更新日 : 2024/03/19 

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同盟の組織と活動 P.00011941年【本文】|同盟の組織と活動 社團法人 同盟通信社|同盟の目的と組織|◇同盟とは何か 同盟は日本人自らの手で、日本の眞意と實相を、全世界に報ずると同時に、世界各國の動向と實情を、我國に傳へる重要使命を擔つて生れた國家代表通信社である。| 同盟は內外ニユースの集散中樞機關として對內的には中央から地方へ、地方から中央へとニユースを交流する國內通信網を整へ、對外的には日本から世界各國へ、世界各國から日本へとニユースを交流する世界通信網を張つて、その使命の達成に努めて居る。| 東亞の大陸に於ては東亞通信網を整へて、東亞のニユースを全世界へ、世界のニユースを全東亞へ、又、前線のニユースを銃後の國民へ、銃後のニユースを前線の將兵へと、晝夜の別なくその任務の遂行に努めて居る。|◇同盟の目的 は國の內外に正確迅速なる報道を普及徹底し、以て內に公正なる輿論を作興すると共に、外に國際間の理解を增進するにある。
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同盟の組織と活動 P.00021941年【本文】| 蓋し國內輿論の基礎となり、國際批判の根底をなすものは、その日その日に發生する事件の報道、卽ちニユースである。國民の思潮も、國際間の輿論も、結局はニユースを基礎として或は起り、或は動き、或は定まるのである。| 從つて、國の內外に、蒐集頒布されるニユースの正確公正を確保することは、實に國家の重大な責務である。同盟通信社の唯一の存立目的も亦こゝに存するのである。|◇同盟の組織 は世界通信界の經驗と、我國新聞界の實情とに鑑み、愼重研究の結果、同盟本來の目的を達するに最も適當なる仕組として選ばれたものである。| 卽ち先づその組織を、社團法人として、その全事業が國家公共の目的のために營まるべきことを明かにした。而してその構成分子を一般國民に對して直接ニユースの報道を業務とするもの、卽ち全國の新聞社と放送協會とに限定した。| 從つて新聞社及び放送協會以外のものは、如何なる權力も財力も、この公益法人の社員となつて、同盟の運營には參加容喙し得ざる仕組とし、以てその不偏性と獨立性とを確保した。| かくて同盟は世界列强の國家代表通信社に比し、最も完全な組織と機構とを整備し得たのである。|◇同盟の機構 同盟の母體は、百數十社の全國の新聞社及び放送協會より成る社員總會で
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同盟の組織と活動 P.00031941年【本文】|ある。この社員總會に於て、約三十名の理事を選出し、理事會を組織して、一切の重要事項を審議決定する。| 日常の業務は理事會で選任された社長一名及び常務理事若干名で執行することゝなつてゐる。この社長及び常務理事に對しては個々の新聞社又は放送協會に關係したり、政黨政派に屬したり、政治的社會的實際運動に關係することを禁じて居る。| 東京の本社には總務、編輯、通信、調査、經濟の五局を置き、これを更に二十餘部に細分して、國の內外に散在する百有餘箇所の支社、總局及び支局と、職員三千名を統轄する。| 編輯局は內外のニュースを蒐集編輯し、通信局はニュースを國の內外に頒布し、調査局は調査と情報の蒐集を通じて國策樹立の參考に資し、經濟局は經濟界に必要な內外の商況情報、ニュースの速報を行ひ、總務局は全機關の人事、經理、業務一切を管掌して居る。| この機構によつて、同盟は我一億國民のために、その眼となり、耳となり、口となつて日本を世界に語ると共に、世界を日本に傳ふべき、同盟本來の使命達成に、一路邁進しつゝあるのである。|◇公正なる輿論は正確なる報道から|◇正確なる報道は同盟のニュースから|◇東亞のニュースは同盟から全世界へ|◇世界のニュースは同盟から全東亞へ
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同盟の組織と活動 P.00041941年【本文】|同盟の生れる迄|◇世界大戰と思想戰 第一次世界大戰五箇年の體驗は世界の各國に對して近代の戰爭が國家總力と國家總力との對立抗爭であることを敎へた。それは武力戰であり、經濟戰であり思想戰であることを。| 當時世界の各國は如何にして、その思想戰を展開したか。各國は夫々宣傳省とか新聞局とかを設けて內外のニユースに對して嚴重な統制を行ふと同時に、海外各國と完全な連繫を有する自國の國家代表通信社を動員した。英はロイターを、佛はアヴアスを、露はウエストニツクを、伊はステフアニを、獨はウオルフを、かくて全世界に亘つて猛烈な思想戰が展開された。就中英國ロイター通信社の活動は特に目覺ましいものがあつた。遂に獨逸の新聞をして『獨逸を滅ぼしたものは英國のロイターである』と迄絶叫せしめた。|◇思想戰とニユース 世界大戰のこの體驗から各國は一つの結論に到達した。それは一般大衆を對象とする思想戰の原動力はニユースだといふことである。國內の輿論も、國際間の批判も結局はニユースによつて左右される政治家はニユースを基礎に政策を考へ、外交家はニユースを土臺に對策を練り、軍人はニユースを根據に作戰を立てる。而して思想戰の原動力であるニユースを國の內外に蒐集頒布するためには强力なる國家代表通信社が必要となる。
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同盟の組織と活動 P.00051941年【本文】| 世界の各國は之を內外ニユースの中樞機關として、對內的には中央と地方との間に、對外的には自國と世界各國との間に、ニユースの交流を行ふ强力な通信網を確立し、これに依つて內に健全な輿論を作興すると共に、外に國際的發言權を强化することに努めた。| 從つて國家代表通信社の强弱は世界の思想戰上に於ける國力の消長を如實に反映する。故にこの機關は之を單なる民間の營利企業として放任して置いてはならない。その擴充强化こそ實に國家の重要なる責務であるとの自覺を促すに至つのである。|◇通信社の世界的連繫 さて、一口に國家代表通信社といつても、地球の上には六十餘箇國の獨立國があつて、その國力なり國情なり|―同盟初代社長岩永裕吉氏―
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同盟の組織と活動 P.00061941年【本文】|も千差萬別である。從つてこれを代表する通信社の大小强弱も全く多種多樣であるが、兎に角、現在一國を對外的に代表する國家代表通信社の數は約三十、その主なるものは米國のAP、英國のロイター、佛のアヴアス、獨のDNB、ソ聯のタス、伊のステフアニ等で是等三十社間には直接又は間接の契約を締結し、ニユースの相互交換と特派員に對する相互援助を目的として、世界的連繫を組織して居る。この組織こそ實に世界最大最强の通信網で、この通信網を通じて流れるニユースこそ世界の輿論の根底をなすものである。|◇我國通信社の發達 我國通信社發歷の達史も亦我國力と國情の變遷を、如實に物語つて居る。元來世界何れの國に於ても通信社の發達は先づ新聞社の發達を前提とする。人間は知りたいといふ欲求を持つ。この欲求を充たすために新聞が生れる。| 我國に於ても世界の各國と同樣に、政治の發達につれて新聞が生れ新聞の發達に伴つて通信が生れた。明治二十年代に帝通、三十年代に電通が夫々國內通信社として生れた。大正年代に入つて我國の國際關係が愈々複雜多岐になるにつれ、國際、東方、聯合等の通信社が對外的活動を目標として生れた。是等の通信社相互間には數十年間に亘つて激甚なる自由競爭が行はれ、昭和六年滿洲事變勃發の當時には、電通聯合の二社が殘つてゐた。| 滿洲事變の勃發は我國朝野の識者をして益益强力なる國家代表通信社の必要を痛感せし
