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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 目次(18頁) | ...〇一千川上水の歴史一五一一練馬の道一五四〇付表および地図練馬区新旧地名字名表巻末遺跡・板碑分布図巻末古道並びに造立物分布図巻末 |
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一節 はじめに(44頁) | ...、使つたいろいろの品物(遺物)、住居や各種建造物の跡、ものを製造した跡、その他の遺跡を綿密に調査し研究することによつて、世界各地の文献のない時代、残されている文献の...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第三節 日本の古代(50頁) | ...ここには壊れた器物を棄てたり、死体を葬つたりするので、当時の文化を知る上で重要な遺跡といえよう。繩文文化も晩期になるとあらゆる面で複雑化して来る。その時代は紀元前二...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第三節 日本の古代(51頁) | ...の規模は一段と大きくなり、集落の周辺に環溝をめぐらすものもある。農耕も静岡市登呂遺跡のごとく大がかりな水田耕作も行われている。また、各地の彌生式遺跡から稲もみが発見され、稲作の盛ん...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一節 数万年前の練馬(54頁) | ...活動がはじまつていたことが判明した。幸いにして、練馬区内でも次表のように数ヵ数の遺跡が発見されている。その代表的な遺跡について簡単に説明しよう。北大泉町丸山遺跡は、白子川右岸のほぼ...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一節 数万年前の練馬(54-1) | 上左右 下左 豊玉北2丁目弁天遺跡出土繩文土器(堀野良之助氏蔵) 下右 関町5丁目葛原遺跡 繩文土器出土状態 |
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一節 数万年前の練馬(54-3) | 仲町 立教学院グランド遺跡 上第9号址 下同復原住居 |
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一節 数万年前の練馬(54-4) | 立教学院グランド遺跡第8号址のカマド立教学院グランド遺跡出土上器 下右の壺は須恵器(すえき) 他は土師器(はじき |
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一節 数万年前の練馬(55頁) | 先縄文遺跡頒布図(番号は地名表番号)区内先縄文遺跡地名表 |
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一節 数万年前の練馬(56頁) | ...・七糎で、石質は硬質頁岩、剥片に細部加工をほどこしたもので非常に鋭利である。丸山遺跡地層断面図関町五丁目富士見池南遺跡は、石神井川の左岸の丘陵上にある。地層は、丸山遺跡と同様にロー...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一節 数万年前の練馬(57頁) | ...三・三米の堅いローム層中にチャート製の石器(ブレイド)が発見された。このように本遺跡においては、ローム層中に三つの石器文化が層序的にふくまれていることが確認された。...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一節 数万年前の練馬(58頁) | ...を有しているかという問題、或は当時の植物相、動物相などは全くわからない。しかし、遺跡から度々発見される焼石から、彼等が火を使用したことがわかる。焼石の断面を見ると高...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第二節 繩文文化期(59頁) | ...たのは、今からおよそ三〇〇〇年から八〇〇〇年前とされている。本区には繩文文化期の遺跡は非常に多い。練馬区内縄文遺跡地名表 |
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第二節 繩文文化期(61頁) | 以上の遺跡は、そのほとんどが石神井川、白子川流域の丘陵上に分布している。水があつて、しかも...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第二節 繩文文化期(62頁) | ...竪穴住居が営まれるようになり、人々の生活は多少定着的になる。中期中期になると急に遺跡の数も多くなる。これは全国的な現象であり、しかも一つの遺跡においても土器の出土量が多く、かつ広範...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第二節 繩文文化期(63頁) | 円形の竪穴住居址が五個発堀調査された。(荻原弘道、若月直「石神井公園の縄文式遺跡」西郊文化一五、一六昭三一)第一号址は、直径三・四二米、床面は平にふみかためられ...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第二節 繩文文化期(65頁) | 各遺跡出土の石器 (1)~(8)打製石器 (9)(10)磨製石器 (1)石鏃:丸山 (...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第二節 繩文文化期(66頁) | ...在している。このような遺構を敷石住居址といつている。平地住居址実測図(石神井扇山遺跡)…(上図1号址、下図2号址) |
