身体障害者相談 身体障害者手帳の交付、補装具や更生医療の給付など、身体障害者福礼
精神薄弱者相談 精神薄弱者の福祉
老人福祉相談 老人ホームへの入所、老人家庭奉仕員の派遣などの老人福祉
母子福祉相談 母子福祉資金の貸し付けなど母子福祉
婦人福祉相談 婦人問題
○保健所・保健相談
相談の内容
一般健康相談(有料) 一般の健康診断、エックス線撮影、血圧、血液型、梅毒、尿検査等
成人病相談(有料・予約制) 高血圧、心臓病などの精密検査、日常の生活や食事の相談
精神衛生相談(予約制) イライラする症状や不眠などで困っている人対象

風疹抗体検査(有料・予約制)

風疹に対する免疫検査
対象……一般女性・妊娠初期の人
母親学級 妊娠、出産、栄養、育児に関する実際上の知識を指導
対象……妊婦
療育相談(予約制) 手足などの不自由な子どもの医療相談、特に股関節脱臼の検査
乳幼児歯科相談(予約制) 歯科検診と保健指導対象……二歳児および二歳児
育児・栄養相談 栄養、生活習慣等指導、身長・体重測定等
乳幼児・健康診査(通知制) 低廉診断や保健指導対象……四か月児・一歳六か月児・三歳児
○老人福祉課(相談コーナー
相談の内容
老人相談 老人の悩みごと、その他老人問題
○総合教育センター(教育相談室
相談の内容
教育相談 勉強ができない、学校に行きたがらない、乱暴する、心身に障害があるのではないか、など子どもに関する悩み

○福祉会館(結婚相談室
相談の内容
結婚相談 結婚に関する一切の問題、紹介その他
○心身障害者福祉センター
相談の内容
心障者相談 心身障害者に関するあらゆる問題、検査指導など
○総合体育館(スポーツ相談室
相談の内容
スポーツ相談 スポーツ活動、休育館利用など

なおこのほかに区役所各窓口で行なわれているもの、都あるいは国の機関で実施されている相談業務などもあるが、ここでは割愛する。

区民相談所(相談室

本区での区民相談の第一号は昭和二三年四月一日に行なわれた法律相談であった。もっともこれは読売新聞社との共催であったが、以後年を追って本区独自の相談が開催されてゆくところとなる。主要な相談業務の背景については後述するものであるが、その前に本区における相談業務の主体を成している区民相談所あるいは相談室について触れておく必要がある。

練馬区区民相談所は四一年五月一日、区民相談室として総務課に設置された。その後四四年四月一日に広報室に移り、同

年九月一六日、広報室区民相談所として旧練馬診療所跡の建てものに移転した。四八年一二月一日以降区民相談所は区長室の所管となり現在に至っている。

現在の区民相談室は四一年五月一日に石神井庁舎内に設置されたものである。相談所あるいは相談室で扱われている相談内容は前述したように複雑多岐にわたっている。ここで処理されている相談のうちの幾つかと、その他の主要な相談業務について次に略述しておくこととする。

一般区民相談

区民相談所および相談室において日曜を除く毎日行なわれているが、その内容は区の事業に対する苦情、要望、意見などである。『現勢資料編』二六一ページに一般区民相談の取扱い状況が掲載されているが、各年度を通じて「土地」にまつわる相談事が圧倒的に多い。

本区はかつて農業中心に発展してきた地域である。急激な都市化によって農地が宅地化されてきた。また宅地化するためには道路整備問題もからんでくる。こうした土地利用の変動が盛んに行なわれてきた背景の一端をうかがうことができる。また木賃アパートやマンションなどの進出をみるまでは(四〇年代後半から借家が増大する)、本区での持家率は高く、その大半は土地持ちであったことも土地問題への関心を深める結果につながっているもののようである。

