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検索条件   大分類(聯合・同盟配信写真) and 掲載年(1936年 - 1936年)
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月1日1936年【1936】昭和十一年一月一日|◎昭和第十一、新年初頭風景|(東京)昭和十一年一月一日(一)明治神宮へ初詣の群集(二)淺草活動街の人の波|同盟通信寫眞ニュース||同盟 寫眞ニュース 第一-二號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月1日1936年【1936】昭和十一年一月一日|◎昭和第十一、新年初頭風景|(東京)昭和十一年一月一日(一)明治神宮へ初詣の群集(二)淺草活動街の人の波|同盟通信寫眞ニュース||同盟 寫眞ニュース 第一-二號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月1日1936年【1936】昭和十一年一月一日|◎昭和第十一、新年初頭風景|(東京)昭和十一年一月一日(一)明治神宮へ初詣の群集(二)淺草活動街の人の波|同盟通信寫眞ニュース||同盟 寫眞ニュース 第一-二號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月2日1936年【1936】昭和十一年一月二日|◎(初)(荷)|(東京)昭和十一年一月二日-秋葉原驛にて-|同盟通信寫眞ニュース||同盟寫眞 スケッチ寫眞 第三號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月2日1936年【1936】昭和十一年一月二日|◎(初)(荷)|(東京)昭和十一年一月二日-秋葉原驛にて-|同盟通信寫眞ニュース||同盟寫眞 スケッチ寫眞 第三號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月2日1936年【1936】十一年一月二日|◎シヤム内相明治神宮參拜|(東京)十一年一月二日我國の政治、經濟等を廣く視察見學する目的で來朝したシヤム國で一流人物と目されて居る内相ルアン・ブラデイ・マヌタン氏は今二日午前十一時明治神宮を參拜した寫眞は一、明治神宮にて左より宮崎書記官、シヤム内相、シヤム公使|同盟通信寫眞ニュース||第二號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月2日1936年【1936】十一年一月二日|◎シヤム内相明治神宮參拜|(東京)十一年一月二日我國の政治、經濟等を廣く視察見學する目的で來朝したシヤム國で一流人物と目されて居る内相ルアン・ブラデイ・マヌタン氏は今二日午前十一時明治神宮を參拜した寫眞は一、明治神宮にて左より宮崎書記官、シヤム内相、シヤム公使|同盟通信寫眞ニュース||第二號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月3日1936年【1936】十一年一月三日|◎暖いお正月で賑ふ上野の動物園|(東京)十一年一月三日|同盟通信寫眞ニュース||同盟 寫眞ニュース 第二號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月3日1936年【1936】十一年一月三日|◎暖いお正月で賑ふ上野の動物園|(東京)十一年一月三日|同盟通信寫眞ニュース||同盟 寫眞ニュース 第二號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月3日1936年【1936】|◎聖上御親祭の下に-三殿で元始祭の御儀-|慶雲瑞祥の氣新春の大内山に深々と漾ふ三日午前十時、畏くも天皇陛下御親祭の下に宮中賢所、皇靈殿、神殿にいと嚴かに元始祭の重き御祭典を行はせられた、この日神々しく裝飾された三殿には秩父宮同妃、高松宮同妃、閑院元帥宮各殿下を始め皇族方御參列、岡田首相以下各國務大臣、齋藤内府、一木、平沼樞府正副議長以下各樞密顧問官、前官禮遇親任官その他敕任待遇以上の文武官何れも大禮服又は正裝に威儀を正して參列した寫眞は一、その日の岡田首相(於官邸)と齋藤内府(於自邸)|同盟通信寫眞ニュース||同盟 