1 |
練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 目次(8頁) | 第七節練馬区独立への第一歩五三三一東京都制の施行五三四二練馬支所と石神井派出所五三四三中野区板橋区境界変更五三七第二章人口の漸増五四〇第一節明治大正の人口五四〇第二節大震災後か...
|
2 |
練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第二章 練馬区の現在と将来(19頁) | ...キロ)人口五六六万人という世界有数の首都となつたのである。本区の地域は、このとき板橋区の半部として新市域に改まつた。すなわち、板橋町、上板橋村、志村、赤塚町、練馬町、上練馬村、中新...
|
3 |
練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第六節 板橋区時代 三 練馬区分立の運動(520頁) | ...市への編入が行われ、あらゆる面で旧一五区なみの施設や待遇をうけるチヤンスがきた。板橋区としていまの区内の地と板橋区の地を合せた広大な地、旧一五区にも匹適する大板橋区が十月一日より発...
|
4 |
練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第七節 練馬区独立への第一歩(533頁) | 第七節 練馬区独立への第一歩板橋区の町として着々と近代的市街へ衣がえしつつあつた本区内の町々にも、満洲事変から日...
|
5 |
練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一節 練馬区の誕生(745頁) | て町会長、区会議員、各種団体長が全員協議を行い練馬区設置の決議を行つている。これにうごかされて八月七日、板橋区会は、練馬区独立の動議を成立させ、自治振興委員会にこれを付託し、審議さ...
|
6 |
練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一節 練馬区の誕生(748頁) | ...尨大なる地域に生活する吾等練馬十万区民がその福祉増進の為に、多年に渉り、翹望する独立自治区たる練馬の設置は当局に於て未だ考慮せられぬやに仄聞するも斯くの如きは全く当...
|
7 |
練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一節 練馬区の誕生(749頁) | ...、都制第百四十一条により、貴職より区会に提案付議せられたい。 記一、板橋区は区域極めて広大にして然も交通機関不備なため、区民の日常生活と密接不離な関係あ...
|
8 |
練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第二節 特別区 一 あらまし(751頁) | ...議 区の境界については将来適当に補正せられたし。ここに多年の宿望をとげて、新生、練馬区が昭和二十二年八月一日より発足することとなつたのである。第二節 特別区一、あらま...
|
9 |
練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第四節 議決機関 二 区議会議員(764頁) | ...助 半沢 敬吾しかし、これら議員はもちろん、現区内出身の議員であつたから、当時板橋区にあつて、盛んによびかけていた練馬区独立運動の急先峰にたつて動いたことはいうまでもないことであ...
|
10 |
練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一節 区の財政事情(787頁) | 昭和二十二年独立第一年の財政事情(昭和二十三年五月一日発表)昨年八月一日板橋区より分離し、練馬区として新たに発足して以来、既に八ケ月を経、自治区としての内外...
|
11 |
練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一節 区の財政事情(788頁) | 昨年八月一日、板橋区より独立して、新たに練馬区として発足し、八月三十一日に八月より十月迄三ケ月間の暫定歳入歳...
|
12 |
練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第三節 区民と税(862頁) | 練馬税務署又国税の賦課徴収については板橋税務署が担当していたが、戦後練馬区独立によつて、新たに昭和二十七年八月練馬南町一ノ三五四五に練馬税務署が設けられた。 |
13 |
練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一節 戦前戦後の変化(868頁) | で、二万―二万六千位い、中野、板橋、葛飾、江戸川、練馬の順位で、当区は、最低の増加率しか示していない。しかし独立してからの練馬は見違える程活況を呈して来た。二十三年一カ年間には、台...
|
14 |
練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第二節 人口動態 二 転入転出その他(884頁) | ...の逆で、昼間はぐつと人口がへるが、夜間には帰宅者をむかえて非常に人口が増加する。練馬区は後者に属するが、まだ充分に住宅地区として発展していず、農業を営んで居住する人々...
|
15 |
練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一節 民生事務所から福祉事務所へ(1126頁) | もに名称も民生館、民生事務所と改められ、当時板橋区であつた区内にも民生委員がおかれるとともに民生事務所が設けられた。そして、昭和...
|
16 |
練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第二節 消防 二 本区消防史(1208頁) | ...られ、各市区町村消防団を設置しなければならないこととなり、同年十月十一日にすでに板橋区から独立していた本区にも始めて、練馬区議会において練馬消防団設置条例を可決し従来の警防団...