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同盟の組織と活動 P.00071941年【本文】|め、幾多の迂餘曲折はあつたが、世界の大勢と時代の要求は遂に我國に强力なる國家代表通信社の出現を齎らした。卽ち昭和十一年電通、聯合の兩社を打つて一丸とする社團法人同盟通信社の結成を見るに至つたのである。| 同盟の結成により、玆に一國一通信社の體制成つて、今次の支那事變に臨み、更に今囘の歐洲戰亂に對し得たことは獨り我國新聞界のみならず、我國國際思想戰のために眞に幸運であつたといはなければならない。卽ち同盟の結成によつて擧國一體、官民一途全く一つの聲で、日本を全世界に正しく語ると同時に、世界の動きを日本人自らの手で一億の國民に傳へることが出來るに到つたのである。|同盟本社の機構|社長|常務理事|常務監事|參與|總務局|人事部|文書部|經理部|業務部|編輯局|整理部|內信部|特信部|東亞部|外信部|寫眞部|通信局|地方部|大陸部|海外部|發送部|技術部|航空部|調査局|情報部|調査部|出版部|經濟局|內經部|亞經部|外經部|商通部
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同盟の組織と活動 P.00081941年【本文】|同盟の機構と活動|◇同盟の通信機構 日本及び世界の各地からニユースを蒐集して、これを再び國の內外に頒布するために、同盟は東京の本社を中心として、國內に―朝鮮、臺灣を含む―五支社、四十四支局の外、百箇所內外の通信部、四十餘箇所の同報無線受信局を配置し、滿洲には新京に支社、其他に三支局十七通信部を置いて滿洲國通信社(略稱「國通」)と連絡し、更に支那及び其他東亞各地には三總局二十八支局、海外各地に二十餘支局及び二十七の通信部を置いてゐる。| 同盟のこれらの觸手は、新聞社のニユース網と異つて、單に各地のニユースを中央に送るだけが仕事ではない。中央のニユース及び各地から中央に集つたニユースを中央から受けてこれを各地の新聞社、放送局、其他に頒布するのも大切な仕事なのである。このため同盟の電氣通信施設は、單なる報道・情報機關や新聞社の施設とは全く比較にならぬ程複雜且つ大規模なものとなるのである。| 總延長六千四百餘粁に達する專用長距離電話線、囘線數百十七に達する東京及び各地の市內專用電話線、通話囘數一年三十萬囘に達する國內豫約電話及び內外短波無電網の設備を以つて、同盟は宛ら日本を中心として世界に張り廻らされた電線と電波の蜘蛛の巢である。而して政府は同盟の國家的使命に鑑み、內外電氣通信施設の利用に特殊の利便を與
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同盟の組織と活動 P.00091941年【本文】|へ、又同盟本社內には、大規模の電信局分室を設置して、連絡の便に供してゐる。|◇ニユースの蒐集 東京の本社及び內外各地の支社局には、土地の大小に應じて、夫々數名乃至數百名の同盟記者が居る。記者は夫々擔當の部署があつて、或者は東京の首相官邸內に日夜詰めかけ、或者は大陸の戰線にあつて部隊と共に行動してゐる。| 東京に政變が起る。これが首相官邸でキヤツチされゝば、官邸―本社間の專用電話線で卽刻本社編輯局に通報される。皇軍が漢口に入城した。現地の從軍記者は同行の無電班の活躍によつて、先づ南京支局又は上海の中支總局の無電室へ連絡する。上海から卽刻有線無線の凡ゆる施設を活用して本社へ速報され|―同盟編輯局の一部―
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同盟の組織と活動 P.00101941年【本文】|る。| かうしてニユースは蒐集されるのであるが同盟の連絡施設は近來愈々整備し、最近では大陸の重大ニユースが現地で發表されてから僅か三分で、第一報が東京本社の無電室に中繼受信された例もある。各地のニユースが本社へ蒐集される狀況を系統的に見ると次のやうになる。|東京―市內專用電話線又は一般電話線|內地―主として長距離專用電話線により東京へ送話、又は一般電話電報により直接|外地―朝鮮は專用電話線にをり、臺灣は無線電話又は一般電報により直接|滿洲―日滿專用電話線及無電により東京へ直通、一般電報も併用|支那―各總支局の同盟無電、一般電報併用|海外―內外一般有線及無線電報、時に國際電話|◇ニユースの整理編輯 同盟のニユース蒐集網は右の樣に發達してゐるが、といつて總ゆるニユースをそのまゝ右から左へ交流させるのではない。東京本社並に內外の各地支社局にはこのニユースを整理編輯する機能があつて通信發送地別に取捨選擇をする。| 東京本社の例を取つて見ると、編輯局は整理部、內信部、東亞部、外信部、寫眞部、特信部の六つの係りに分つてそれ〓〓專門の部門を擔當し、內外から集つて來るニユースの整理編輯をする。例へば外信部では、海外から殆んど符牒見たいな單語の羅列で打つて來る歐文電報を飜譯して普通の文章にしたり、
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同盟の組織と活動 P.00111941年【本文】|宣傳乃至デマ臭い材料をはね除けたりする。整理部では一旦出來上つた記事を更に讀み直して、西部向けと東北向けのために一方は詳しく一方は簡單に書き直させると云ふ仕事をする。| この整理編輯の機能は各支社局とも似たりよつたりで、本社より規模が小さくなるだけである。大阪支社の編輯部では、大阪市內でボヤのあつた記事など東京へは送らぬし、又東京から大阪築港に關して簡單な材料が來れば更にこれを調査加筆して地元向きのニユースとするのである。|◇ニユースの頒布 かうして出來上つた同盟ニユースは、略々蒐集の經路を逆走して內外各地へ頒布されるのであるが、勿論同じも|―同盟通信局の一部―
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同盟の組織と活動 P.00121941年【本文】|のが行つたり戾つたりするのではない。迅速を旨とするために、ニユースは蒐集の途次適宜中繼地支社局で傍受され、其地で整理編輯の上、外に出されるものも多い。原則として東京の本社へ集中的に蒐集され、その上で頒布されるものは、滿洲・支那及び海外ニユースであるが、この中滿洲・支那關係ニユースで新京・北京・上海・廣東の無電臺より發信するものは、相互に傍受して直ちに其地で通信を發行する。又朝鮮、九州、各地を貫く長距離專用電話線で本社へ送られる內外地のニユースは、中間の各支社局でも常に之を傍受してをり、自分の所で必要なニユースを直ちに通信として發行する。|◇ニユースの同報 この樣に一箇所から通信されるニユースを數ケ所で同時に傍受する方法を「同報」といふ。通信のスピードアツプのためには、可能な限り「同報」の方法による。「同報」の能率を最高度に發揮するのは無電の通信で、同盟では、昭和十四年來「國內同報無線」の施設に着手し、現在四十餘箇所に受信局を設置し、每日五萬字內外のニユースを送り、現在では、一旦中央に到達した內外の總ゆるニユースは、瞬時にして國內各地に頒布されることとなつた。| 滿洲及び支那各地へのニユース頒布は、前述した蒐集經路を逆走するのであつて、三國間の無電に據るのが大部分である。而して前に述べた樣に東京、新京、北京、上海、廣東は夫々の發信を相互に一齊に傍受するから、
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同盟の組織と活動 P.00131941年【本文】|東亞の天地には以上五都市を以って形成する大規模な「同報」施設が出來てゐるわけで各地に入る內外ニユースは一瞬にして東亞全體に傳へられてゐるのである。| かうして蒐集され頒布されたニユースは、「同盟通信」となつて外部に出る。「通信」の形式は和文あり、歐文あり、一般ニユースあり解說ありといふわけで、頒布先の需要によつて多種多樣であるが、何れも迅速を尊ぶものであるから、編輯局ヘニユースが入つてからタイプ印刷物となつて、新聞社、官廳、銀行會社の机に屆くまで平均三十分とかゝらない。更に締切直前等に發生した重大ニユースは、同盟―新聞社(又は放送局、官廳)間の特設專用電話によつて一聲多耳式に電話送信|―同盟調査局の一部―
