更新日 : 2024/03/19 

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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月1日(1983号)1943年【1943】醜の御楯の栄光を担ふて皇国の必勝を祈り奉る二重橋前(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月1日(1983号)1943年【1943】初春に偲ぶ前線の勇士 戦捷第二年の農村の新年!|めでたい新年を迎へて先づ思ひ出されるのは戦地に征つてゐる二人の息子の事である。命はもとより御国に捧げたものですが未だに死所を得ません、とつい二三日前にも武運めでたい便りがあつた忙しい農村では可愛い息子や恋しい夫に送る慰問袋を作るのもお正月の仕事だ、坊やも頑是ない手でお手伝ひ、窓の外は日本晴れ、揺るぎなき富士の霊峰には武人の心事を象徴するやうな万古の雪が旭光に輝いてゐる。(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月1日(1983号)1943年【1943】戦捷の 春を寿ぐ農村の新年|めでたき新年を迎へた農村では年を越してもなほ忙しい、人手不足も肥料の欠乏もなんのその、昨年はまれに見る豊作で、七千万石がづつしりと皇軍の戦果に応へて戦ふ日本の食糧陣に、もたらされた、“さあこれで戦地の伜への申訳がたつた”と老の腰をたたき、孫の手をとつたお百姓さんが、“さあ来年は外来は一粒も入れないぞ”と心で誓つたその決意は、日本全国の鍬とる人々の相言葉となつてさらに“戦ふ農村”の信念が固められた、何がなんでも勝ち抜かなければならない昭和十八年“農村は戦場”のお百姓さんには新年もなければ祭日もない、今日も早くから出荷に大童だ、粒々辛苦の結昌が新春の陽光に真珠と光つてゐる、一粒の米、それには一粒の汗だ、戦ふお百姓さんの逞しい精神が溢れてゐる、さあ我々もあの日の感激を焔の決意に燃えたゝせ、増産陣への感謝とともに、生産の増強に、戦時生活の実践へとまつしぐらの総進撃だ。写真は戦捷の春を寿ぐ農村の新年(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月1日(1983号)1943年【1943】陽光燦として戦捷第二春を寿ぐ 厳たり!不動磐石の我が北辺の防人|東天に白む新春の陽光は戦捷の第二春を寿いで満ソ国境の山野に絢爛と輝き渡る。凛たる気魄に無敵鉄牛の勇名を全世界に轟かしたわが戦車隊は、ノモンハン・マライの雄々しき姿を見せて今亦満ソ国境第一線に力強き応変鉄火の布陣を展開する。戦はずして四臨を圧する不動磐石の威容を見よ!偉なる哉、壮なる哉!我が北辺の防人!写真は国境第一線の我が戦車隊の忠魂碑参拝。軍検閲済(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月1日(1983号)1943年【1943】醜の御楯|今日よりは かへり見なくて 大君の 醜の御楯と征で立つ われは大御稜威さへぎるものあらば、断乎、撃つて撃つて撃ちまくるのみ。大みことのり、かしこみて善謀勇戦の我が防人は、南に北に千古不滅の武威轟かし、東天に白む新春の陽光燦として、戦捷の第二春を寿ぎ 絢爛たる大東亜の天地に輝き渡る二六〇三年の朝。凛たる気魄は四臨を圧し、ひたぶるの闘魂は火と燃えて戦はずして既に敵を威圧する我が無敵皇軍の強く逞しき応変鉄火の布陣を見よ。暁の光を満身に浴びつつ、遥かに皇居を拝する“つはもの”の決意に満ちた眦を見よ!不動磐石のこの決意を我等また、魂として畏くも、億兆一心国家ノ総力ヲ挙ケテ征戦ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨと仰せられた大詔を奉戴し、必勝の昭和十八年へ栄光の突撃を敢行しやうではないか。