更新日 : 2024/03/19 

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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月4日1934年【1934】一月四日|◎元旦明治神宮參拜の-陸軍大臣大將荒木貞夫-|(調査部用として御保存下さい)|新聞聯合寫眞ニユース|聯合 寫眞 第二號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月4日1934年【1934】一月四日|◎元旦明治神宮參拜の-陸軍大臣大將荒木貞夫-|(調査部用として御保存下さい)|新聞聯合寫眞ニユース|聯合 寫眞 第二號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月4日1934年【1934】一月四日|◎春賑奧山活動街-淺草公園所見-||新聞聯合寫眞ニユース||聯合 寫眞 第三號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月4日1934年【1934】一月四日|◎春賑奧山活動街-淺草公園所見-||新聞聯合寫眞ニユース||聯合 寫眞 第三號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月5日1934年【1934】九年一月五日|◎高松宮家から市へ-麻布の御料地下賜-|有栖川宮の御祭祀を嗣がせられる高松宮殿下には昨夏七月故有栖川宮威仁親王殿下御廿年祭を御記念あらせられる思召から東京市に對し麻布區森岡町及廣尾町所在の宮家御料地一萬九百八十八坪二合を公園地として下賜の御内意あらせられたが威仁親王の御命日にあたらせらる五日午前十時牛塚市長は正式に高輪の御殿に召され高松宮同妃兩殿下より親しく下賜の恩命を拜した寫眞は一、宮家に伺候の牛塚市長|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 寫眞 第一號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月5日1934年【1934】九年一月五日|◎高松宮家から市へ-麻布の御料地下賜-|有栖川宮の御祭祀を嗣がせられる高松宮殿下には昨夏七月故有栖川宮威仁親王殿下御廿年祭を御記念あらせられる思召から東京市に對し麻布區森岡町及廣尾町所在の宮家御料地一萬九百八十八坪二合を公園地として下賜の御内意あらせられたが威仁親王の御命日にあたらせらる五日午前十時牛塚市長は正式に高輪の御殿に召され高松宮同妃兩殿下より親しく下賜の恩命を拜した寫眞は一、宮家に伺候の牛塚市長|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 寫眞 第一號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月5日1934年【1934】一月五日|◎初水天宮-日本橋にて-||新聞聯合寫眞ニユース||聯合 寫眞 第二號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月5日1934年【1934】一月五日|◎初水天宮-日本橋にて-||新聞聯合寫眞ニユース||聯合 寫眞 第二號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月6日1934年【1934】一月六日|◎春場所大相撲番付發表|大相撲春場所はいよいよ十二日初日、十一日間兩國國技館に於いて擧行される六日は新番付の發表で最早兩國付近は相撲氣分に浸つてゐる、これからは本格的の稽古に身が入る譯で各部屋共頓に緊張して來た寫眞は一、新關脇發表に滿悦の男女ノ川關一、出世力士(上段向つて左から右へ)新關脇 男女ノ川、新小結大汐、新入幕綾昇同出羽の花(下段向つて左から右へ)新入幕九州山、同三島嶽、同番神山、同大刀若|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 寫眞 第二-三號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月6日1934年【1934】一月六日|◎春場所大相撲番付發表|大相撲春場所はいよいよ十二日初日、十一日間兩國國技館に於いて擧行される六日は新番付の發表で最早兩國付近は相撲氣分に浸つてゐる、これからは本格的の稽古に身が入る譯で各部屋共頓に緊張して來た寫眞は一、新關脇發表に滿悦の男女ノ川關一、出世力士(上段向つて左から右へ)新關脇 男女ノ川、新小結大汐、新入幕綾昇同出羽の花(下段向つて左から右へ)新入幕九州山、同三島嶽、同番神山、同大刀若|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 寫眞 第二-三號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月6日1934年【1934】一月六日|◎春場所大相撲番付發表|大相撲春場所はいよいよ十二日初日、十一日間兩國國技館に於いて擧行される六日は新番付の發表で最早兩國付近は相撲氣分に浸つてゐる、これからは本格的の稽古に身が入る譯で各部屋共頓に緊張して來た寫眞は一、新關脇發表に滿悦の男女ノ川關一、出世力士(上段向つて左から右へ)新關脇 男女ノ川、新小結大汐、新入幕綾昇同出羽の花(下段向つて左から右へ)新入幕九州山、同三島嶽、同番神山、同大刀若|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 寫眞 第二-三號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月7日1934年【1934】一月七日|◎凧揚げ大會|東京市主催の恆例凧揚げ大會は七日正午より日比谷公園廣場で開催、子供達かこ付けの大供達も數十名參加して却々の盛會だつた寫眞は一、凧揚げ大會|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 寫眞 第一號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月7日1934年【1934】|||||