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同盟の組織と活動 P.00141941年【本文】|される。これが「同盟同報電話」であつて現在東京大阪だけでも約四十囘線に上り、一般電話による類似の設備も各地にある。|◇同盟の對外放送電報 同盟のニユース頒布機構に關聯して、特筆しなければならないのは「對外放送電報」である。これは世界各國の國家代表通信社を始め、東亞、南洋、北南米、濠洲等太平洋沿岸の邦字及外字新聞を對象とし、同盟本社より遞信省の無電臺を通じて放送されるニユース電報であつて、英文、佛文ローマ字綴邦文の新聞社向放送と、航行中の船舶に送る英文、和文の放送とがある。| 前者は每日午前六時から翌朝午前二時まで三十分乃至一時間置きに放送を行ひ後者は一日英文三囘、和文四囘で、直ちに船中新聞となつて船客を喜ばせて居る。|又、同盟のこの對外放送電報は、東亞に於ては同盟の總局支局を通じて、獨、伊、英、米、ソ聯、佛、其他の各國に於ては、その國の代表通信社を通じて、夫々全國の新聞社へ頒布される。この放送電報ニユース一萬六千語こそ實に、日本が最も力强く全世界に向つて語り得る我國の聲であり、東亞の動きなのである。|◇通信の種類と分量 同盟が日々全國の新聞社に頒布して居る通信の種類は、內國通信部面では、政治、經濟、社會、體育等、外國通信部面では、東亞、外信、外經 を始めとして二十種以上にも及び苟くも新聞を發行するに必要な各般のニユースは細大洩らさず全部網羅して居る。
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同盟の組織と活動 P.00151941年【本文】| 同盟が每日頒布して居る通信の分量については、試みに本年五月十日土曜日(土曜日は比較的ニユースの少い日であるが)の特別通信を除く一般ニユースの通信分量を示せば、外信九五四行、東亞七九二行、政治經濟一、四二二行、社會一、三五〇行、體育七〇二行合計五、二二〇行で、同日の東京主要新聞の記事全行數は二千八百行乃至三千行であつた。| 卽ち同盟は一日の新聞に收容し得る全ニユースの約二倍に相當するニユース分量を供給して居るのである。| 昨年五月十日の獨逸白蘭進擊の當日の如きは、新聞の最大收容能力四千五十八行に對し同盟發行のニユースは一萬一千八十八行卽ち新聞の約三倍の分量を供給した。|―同盟總務局の一部―
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同盟の組織と活動 P.00161941年【本文】|◇同盟職員數年表|調査年月 社員數 雇員數 合計|十一年四月 八〇三 四九〇 一、二九三|十二年四月 一、〇二三 六五〇 一、六七三|十三年四月 一、一二六 七〇三 一、八二九|十四年四月 一、二八二 八四六 二、一二八|十五年四月 一、五八六 一、〇六五 二、六五〇|十六年四月 一、七七一 一、二二五 二、九九六|◇同盟經費年表(單位千圓)|年度別 一般會計 特別會計 合計|十一年度 三、〇五九 三八八 三、四四七|十二年度 四、九二九 一、〇三四 五、九六三|十三年度 五、三五六 一、四六二 六、八一八|十四年度 六、八七一 一、五一二 八、三八三|十五年度 八、〇八七 一、〇八二 九、一六九|十六年度 九、〇五九 九六八 一〇、〇二七|◇同盟長距離專用電話線粁程表|調査年月 囘線數 總粁數 延長區間|十一年四月 四 二、四四八 東京―神戶|   大阪―福岡|十二年四月 六 二、八二七 福岡―長崎|   岡山―高知|十三年四月 七 三、一二四 大阪―金澤|十四年四月 九 四、六二八 東京―札幌|   福岡―鹿兒島|十五年四月 一〇 六、〇七八 福岡―奉天|十六年四月 一一 六、四一七 札幌―小樽|   奉天―新京|◇同盟發受海外電信語數表(一ケ月平均語數)|調査年月 受信語數 發信語數 備考|十二年四月 八八、〇〇〇 一〇八、〇〇〇|十三年四月 二二二、〇〇〇 三三九、〇〇〇 支那事變|十四年四月 二三〇、〇〇〇 三四八、〇〇〇|十五年四月 三二一、〇〇〇 四〇五、〇〇〇 歐洲動亂|十六年四月 三八〇、〇〇〇 四六八、〇〇〇
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同盟の組織と活動 P.00171941年【本文】|同盟・本社・支社・總局・支局|▲國內|〔本社〕東京|〔支社〕大阪、名古屋、關門、福岡、京城|〔支局〕豐原、札幌、函館、旭川、小樽、靑森、仙臺、秋田、桐生、足利、川崎|橫濱、豐橋、新潟、長野、岡谷、松本、甲府、富山、金澤、福井、京都|和歌山、神戶、岡山、廣島、下關、高松、松山、高知、大分、長崎、熊本、鹿兒島、臺北、臺南、釜山、淸津、平壤、群山、仁川、木浦|▲滿洲國|〔支社〕新京|〔支局〕大連、奉天、哈爾賓|▲北支|〔總局〕北京|〔支局〕天津、靑島、濟南、徐州、開封、保定、石門、太原、張家口、大同、厚和、包頭|▲中支|〔總局〕上海|〔支局〕南京、漢口、抗州、九江、蚌埠、蘇州|▲南支|〔總局〕廣東|〔支局〕香港、厦門、海口、汕頭、福州(野戰)|▲南方|〔支局〕ハノイ、サイゴン、バンコツク、マニラ、バタヴイア、シンガポール、スラバヤ、ボンベー、シドニー|▲歐洲|〔支局〕ベルリン、ローマ、ロンドン、パリ|ヴイシー、モスクワ、ベルン、イスタンブール、マドリード|▲米洲|〔支局〕ワシントン、ニユーヨーク、サンフランシスコ、ロサンジエルス、ホノルル、リオデジヤネーロ、リマ、サンパウロ、ダヴアオ、ヴアンクーヴアー、メキシコ・シチー、ブエノスアイレス
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同盟の組織と活動 P.00181941年【本文】|同盟の國內活動|◇中央地方を結ぶ同盟 同盟の活動を機能的に區分すれば、ニユースの蒐集とニユースの頒布とに、地域的に大別すれば、對內的活動と對外活動とに分ち得る。卽ち國內に於ては東京本社を中心に、全國各地の支社、支局、通信部で、三百六十五日晝夜の別なく、中央から地方へ、地方から中央へと間斷なくニユースの交流を行つて居る。| これがためには北は北海道の札幌から、南は九州の鹿兒島、長崎へ、更に福岡から遙かに奉天、新京へ、岡山から高知へ、大阪から金澤へと、延長實に六千餘キロに及ぶ專用電話線が、國內通信網の大動脈を形づくつて居|同盟國內|(凡例)|同盟本社|支社|支局|通信員|新聞社|市外專用電話線|專用寫眞電信線|豫約電話線|豫約電報線|同報無線受信地|根室|帶廣|札幌|旭川|豐原|小樽|室蘭|凾館|盛岡|靑森|仙台|秋田|山形|水戸|新發田|福島|宇都宮|土浦|長岡|新潟|日光|足利|浦和|佐倉|船橋|千葉|北條|パラオ|沼田|前橋|髙崎|同盟本社|那覇|川崎|伊豆大島|髙田|長野|上諏訪|岩村田|桐生|松本|岡谷|飯田|甲府|所澤|御殿場|横浜|逗子|横須賀|大磯|熱海|小田原|淸水|靜岡|富山|尾張一宮|浜松|髙岡|岐阜|各務原|瀬戸|金沢|大津|名古屋|豊橋|宇治山田|岡崎|津|橿原|四日市|奈良
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同盟の組織と活動 P.00191941年【本文】|る。|◇同盟と新聞社 現在同盟に加盟して居る東京大阪其の他全國各地方の新聞社は約百五十社である。この外に、滿洲、支那、布哇、南米、北米、フヰリツピン、馬來其の他の各國で發行されて居る邦字新聞、漢字新聞で同盟から無線なり有線なりで、ニユースの供給を受けて居る新聞社は八十社以上に及んでゐるこの發行總部數は一千數百萬に上る。卽ち同盟のニユースは日本語を通じてだけでも、每日一千數百萬の同胞に呼びかけてゐるのである。| 同盟の活動は新聞社のそれに比して、著しく內面的であり、基本的である。從つて一般外部へは華々しくは映らない。しかしながら|通信網|福井|京都|和歌山|敦賀|篠山|大阪|堺|德島|福知山|舞鶴|神戸|姫路|髙松|鳥取|米子|岡山|髙知|善通寺|松江|廣島|呉|松山|宇和島|山口|宇部|下関|関門|大分|小倉|福岡|太刀洗|久留米|宮崎|熊本|都城|鹿兒島|佐賀|佐世保|長崎|島原|大村|新京|羅津|淸津|慶源|羅南|咸興|奉天|大連|京城|新義州|平壤|仁川|海州|群山|木浦|大田|光州|釜山|春川|元山|大邱|台北|花蓮港|台中|馬公|台南|髙雄