寫眞ニュース 第一-二號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月3日1936年【1936】|◎聖上御親祭の下に-三殿で元始祭の御儀-|慶雲瑞祥の氣新春の大内山に深々と漾ふ三日午前十時、畏くも天皇陛下御親祭の下に宮中賢所、皇靈殿、神殿にいと嚴かに元始祭の重き御祭典を行はせられた、この日神々しく裝飾された三殿には秩父宮同妃、高松宮同妃、閑院元帥宮各殿下を始め皇族方御參列、岡田首相以下各國務大臣、齋藤内府、一木、平沼樞府正副議長以下各樞密顧問官、前官禮遇親任官その他敕任待遇以上の文武官何れも大禮服又は正裝に威儀を正して參列した寫眞は一、その日の岡田首相(於官邸)と齋藤内府(於自邸)|同盟通信寫眞ニュース||同盟 寫眞ニュース 第一-二號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月3日1936年【1936】|◎聖上御親祭の下に-三殿で元始祭の御儀-|慶雲瑞祥の氣新春の大内山に深々と漾ふ三日午前十時、畏くも天皇陛下御親祭の下に宮中賢所、皇靈殿、神殿にいと嚴かに元始祭の重き御祭典を行はせられた、この日神々しく裝飾された三殿には秩父宮同妃、高松宮同妃、閑院元帥宮各殿下を始め皇族方御參列、岡田首相以下各國務大臣、齋藤内府、一木、平沼樞府正副議長以下各樞密顧問官、前官禮遇親任官その他敕任待遇以上の文武官何れも大禮服又は正裝に威儀を正して參列した寫眞は一、その日の岡田首相(於官邸)と齋藤内府(於自邸)|同盟通信寫眞ニュース||同盟 寫眞ニュース 第一-二號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月4日1936年【1936】十一年一月四日|◎東株取引所初立會|(東京)十一年一月四日東株初立會は四日午前九時杉野新理事長の挨拶あり終つて擊柝一番初商ひに入つたが昨年來好景氣來の氣構へと金融の緩慢、各市場の好氣配に新東は百六十八圓九十錢と六十錢高に寄付き諸株もこれに連れて順調子を辿つた寫眞は一、東株初立會|同盟通信寫眞ニュース||同盟 寫眞ニュース 第四號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月4日1936年【1936】十一年一月四日|◎東株取引所初立會|(東京)十一年一月四日東株初立會は四日午前九時杉野新理事長の挨拶あり終つて擊柝一番初商ひに入つたが昨年來好景氣來の氣構へと金融の緩慢、各市場の好氣配に新東は百六十八圓九十錢と六十錢高に寄付き諸株もこれに連れて順調子を辿つた寫眞は一、東株初立會|同盟通信寫眞ニュース||同盟 寫眞ニュース 第四號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月4日1936年【1936】十一年一月四日|◎成田山御本尊御影行列|(東京)十一年一月四日成田山開基一千年祭記念大展覽會開催に當り高島屋會場内本堂に御本尊御影、天國寶劍安置開扉のため午前七時四十分成田山發兩國驛着、それより順路日本橋會場まで木遣り音頭の行列勇しく繰り込んだ寫眞は一、永代橋にて|同盟通信寫眞ニュース||同盟 寫眞ニュース 第三號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月4日1936年【1936】十一年一月四日|◎成田山御本尊御影行列|(東京)十一年一月四日成田山開基一千年祭記念大展覽會開催に當り高島屋會場内本堂に御本尊御影、天國寶劍安置開扉のため午前七時四十分成田山發兩國驛着、それより順路日本橋會場まで木遣り音頭の行列勇しく繰り込んだ寫眞は一、永代橋にて|同盟通信寫眞ニュース||同盟 寫眞ニュース 