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月7日1934年【1934】一月七日|◎寒中水泳|講武會第二回寒中水泳は七日午后二時から■■千住新橋に於いて開會、參加者約七十名、八才の幼兒から花恥かしい少女、筋骨猛しい青年まで川面を渡る寒風に裸身を晒して氷の樣な水中にザブブ、ザンブと飛込む寫眞は一、少女達の飛込み|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 寫眞 第二號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月7日1934年【1934】一月七日|◎寒中水泳|講武會第二回寒中水泳は七日午后二時から■■千住新橋に於いて開會、參加者約七十名、八才の幼兒から花恥かしい少女、筋骨猛しい青年まで川面を渡る寒風に裸身を晒して氷の樣な水中にザブブ、ザンブと飛込む寫眞は一、少女達の飛込み|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 寫眞 第二號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月8日1934年【1934】一月八日|◎體操の時間にスキー練習|(ベルリン)發聯合當地のバイエル小學校では今春より、體操の時間にスキーを正課として練習することになつたが何分多人數の一時の練習のことゝて大變なこと、指導の先生もあきれる程の賑やかさだそうです、寫眞は、スキーの初步を練習のバイエルの小學生|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 海外寫眞 第三二五一-二號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月8日1934年【1934】一月八日|◎體操の時間にスキー練習|(ベルリン)發聯合當地のバイエル小學校では今春より、體操の時間にスキーを正課として練習することになつたが何分多人數の一時の練習のことゝて大變なこと、指導の先生もあきれる程の賑やかさだそうです、寫眞は、スキーの初步を練習のバイエルの小學生|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 海外寫眞 第三二五一-二號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月8日1934年【1934】一月八日|◎體操の時間にスキー練習|(ベルリン)發聯合當地のバイエル小學校では今春より、體操の時間にスキーを正課として練習することになつたが何分多人數の一時の練習のことゝて大變なこと、指導の先生もあきれる程の賑やかさだそうです、寫眞は、スキーの初步を練習のバイエルの小學生|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 海外寫眞 第三二五一-二號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月9日1934年【1934】一月九日|◎有田ベルギー大使赴任|新任ベルギー國大使有田八郞氏は夫人竝に令孃同伴九日午前九時東京驛發特急燕號で齋藤首相夫妻、廣田外相を始め朝野の名士數百名の見送りのうちに赴任の途に上がつた、同大使は途中伊勢神宮及び畝傍山陵、桃山御陵を參拜の後十一日午后三時神戸出帆の白山丸で任地に向ふ筈である寫眞は一、出發の有田大使(右は見送りの廣田外相)|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 寫眞 第一號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月9日1934年【1934】一月九日|◎有田ベルギー大使赴任|新任ベルギー國大使有田八郞氏は夫人竝に令孃同伴九日午前九時東京驛發特急燕號で齋藤首相夫妻、廣田外相を始め朝野の名士數百名の見送りのうちに赴任の途に上がつた、同大使は途中伊勢神宮及び畝傍山陵、桃山御陵を參拜の後十一日午后三時神戸出帆の白山丸で任地に向ふ筈である寫眞は一、出發の有田大使(右は見送りの廣田外相)|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 寫眞 