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同盟の組織と活動 P.00201941年【本文】|日々國內に發生する政治、經濟、社會萬般の報道記事は殆んど洩れなく同盟の頭と手によつて全國の新聞社へ供給される。この通信は全國の各新聞紙上に或はその儘、或は書き換へられて揭載される。政府の各官廳、民間の各團體、社會の各階層に及ぶ、書夜を分たぬ同盟の活動は活發を極めて居る。殊に戰時體制下に於ける朝野の、各指導主體と同盟の各部と、又同盟各部と全國各新聞との間に行はれて居る不斷の聯絡と協力こそ、實に擧國體制確立の原動力なのである。|◇同盟と放送局 同盟と放送局とは夫々活動の形態を異にしてゐるが、平時、戰時を通じての思想戰、宣傳戰には全く同一の國家使命を負ふてゐる。通信社は文字を通じて國民の視覺に訴へ、放送局はラヂオを通じて國民の聽覺に訴へる。この兩者相俟つて敎化、宣傳並に國家意志の傳達を行ふ。從つて兩者は組織、業務ともに密接不離の關係に置かれてゐる。| 卽ち日本放送協會は、新聞社以外唯一の構成社員として、同盟の組織に參加し、全國放送局から每日數十囘放送する內外のニユース及び經濟、ローカル等のニユースは全部同盟の提供にかかるものである。|◇同盟の國內通信網 ニユースは正確であると共に、迅速であることが生命である。このために同盟では國の內外に亘り電信電話を能ふ限り利用することは勿論、さらに無線電信(放送無線電信の利用は同盟にのみ附與された特權である)寫眞電送等をも盛んに使用し
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同盟の組織と活動 P.00211941年【本文】|ニユースの蒐集速報に完璧を期してゐる。|一、市外長距離專用電話 國內のニユース聯絡並に寫眞電送のために北海道、本州、四國、九州、朝鮮、滿洲を貫く直通專用電話を使用してゐる。|ア、東京―橫濱―名古屋―京都―大阪―神戶―岡山―廣島―關門―福岡間(二囘線)|イ、東京―仙臺―靑森―凾館―札幌―小樽間|ウ、福岡―釜山―京城―奉天―新京間(別に新京―奉天―大連間專用線あり)|エ、福岡―熊本―鹿兒島間|オ、福岡―長崎間|カ、大阪―福井―金澤間|キ、岡山―高知間|合計總延長 六、四一七粁|二、國內無線同報 東京本社內無電室より短波無線電信により間斷なく放送されるニユースは左記各地に於ける同盟支社局で同時受信され刻々新聞社へ供給される。一日の放送字數約五萬字。|豊原、旭川、札幌、小樽、凾館、靑森、仙臺、秋田、新潟、長野、甲府、橫濱、富山|金澤、名古屋、京都、大阪、神戶、岡山、廣島、高知、松山、山口、門司、大分、福岡、長崎、熊本、鹿兒島、釜山、京城、淸津、平壤、臺北、臺南、那覇、新京、奉天|大連、パラオ|尚ほ近く受信地を六十數都市まで增加の豫定。
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同盟の組織と活動 P.00221941年【本文】|三、豫約電話・豫約電報 專用線及無線同報の補助として利用する。一日の使用量左の通り。| 區間 通話數 延時間|豫約電話 八一 八〇一 四〇時間| 區間 字數|豫約電報 四 三、五〇〇字|四、市內同報電話 市內新聞社及放送局等に對し同盟本社から一齊にニユースを速報する電話設備で地方重要都市にも同樣の設備がある。|五、市內專用電話 首相官邸、各省、情報局警視廳、裁判所、各取引所、運動競技場など重要ニユースの頻繁に發生する場所には本社との間に專用直通電話を設けニユースの迅速聯絡を圖る、地方支社局に於ても同樣である。本社及重要支社局の市內專用電話囘數左の通り。|東京 五二 大阪 一七 名古屋 二三|京都 三 神戶 四 福岡 五|橫濱 三 岡山 三 關門 二|其他 五 計 一一七|◇同盟は內外ニユースの集散中樞|◇同盟は全國新聞社の共同機關|◇同盟は世界通信聯盟の日本代表|◇同盟は非營利協同の公益機關
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同盟の組織と活動 P.00231941年【本文】|國內同報無線電信網|豊原|旭川|札幌|小樽|凾館|靑森|秋田|仙台|新潟|甲府|同盟本社|横浜|長野|名古屋|富山|京都|金沢|大阪|神戶|松山|高知|岡山|広島|山口|関門|大分|福岡|長崎|熊本|鹿兒島|那覇|パラオ|台北|台南|新京|奉天|大連|淸津|平壤|京城|釜山
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同盟の組織と活動 P.00241941年【本文】|大東亞に活躍する同盟|◇支那事變と同盟 支那事變の報道こそは同盟がその人的物的のあらゆる能力を傾け盡したものである。皇軍の征くところ陸に海に空に、必ず同盟の「前線班」が從軍する。| 赫々たる武勳も、その蔭にひそむ苦心の跡も、壯烈な敵前上陸の光景も、慰問袋を手にする兵士の笑顔も、同盟を通じて、祖國の同胞に傳へられ、また同盟放送の電波にのつて全世界に紹介される。部隊が駐屯すれば、支局や野戰支局が開設され、樂しい鄕里のニユースが、日本や世界の動きとともに將兵に配布されてゐる。戰況のみならず、占領地域の建設狀況や、重慶側の情勢までも、手にとるやうに速報される。| 支那事變を繞る同盟の活動に就いて特筆すべきは、デマ亂れ飛ぶ國際宣傳戰裡に同盟の對外放送が、雄々しく出場して、敢然として帝國の立場を主張し、外國の逆宣傳に立ち向つて來たことだ。| かくて、事變と共に大陸に於ける同盟の取材網や通信聯絡網が大々的に擴張せられ、對外放送の積極化と相俟ち、同盟は大東亞新秩序建設に於ける自己の使命を益々自覺しながら文字通り大車輪の活動を續けてゐる。|◇前線班の活動 支那事變始まつてより旣に五年、皇軍日夜奮鬪の狀況を傳へるため、同盟が現地に從軍せしめた「前線班」は幾十、幾百を算する。
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同盟の組織と活動 P.00251941年【本文】| 最近の例に見ても、北支中原會戰には七班浙東作戰にも七班、福建作戰に六班を派遣、第一線に從軍せしめ、前線將兵と勞苦辛酸を共にし、その奮鬪ぶりを銃後國民に速報した| 前線班の活動が如何に危險、艱難筆舌に盡し難いものであるかは、旣に五名の從軍記者寫眞班の戰死に見ても判るところである。| 從軍前線班は大體普通記者、寫眞班、無線技士各一名連絡員數名を以つて編成され、第一線陣地の奮戰の狀況を速刻、携帶の無電機をもつて後方の基地へ送信、銃後國民に傳へるもので、漢口攻略戰の如き、皇軍漢口突入の第一報は寸刻を出でずして同盟の東京本社へ入電したのである。|◇同盟の東亞通信網 內鮮滿を貫く專用電話線と大陸に於ける無電通信網、本社の無線放送施設等の有機的活動によつて東亞大陸のニユースは刻々大陸から內地へ、內地から大陸へと、間斷なくニユースの交流が行はれる。|一、前線無電 第一線の從軍班は同盟自ら製作せる携帶用特殊無電機を携行し、最前線から戰況ニユースを基地に送信し、基地は刻々これを本社に聯絡する。またこの前線無電班は同盟本社の放送無電を受信し、硝煙の間よく故國の消息を前線將士に傳へ、各野戰支局ではガリ版の野戰新聞を發行し最も迅速に前線と銃後を結合する役目を果してゐる。|二、大陸無電網 北支(北京)、中支(上海)南支(廣東)の三總局及び管下三十餘の支局