第三號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月5日1936年【1936】十一年一月五日|◎文武官八百餘名を召され畏し君臣和樂の新年宴會|(東京)十一年一月五日天皇陛下には輝やく新春を壽ぐ御恆例の諸儀を滯りなく進めさせられ五日正午には宮中豐明殿に新年宴會を催させられ岡田首相以下各國務大臣、齋藤内府、一木、平沼樞府正副議長以下各樞密顧問官、前官禮遇陸海軍大將、親任官其他敕任待遇以上の文武官及び米國大使グルー氏始め各國大公使等何れも大禮服又は正裝に綺羅を飾つて、陛下には陸軍大元帥の御正裝に大勳位菊花章頚飾御佩用、龍顏殊の外御麗はしく松平式部長官、湯淺宮相前行鈴木侍從長、本庄武官長以下の供奉員を從へさせられ秩父宮、高松宮殿下始め奉り各皇族方扈從して出御、中央菊花御紋章輝やく玉座に着御あらせられ陛下には玉音いと朗かに優渥なる敕語を賜へば岡田首相は群臣を代表し米國大使グルー氏は外國使臣を代表して謹んで奉答した、かくて盛大なる御饗宴に移り君臣和樂の中に新春聖壽の無窮を壽いで御宴を終へさせられた寫眞は一、參内の岡田首相一、宮中退下の文武百官一、參内の自動車|同盟通信寫眞ニュース||同盟 寫眞ニュース 第一-二號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月5日1936年【1936】十一年一月五日|◎文武官八百餘名を召され畏し君臣和樂の新年宴會|(東京)十一年一月五日天皇陛下には輝やく新春を壽ぐ御恆例の諸儀を滯りなく進めさせられ五日正午には宮中豐明殿に新年宴會を催させられ岡田首相以下各國務大臣、齋藤内府、一木、平沼樞府正副議長以下各樞密顧問官、前官禮遇陸海軍大將、親任官其他敕任待遇以上の文武官及び米國大使グルー氏始め各國大公使等何れも大禮服又は正裝に綺羅を飾つて、陛下には陸軍大元帥の御正裝に大勳位菊花章頚飾御佩用、龍顏殊の外御麗はしく松平式部長官、湯淺宮相前行鈴木侍從長、本庄武官長以下の供奉員を從へさせられ秩父宮、高松宮殿下始め奉り各皇族方扈從して出御、中央菊花御紋章輝やく玉座に着御あらせられ陛下には玉音いと朗かに優渥なる敕語を賜へば岡田首相は群臣を代表し米國大使グルー氏は外國使臣を代表して謹んで奉答した、かくて盛大なる御饗宴に移り君臣和樂の中に新春聖壽の無窮を壽いで御宴を終へさせられた寫眞は一、參内の岡田首相一、宮中退下の文武百官一、參内の自動車|同盟通信寫眞ニュース||同盟 寫眞ニュース 第一-二號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月5日1936年【1936】十一年一月五日|◎文武官八百餘名を召され畏し君臣和樂の新年宴會|(東京)十一年一月五日天皇陛下には輝やく新春を壽ぐ御恆例の諸儀を滯りなく進めさせられ五日正午には宮中豐明殿に新年宴會を催させられ岡田首相以下各國務大臣、齋藤内府、一木、平沼樞府正副議長以下各樞密顧問官、前官禮遇陸海軍大將、親任官其他敕任待遇以上の文武官及び米國大使グルー氏始め各國大公使等何れも大禮服又は正裝に綺羅を飾つて、陛下には陸軍大元帥の御正裝に大勳位菊花章頚飾御佩用、龍顏殊の外御麗はしく松平式部長官、湯淺宮相前行鈴木侍從長、本庄武官長以下の供奉員を從へさせられ秩父宮、高松宮殿下始め奉り各皇族方扈從して出御、中央菊花御紋章輝やく玉座に着御あらせられ陛下には玉音いと朗かに優渥なる敕語を賜へば岡田首相は群臣を代表し米國大使グルー氏は外國使臣を代表して謹んで奉答した、かくて盛大なる御饗宴に移り君臣和樂の中に新春聖壽の無窮を壽いで御宴を終へさせられた寫眞は一、參内の岡田首相一、宮中退下の文武百官一、參内の自動車|同盟通信寫眞ニュース||同盟 寫眞ニュース 第一-二號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月6日1936年【1936】十一年一月六日|◎木遣音樂に聞く大江戸の名殘り-宮城前で消防出初式-|(東京)十一年一月六日大江戸の名殘りを止める消防出初式は恆例通り六日午前十時から宮城外苑で擧行された、此の日大日本消防協會總裁梨本宮殿下には御風氣のため御臺臨あらせられず式は午前十時國旗揭揚に始まり參加者一同宮城奉拜後總裁宮殿下の令旨を捧讀、小栗總監の檢閲に次いで優良消防手、永年勤續消防手の表彰式があつて分列式に移り午前十一時式を閉ぢた、今年も昨年同樣式場等の關係で一般の參觀を許さず又一昨年を名殘りとして出初式の華たる模擬火災及び勇み肌の鳶の衆自慢の梯子乘りは全くなく此の點いたつて淋しいものであつたが市部消防組の木遣行列に僅かに大江戸の聲をきゝ近代消防の精粹梯子自動車の驀進に科學の持つ力強さを明示した寫眞は消防組の木遣行列(宮城前にて)|同盟通信寫眞ニュース||第一號