第一號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月9日1934年【1934】九年一月九日|◎非常時打開に勇む-關東八萬の鄕軍大會-|皇太子殿下御降誕第一の春を奉祝すると共に非常時打開に日本精神の復興を叫んで帝國在鄕軍人會第一師團管下聯合支部では九日午后零時半から閑院總裁宮殿下御代理賀陽宮殿下の■■を仰いで代々木練兵場に於て盛大なる■■鄕軍大會を開催、會長鈴木莊六大將以下各幹部、大角海相、山岡軍務局長以下參列總裁御代理宮殿下御親閲の大分列式が開始され步武堂々■■を蹴つて會場を一巡、終つて明治神宮を遙拜して現下の時局に對する奉公の誠を誓ひ大角海相、陸相代理山岡軍務局長鈴木會長の訓示、齋藤首相の祝辭あつて同三時三十分終了、次で皇居遙拜のために全員宮城前に向つて堂々大行進を起した寫眞は一、賀陽宮殿下御親閲|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 寫眞 第二號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月9日1934年【1934】九年一月九日|◎非常時打開に勇む-關東八萬の鄕軍大會-|皇太子殿下御降誕第一の春を奉祝すると共に非常時打開に日本精神の復興を叫んで帝國在鄕軍人會第一師團管下聯合支部では九日午后零時半から閑院總裁宮殿下御代理賀陽宮殿下の■■を仰いで代々木練兵場に於て盛大なる■■鄕軍大會を開催、會長鈴木莊六大將以下各幹部、大角海相、山岡軍務局長以下參列總裁御代理宮殿下御親閲の大分列式が開始され步武堂々■■を蹴つて會場を一巡、終つて明治神宮を遙拜して現下の時局に對する奉公の誠を誓ひ大角海相、陸相代理山岡軍務局長鈴木會長の訓示、齋藤首相の祝辭あつて同三時三十分終了、次で皇居遙拜のために全員宮城前に向つて堂々大行進を起した寫眞は一、賀陽宮殿下御親閲|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 寫眞 第二號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月10日1934年【1934】一月十日|◎着々工事を捗める世界最長橋|(サンフランシスコ)發聯合サンフランシスコ金門灣を橫切つて架橋される世界最長のサンフランシスコ灣橋のNRAのプログラム進行と步調を同じくして着々その工事を捗めて居る、完成の上は此れで又ヤンキーの好きな世界一が又增へる譯けです寫眞はマリン州側に完成した橋桁|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 海外寫眞ニユース 第三二五六號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月10日1934年【1934】一月十日|◎着々工事を捗める世界最長橋|(サンフランシスコ)發聯合サンフランシスコ金門灣を橫切つて架橋される世界最長のサンフランシスコ灣橋のNRAのプログラム進行と步調を同じくして着々その工事を捗めて居る、完成の上は此れで又ヤンキーの好きな世界一が又增へる譯けです寫眞はマリン州側に完成した橋桁|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 海外寫眞ニユース 第三二五六號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月10日1934年【1934】一月十日|◎最初の「NRA」軍艦起工式|(ニユーヨーク)發聯合 NRAプログラムの重大なる項目として米海軍に依って二億三千八百萬弗の巨費を投じて建造される大軍艦群の魁として驅逐艦ウインロー、ポーター、マツクドウガル、セルフリツヂ四隻の所謂「NRA」軍艦の起工式がニユーヨーク造船所カムデン工場に於て行はれた寫眞はその起工式|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 海外寫眞ニユース 第三二五五號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月10日1934年【1934】一月十日|◎最初の「NRA」軍艦起工式|(ニユーヨーク)發聯合 NRAプログラムの重大なる項目として米海軍に依って二億三千八百萬弗の巨費を投じて建造される大軍艦群の魁として驅逐艦ウインロー、ポーター、マツクドウガル、セルフリツヂ四隻の所謂「NRA」軍艦の起工式がニユーヨーク造船所カムデン工場に於て行はれた寫眞はその起工式|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 海外寫眞ニユース 第三二五五號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月11日1934年【1934】九年一月十一日|◎法王使節、英大使謁見|羅馬法王使節としてさき頃來朝着任したポール・マレラ大司教は十一日午前十時半參内、宮中鳳凰間に於いて天皇陛下に謁見仰付けられ、法王の親書竝に一六一四年伊達正宗から時の法王に送つた歷史的書翰を鏤ばめた、筥に收まつて居るキリスト聖年記念メタル金銀銅牌一組を捧呈、着任の挨拶を言上退下した又同時刻此の程歸任した英國特命全權大使リンドレー氏も參内謁見仰付けられ歸任の挨拶を言上御前を退下した寫眞は一、參内のローマ法王使節一、參内の英國大使|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 寫眞 