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同盟の組織と活動 P.00261941年【本文】|及び野戰支局は相互間並に前線班との聯絡用無電を運用し、さらに總局は日滿支の聯絡中樞地として强力なる無電施設を完備し、同盟本社の對外放送無電並に滿洲に於ける「國通」の無電放送機構と相俟つて、東亞通信網の完璧を期してゐる。|三、滿洲國通信社 日本と唇齒輔車の關係にある滿洲國內のニユースは「滿洲國通信」の專用無電網を通じて、滿ソ、滿蒙國境より又長城方面から刻々新京に集中、新京、東京間は專用電話線により、一瞬にして傳へられる仕組になつてゐる。この他滿洲國通信社の對同盟放送は、一日三囘六百語に上り、滿洲國關係のニユースは、洩れなく同盟本社に入電してゐる。|四、南方通信網の强化 大東亞共榮圈の確立を目指す我國民のために、南方諸國の實情を詳細に報道することは、同盟の當面する重大任務である。近時日本と密接な關係に入つた佛印はハノイ、サイゴンに、又泰國はバンコツクに多數の特派員を送り、比島のマニラ、蘭印のバタヴイア、スラバヤ、濠洲のシドニー、馬來のシンガポール、印度のボンベイ等にも、夫々支局を開設して南方の通信に遺憾なきを期してゐる。|◇前線のニユースは同盟から銃後の國民へ|◇銃後のニユースは同盟から前線將兵へ
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同盟の組織と活動 P.00271941年【本文】|同盟 東亜通信網略圖|東京|福岡|佳木斯|牡丹江|圖們|琿春|延吉|吉林|通化|安東|哈爾浜|新京|奉天|孫呉|斉々哈爾|海拉爾|満州〓|開魯|釜山|京城|大連|天津|錦州|承德|北京|張家口|包頭|厚和|大同|太原|保定|石門|開封|徐州|蚌埠|済南|青島|海州|上海|蘇州|南京|九江|漢口|南昌|杭州|福州|厦門|汕頭|香港|澳門|廣東|海口|河内|西貢|バンコック|凡例|同盟本社|同盟總局|同盟支局|國通本社|國通支局|同盟兼國通支局|専用電話線|無線䎴絡幹線|無線䎴絡線
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同盟の組織と活動 P.00281941年【本文】|世界報道戰上の同盟|◇歐洲動亂と同盟 今次歐洲動亂の勃發以來全世界にわたる同盟獨自の通信網と、これを補足する各國代表通信社との世界的連繫は、益々完全にその機能を發揮して來た。| 歐洲を席捲する獨逸軍にも從軍すれば、空前の猛爆下に喘ぐ倫敦にも日夜ペンを握る特派員がゐるので、ニユースの速報は固より、各國の根本的な動向や、將來の見透しなども日本人として、日本の立場から、適確に之を把握し、報道されてゐる。| 電波に亂舞する各國各自の勝手な宣傳ニユースも、第一次的には、現地の同盟特派員により、第二次的には本社編輯局のデスクによつて、適正なる判斷の下に、取捨選擇された上で始めて、日本の讀者に提供されるのである。かくして、同盟は、歐洲動亂速報の機能を果すとともに、各國の宣傳に對する防壁でもある。| 同盟の對外報道も公正な世界ニユースの放送として、各國の偏つた放送と比べて一段と信賴を增しつつある。第一次世界大戰當時、ロイターのみを賴りに世界情勢の報道を受けて居た日本、一言半句も世界に日本を語ることの出來なかつた當時と比べて、當然とはいひながら、餘りにも大きな變化であり躍進である。|◇同盟の世界的連繫 同盟は世界に向つて日本を代表する國家代表通信社として、地球上
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同盟の組織と活動 P.00291941年【本文】|至る處主要地點には日本人特派員を配置し、この獨自の通信網を通じて刻々海外ニユースを打電せしめてゐることは前述の通りである| 同盟は更に海外ニユースの蒐集を全うし、同時に日本のニユースを確實に海外各國に徹底普及するため「世界通信聯盟」を構成する各國代表通信社とニユースの相互交換契約を結んでゐる。| これら聯盟通信社の主なるものは、DNB(獨)ステフアニ(伊)AP及びUP(米)ロイター(英)タス(ソ聯)アヴアス(佛)等であるが、各國代表通信社の本社內には、夫々同盟支局があり、刻々集つて來るニユースを選擇して、日本向に打電して來る、| これと同樣に、各國通信社の東京特派員は同盟本社內に事務所を持ち、同盟ニユースを賴りに、夫々本國への打電に當つてゐる。卽ち同盟は世界ニユースの東亞交換所の役目をもつとめてゐる。|◇同盟の世界通信網 世界のニユースを全東亞へ、東亞のニユースを全世界へと、あらゆる通信施設を動員して、非常時局下の報道戰に遺憾なきを期してゐる。|一、世界ニユースの蒐集 同盟の在外支局、特派員は聯盟通信社(各國の國家代表通信社)の中に事務所を持ち、その社の通信網を通じて集まるニユースを適當に取捨選擇するの外、自ら活動して取材し、これを同盟本社へ打電する。打電の方法は支局電信局間の印刷電信機による專用電信線を使用
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同盟の組織と活動 P.00301941年【本文】|し、電信局は直ちにこれを東京に向け發信する。| その場合主として無線電信を以て直電するが、場合によつては海底線を併用することもある。その經過線も凡ゆるルートを活用し、時には他の支局から轉電せしめて、偉功を奏することもある。卽ち歐洲からの直電よりも、ニユーヨークから打電した方が遙かに早い場合もあるからである。この他、國際電話、外國放送電報をも利用して速報に努める。外國放送電報は現にベルリン、ローマ、ロンドン等の聯盟通信社々內から、直接同盟に向け每日數囘づつ發信され、同盟本社內で受信してゐるがその語數は一日數千語に上つてゐる。|同盟の世界通信網|(●印は支局通信部)|ニューヨーク|ワシントン|オタワ|ヴァンクーバー|サンフランシスコ|ロサンジェルス|メキシコ市|リマ|リオデジヤネイロ|サンパウロ|ブエノスアイレス|ホノルル|シドニー|メルボルン|パラオ|ダバオ
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同盟の組織と活動 P.00311941年【本文】|二、對外ニユースの發信 全世界に直接呼びかける對外放送電報の發信こそ同盟の大きな國家的使命の一つである。卽ち左表の如く世界全地域に對し一日一萬六千語のニユースを晝夜殆んど間斷なく放送してゐる。|種別 方向 囘數 最低語數|英文又は佛文放送 歐洲、米洲、太平洋、支那 二三 八、六〇〇語|ローマ字綴日本文放送 同上 二七 六、〇〇〇〃|其の他(超過分)  ― 一、四〇〇〃|計   一六、〇〇〇〃|右は同盟本社內の無電室から遞信省の大無電臺を操縱し、直接全世界に放送するもので、世界各國の殆んど全部が受信してゐる殊に今次歐洲大戰以來米國は積極的にこれ|東京|スラバヤ|マニラ|パタピヤ|シンガポール|サイゴン|ハノイ|バンコツク|ラシグーン|カルカツタ|ボンベイ|アレキサンドリヤ|ケープタウン|モスクワ|ベルリン|パリ|ブカレスト|ベルン|ヴィシイ|イスタンブール|リスボン|ローマ|マドリード|ロンドン
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同盟の組織と活動 P.00321941年【本文】|を利用し、また歐洲、近東、中南米等の諸國も競つてこれが受信に努めてゐる。|尚ほ東京駐在の各國通信社特派員も、同盟本社よりニユースの供給をうけ、各々本國に打電してゐるが、これも亦間接には同盟の對外活動の一つと云ふことが出來よう。對外放送電報とは別に、全世界の海上に航海中の我國船舶に對し、同盟本社から每日左の通り、無線放送を行ひ、これによつて航行の安全に資すると共に船內で新聞が發行される。|船舶向放送(和・英文)一日五囘|二、〇〇〇語|三、同盟の英文通信 前述の如く、同盟本社內には、世界各國の代表通信社の特派員が事務所を持ち、同盟に賴つて、各自の本社へニユースの速報をして居るが、これ等特派員に對しては英文でニユースが供給される。卽ち同盟の國內及び東亞のニユースは直ちに英文に翻譯されて、彼等特派員に配布される。同時に此等英文ニユースは印刷に附して廣く外國公館、外字新聞、在留外國新聞特派員、外國商館等に英文通信として一日數囘供給する外、日本の政治、外交、經濟、文化の各分野に亘る解說並びに國內輿論の紹介を目的とする「英文特別通信」を發行して居る。| 以上の各種英文通信、パンフレツトによる東亞情勢の解說等は、前記英文、佛文の對外放送と並んで同盟の「日本を世界に語る」二つの主要なチヤネルである。