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月6日1936年【1936】十一年一月六日|◎木遣音樂に聞く大江戸の名殘り-宮城前で消防出初式-|(東京)十一年一月六日大江戸の名殘りを止める消防出初式は恆例通り六日午前十時から宮城外苑で擧行された、此の日大日本消防協會總裁梨本宮殿下には御風氣のため御臺臨あらせられず式は午前十時國旗揭揚に始まり參加者一同宮城奉拜後總裁宮殿下の令旨を捧讀、小栗總監の檢閲に次いで優良消防手、永年勤續消防手の表彰式があつて分列式に移り午前十一時式を閉ぢた、今年も昨年同樣式場等の關係で一般の參觀を許さず又一昨年を名殘りとして出初式の華たる模擬火災及び勇み肌の鳶の衆自慢の梯子乘りは全くなく此の點いたつて淋しいものであつたが市部消防組の木遣行列に僅かに大江戸の聲をきゝ近代消防の精粹梯子自動車の驀進に科學の持つ力強さを明示した寫眞は消防組の木遣行列(宮城前にて)|同盟通信寫眞ニュース||第一號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月6日1936年【1936】十一年一月六日|◎年寄の名を永久に-回向院に力塚建つ|(東京)十一年一月六日力士、行司で斯道興隆に貢獻した年寄の名跡は從來その後繼者によつて繼承されてゐたが大日本相撲協會では今回その名を永久に傳へるため兩國回向院内に歷代相撲年寄の名を刻した石塚を建設してその靈を祀ることゝなり昨夏來起工中であつたがこの程漸く完成、春場所を數日後に控へた六日午前十一時から廣瀨協會理事長初め玉錦、武藏山等多數相撲關係者及愛好者參列の下にその除幕式が行はれた、この石塚は力塚と言ひ陸軍大將尾野實信氏の撰、陸軍主計總監千葉郁治氏の書になつて碑文が刻まれ高さ十五尺五寸、幅七石五寸厚さ二尺の堂々たるものである寫眞は除幕式|同盟通信寫眞ニュース||第三號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月6日1936年【1936】十一年一月六日|◎年寄の名を永久に-回向院に力塚建つ|(東京)十一年一月六日力士、行司で斯道興隆に貢獻した年寄の名跡は從來その後繼者によつて繼承されてゐたが大日本相撲協會では今回その名を永久に傳へるため兩國回向院内に歷代相撲年寄の名を刻した石塚を建設してその靈を祀ることゝなり昨夏來起工中であつたがこの程漸く完成、春場所を數日後に控へた六日午前十一時から廣瀨協會理事長初め玉錦、武藏山等多數相撲關係者及愛好者參列の下にその除幕式が行はれた、この石塚は力塚と言ひ陸軍大將尾野實信氏の撰、陸軍主計總監千葉郁治氏の書になつて碑文が刻まれ高さ十五尺五寸、幅七石五寸厚さ二尺の堂々たるものである寫眞は除幕式|同盟通信寫眞ニュース||第三號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月7日1936年【1936】十一年一月七日|◎皇太子樣葉山へ-順宮さまとお揃ひで-|(東京)十一年一月七日皇太子殿下には御姉宮順宮樣とお揃ひで嚴寒の候を當分葉山御用邸に御過しあらせられることになり七日廣幡皇后宮太夫、黑田專務官田中侍醫、伊地知御養育掛等が御供申上げ兩殿下御同列で午前十時十分宮城御出門、同二十五分東京驛御發電車にて同十一時二十七分逗子驛御着車、町民等多數奉拜中を自動車にて葉山御用邸に入らせられた寫眞は一、東京驛にて謹寫|同盟通信寫眞ニュース||同盟 寫眞ニュース 第一號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月7日1936年【1936】十一年一月七日|◎皇太子樣葉山へ-順宮さまとお揃ひで-|(東京)十一年一月七日皇太子殿下には御姉宮順宮樣とお揃ひで嚴寒の候を當分葉山御用邸に御過しあらせられることになり七日廣幡皇后宮太夫、黑田專務官田中侍醫、伊地知御養育掛等が御供申上げ兩殿下御同列で午前十時十分宮城御出門、同二十五分東京驛御發電車にて同十一時二十七分逗子驛御着車、町民等多數奉拜中を自動車にて葉山御用邸に入らせられた寫眞は一、東京驛にて謹寫|同盟通信寫眞ニュース||同盟 寫眞ニュース 