第一-二號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月11日1934年【1934】九年一月十一日|◎法王使節、英大使謁見|羅馬法王使節としてさき頃來朝着任したポール・マレラ大司教は十一日午前十時半參内、宮中鳳凰間に於いて天皇陛下に謁見仰付けられ、法王の親書竝に一六一四年伊達正宗から時の法王に送つた歷史的書翰を鏤ばめた、筥に收まつて居るキリスト聖年記念メタル金銀銅牌一組を捧呈、着任の挨拶を言上退下した又同時刻此の程歸任した英國特命全權大使リンドレー氏も參内謁見仰付けられ歸任の挨拶を言上御前を退下した寫眞は一、參内のローマ法王使節一、參内の英國大使|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 寫眞 第一-二號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月11日1934年【1934】一月十一日|◎怪童平賀君力士修行-春日野親方の薰陶で-|十日橫濱入港の秩父丸で遙々アメリカから相撲修行にやつて來た平賀將司君(二〇)は十一日兩國の春日野部屋で元橫綱栃木山の春日野親方からミツチリ仕込んで貰ふことになり初めて褌を締めて新らしい稽古土俵の砂上で四股を踏んだ、同君はロスアンゼルス市の産六年前春日野が渡米の際力士として前途有望な同君を見て垂涎萬丈、懇望したもので天晴れ未來の橫綱として囑望されてゐる寫眞は一、春日野親方と平賀少年|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 寫眞 第三號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月11日1934年【1934】一月十一日|◎怪童平賀君力士修行-春日野親方の薰陶で-|十日橫濱入港の秩父丸で遙々アメリカから相撲修行にやつて來た平賀將司君(二〇)は十一日兩國の春日野部屋で元橫綱栃木山の春日野親方からミツチリ仕込んで貰ふことになり初めて褌を締めて新らしい稽古土俵の砂上で四股を踏んだ、同君はロスアンゼルス市の産六年前春日野が渡米の際力士として前途有望な同君を見て垂涎萬丈、懇望したもので天晴れ未來の橫綱として囑望されてゐる寫眞は一、春日野親方と平賀少年|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 寫眞 第三號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月12日1934年【1934】九年一月十二日|◎五月御前試合の計畫-宮内省濟寧館竣工-|昨年八月から宮城大手門内舊濟寧館前に建坪二百坪、工費七萬圓で建築中であつた入母屋式破風造り總檜の宮内省濟寧館は今回竣工したので來る二十日開所式を行ふこととなつた宮中喪の期間中の事とて華やかな落成式は御遠慮申上げ當日は午前十時星野掌典によつて修祓式を行つた上皇宮警察部内で稽古初めを行ふ、なほ新濟寧館は中央に玉座の御設けもあり皇太子殿下御降誕を壽いで來る五月の候天皇陛下の臨御を仰いで全國より武道各選手を招待、御前試合を行ふ計畫で宮内省では種々準備を進めてゐる寫眞は一、竣工の濟寧館|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 寫眞 第一號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月12日1934年【1934】九年一月十二日|◎五月御前試合の計畫-宮内省濟寧館竣工-|昨年八月から宮城大手門内舊濟寧館前に建坪二百坪、工費七萬圓で建築中であつた入母屋式破風造り總檜の宮内省濟寧館は今回竣工したので來る二十日開所式を行ふこととなつた宮中喪の期間中の事とて華やかな落成式は御遠慮申上げ當日は午前十時星野掌典によつて修祓式を行つた上皇宮警察部内で稽古初めを行ふ、なほ新濟寧館は中央に玉座の御設けもあり皇太子殿下御降誕を壽いで來る五月の候天皇陛下の臨御を仰いで全國より武道各選手を招待、御前試合を行ふ計畫で宮内省では種々準備を進めてゐる寫眞は一、竣工の濟寧館|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 寫眞 第一號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月12日1934年【1934】一月十二日|◎春場所初日景氣|大相撲春場所初日は橫綱、玉飾、關脇、高登等大物が休場したが五十錢デーの一として午前中早くも三、四階まで滿員の盛況となり、沸く樣な聲援の聲に火の出る樣な元氣な相撲振りが見られた寫眞は一、駒の里と太刀若(中入後)|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 寫眞 第五號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月12日1934年【1934】一月十二日|◎春場所初日景氣|大相撲春場所初日は橫綱、玉飾、關脇、高登等大物が休場したが五十錢デーの一として午前中早くも三、四階まで滿員の盛況となり、沸く樣な聲援の聲に火の出る樣な元氣な相撲振りが見られた寫眞は一、駒の里と太刀若(中入後)|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 寫眞 第五號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月13日1934年【1934】一月十三日|◎奉祝ハネ・ゲーム|東京市主催の都下小學校皇太子降誕奉祝ハネゲームは十三日正午より日比谷公園新音樂堂に於て開催された寫眞は一、奉祝ハネ・ゲーム|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 スケツチ寫眞