法律相談

現在区民相談所および区民相談室で隔日交代に開催されている法律相談の発祥は読売新聞社との共催で行なわれた二三年四月一日の「法律相談」であったことは前にも触れた。その後二九年からは公民館で開催され、区民相談所が開設されてからはもっぱら相談所および相談室での扱いとなっている。

『現勢資料編』二六三ページに法律相談の取扱い状況があるが、本区の人口が急増しつつあった四〇年代半ばまで相談件数も急激に増えており、以後は今日までほぼ一定の数値を保っている。内容別にみればいずれの年代も「借地借家」に関するものが圧倒的に多く、ことに四〇年代半ばに至って木賃アパートの乱立、その後のマンション類の進出が盛んになるにつれて、件数も大幅に増加している。

法律相談の一環として交通事故相談が誕生したのは四三年四月一日であった。本区内にも交通事故が日常化し、大きな社会問題となっていた背景を示すものである。なお交通事故相談は四〇年代後半にひとつのピークを迎えた後は年々減少している。交通事故そのものの減少と付合する傾向である。

福祉相談

福祉事務所を主体に行なわれている福祉相談は各種相談事業の内では最も多くの件数を抱えている。近年における福祉行政は東京都を挙げての大事業となっていた。本区でも例外ではなく、ことに四〇年代後半以降の福祉政策にその姿勢は顕著に現われている。

身障者、精薄者に対してはもちろん、婦人、児童、老人に至る各種の福祉事業は盛んになり、ことに老人福祉強化にともなう老人福祉課の設置(四八年一二月)などは画期的なものであった。この時本区では老人相談コーナーを開設している。

『現勢資料編』二六二ページに福祉相談の取扱い状況がある。児童福祉法関係、生活保護法関係の相談が圧倒的に多いが、老人福祉法関係についても相当件数を数えている。

結婚相談

現在福祉会館の結婚相談室で開催されている結婚相談は、三〇年五月に公民館に開設されたのがはじまりであった。二八年一〇月に開館した公民館は、その近代的な建てものや設備で都内はもちろん都外からも注目を集め、多くの視察者を迎えたことで有名であった。その画期的な建てものの中で結婚相談が行なわれ、この相談を通して結ばれたカップルも多い。

当時は古くからの因習から抜け出し、新たな生活を見い出そうとする「新生活運動」が活発に展開されていた。こうした風潮の中で結婚式の簡素化が若い人々の間で歓迎され、折から開館を迎えた公民館はうってつけの結婚式場となった。当初の結婚相談はこのような背景に支えられ、盛況の内に進められていたのである。『現勢資料編』二六二ページに結婚相談の年次別の状況が掲載されているが、相談件数の上では今日よりも三〇年代の方が上回っている。また紹介件数は今日の方が多いようであるが、成立数は少ない。

すなわち成功率は近年あまりかんばしくないのである。ちなみに三五年から三九年までの五年間における紹介件数は九八三件、成立件数は一四七件で、成立の割合は一五%。これに対して、四九年から五三年までの五年間は、紹介件数一四八八件、成立件数七一件で成功率は五%足らずである。一生の伴侶をより慎重に選ぼうとする現代の風潮が現われているところかも知れない。

商工相談

二七年四月一日に開設されたが、当初は都から補助金が出ており、区としての正式な業務となったのは三四年四月以降である。また三〇年代後半からは東京商工会議所中小企業相談所から本区経済課内に職員が派遣されてきており(練馬支部となる)、区の相談所とともに区民の相談に対応することとなった。四四年九月の区民相談所開設にともなって、商工相談ならびに商工会議所練馬支部は相談所内へ移設され今日に至っている。相談状況は『現勢資料編』二六三ページを参照されたい。

街頭区民相談

区政に対する区民の直接の苦情、要望等に積極的に取り組むための特殊な相談業務として、地域へ出張して行なう街頭区民相談がある。四〇年五月以降開催されるに至ったが、今日では交通事情の悪化にともない、五二年度をもって文字通り街頭での相談は中止、翌年度からは地域の区民館において開催されている。

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