第一號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月7日1936年【1936】十一年一月七日|◎初閣議|(東京)十一年一月七日本年の初閣議は七日午前十時四十分より首相官邸に於て開會、岡田首相以下各大臣出席先づ廣田外相より南京政府との交涉關係、北支情勢、軍縮會議の經過につき報告あり次で内田鐵相より曆年による鐵道收入決算狀況を説明昨年同期に比すれば一割以上の收入增を示し景氣のバロメーターたる鐵道收入より見ても財界は安定への途を辿つてゐることが明瞭であると報告正午散會寫眞は一、初閣議|同盟通信寫眞ニュース||同盟 寫眞ニュース 第二號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月7日1936年【1936】十一年一月七日|◎初閣議|(東京)十一年一月七日本年の初閣議は七日午前十時四十分より首相官邸に於て開會、岡田首相以下各大臣出席先づ廣田外相より南京政府との交涉關係、北支情勢、軍縮會議の經過につき報告あり次で内田鐵相より曆年による鐵道收入決算狀況を説明昨年同期に比すれば一割以上の收入增を示し景氣のバロメーターたる鐵道收入より見ても財界は安定への途を辿つてゐることが明瞭であると報告正午散會寫眞は一、初閣議|同盟通信寫眞ニュース||同盟 寫眞ニュース 第二號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月8日1936年【1936】十一年一月八日|◎大元帥陛下御親閲勇躍する一萬二千の精鋭-代々木原頭の觀兵式-|(東京)十一年一月八日昭和十一年初頭を飾る盛儀、陸軍始大觀兵式は八日午前十時畏くも天皇陛下の行幸を仰ぎ雪白き代々木原頭に繰り展げられた寫眞は(一)及(二)御親閲の大元帥陛下(三)步兵の分列式(四)陪觀の岡田首相以下各閣僚|同盟通信寫眞ニュース||同盟 寫眞ニュース 第一-四號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月8日1936年【1936】十一年一月八日|◎大元帥陛下御親閲勇躍する一萬二千の精鋭-代々木原頭の觀兵式-|(東京)十一年一月八日昭和十一年初頭を飾る盛儀、陸軍始大觀兵式は八日午前十時畏くも天皇陛下の行幸を仰ぎ雪白き代々木原頭に繰り展げられた寫眞は(一)及(二)御親閲の大元帥陛下(三)步兵の分列式(四)陪觀の岡田首相以下各閣僚|同盟通信寫眞ニュース||同盟 寫眞ニュース 第一-四號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月8日1936年【1936】十一年一月八日|◎大元帥陛下御親閲勇躍する一萬二千の精鋭-代々木原頭の觀兵式-|(東京)十一年一月八日昭和十一年初頭を飾る盛儀、陸軍始大觀兵式は八日午前十時畏くも天皇陛下の行幸を仰ぎ雪白き代々木原頭に繰り展げられた寫眞は(一)及(二)御親閲の大元帥陛下(三)步兵の分列式(四)陪觀の岡田首相以下各閣僚|同盟通信寫眞ニュース||同盟 寫眞ニュース 第一-四號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月9日1936年【1936】十一年一月九日|◎三六年のシス・シヤム-憲法發布記念祭に進出-|(東京)十一年一月九日どうです、この明眸皓齒は-去る十二月十四日の暹羅國憲法發布記念祭の呼物である恆例の美人投票で選出された一九三六年のミス・シヤムです、ワニー孃といつて芳紀まさに十八歳、今度の投票はこの國の正統なる服裝であることゝいふ國粹的條件の下に行はれた、裸足でパーテープといふ一條の布を乳の周圍に卷きつけ、その一端を肩越しに背中へ投げかけてゐる頗る妖艷なもの、之がシヤムの婦人の昔からの正裝なのです寫眞は一、ワニー孃|同盟通信寫眞ニュース||同盟 寫眞ニュース 第一號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月9日1936年【1936】十一年一月九日|◎三六年のシス・シヤム-憲法發布記念祭に進出-|(東京)十一年一月九日どうです、この明眸皓齒は-去る十二月十四日の暹羅國憲法發布記念祭の呼物である恆例の美人投票で選出された一九三六年のミス・シヤムです、ワニー孃といつて芳紀まさに十八歳、今度の投票はこの國の正統なる服裝であることゝいふ國粹的條件の下に行はれた、裸足でパーテープといふ一條の布を乳の周圍に卷きつけ、その一端を肩越しに背中へ投げかけてゐる頗る妖艷なもの、之がシヤムの婦人の昔からの正裝なのです寫眞は一、ワニー孃|同盟通信寫眞ニュース||同盟 