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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 目次(18頁) | ...一四六七中村良弁塚一四七三石製造立物一四七九区内指定文化財一覧一四九七第五編補説練馬大根の歴史一五〇一千川上水の歴史一五一一練馬の道一五四〇付表および地図練馬区新旧地名字名表巻末遺...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第二節 繩文文化期(59頁) | ...そ三〇〇〇年から八〇〇〇年前とされている。本区には繩文文化期の遺跡は非常に多い。練馬区内縄文遺跡地名表 |
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第四節 古代社会(73頁) | ...文化期から奈良、平安時代にかけて、実年代にすれば三世紀から十二三世紀末にかけての練馬の歴史は、なかなかその実体をつかみにくい。この時代はまだ文献が少なく、ことに当地...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第四節 古代社会(80頁) | ...上石神井一丁目芸術大学寮裏の円墳は、明治三十三年発行の「古墳横穴及同時代遺物発見地名表」所載の上神井村上石神井の円墳にあたると思われるが今日では見るかげもない。江古...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第四節 古代社会(86頁) | ...つてこれに充てることが一般である。大日本国郡志には、「いま、詳かならず、按ずるに練馬の地、野方領と称す、或はその地か、しばらく附して考に備う」(原漢文)とあり、大日...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第二節 争乱時代の豊島氏の動向(120頁) | なお石神井城といい練馬城といい、これらの城の規模は後世の城郭建築にみられるような壮大な石垣や建築を伴う...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第四節 室町時代の世相と練馬 三 練馬地方における伊勢・熊野信仰(171頁) | ...講、神明講、大神宮講などがもたれるようになつたのも、恐らくこの期が最初であろう。練馬区内にも、当時奉斎されたと思われる神明社が数社見受けられる。下石神井一丁目の天祖...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第七節 小田原衆所領役帳と練馬(198頁) | ...その間にあつて、北条氏の治政は巧みであつたわけである。第七節 小田原衆所領役帳と練馬関東一円の分国的支配がほぼ達成された永祿二年(一五五九)二月に、北条氏康は家臣太...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第二節 村の状態 上練馬村(323頁) | ...農業経営は畑に依存していたが江戸の発展にともない、蔬菜供給地として、わけても名産練馬大根の名で知られるようになつた。元祿年間(一七〇〇年前後)には「江都近郊最モ美ナ...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一章 神社仏閣(1223頁) | ...を撰び、その神祇の名を神社の名としたようであつた。新編武蔵風土記稿によれば、今の練馬区内にも、その頃、三十番神があつたことが記載してあるが、神仏分離の後はその三十番...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一章 神社仏閣(1231頁) | ...の神社の祭神、由緒、沿革、神事、境内社、氏子区域などは次の通りである。氷川神社(練馬区仲町二丁目四三三五番地「旧地名、下練馬村大字下練馬字宮宿」) 旧社格、郷社(明治五年十月十九日...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一章 神社仏閣(1235頁) | ...由緒あるらし、をかしき事と思う」と書かれたのは、この境内社である。氏子区域は、旧練馬村の一部で、今の北町一丁目、三丁目、仲町、一丁目、四丁目、南町一丁目五丁目の地域...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一章 神社仏閣(1237頁) | ...下石神井(下石神井一丁目、二丁目)ノ全部、七百九十戸」と記載している。氷川神社(練馬区豊玉南二丁目一五番地「旧地名、中新井村大字中新井一五七六」)旧社格 村社祭神 須佐之男命由緒 ...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一章 神社仏閣(1238頁) | ...中新井村大字中新井全部(板橋区中新井町全部)八百五十戸」と書いてある。八幡神社(練馬区中村南三丁目二番地「旧地名、中新井村大字中五一四」)旧社格 村社(明治七年四月被定)祭神 応神...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一章 神社仏閣(1239頁) | ...照)。また氏子の若者が力くらべをした時に用いた力石が多く残されている。白山神社(練馬区南町五丁目六七四四番地「旧地名、下練馬村字谷戸、谷戸山」)旧社格 村社祭神 伊邪那美命由緒 北...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一章 神社仏閣(1241頁) | 五百戸」と、北豊島郡神社誌に書いている。春日神社(練馬区春日町二丁目一八七五番地「旧地名、上練馬村大字上練馬一八七五」)旧社格 村社祭神 天児屋根命、面足之命、菅原道真...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一章 神社仏閣(1242頁) | ...