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同盟の組織と活動 P.00331941年【本文】|National News Agencies of the World|Australia Australian Associated Press (A.P.A) Melbourne|Belgium Agence Telegraphique Belge (Belga) Brussels|Bulgaria Agence Telegraphique Bulgare Sophia|Canada Canadian Press Toronto|China Central Press Service of China Nanking|Denmark Ritzaus Bureau Copenhagen|Finland Finska Notisbyran Helsinki|France Office Francaise d'Information Clermont Ferrand|French Indo-china Agence Radiotelegraphique de l'Indo-chine et due Pacifique (Arip) Hanoi|Germany Deutches Nachrichtenburo (DNB) Berlin|Great Britain Reuters, Ltd. London|Greece Agence d'Athenes Athinai|Holland Nederlandsch Telegraaf Agentschap Hague|Hungary Agence Telegraphique Hongroise Budapest|Iran Agence Telegraphique Pars (Pars) Teheran|Italy Agenzia Stefani Roma|Japan Domei Tsushin Sha Tokyo|Latin America La Prensa Asociada Buenos Aires|Manchoukuo Manchoukuo News Agency Hsinking|Netherlands East Indies Algemeen Nederlandsch-Indisch Press- bureau Aneta (Aneta) Batavia|Norway Norsk Telegrambyra Oslo|Rumania Orient-Radio (Rador) Bucuresti|U. S. S. R Tass Moscow|Spain Agencia Fabra Madrid|Sweden Tidningarnas Telegrambyra Stockholm|Switzerland Agence Telegraphique Suisse (ATS) Berne|Turkey Agence Anatolie Istanbul|U S. A The Associated Press (AP) New York
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同盟の組織と活動 P.00341941年【本文】|同盟ニユースの速報|◇國內ニユース 同盟の國內通信網は專用電話線と同樣無線の併用によつて速報の完璧を期し、中央から地方へ、地方から中央へのニユースの交流は實に迅速を極めてゐる。例へば|一、近衞公に大命降下のニユースは實に五秒を出でずして全國各新聞社に報道出來た。|二、其他重大ニユースは何れも何秒といふ短時間で內地、朝鮮、滿洲の各地に速報されるのが常で、專用電話の利便のない邊境の地でも、三分を出でずして報道の目的を達し得るのである。|三、議會記事の如きは、議場の演說や質問應答が、刻々全國の新聞社に速報され、紙面に組まれて行くので、夕刊の締切直前五分乃至三分までの演說が揭載出來るのである|四、地方からのニユースも同樣で、北海道苫小牧で行はれた明治神宮體育冬季大會の競技結果の速報の例に見ても、現場から同盟本社までの聯絡所要時間は僅か三分內外に過ぎなかつた。|◇東亞ニユース|一、昭和十三年五月十九日、皇軍快速部隊が徐州の一角に突入したといふ歷史的ニユースは、同部隊唯一の從軍班たる同盟特派員が、消煙を浴びながら、覇王山上から刻々の戰況を、携帶無電機で發信したのが、數分を出でずして本社へ入電したもので、國內
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同盟の組織と活動 P.00351941年【本文】|は勿論、折から放送中の對外放送無電によつて、全世界に速報された。これより先き徐州攻略戰の勝因を作つた隴海線遮斷の第一報も同樣であつた。|二、十三年十月十二日未明、皇軍バイアス灣敵前上陸の第一報は、同盟の無電によつて報ぜられ、大本營報道部發表の形式で公表された。|三、武漢攻略戰に於ては、稻葉部隊の先遣隊が漢口に突入の第一報は、同隊に從軍の同盟班によつて打電せられ、十月二十七日武漢三鎭完全攻略の第一報も、同日午後五時三十分、ノータイムで本社へ入電、同六時三十分大本營陸海軍部から「我軍は本二十七日午後五時三十分陸海協力殘敵を掃蕩し|―同盟前線班の一部―
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同盟の組織と活動 P.00361941年【本文】|武漢三鎭を完全に攻略せり」の歷史的發表が行はれ、寸刻を出でずして全世界に速報された。|◇海外ニユース 第一次世界大戰の頃は歐米電報が發信から受信迄何日かを要した例は決して珍しくなかつたが今次の歐洲動亂ではそれが幾時間の問題になつてゐる。殊に重大ニユースの第一報は火花を散らす速報戰の結果何十分乃至何分の問題に迄短縮されてゐる。例へば|一、ヒツトラー獨總統の國會演說等の如きは演說が未だ續いてゐる最中に、東京では早くも同盟電がラジオで放送されてゐるやうなことも珍らしくはない。|二、開戰當初チエンバレン英首相の對獨宣戰放送はロンドン東京間二十五分で達した。|三、獨軍白蘭進擊の第一報はワシントンの米國務省から發表されたが、これがワシントン東京間を僅か五分といふ驚異的の記錄を作つた。|四、イタリア參戰を吿げるムツソリーニ首相の聲明も、ローマ・ニユーヨーク間五分、ニユーヨーク東京間六分、合計十一分でローマから東京に到着した。|五、その後のフランスの降服、ロンドン大爆擊、伊希開戰、北阿戰局、ルーズヴエルト米大統領の三選、バルカン戰爭、日ソ中立條約の成立等を傳へるフラツシユ電は恐らくその國の多くの人々が之を知る前に旣に同盟本社には入電してゐたのである。
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同盟の組織と活動 P.00371941年【本文】|同盟ニユースの反響|◇國內ニユース 報道報國の使命遂行に最も適當な組織と機構を有する同盟は、國の內外に亘って、縱橫の活動をなすことが出來る。そして同盟のニユースは世界到る處に大きな反響を呼び、波紋を描いて行く。かくて同盟の責任は愈々重きを加へる。|一、近衞首相、松岡外相等の世界立役者の日々の動靜發言等、日本の動き、日本の意志はその都度同盟を通じて地球の隅々にまで報導される。そして世界の各國はその變化に應じて一喜一憂する。五月二十七日の海軍記念日に際して、我が海軍のスポークスマンたる平出大佐がラジオ放送に依り、帝國海軍の實力と意志を中外に宣揚した際、その演說內容は直ちに同盟電となつて世界各國へ報道された。これなど最近內外に多大の反響を喚び起した同盟ニユースの一例であらう。卽ち時宛も獨レーダー提督の重大談話發表直後であり、米大統領の爐邊閑談直前であつたこと、軍縮以來未だ曾つて發表されなかつた帝國海軍の實力が隻數其他により明確にされたこと等を以て、友邦敵性諸國間に絶大なる反響の嵐を招いたのである。この時の同盟電は平出大佐の演說進行中旣に片端から殆んど全文が英語に飜譯されて直ちに同盟對外放送の電波に乘り或は東京駐在各國代表通信社の特派員の電報となつて全世界に飛んだ。而して同夜中