寫眞ニュース 第一號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月9日1936年【1936】十一年一月九日|◎トーキー役者牛塚市長-「選擧肅正」の撮影-|(東京)十一年一月九日「選擧肅正の聲を益々大にするため牛塚市長は九日午前十一時日暮里の振進スタデイオに赴き肅正の辯を一卷のトーキーに收めた寫眞は一、市長のトーキー撮影|同盟通信寫眞ニュース||同盟 寫眞ニュース 第四號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月9日1936年【1936】十一年一月九日|◎トーキー役者牛塚市長-「選擧肅正」の撮影-|(東京)十一年一月九日「選擧肅正の聲を益々大にするため牛塚市長は九日午前十一時日暮里の振進スタデイオに赴き肅正の辯を一卷のトーキーに收めた寫眞は一、市長のトーキー撮影|同盟通信寫眞ニュース||同盟 寫眞ニュース 第四號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月10日1936年【1936】十一年一月十日|◎初日五十錢デーの猛景氣|(東京)十一年一月十日大日本大相撲春場所は愈々十日兩國國技館に於て初日の蓋を開けた、武藏山の新橫綱に六年振りで兩橫綱番付を見た大鐵傘下は凄いまでの人氣を呼び又五十錢均一奉仕デーとあつて午前二時早くも開館、寒空にふるえてゐたフアンは雪崩れを打つて入場する盛況、午前五時前角力から場内は早くも湧き返つてゐる寫眞は一、武藏山の土俵入り|同盟通信寫眞ニュース||同盟 寫眞ニュース 第一號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月10日1936年【1936】十一年一月十日|◎初日五十錢デーの猛景氣|(東京)十一年一月十日大日本大相撲春場所は愈々十日兩國國技館に於て初日の蓋を開けた、武藏山の新橫綱に六年振りで兩橫綱番付を見た大鐵傘下は凄いまでの人氣を呼び又五十錢均一奉仕デーとあつて午前二時早くも開館、寒空にふるえてゐたフアンは雪崩れを打つて入場する盛況、午前五時前角力から場内は早くも湧き返つてゐる寫眞は一、武藏山の土俵入り|同盟通信寫眞ニュース||同盟 寫眞ニュース 第一號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月10日1936年【1936】十一年一月十日|◎宮内省の消防出初式|(東京)十一年一月十日宮内省消防部の恆例出初式は湯淺宮相以下宮内官のほか警視廳本間警務部長、今井警務課長、伊能警衞課長、岡崎特別警備隊長、重田消防部長をはじめ御所、離宮を御警衞申し上げる警察署長、消防署長等も來賓として參列十日午前十時宮内省廳舍前廣場で行はれ火事裝束を凛々しく禁苑防火の重き責務に任ずる榊田警視總指揮の下に大久保、藤原兩消防隊長以下消防警手、消防夫百餘名は自動車ポンプ五臺に分乘集合、内藤警察部長の點檢、分列式に次いで「遠見」「鯱」「麻の葉」等各種の梯子乘に絶妙な離れ業を演じ最後に放水演習があつて同十一時三十分頃終了した寫眞は一、宮内省の出初式|同盟通信寫眞ニュース||同盟 寫眞ニュース 第二號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月10日1936年【1936】十一年一月十日|◎宮内省の消防出初式|(東京)十一年一月十日宮内省消防部の恆例出初式は湯淺宮相以下宮内官のほか警視廳本間警務部長、今井警務課長、伊能警衞課長、岡崎特別警備隊長、重田消防部長をはじめ御所、離宮を御警衞申し上げる警察署長、消防署長等も來賓として參列十日午前十時宮内省廳舍前廣場で行はれ火事裝束を凛々しく禁苑防火の重き責務に任ずる榊田警視總指揮の下に大久保、藤原兩消防隊長以下消防警手、消防夫百餘名は自動車ポンプ五臺に分乘集合、内藤警察部長の點檢、分列式に次いで「遠見」「鯱」「麻の葉」等各種の梯子乘に絶妙な離れ業を演じ最後に放水演習があつて同十一時三十分頃終了した寫眞は一、宮内省の出初式|同盟通信寫眞ニュース||同盟 寫眞ニュース 