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第二節 繩文文化期(67頁) | ...検出することは困難なことである。石神井神社の石棒(永江維章氏写真)関町五丁目葛原遺跡は、石神井川右岸の台地上にある。加曾利E式、勝坂式土器を伴つて炉址が発見されてい...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第二節 繩文文化期(68頁) | ...の他に石神井小中原、東大泉町東映撮影所附近、或は豊玉北二丁目弁天などにも大規模な遺跡がある。このように縄文中期は、早期、前期の文化に比して余程その内容が充実したと考...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第三節 彌生文化期(69頁) | ...島・大陸との直接間接の接触をなおざりにすることはできない。本区における彌生文化の遺跡は、比較的少いが、それでも相当規模の大きな遺跡が発見されている。区内弥生遺跡地名表 |
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第三節 彌生文化期(70頁) | 春日町出土の弥生式土器実測図春日町遺跡は、石神井川を南にのぞむ台地上にある。出土した土器は、上図及び巻頭図版のように美...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第三節 彌生文化期(71頁) | ...西に寄つて炉址があり、五個の柱穴がある。弥生式竪穴住居址実測図(立教学院グランド遺跡第2号址)北大泉町丸山遺跡では、一個の竪穴住居址とその集落をとりまくと推定される環溝址が発見され...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第三節 彌生文化期(72頁) | 環溝実測図(丸山遺跡) 弥生式竪穴住居址実測図(丸山遺跡) |
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第四節 古代社会(73頁) | ...だ文献が少なく、ことに当地方に関する文献は皆無といつてよい。したがつて前代同様に遺跡、遺物を先づ研究の対象として考察しなければならない。この時代に主として日常の容器...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第四節 古代社会(74頁) | ...て、丘陵端から沖積低地にかけてのゆるやかな傾斜面に散布している。立教学院グランド遺跡や丸山遺跡をのぞいては、土器は小破片となり、かつ遺跡の様相も土器の散布することから包含地と...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第四節 古代社会(75頁) | ...形で、練馬の一角にかかる内容をもつ竪穴群が早くも成立していたのである。このような遺跡は、貫井町の練馬第二小学校横の台地上にも発見されている。石神井川にそそぐ小さな流...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第四節 古代社会(76頁) | ...積地に面する丘陵端もまた土師器を伴う集落址が数多く分布している。すでに調査された遺跡としては、板橋区志村小豆沢、新宿区下落合四丁目、杉並区成宗矢倉台、同区方南町峯、...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第四節 古代社会(77頁) | ...よう。貫井町出土の土製紡錘車(約1/2)上師器を伴う竪穴住居址(貫井町992番地遺跡)さて、さて、古代の練馬を考える上で、以上の竪穴住居址のほか |
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第四節 古代社会(80頁) | ...の例はこれである。出土遺物がないので、その実年代などは不明であるが、数少ない古代遺跡として重要である。これらの地下式横穴は、その発見が土木工事などによるので、遺跡の全貌を明かになし...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第四節 古代社会(87頁) | ...いて行われ、農業に生活の基盤をおく集落が営まれた。立教学院グランド、北大泉丸山の遺跡は、有力にこれを物語つている。やがて、大和に中心勢力をもつ大和国家は次第に全国の...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第四節 古代社会(88頁) | ...な集落を形成していた彌生文化人は一体どうなつたのであろうか。本区及び周辺地区の各遺跡を考えると、例えば土師器をとりあげてみても、その古い型式のものは、荒川本流沿いに...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第四節 室町時代の世相と練馬 一 練馬地方の村落形成(150頁) | ...輪郭をとらえてみよう。練馬区内を大きく二分する白子川、石神井川の流域には、多くの遺跡を残しており、古くからの生活の営みを示しているが、中世の村がこれらの古代集落をそ...