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同盟の組織と活動 P.00381941年【本文】|には早くも獨、英、米各國の反響が同盟に齎らされ、その電文面に躍る文字は如何にこのニユースが世界を動かし如何に同盟の報道力が世界の隅々まで延びてゐるかを眼の邊り物語るものであつた。|二、五月廿三日「日蘭印」會談が重要時期に入りつゝある事實に關聯して、「米國議會へ對日石油禁輸決議案が提出された」旨を同盟の對米放送(廿三日の午後一時と午後九時)に入れた。處が、廿八日のワシントン電報は報じて曰く、米國大統領ルーズヴエルト氏は記者團との會見に於て同盟の放送に言及して質問せるに對し「日本向け石油の輸出を禁止し又は現在以上に制限する意向はない」旨言明したと。|三、昨年四月十六日我國の蘭印現狀維持の申入れに對し、クレフエンス和蘭外相が我が石射公使に日本の申入を諒とし、且つ第三國の蘭印保護は和蘭に於いて拒否すべき旨言明、此の經緯を我が外務省情報部は四月十八日に發表した。恰も右發表時間は同日の午後五時近くで、同盟の歐洲向け英文放送(午後五時)に間に合つた。そのため右放送電はどの電報よりも早く全世界を一周したのである。當時ロイターの東京特派員は右情報部の發表をまだ打電して居らなかつた。然るに同午後九時(放送完了後約二時間)に至りサンフランシスコのエー・ピー通信社支局より東京のエーピー特派員に對して左の如く照會して來た。「ロイター電
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同盟の組織と活動 P.00391941年【本文】|によれば日本外務省情報部は和蘭外相が第三國の蘭印保護を拒否する旨ヘーグ駐剳日本公使に言明したと發表した」と。之はロンドンのロイター本社が同盟の英文放送を受信し、之を米國へ轉電した結果サンフランシスコのエー・ピー支局が東京へ照會電報を發するに至つたのである。|◇東亞ニユース|一、昭和十六年五月初旬、皇軍の福建作戰開始後三日を出でずして福州が占領され、この報が同盟ニユースにより迅速に海外へ傳へられるや、福建省出身の南洋方面華僑は防衞當事者陳儀の餘りに素早き逃足に憤激蔣介石宛通電を發して責任者の處分を迫つた。重慶側は民心の離反を懼れ、皇軍の福州占領|―通信タイプ室の一部―
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同盟の組織と活動 P.00401941年【本文】|を殊更に伏せてゐたのを、南洋華僑が同盟電でその眞相を知り、詰問電を發したわけで、これは前線ニユースが、如何に多角的な反響を描くものであるかの一例である。|二、重慶側抗戰陣營內の二大勢力國民黨と共產黨との相剋、大小の武力衝突事件は、北中支を問はず頻發してゐるが、昭和十六年一月中旬、中央軍顧祝同の麾下軍隊が中支にある共產新四軍を武力を以て殲滅し、軍長を捕虜とした所謂新四軍事件は同盟により逸早く傳へられた最も衝擊的なニユースであつた。この事件後間もなくアメリカは重慶に對し國共武力衝突の非なることを申し入れ、又久しからずして日ソ中立條約も成立を見たのである。|◇海外ニユース|一、昭和十六年五月下旬、アメリカのルーズヴエルト大統領が二三日後に例の爐邊閑談で何事か重大意見を發表することが豫想され、米參戰の機運愈々濃化に世界の視聽が集つてゐたとき、突如同盟のベルリン電がレーダー獨海軍總司令の重大談話を傳へて世界を驚倒させた。內容は『アメリカが武力でドイツを妨害するなら、ドイツは實力を以て之を排除する』といふことで、語る人が語る人であり、問題が問題であるだけ世界の新聞は洩れなくこの同盟電を大々的に揭載し、波紋は數日に亘つて世界を往復したのである。この談話は、レーダー提督
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同盟の組織と活動 P.00411941年【本文】|が特に同盟ベルリン支局員の請を容れて會見した際に與へられたものであり、ドイツは元より各國に於てもこれ程の要路者が、一通信記者との會見にこれ程の重大意見を卒直に吐露したことは稀な例として、これ又世界の話題となつた。以て同盟の國際的位置を知り得るとともに、如何に同盟の報道機能が充實し、一記事直ちに世界に反響を呼ぶかの好例であらう。|◇同盟は新聞ラジオのニユース源|◇同盟は經濟界の羅針盤|―同盟經濟局の一部―
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同盟の組織と活動 P.00421941年【本文】|同盟の經濟通信|◇經濟界の羅針盤 同盟は新聞社、放送局などヘニユースを供給する外、我が國の經濟界に對しても、重要なサーヴイスをしてゐる。卽ち內外の經濟ニユース及び情報を集めてこれを東京、大阪、名古屋、京都、神戶、橫濱の六大都市を始め、全國主要都市の取引所、銀行、會社、商店等經濟界の有力當業者へ每日刻々速報する。同盟から此の經濟通信を受けてゐる當業者は全國を通じて數千を算し、昔からこの經濟通信は我が國經濟界の羅針盤と稱せられてゐる。|◇外國經濟電報 經濟通信は大別して、內國經濟、東亞經濟、外國經濟の三種あるが、中でも外國經濟電報は大正六年創始以來旣に四半世紀の歷史を有してゐる。この通信は爲替株式、棉花、生糸、金物、鐵鋼、護謨、砂糖小麥、油脂、船舶など十數種に細別され、これ等各種電報中には一般の新聞記事としては不必要な詳しい專門的ニユース、情報、統計相場、市況等を網羅し當業者の目となり耳となつてゐるのである。|◇東亞經濟通信 は滿洲國及び支那大陸の經濟建設の樣相を、これ亦各業界に亘つて、詳細報道し、我が大陸進出並びに東亞經濟圈確立に對し、直接間接に役立つべく昭和十四年夏開始したものである。外國經濟電報及び東亞經濟通信は、海外各地及び東亞大陸各地から、無線電信又は海底電線により、迅速、正確、
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同盟の組織と活動 P.00431941年【本文】|詳細に打電され、打電困難のものは航空便によつて急送して來る。これ等のニユースは凡てタイプ印刷に附して卽時當業者へ配達し又最も重要なるニユースは電話によつても速報される。世界相手の經濟戰爭に我國が打ち勝つには、敵情を早く、詳しく、間違ひなく知ることが絶對必要の條件で、この役目を果してゐるのが我が經濟通信である。|◇內國經濟通信 一方國內の產業經濟新體制の發足に連れて、各業者の進むべき方向を正しく指示しその發展を促進するには、案內役となるべき通信が必要であるが、この役は同盟の內國經濟通信が、これを引受けてゐる。內經通信は從來綜合的な一般經濟ニユースを主としてゐたが、今囘新たに各業種に區別した專門通信を出すこととなり、その一部は旣に緖についてゐる。卽ち最近始めた「海運經濟通信」はその一種目をなすものである。|◇內外經濟解說 以上記した外國、東亞、內國の各經濟通信は主として、經濟ニユース及び情報の速報を目的としてゐるが、この外に同盟は「經濟解說」を日々編輯發行してゐるこれは海外、東亞、國內に日々發生する經濟關係の諸問題を取り上げて、或は特派員の現地報吿により、或は本社へ集まる多數の情報及び資料から選擇し、丁寧公平に判り易く解說し、活版印刷に附したもので、經濟各界の有力者間に數千の愛讀者を持つてゐる。