産霊神 須賀神社 須佐之男命春日神社 天児屋根命 御嶽神社 櫛麻智命氏子区域「上練馬村大字上練馬字、若宮、西組、原、大門山、東貰井、貫井、田島、中通、向山ケ谷戸全部、四百戸」と...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一章 神社仏閣(1243頁) | ...祭神)稲荷神社 倉稲魂命 御嶽神社 少彦名命八雲神社 須佐鳴男命氏子区域 「上練馬村大字下土支田全部(板橋区練馬土支田町一丁目、二丁目全部)百六十余戸一と北豊島郡神社誌に書いてあ...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一章 神社仏閣(1244頁) | ...丁目ノ全部、石神井立野町一部)百八十戸」と北豊島郡神社誌に書いてある。氷川神社(練馬区谷原町二丁目二八八番地「旧地名、石神井村大字谷原字東郷二四八八」)旧社格 村社祭神 須佐之男命...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一章 神社仏閣(1245頁) | ...ば「石神井村大字谷原全部(板橋区石神井谷原町全部)二百三十戸」とある。北野神社(練馬区東大泉町六九六番地「旧地名、大泉村大字上土支田字中邑」)旧社格 村社(明治七年四月被定)祭神 ...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一章 神社仏閣(1246頁) | ...「大泉村大字上土支田全部(板橋区東大泉町全部)百八十戸」と書いてある。氷川神社(練馬区北大泉町五二〇番地「旧地名、大泉村大字橋戸五〇二」)旧社格 村社(明治七年被定)祭神 素盞鳴尊...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一章 神社仏閣(1247頁) | 諏訪神社(練馬区西大泉町一〇二六番地「旧地名大泉村大字小榑二〇三〇」)旧社格 村社祭神 建御名方命、宇迦御魂命由緒 創立年代...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一章 神社仏閣(1248頁) | 境内末社御嶽神社 櫛麻智命崇敬者 三十四戸「北豊島郡神社誌記載」氷川神社(練馬区北町三丁目八六〇番地「旧地名、上練馬村大字上練馬字下田柄大松」)祭神 建速須之男命由緒 不詳、江戸時...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一章 神社仏閣(1249頁) | 崇敬者 練馬町字南北二軒在家の二字、五十戸「北豊島郡神社誌記載」愛宕神社(練馬区田柄町二丁目六二四一番地「旧地名、上練馬村大字上練馬字田柄」)祭神 迦具突智尊...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一章 神社仏閣(1250頁) | ... 櫛麻知命 稲荷神社 宇迦之御魂命崇敬者 六十戸「北豊島郡神社誌記載」稲荷神社(練馬区旭町五四七番地「旧地名、上練馬村大字下土支田字後安」)祭神 稲蒼魂命由緒 未詳、旭町小島兵八郎...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一章 神社仏閣(1251頁) | 祭神 大日?貴命、須佐之男尊由緒 不詳、当社の附近に神明前と呼ばれる地名があり、社の前にある延宝二年の庚申塔には石神井郷神明村という村名が彫りつけてある...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一章 神社仏閣(1252頁) | 石神井神社(練馬区下石神井二丁目一五五九番地「旧地名石神井村大字下石神井字北原」)祭神 少彦名尊由緒 不詳、当社は古来「石神さま」と...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一章 神社仏閣(1253頁) | ...と北豊島郡神社誌に記してある。崇敬者 三百五十戸「北豊島郡神社誌記載」稲荷神社(練馬区南田中町六四四番地「旧地名、石神井村大字田中六六四」)祭神 宇気母知命、大日?貴命由緒 不詳氏...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一章 神社仏閣(1265頁) | 新義真言宗豊山派旧御室仁和寺末愛染院(春日町一丁目二六六六番地「旧、上練馬村」)開基年代は未詳であるが、初めは今の豊島園裏の石神井川に面した辺りにあつたが...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一節 伝説(1421頁) | 第五章 練馬の伝説と民謡第一節 伝説ねりま(練馬)練馬という地名は、どういう意味か。これには次のような伝説がある。その昔、練馬の...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一節 伝説(1422頁) | ...んで売却する、盗賊のあつたことは事実で、中世には特に甚だしかつたらしい。それで、練馬の馬盗人の話も、江戸の人にたやすく信じられるようになつたもので、幕府の編纂した「...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第二節 民謡 石製造立物(1486頁) | ...られている)画像は青面金剛が多く、しばしば道標を兼ねている。これについては補説「練馬の道」に触れてあるが、大小街道筋に当る場所を選んで樹てられた庚申塔がいまでも昔の...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 練馬の道(1546頁) | 青梅街道は、わが練馬の南西隅上石神井村・関村(現在の関町)を横切つているに過ぎないが、この付近の住民...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 練馬の道(1554頁) | ...日にいたるといえども清戸道に関しては不滅である。今日でも北多摩郡清瀬に清戸という地名が存するが、この道の終点はこの清戸である。ここから逆に東へたどれば、下保谷村を経...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 練馬の道(1557頁) | ...築いた土手の上を通つているが、明治の末までは円光院(子の権現)の前を通り、現在の練馬第二小学校の脇を通つて道楽橋に出ていたということも、もう世人の記憶から薄れようと...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 練馬区新旧地名字名表(1563頁) | 練馬区新旧地名字名表練馬区新旧地名字名表 |