|
17 |
練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第二節 消防 二 本区消防史(1209頁) | ...馬防火協会、練馬産業防火協会がそれぞれ結成発足した。そして、昭和二十二年八月一日板橋区から練馬区が独立して、練馬消防署の管轄区域は練馬区一円となつた。 |
18 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 目次(8頁) | 第二節村の統合522第三節板橋区の成立と練馬区の独立544第四節警察と消防548第二章徴兵制と日清・日露戦争552第一節戊辰戦...
|
19 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第三節 板橋区の成立と練馬区の独立(544頁) | 第三節 板橋区の成立と練馬区の独立市域拡張と板橋区の成立郡部の東京市域編入の動きは、関東大震災後、郊外人口の...
|
20 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第三節 板橋区の成立と練馬区の独立(545頁) | 町、上練馬村、中新井村、石神井村、大泉村の旧北豊島郡下九か町村である。板橋区は旧市域の一五区に匹敵する広大な面積をもつが、人口はわずかに一二万余であった。...
|
21 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第四節 警察と消防(549頁) | ...村大字高松 高松巡査駐在所 大泉村大字小榑 小榑巡査駐在所板橋警察署の管轄範囲はこの後も幾変遷しているが、練馬区域は昭和に至るまで同警察署管内にあった。大正一...
|
22 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第四節 警察と消防(551頁) | 昭和七年の市郡併合により、現練馬区域は板橋区の一部となったが、この時当時の板橋五丁目九一八番地に板橋消防署が設けられ、以後...
|
23 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第九節 練馬の商工業(674頁) | ...会として活動を継続することとなった。当時の練馬農業会の管轄範囲は石泉地区を除く旧板橋区全域にわたっていた。折しも現練馬区域の板橋区からの独立を望む声が戦後になって再燃し、これに呼応...
|
24 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第九節 青年学校の歩み(750頁) | 位置)に設立され、一三年に上板橋第三尋常小学校として独立した。概況は初等科(元尋常科)一一学級四四四名(男二三五、女二〇九)の児童を数え...
|
25 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第三節 生活と文化(832頁) | ...被害はなく反乱軍は鎮圧された。昭和一二年一二月一五日練馬警察署が開署した。現在の練馬区全域を管轄区域として板橋警察署から分離独立したのである。初代署長は警部前原泰次郎、それに警部補...
|
26 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第八部 年表稿(1288頁) | ...村長、赤塚村長、志村村長、大泉村長、練馬町長、連署をもって農業地帯を区画として、独立の区を設置するよう陳情(この陳情は実現を見るに至らず、10月に板橋区となった) 5・15 五...
|
27 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第八部 年表稿(1295頁) | ...22 幣原内閣総辞職 5・20 練馬第二農業会が分離独立への設立総会開催(6・12設立認可、7・5登記完了) 5・3 極東国際軍事裁...
|
28 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第八部 年表稿(1296頁) | ・8 練馬区独立区民大会開催(於開進三小校庭) ・15 練馬...
|
29 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第八部 年表稿(1297頁) | ... ・1 マーシャルプラン発表 7・1 板橋区会、練馬区新設促進決議 7・20 独占禁止法全面施行 ・10...
|
30 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 練馬区史編さん事業経過(1299頁) | 五四年一月八日 編集会議(年次計画と進行経過の確認)一月二四日 第二回「練馬区史編さん協議会」(編さん進捗状況・区内部資料および関係各官公署の資料提供の依頼)...
|
31 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| あとがき(1302頁) | あとがき練馬区では、昭和五三年四月、区独立三〇周年記念事業の一環として新たに区史の編さん事業をおこすことになった。この検討...
|
32 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(現勢編)」(昭和56年刊行)
| 序にかえて(1頁) | 序にかえて練馬区独立三〇年を記念して昭和五三年四月に発足した「練馬区史編さん事業」は、五五年三月、まず『現勢資料編』を刊行いたしました。そしてここに...
|
33 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(現勢編)」(昭和56年刊行)
| 練馬区設置の意見書(12頁) | は戦時下非常の態勢の中で実現できなかったが、独立へ数歩の前進をみせて、支所・出張所時代に移ったのであった。練馬区設置の意見書戦争は悲惨な姿を地上に残して終結した。敗戦後、占領軍の中...
|
34 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(現勢編)」(昭和56年刊行)
| 練馬区設置の意見書(13頁) | 員の間を東奔西走して説得に努めた。区会は分離独立の件を自治振興委員会に審議を委託した。採択議決された意見書は次のものである。 意...
