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同盟通信写真ニュース(1937年)
| 12月11日(0363号) | 1937年 | 【1937】海の荒鯱海軍掃海隊 決死の作業|小賢しくも敢へてする敵の揚子江封鎖に対し敢然起つた我海の荒鯱 海軍掃海艇隊は決死の活動を開始し、江上の阻害を除去き航路の安全を確保した。写真掃海隊○○陸戦隊小陰沙附近に敵前上陸直ちに同地を占領―海軍省貸下―(公開Ⅱ期) |
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同盟通信写真ニュース(1937年)
| 12月11日(0363号) | 1937年 | 【1937】南京の運命決せり 待望の日章旗掲揚近し|首都南京光華門へ約五町に迫る我が皇軍包囲の陣は全く完璧に近く既に大勢は決した。我が松井最高指揮官は武士の情を以て期限付投降勧告状を唐生智に投下した。応ぜすとて首都南京我が総攻撃の前には幾許の命脈も保ち得ないであらう。待望の機は愈々迫つてゐる。(公開Ⅱ期) |
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同盟通信写真ニュース(1937年)
| 12月14日(0365号) | 1937年 | 【1937】殱滅か!!降伏か!! 南京必殺の包囲陣成る|戟を取り煥たる皇軍の意気は既に南京を呑み我が山田、長野の前襲部隊は背後より南京を襲撃此処に必殺の包囲陣成り、南京最後の日は刻々に迫つてゐる。写真は南京へ水路の急追を続ける我が部隊。(公開Ⅱ期) |
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同盟通信写真ニュース(1937年)
| 12月18日(0369号) | 1937年 | 【1937】光輝燦として 軍旗、首都南京を睥睨|精鋭○○部隊軍旗は今こそ南京城壁上に燦として輝いた。仰ぎ見る将士の感激の涙の裡に凛然と軍旗は首都南京を足下に伏せしめたのである。 写真は輝く○○部隊軍旗。(公開Ⅱ期) |
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同盟通信写真ニュース(1937年)
| 12月19日(0370号) | 1937年 | 【1937】万歳歓呼の嵐!! 光栄に輝く南京晴れの入城式|陸海空一体の立体雄揮壮麗極まる世紀に輝く南京入城は十七日午後一時丗分を期して開始された。この日一点の雲なく蒼空の下、堂々晴れの入城式の大行進あゝ何たる壮絶の極みの瞬間であつた事か写真、中山門より入城する堂々たる皇軍将兵。 南京-上海-福岡間 同盟機 空輸 福岡-東京 電送(公開Ⅱ期) |
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同盟通信写真ニュース(1937年)
| 12月19日(0370号) | 1937年 | 【1937】寒風肌をさく北支の野を 突進又突進の我騎兵隊|極寒零下廿余度、肌をつんざく朔北の寒風にさらされつゝも我皇軍将士の意気は益々昻り、黄河の一線を擁して、満々たる闘志を以て敵陣地に対してゐる。写真は黄河の線に進撃する我が騎兵。(公開Ⅱ期) |
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同盟通信写真ニュース(1937年)
| 12月21日(0371号) | 1937年 | 【1937】寒風吹き荒ぶ○○海上 流氷と闘ふ我が艦艇|交通遮断の重任を負ふて黙々と零下廿余度の寒風と流氷とに悩され乍ら○○海上警備を続ける我艦艇の苦労や筆舌に尽しがたいものがある 写真は一面氷と化した○○艦甲板。(公開Ⅱ期) |
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同盟通信写真ニュース(1937年)
| 12月21日(0371号) | 1937年 | 【1937】世紀の歓喜此処に爆発 燦たる南京入城式|海空陸の壮絶なる立体大行進、首都南京へ入城の佳き日、世紀の驚異と歓喜を爆発せしめ旗鼓堂々と進む将士の目に浮ぶは何の涙か?感激か歓喜か?写真 堂々中山門より入城する 松井最高指揮官。(公開Ⅱ期) |
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同盟通信写真ニュース(1937年)
| 12月22日(0372号) | 1937年 | 【1937】銃後に歌ふ愛国行進曲完成|内閣情報部選定発表の愛国行進|内閣情報部選定発表の愛国行進曲は二十日コロンビア・レコードに吹き込み近日全国に一斉に紹介されることになった。この軍国調のメロディは春の街頭を賑はすであらう。写真はコロンビア・アーチストの吹き込み。(公開Ⅰ期) |
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同盟通信写真ニュース(1937年)
| 12月25日(0375号) | 1937年 | 【1937】南支最後の抵抗線 目指す杭州へ僅か五里|逃走に逃走を続ける敵を勇猛皇軍は霙交りの悪天候と泥濘の中を猛烈に追撃、早くも杭州を隔る廿キロの地点に達し、杭州の命は早くも旦夕に迫つてゐる写真さながら支那興亡史を語るが如き杭州(公開Ⅱ期) |
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同盟通信写真ニュース(1937年)
| 12月25日(0375号) | 1937年 | 【1937】英霊百八十三柱 悲しく声なき凱旋|日支事変勃発以来察哈爾山西の各線に勇躍戦場の華と散つた湯淺部隊田邊政二少佐以下同隊百八十三柱の尊き護国の英霊は原隊から出迎へた笹倉中佐以下の戦交に抱かれて廿三日午前六時上野駅着列車で悲しく声なき凱旋をした 写真 上野駅にて(公開Ⅱ期) |
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同盟通信写真ニュース(1937年)
| 12月26日(0376号) | 1937年 | 【1937】優しい皇軍の愛の手に 微笑む“南京明朗譜”|肉弾突撃幾度か激戦四昼夜の余燼は未だ南京市内に残れども、優しい皇軍将士の情に慕ひ寄る子供の顔は微笑み、言葉は通じない乍ら和気靄々楽し気に打興じてゐる 写真は皇軍の鉄兜を冠せて貰ひ喜ぶ支那の子供(公開Ⅱ期) |
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同盟通信写真ニュース(1937年)
| 12月28日(0377号) | 1937年 | 【1937】聖上親臨 戦時下の開院式|第七十三通常議会は廿六日午前十一時貴族院に於て行はせられた。畏くも 聖上陛下には日曜にも御係らず御親臨あらせられ、銃前銃後の忠誠に優握なる勅語を賜ひ十一時五分天機麗しく還御遊ばされた。写真は還幸の御鹵簿(議事堂正面前にて謹写)(公開Ⅱ期) |
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同盟通信写真ニュース(1937年)
| 12月28日(0377号) | 1937年 | 【1937】東海の光を受けて 嬉々たり!!明朗北支|新政府の樹立と共に北支の明朗は愈々色濃く、途上の人の顔にも喜悦を浮べ、皇軍の勇士達に親愛の挨拶をしてゐる、亜細亜の黎明は愈々来た。北支は今こそ立ち上る機だ写真は皇軍将士から食料を受ける支那人達(公開Ⅱ期) |