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月13日1934年【1934】一月十三日|◎奉祝ハネ・ゲーム|東京市主催の都下小學校皇太子降誕奉祝ハネゲームは十三日正午より日比谷公園新音樂堂に於て開催された寫眞は一、奉祝ハネ・ゲーム|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 スケツチ寫眞
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月13日1934年【1934】一月十三日|◎凍結した朝鮮漢江-一大スケート場の觀|雪と氷の朝鮮漢江は己に完全に結氷して車馬の氷上通過は勿論結氷せる河面は一大スケート場の觀を呈してゐる、數百のスケーターは零下の極寒を物ともせず汗みどろのハイスピードだ、斜陽の長き影を印するところ面白い繪だ寫眞は一、朝鮮漢江の氷結|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 寫眞 第一號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月13日1934年【1934】一月十三日|◎凍結した朝鮮漢江-一大スケート場の觀|雪と氷の朝鮮漢江は己に完全に結氷して車馬の氷上通過は勿論結氷せる河面は一大スケート場の觀を呈してゐる、數百のスケーターは零下の極寒を物ともせず汗みどろのハイスピードだ、斜陽の長き影を印するところ面白い繪だ寫眞は一、朝鮮漢江の氷結|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 寫眞 第一號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月14日1934年【1934】一月十四日|◎鍬の手に土の香に親しむ後藤農相|後藤農相は十四日午前九時半私邸から自動車で神奈川縣登戸の日本高等拓殖學校に赴き一場の訓示の後上司校長の案内で霜どけの同校農園に足を運び自ら鍬を取つて耕作の實際を味ひ、午后は同校學生達ちと膝つきあはせての座談會に一花さかせ日曜の一日をのんびりすごして午后三時歸邸した寫眞は農園に鍬を手にする後藤農相|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 寫眞 第一號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月14日1934年【1934】一月十四日|◎鍬の手に土の香に親しむ後藤農相|後藤農相は十四日午前九時半私邸から自動車で神奈川縣登戸の日本高等拓殖學校に赴き一場の訓示の後上司校長の案内で霜どけの同校農園に足を運び自ら鍬を取つて耕作の實際を味ひ、午后は同校學生達ちと膝つきあはせての座談會に一花さかせ日曜の一日をのんびりすごして午后三時歸邸した寫眞は農園に鍬を手にする後藤農相|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 寫眞 第一號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月14日1934年【1934】一月十四日|◎寒風物ともせず荒川の寒中水泳|修武館水泳部では十四日午後一時から千住大橋際荒川で恆例による寒中水泳を行つたが海國日本を雙肩に擔ふ少年少女が多數參加身を切るやうな荒川の冷水を物ともせず長距離游泳其他橋上からの飛込み古式泳法等を行つた寫眞は一、古式立泳|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 寫眞 第三號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月14日1934年【1934】一月十四日|◎寒風物ともせず荒川の寒中水泳|修武館水泳部では十四日午後一時から千住大橋際荒川で恆例による寒中水泳を行つたが海國日本を雙肩に擔ふ少年少女が多數參加身を切るやうな荒川の冷水を物ともせず長距離游泳其他橋上からの飛込み古式泳法等を行つた寫眞は一、古式立泳|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 寫眞 第三號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月15日1934年【1934】九年一月十五日|◎齋藤首相鈴木總裁と會見-首相より政府支援方を懇請|齋藤首相が數日後に迫つた休會明け議會に臨むに當り準備工作の一つである鈴木政友會總裁との會見は十五日首相官邸に於て行はれた鈴木總裁は豫め山口幹事長を招き打合を遂げた後モーニング姿で午前十一時四十分九段の私邸を出で同四十五分首相官邸に赴き直に二階小客間に入り首相と挨拶を交はしたが今回は首相の希望により從來とは趣きを異にし午餐の食卓を圍み懇談することゝなり首相と總裁は正午日本間應接室の疊の上に打寬ろぎ他人を斥けて水入らずの食卓につきまづ齋藤首相から縷々と第六十五議會の休會明けも切迫したのであるから何分の御支援を御願ひする旨懇請し種々懇談に入つた寫眞は、 