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第四節 室町時代の世相と練馬 一 練馬地方の村落形成(154頁) | ...ほとんど先史集落の所在地や先史時代の遺物の発見場所の分布と合致しているのである(遺跡、板碑分布図参照)。さて、板碑の発見される地域が中世村落の所在地であると早速きめ...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第二節 村の状態 関村(299頁) | ...掛り、豊嶋氏石神井に在城せし頃関を構へし所なり、今も大関、小関の等の小名あるは其遺跡なりと云、古道は定かならず村の旧家、井口家の先祖は相州三浦の平ノ一丈入道で、三祖...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第四節 住居(1358頁) | ...活は近代生活に適合しないものが未だに相当に多いようである。第四節 住居石器時代の遺跡が、生活に必要な飲料水をもとめやすい河岸段丘や、湧泉池沼地帯に接続した台地の端ま...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一節 伝説(1425頁) | ...、これは大昔、富士山が噴火した時に、降つたものだという。この辺一帯は、石器時代の遺跡であるから、或は、敷石住居の跡でもあつて、石のないこの地方では、めずらしかつたの...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 練馬の道(1546頁) | ...ヘノ街道掛リ豊島氏石神井ニ在城セシ頃関ヲ構ヘシ所ナリ今モ大関小関等ノ小名アルハ其遺跡ナリト云古道ハ定カナラス |
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| あとがき(4) | ...一月二十八日、第十回委員会が開かれ、近世文書目録の刊行、米良文書調査の結果、丸山遺跡調査の報告などについて議した。四 |
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| あとがき(6) | ...を、ついで、九月十七日、公民館で第二回の座談会を開いた。二、発掘調査 北大泉丸山遺跡を選んで発掘した。先縄文から縄文・弥生と複合したもので、さらに規模を拡げればよい...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| あとがき(7) | ...しているし、その原本の保護の措置も区として当然考えなければならないであろう。丸山遺跡の報告は、早大考古学会の好意により「練馬区北大泉丸山遺跡」として刊行した。その他、講演と映画の会...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 目次(4頁) | ...み27第二章土地の利用33第二部練馬、そのあけぼの―埋蔵文化財―47白子川流域の遺跡と遺物49石神井川流域の遺跡と遺物62中新井川流域の遺跡と遺物150 |
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第一章 環境と人の営み(30頁) | ...で、そこに人が居れば当然その痕跡を残す。石を集めて呪的な祈りを捧げたとも思われる遺跡、彼らの使った石器など、それらが赤土の層の中に残る。これが先土器文化であり、少な...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第一章 環境と人の営み(32頁) | ...と緑に恵まれたこの地に住んでいた。その後の縄文の時代にも人がこの地で生活し、その遺跡を今日に多く残している。本区で埋蔵されている遺跡の数は先土器から奈良平安に至る間のもので百か所を...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| (47頁) | 第二部 練馬、そのあけぼの――埋蔵文化財――白子川流域の遺跡と遺物石神井川流域の遺跡と遺物中新井川流域の遺跡と遺物 |
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| (48頁) | 凡例一、原始・古代の遺跡番号・位置・範囲は、昭和五五年八月現在の練馬区教育委員会発行『練馬区遺跡分布地図』によった。二、記述はできうるかぎり現地調査に基づいたが、発掘調査報告・...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 白子川流域の遺跡と遺物(49頁) | 白子川流域の遺跡と遺物№1遺跡この遺跡の位置は高野進芳氏の調査により大泉学園町善行院北方と『練馬区史』(昭和三...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 白子川流域の遺跡と遺物(50頁) | 図1 白子川流域の遺跡分布(1万分の1) |
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 白子川流域の遺跡と遺物(51頁) | №4遺跡北大泉町遺跡№3で、大泉学園町二五八四にあり、№3遺跡と同支谷の台地縁辺にある。関越自動車道...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 白子川流域の遺跡と遺物(52頁) | 図3 比丘尼橋遺跡出土石器 |