|
35 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(現勢編)」(昭和56年刊行)
| 独立区民大会の宣言(15頁) | ...月五日という都の告示になったのであって、これが近く実施されることになったら急ぎ区独立を実現させなければならないと申合せ決定したのである。独立区民大会の宣言一方、二一年八月七日の板橋... |
36 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(現勢編)」(昭和56年刊行)
| 区設置期成会の活躍(17頁) | 区設置期成会の活躍練馬区設置期成会長加藤隆太郎氏と練馬支所町会連合会長上野徳次郎両氏は、都に区域整理委員...
|
37 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(現勢編)」(昭和56年刊行)
| 区独立の決定(18頁) | した。 陳情書当板橋区は、市郡併合により、九ヶ町村を以て設置せられましたが、区域は実に八十平方粁、旧...
|
38 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(現勢編)」(昭和56年刊行)
| 区独立の決定(20頁) | さらに同日付、都から練馬区独立についての審議要求があった。 板橋区役所練馬支所管轄区域の区分離新設並びにこれに伴ふ財産処分について一、板橋区練馬...
|
39 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(現勢編)」(昭和56年刊行)
| 新自治法施行により中断(21頁) | こうして、本案は可決された。これで多年の念願がかなった訳であり、独立に執念に近い情熱を持ったかたがたも一応安堵したのであるが、なお、手続き上の問題が...
|
40 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(現勢編)」(昭和56年刊行)
| 区議会での議決(22頁) | 区議会での議決新自治法による特別区になった新板橋区にとって練馬独立問題は、従来経過した手続きを白紙に戻し、再出発する要があった。五月三〇日定例区議...
|
41 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(現勢編)」(昭和56年刊行)
| 仕上げの区議会(23頁) | が公然と述べられたことは、独立派にとっては大きな衝撃になる。それが事実になって現われるのかどうかは、結果が出れ...
|
42 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(現勢編)」(昭和56年刊行)
| 仕上げの区議会(24頁) | の謝辞を含めた発言があった。歴史的の練馬区独立の議案を、満場一致認められまして、決議決定いたしていただきましたことによりまして...
|
43 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(現勢編)」(昭和56年刊行)
| 仕上げの区議会(25頁) | ...憂ともいえるので安心した。と心の経過を説明した。なお、都民税の負担力については、板橋区より練馬支所、石神井支所の方が大きいと聞いていっそう、この憂慮は解消するものと...
|
44 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(現勢編)」(昭和56年刊行)
| 練馬区独立に関する年表(28頁) | 7年4・26 市案によれば、練馬地区は「板橋区」に含まれている。その理由書の中に「地域広大なりと雖も当分の内特に合して一区と...
|
45 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(現勢編)」(昭和56年刊行)
| 練馬区独立に関する年表(29頁) | ...支所に、石神井派出所を出張所に改める20年8・15 太平洋戦争終結21年8・7 板橋区会で練馬区設置に関する意見書可決8・8 練馬区独立区民大会開催7・2 「東京都制の一部を改...
|
46 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(現勢編)」(昭和56年刊行)
| 付 独立当時を回顧する座談会(30頁) | 3・13 板橋区議会開催、練馬区独立につき可決3・15 東京都22区制実施4・5 区長公選による選挙(板橋区長牛田正...
|
47 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(現勢編)」(昭和56年刊行)
| 付 独立当時を回顧する座談会(33頁) | ...るのどかな田園で良いところでした。桜井 私は古い人間だからかも知れないのですが、板橋区役所まで自転車で行き来しました。電車だと西武新宿線なので午後いっぱい使うことに...
|
48 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(現勢編)」(昭和56年刊行)
| 付 独立当時を回顧する座談会(34頁) | ということを痛感しました。林(信) 練馬の独立緊急動議が出たときに議長(板橋区議会)をしておりましたが、あの議会には日程に収入役人事の問題がありまして多少こ...
|
49 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(現勢編)」(昭和56年刊行)
| 付 独立当時を回顧する座談会(38頁) | ...どころではなく食糧生活の方が大事になっていっさいだめになりました。小口 私たちが独立運動をあれだけ一所懸命にやりましたのは要するに緑の多い田園都市にしたいというので...
|
50 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(現勢編)」(昭和56年刊行)
| 東京の区の変遷と地方自治(41頁) | ...改正により自治区になった。昭和七年一〇月、東京市三五区の形成に当って、本区地域は板橋区の一部として編成された。この東京市は、府と国の二重の監督下におかれているので、...
|