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同盟の組織と活動 P.00441941年【本文】|同盟の寫眞通信|◇寫眞通信の發行量 寫眞通信は寫眞部の仕事である。この仕事の强みは、文字とか理論とかいふ衣をかなぐり捨てて直接感覺に訴へて來るところにある。寫眞が持ち浸透力、宣傳力は「武器なき戰」の最も恐るべき武器である。世界の各國が寫眞宣傳に狂奔するのもむべなる哉と言はざるを得ない。| 同盟に於ては、本社各支社局一日のニユース寫眞發行量、實に七十種目五千四百四十枚の巨數に上る。事變ニユース寫眞に就いて見れば、過去四ケ年間に、百五十五萬五千二百枚を國內各新聞社に頒布し、また海外に對しても七十二萬枚を發行して、聖戰の意義を直接世界の視覺に訴へたのである。|◇寫眞ニユースの速報 同盟ニユース寫眞が如何にして速報されるか、一、二の實例をあげれば、「浙東作戰」に際しては、寧波班寫眞部員決死撮影のネガは、飛行機にて吊上げの上、○○基地に運ばれ中支總局に中繼、同總局にて現像、一は現地に配給され、他は上海東京間を無線電送されたのである。「松岡外相訪歐ニユース寫眞」は、三月二十六日午後六時(日本時間二十七日午前一時)松岡外相伯林着を間髪を入れず伯林=紐育無線電送、紐育=桑港有線電送、桑港=東京無線電送の結果、僅か十時間にして東京に到達したのであつた。|◇寫眞電送施設 左記各地には寫眞電送送信機
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同盟の組織と活動 P.00451941年【本文】|及び受信機を据付けてニユース寫眞速報に努めてゐる。| 東京、名古屋(受信機のみ)、大阪、岡山、高知(受信機のみ)、廣島(受信機のみ)、福岡長崎(送信機のみ)、京城、札幌、| 右の固定機の外、內地及び滿支の各地支社局には、固定機及び携帶用電送機を配置してニユース寫眞配給の迅速を期してゐる。|◇海外寫眞電送 官廳施設として伯林―東京間、桑港―東京間、倫敦―東京間相互の送受信施設、上海―東京間、臺北―東京間受信施設等を有效適切に利用し大いに效果を納めてゐる。|―本社寫眞電送室の一部―
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同盟の組織と活動 P.00461941年【本文】|その他の事業|◇ニユース映畫 ラジオの持つ機能の一部と、寫眞の持つ機能の一部とを合せて、「動く新聞、見る新聞」として、强烈な宣傳力を發揮するのがニユース映畫である。世界に事件の絶えない限り世人のニユース映畫に對する關心もまた消滅することを知らないであらう。| 同盟通信社も今次支那事變を契機に懸案のニユース映畫部を設けたが、その後同部は 昭和十五年五月國家の方針に從ひ、社團法人日本ニユース映畫社(同十六年五月日本映畫社と改稱)に發展的解消を遂げた。この間呼稱の如何に拘らず同社は常に同盟通信社と緊密不可分の連絡のもとに眞に一身同體となつて報道戰の第一線に活躍したのである。よりよきニユース映畫を造らんとせばよりよきニユース網との提携は絶對不可缺である。この意味で今後とも日本映畫社と同盟通信社との關係は眞に表裏一體の活動をするであらう。|◇同盟の航空部 重大ニユース寫眞、映畫フヰルム等の空輸に現在活躍する同盟航空機は、第二號機J―BACN(双發渡洋連絡機)と、第三號機J―BACR(單發快速通信機)である。同盟機が空輸する寫眞フヰルムは、日滿支を連ねる電送寫眞設備との敏速なる連絡操作により、全國の各新聞に一齊に頒布揭載される。かくて廣東、武漢攻略戰、ノモンハン激戰、日華條約調印式寫眞等は當日の內地、
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同盟の組織と活動 P.00471941年【本文】|――同盟三號機(上)、同盟二號機(中)と第一格納庫――
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同盟の組織と活動 P.00481941年【本文】|鮮、滿全土に亘る各新聞の夕刊を飾つたのである。| 更に本年度から陣容を擴充し通信連絡の機甲化部隊として積極的に活動すべく渡洋快速機、長距離渡洋機、補助機等を增備する外旣に福岡雁の巢飛行場に同盟第一格納庫を設置、東京飛行場に第二格納庫の施設を進めてゐる|◇同盟の特別通信 同盟は特信部を設けて、「特別通信」を發行してゐる。特別通信の目的とするところは、通信統制による各新聞紙面の劃一化、編輯の生硬化を避け、特信を適宜利用することによつて紙面に變化を與へしめようとするにあり、從つて通信內容も現在ABC三種を發行、新聞はそのどれかの一を採る仕組になつてゐる。各種別とも時事問題解說・特種讀物・學藝・婦人家庭・科學・子供・漫畫等を中心に構成され、その個々の項目はそれぞれ、每日のニユースにタツチし、これと併行しつつ編輯發行される。| また新聞の指導性を强化する意味から特別のスタツフを擁して「論說」を執筆し希望する新聞に配布、內外時局問題に就ては權威ある評論家の筆になる署名記事を定期に提供し或は東亞諸問題に關するその時々の解說、海外一般ニユース以外の短信等を選擇供給してゐる。|◇同盟の調査と出版 眼に見るニユースを送受するだけが通信社――特に同盟のやうな國策通信社の仕事の全部ではない。同盟の調査局では情報部、調査部等の組織を持つて、國
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同盟の組織と活動 P.00491941年【本文】|內、海外の全同盟の通信網をそのまま調査網として利用し、世界各地から送つて來るニユース及び情報を基礎に、時々刻々の世界の動靜を調査し、必要に應じてこれ等の資料を國家機關に提供する。又內外の新聞雜誌數百種に眼を通して重要記事を整理保存し、重大な外國文献は直ちに飜譯して資料とする。| 更にこれ等の資料は再編輯され、必要なものは出版される。卽ち|「國際經濟週報」「同盟旬報」|「同盟時事年鑑」「同盟グラフ」|「人絹年鑑」  「新聞寫眞年鑑」|「ジヤパン・トレード・ガイド」|等の定期刊行物となり、又隨時單行本を出版して我が出版界に獨自の存在を占めてゐる。|◇理事會|會長 田中都吉(中外商業新報社)|副會長 野中楠吉(高知新聞社)|同 阿部良夫(北海タイムス社)|◇役員|社長 古野伊之助|常務理事 畠山敏行 上田碩三 堀義貴|常務監事 古賀傳吉|◇局長・次長|總務局 局長 畠山敏行 次長 石部幸弌|編輯局 局長 松本重治 次長 大平安孝|通信局 局長 鷹嘴壽 次長 田村源治|經濟局 局長 塚本義隆|調査局 局長 松本重治 次長 加藤萬壽男
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同盟の組織と活動 P.00501941年【本文】|◇同盟社員新聞社・放送局 (○印は理事監事社)|東京|○中外商業新報社|○報知新聞社|ジヤパンタイムス社|○國民新聞社|經濟時事新報社|○都新聞社|○朝日新聞東京本社|○東京日日新聞社|東京每夕新聞社|帝都日日新聞社|帝國新報社|大民新聞社|○讀賣新聞社|やまと新聞社|日本工業新聞社|大阪|英文大阪每日|日本織物新聞社|日刊工業新聞社|日刊商業新聞社|日滿工業新聞社|○朝日新聞社大阪本社|○大阪每日新聞社|大阪時事新報社|大阪中外商業新報社|大阪經濟新聞社|夕刊大阪新聞社|泉州合同新聞社|關東|神奈川縣新聞社|神奈川日日新聞社|千葉新報社|いはらき新聞社|下野新聞社|上毛新聞社|奧羽|福島民報社|○河北新報社|新岩手日報社|○東奧日報社|弘前新聞社|○秋田魁新報社|山形自由新聞社|中部|靜岡新報社|靜岡民友新聞社|濱松新聞社|愛知新聞社|○名古屋新聞社|名古屋每日新聞社|名古屋日日新聞社|○新愛知新聞社|豐橋同盟新聞社|三河新聞社|岐阜日日新聞社|岐阜新報社|山梨日日新聞社|○信濃每日新聞社|南信每日新聞社|中信每日新聞社|上越新聞社|信州合同新聞社|○新潟每日新聞社|新潟新聞社|新潟縣中央新聞社|北日本新聞社|○北國新聞社|北國夕刊新聞社|北國日報社|福井新聞社|新福井日報社