一、首相、鈴木總裁會見|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 寫眞 第一號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月15日1934年【1934】九年一月十五日|◎齋藤首相鈴木總裁と會見-首相より政府支援方を懇請|齋藤首相が數日後に迫つた休會明け議會に臨むに當り準備工作の一つである鈴木政友會總裁との會見は十五日首相官邸に於て行はれた鈴木總裁は豫め山口幹事長を招き打合を遂げた後モーニング姿で午前十一時四十分九段の私邸を出で同四十五分首相官邸に赴き直に二階小客間に入り首相と挨拶を交はしたが今回は首相の希望により從來とは趣きを異にし午餐の食卓を圍み懇談することゝなり首相と總裁は正午日本間應接室の疊の上に打寬ろぎ他人を斥けて水入らずの食卓につきまづ齋藤首相から縷々と第六十五議會の休會明けも切迫したのであるから何分の御支援を御願ひする旨懇請し種々懇談に入つた寫眞は、 一、首相、鈴木總裁會見|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 寫眞 第一號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月15日1934年【1934】九年一月十五日|◎貴重な二分間をめざし日蝕觀測隊を乘せて春日出港|來る二月十四日我が南洋委任統治内に於ける皆既日蝕觀測のため南洋に出發する日蝕觀測隊を乘せる軍艦春日は十五日午前十一時豫定通り四號岩壁着全員七十名に上る觀測隊の一行外はるばるアメリカから參加した加州大學コーン教授外二名、加州工科大學ジョンソン教授等は午后一時までにそれぞれ乘組みを終へ午后三時目的地に向け出發した寫眞は、一、勇しく鹿島立つ春日艦|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 寫眞 第二號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月15日1934年【1934】九年一月十五日|◎貴重な二分間をめざし日蝕觀測隊を乘せて春日出港|來る二月十四日我が南洋委任統治内に於ける皆既日蝕觀測のため南洋に出發する日蝕觀測隊を乘せる軍艦春日は十五日午前十一時豫定通り四號岩壁着全員七十名に上る觀測隊の一行外はるばるアメリカから參加した加州大學コーン教授外二名、加州工科大學ジョンソン教授等は午后一時までにそれぞれ乘組みを終へ午后三時目的地に向け出發した寫眞は、一、勇しく鹿島立つ春日艦|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 寫眞 第二號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月16日1934年【1934】九年一月十六日|◎元禄の昔を偲ぶ大太鼓-御前試合に晴れの大役-|元禄の昔を偲ぶ大太鼓が二つ十六日京都二條離宮から宮内省に着いた、皮面の直徑三尺四寸、長サ四尺と云ふ何れも古色に染つた大太鼓であるが來る五月皇太子殿下の御武運を奉祝して全國から選拔された武藝■士の御前試合に濟寧館に備へつけて「ドドーン、ドン」と晴れの音を大内山に鳴り響かせ士氣を高め樣と云ふので宮内省では取急ぎ修理することになつた寫眞は大太鼓(宮内省にて撮す)|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 寫眞 第二號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月16日1934年【1934】九年一月十六日|◎元禄の昔を偲ぶ大太鼓-御前試合に晴れの大役-|元禄の昔を偲ぶ大太鼓が二つ十六日京都二條離宮から宮内省に着いた、皮面の直徑三尺四寸、長サ四尺と云ふ何れも古色に染つた大太鼓であるが來る五月皇太子殿下の御武運を奉祝して全國から選拔された武藝■士の御前試合に濟寧館に備へつけて「ドドーン、ドン」と晴れの音を大内山に鳴り響かせ士氣を高め樣と云ふので宮内省では取急ぎ修理することになつた寫眞は大太鼓(宮内省にて撮す)|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 寫眞 第二號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月17日1934年【1934】九年一月十七日|◎江防艦隊司令官一行-靖國神社參拜-|上京中の滿洲國江防艦隊司令官尹祚乾海軍少將は補充大隊長海軍中校黃勳、副官海軍上尉張初兩氏は我が海軍當局の案内で十七日午前十一時半九段靖國神社に參拜永久に神ずまります友邦日本の英靈のために默祷を捧げて退下した寫眞は一、靖國神社參拜の滿洲國海軍使節|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 寫眞 第一號
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聯合・同盟配信写真(1934) 1934年1月17日1934年【1934】九年一月十七日|◎江防艦隊司令官一行-靖國神社參拜-|上京中の滿洲國江防艦隊司令官尹祚乾海軍少將は補充大隊長海軍中校黃勳、副官海軍上尉張初兩氏は我が海軍當局の案内で十七日午前十一時半九段靖國神社に參拜永久に神ずまります友邦日本の英靈のために默祷を捧げて退下した寫眞は一、靖國神社參拜の滿洲國海軍使節|新聞聯合寫眞ニユース||聯合 寫眞 第一號