第二號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月11日1936年【1936】十一年一月十一日|◎鍋島榮子刀自に勳三等|(東京)十一年一月十一日篤志看護婦人會長を始め各方面の公職にある故直大侯未亡人鍋島榮子刀自は本年八十二歳の高齡に達し引退することゝなつたが畏き邊りでは、その永年の功勞を嘉せられ十一日左の如く敍勳の御沙汰があつた勳四等 鍋島榮子敍勳三等授瑞寶章寫眞は一、光榮の榮子刀自|同盟通信寫眞ニュース||同盟 寫眞ニュース 第二號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月11日1936年【1936】十一年一月十一日|◎鍋島榮子刀自に勳三等|(東京)十一年一月十一日篤志看護婦人會長を始め各方面の公職にある故直大侯未亡人鍋島榮子刀自は本年八十二歳の高齡に達し引退することゝなつたが畏き邊りでは、その永年の功勞を嘉せられ十一日左の如く敍勳の御沙汰があつた勳四等 鍋島榮子敍勳三等授瑞寶章寫眞は一、光榮の榮子刀自|同盟通信寫眞ニュース||同盟 寫眞ニュース 第二號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月11日1936年【1936】十一年一月十一日|◎女流書家の新年試筆會|(東京)十一年一月十一日山野紅蘭女史門下の恆例新年試筆會は十一日午前十一時から日本橋倶樂部で開催、眼も絢なる文金高島田に振袖姿の令孃達が數々の餘興の後に夫々書初めを試み歡を盡して散會した寫眞は一、女流書家のお書初め|同盟通信寫眞ニュース||同盟 寫眞ニュース 第三號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月11日1936年【1936】十一年一月十一日|◎女流書家の新年試筆會|(東京)十一年一月十一日山野紅蘭女史門下の恆例新年試筆會は十一日午前十一時から日本橋倶樂部で開催、眼も絢なる文金高島田に振袖姿の令孃達が數々の餘興の後に夫々書初めを試み歡を盡して散會した寫眞は一、女流書家のお書初め|同盟通信寫眞ニュース||同盟 寫眞ニュース 第三號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月12日1936年【1936】十一年一月十二日|◎念佛のコーラスで鯉料理|(東京)十一年一月十二日十二日午前十時淺草區北清島町眞言大谷派高龍山阪東報恩寺で吉例の「鯉魚料理規式」が執行された、この儀式は七百年の天福元年以來今日まで連綿と續いてゐるもので俗に俎開きと云はれてゐる、處もあらうに本堂の眞中に大俎に二匹の生鯉をのせ、三百餘名の善男善女が唱へる念佛のコーラスに庖丁のコンタクトを採りながら鳥帽子直垂も古風な料理人が一尾づつ料理をして生身の二切は京都本山東本願寺法主に、のこりの身は細かに刻んで同じく二切づつ笹の葉にのせて信徒にくばるのである寫眞は一、鯉魚料理規式|同盟通信寫眞ニュース||同盟 寫眞ニュース 第一號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月12日1936年【1936】十一年一月十二日|◎念佛のコーラスで鯉料理|(東京)十一年一月十二日十二日午前十時淺草區北清島町眞言大谷派高龍山阪東報恩寺で吉例の「鯉魚料理規式」が執行された、この儀式は七百年の天福元年以來今日まで連綿と續いてゐるもので俗に俎開きと云はれてゐる、處もあらうに本堂の眞中に大俎に二匹の生鯉をのせ、三百餘名の善男善女が唱へる念佛のコーラスに庖丁のコンタクトを採りながら鳥帽子直垂も古風な料理人が一尾づつ料理をして生身の二切は京都本山東本願寺法主に、のこりの身は細かに刻んで同じく二切づつ笹の葉にのせて信徒にくばるのである寫眞は一、鯉魚料理規式|同盟通信寫眞ニュース||同盟 寫眞ニュース 第一號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月12日1936年【1936】十一年一月十二日|◎打ちかけ着た西歐の歌姫|(東京)十一年一月十二日「日本婦人クラブ」では昨年來朝した西歐の歌姫グズネツオヴア夫人が來月歸國するので昨夕四谷區番衆町一二七の小笠原流教場へ招待高倉峰子女史の説明で德川時代から現代までの結婚風俗の實演を見せ優雅な日本女性の精神を披露したが日本好きの夫人は始終キチンと坐つて大いに感心してゐたがたう〱自分もしてみたくなり赤い打ちかけを着せてもらひ慣れぬ手つきで古式の茶の湯の眞似ごとをして大喜ひだつた寫眞はその集ひ(左から二人目グズネツオヴア夫人、藤原義江夫人あき子さん)|同盟通信寫眞ニュース||號外