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 目次(12頁) | 新編武蔵風土記稿(抄)1139四神地名録(抄)1152江戸名所図会(抄)1164遊歴雑記(抄)1168嘉陵紀行(抄)1...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 白子川流域の遺跡と遺物(49頁) | ...遺跡と遺物№1遺跡この遺跡の位置は高野進芳氏の調査により大泉学園町善行院北方と『練馬区史』(昭和三二年刊、以下同じ)に記録され、『北西区部文化財総合調査報告(第一分...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 石神井川流域の遺跡と遺物(115頁) | ...る。№92遺跡石神井川右岸台地の入り込む貫井の小支谷の西側台地縁辺にあり、現在の練馬区立練馬第二小学校敷地とその付近に当る。『練馬区史』によれば、縄文時代中期の遺跡であり、...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 石神井川流域の遺跡と遺物(134頁) | ...のうちの一つで、田柄川右岸台地に位置する。地籍は平和台一丁目一四とされている。『練馬区史』ではじめてとりあげられたときは、北町一丁目金乗院南、縄文時代中期であった。...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第一節 行政区画(160頁) | ...荒墓郷を日暮里・上野付近にあて、湯島郷は本郷湯島に、広岡郷を渋谷区広尾か、または練馬地方に充てている。そこでこの広岡郷の故地であるが、『新編武蔵風土記稿』に「地名に尾と云は岡の下略...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第二節 乗瀦駅(161頁) | 『和名抄諸國郡郷考』では「廣岡連ひろおかのむらじの地名によりたるなるべし」とみえ、広岡郷の故地を練馬地方に推定している。以上これらの考え方が、現在では一応代表されるものであるが、多...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第四節 豊島庶流と練馬の村落(199頁) | ...なかでも尊勝院や実報院は熊野においてもっとも勢力のある御師の一つであった。当時の練馬地方は大方が実報院の檀那圏(「那智山実報院檀那帳」)にあった。元享年間(一三二一...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第四節 豊島庶流と練馬の村落(201頁) | ...たものである。豊島三河守・板橋周防のほか三一名の人びとの在名がみえている。本区の地名にかかわり深い名字と思われるものに、ねりまひやうこ(練馬兵庫)、同弥次郎(練馬弥次郎)の名がみえ...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第一節 村の支配組織(249頁) | ...まで長く続いた。村と組前出の『小田原衆所領役帳』(以下『役帳』という)によると、練馬区関係では中新居・練馬・石神井・谷原・土支田・小榑などの在名が見える。これらの地域がどの程度の範...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第三節 村の状態(313頁) | ...)は、五代将軍綱吉が右馬頭といっていた頃病気療養をした伝承として人口に膾炙され、練馬大根発生の地ということになっている。この綱吉はまた犬公方くぼうとも呼ばれ「生類憐...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第三節 村の状態(326頁) | ...をもって村名としたが、社は今下石神井村にあると述べている。いずれにしても石神井の地名の起りはこの石神しやくじんから出たものにちがいはないが、石神と地名との関係についての研究には古く...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第三節 村の状態(331頁) | ...在の大泉町(住居表示前の北大泉町)に相当する区域である。天領(幕府直轄地)の多い練馬では数少ない旗本知行地であった。天正一九年(一五九一)家康入国と同時に伊賀組の給...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第一節 農業生産の実態(349頁) | ...出でず、幕末に至ってようやく市場生産の時代に入ったと見るべきであろう。土性と肥料練馬を含む南関東は武蔵野特有のローム層の土質で、土にねばりがなく作物の成育には多量の...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第一節 農業生産の実態(352頁) | ...人の階層によって量質を勘案し、肥料としての価値で相場が決められていた。主な農産物練馬といえば大根、大根といえば練馬といわれるほど、当時でも練馬大根は文字通り人口に膾炙されていた。『...
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