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月12日1936年【1936】十一年一月十二日|◎打ちかけ着た西歐の歌姫|(東京)十一年一月十二日「日本婦人クラブ」では昨年來朝した西歐の歌姫グズネツオヴア夫人が來月歸國するので昨夕四谷區番衆町一二七の小笠原流教場へ招待高倉峰子女史の説明で德川時代から現代までの結婚風俗の實演を見せ優雅な日本女性の精神を披露したが日本好きの夫人は始終キチンと坐つて大いに感心してゐたがたう〱自分もしてみたくなり赤い打ちかけを着せてもらひ慣れぬ手つきで古式の茶の湯の眞似ごとをして大喜ひだつた寫眞はその集ひ(左から二人目グズネツオヴア夫人、藤原義江夫人あき子さん)|同盟通信寫眞ニュース||號外
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月12日1936年【1936】十一年一月十二日|◎和子孃■の樂壇へ初のテストにお歷々驚嘆|(東京)十一年一月十二日夜(既報)第二の諏訪根自子さんとして去る四日シヤトルから遥々故國を訪れた小さきヴアイオリニスト田實和子(一四)さんの初のテストが飯倉町の聲樂家松山芳野里氏宅で行はれた、聽く人は近衞秀磨子、藤原義江其他の人々、和子さんの日本語を操る口こそたどたどしいが一度ヴアイオリンを手にする時は難曲も正確なタツチで鮮かに奏きこなし竝ゐる人々を驚嘆せしめた、和子さんは近衞子指導の下に良き師に付いてみつちり勉強し近く春の樂壇にデビユウすることゝなつた寫眞は一、和子さん初のテスト|同盟通信寫眞ニュース||第三號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月12日1936年【1936】十一年一月十二日|◎和子孃■の樂壇へ初のテストにお歷々驚嘆|(東京)十一年一月十二日夜(既報)第二の諏訪根自子さんとして去る四日シヤトルから遥々故國を訪れた小さきヴアイオリニスト田實和子(一四)さんの初のテストが飯倉町の聲樂家松山芳野里氏宅で行はれた、聽く人は近衞秀磨子、藤原義江其他の人々、和子さんの日本語を操る口こそたどたどしいが一度ヴアイオリンを手にする時は難曲も正確なタツチで鮮かに奏きこなし竝ゐる人々を驚嘆せしめた、和子さんは近衞子指導の下に良き師に付いてみつちり勉強し近く春の樂壇にデビユウすることゝなつた寫眞は一、和子さん初のテスト|同盟通信寫眞ニュース||第三號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月13日1936年【1936】十一年一月十三日|◎轉向學生を御視察高松宮精神文化硏究所御成り|(東京)十一年一月十三日かねて轉向學生の將來に御留意あらせられる高松宮殿下には十三日午前九時半上大崎長者丸の文部省國民精神文化硏究所へ成らせられ十時十分より約四十分に亘り教員硏究科の山田孝雄氏の講義を御聽取後所長關屋龍吉氏の御案内で所内を御巡察各種資料を御覽遊ばされ種々御熱心に御下問あり十一時五十五分御歸還遊ばされた寫眞は一、御視察の高松宮(左は御説明の關屋所長)|同盟通信寫眞ニュース||第一號
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聯合・同盟配信写真(1936) 1936年1月13日1936年【1936】十一年一月十三日|◎轉向學生を御視察高松宮精神文化硏究所御成り|(東京)十一年一月十三日かねて轉向學生の將來に御留意あらせられる高松宮殿下には十三日午前九時半上大崎長者丸の文部省國民精神文化硏究所へ成らせられ十時十分より約四十分に亘り教員硏究科の山田孝雄氏の講義を御聽取後所長關屋龍吉氏の御案内で所内を御巡察各種資料を御覽遊ばされ種々御熱心に御下問あり十一時五十五分御歸還遊ばされた寫眞は一、御視察の高松宮(左は御説明の關屋所長)|同盟通信寫眞ニュース||第一號