写真 ①満ソ国境第一線の我戦車隊の皇居遥拝 ②厳たる我関東軍精鋭の皇居遥拝 ③国境第一線部隊の皇居遥拝 ④中支那に於ける皇軍勇士の遥拝 ⑤一刻の休みもなく応変鉄火の陣を布く我が精鋭 軍許可済(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月7日(1986号)1943年【1943】皇紀二千六百三年を迎へて 儼たり!ビルマ最前線無敵の巨砲陣|大御稜威の下無敵陸軍の赫々たる戦果に皇紀二千六百三年の新春は大らかに明け、皇師の征くところ栄光は燦として輝き、皇恩は大東亜の隅々にあまねく、無敵陸軍の威武はいよ〱あがる戦捷第二春を迎へて米英撃滅への決戦に闘魂を沸ぎらし鉄火の訓練は今日も続けられる。見よ!巨砲はすでに敵を呑む、儼たるかな、無敵陸軍の巨砲陣。写真はビルマ最前線に猛訓練続ける無敵陸軍の巨砲陣 陸軍省検閲済。(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月7日(1986号)1943年【1943】大らかに明けたり 大東亜の新年|皇軍の輝かしい大戦果の大らかに明けゆく大東亜の春、幾時代ともなく米英の鉄鎖の下に呻吟した共栄圏の住民達比島でも、ビルマでも、ジヤワでも、マライでも、今日ほど新たなる年の始めの歓びをシミ〲と味はつた事はあるまい、皇恩はあまねく大東亜の隅々に及び、日の丸の旗の下、今ぞ民族の誇りと、明日への希望に住民達は、嬉々として今日の佳き日を寿ぎ、東より来る神兵への感謝に深い深い頭をたれて、聖戦完遂へ固き協力を誓つたのである。写真説明①東亜に還つあ比島に始めての初春が訪れた宗教のさかんなこの国では、朝夕に神に祈る事を忘れない。輝かしい比島建設への新年に一家揃つて日の出に向ひ新しき年のお祈りを行ふ②ビルマは農の国である、大らかに明けた新春の太陽を仰ぐころ、彼等はすでに田や、畑にある、しかしながら今年ほど、嬉しく希望のある新年を迎へたことはあるまい③「さあ今年も元気でやらう」とマスコツトの黒公を力づける前線の勇士④その日その日を小さく暮してゆく香港の蛋民たちの船にも日の丸が揚げられ皇土に生きる歓びに彼等はわななきつゝ元旦の朝を寿ぐ⑤ビルマは今、独立の光栄と民族の誇りに溢れ、街にも、村にも建設の巨歩が進み明るいバゴタの頂が新春の光をはなつてゐる(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月7日(1986号)1943年【1943】敵撃滅の意気高き戦捷の第二春 新世紀の巨空を征く無敵帝国陸鷲|明けゆく戦捷の第二春、無敵の誉れ燦然と大東亜の空に輝やく帝国陸鷲が今年も征く敵撃滅の壮途、清澄の大気は、必勝の気魄に轟々と高鳴り、敵撃滅の鵬翼は射し登る旭日に燦めき冴える。見よ!世紀の決戦をその駿翼にのせて逞しくも必殺の決意に燃えるわが陸鷲の威容を!決戦の春だ、必勝の春だ、無敵帝国陸鷲は新世紀の巨空を征く!写真は颯ツ!と餌ものを狙つてまつしぐら背面飛行にうつる「隼」の勇姿。(航空本部提供)(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月7日(1986号)1943年【1943】戦捷第二年春を迎へ 歓喜湧く盟邦満州国|東亜“鉄の軸心”の一翼たる満洲国が、一徳一心の誓も堅く、米英撃滅・大東亜解放の聖戦へ敢然蹶起してより、早や一年有余。戦史未曽有の輝く大戦果に明けた戦捷第二年の春を迎へて、皇軍讃仰の五族の歓喜は巷に満ち〱てゐるが、共栄圏北の護りたる誇りに燃える四千万民衆は、本年七十二才の張総理の下、一糸乱れる鉄の結盟を見せ、如何なる困苦にも耐え忍び、米英に最後の止め刺さんと烈々たる闘魂に拍車かけ驀進する姿は実に無限の頼母しさを感ぜしめる。写真説明①凛たる宰相 張国務総理②第一次開拓村、弥栄村の拓士の子供達が故国の戦捷を祝ふ万歳三唱③民族協和の姿も微笑しい我が勇士と小孩④遥かに皇国の空に向つて祈る拓士たち⑤戦捷に微笑むロマノフカ村の露人の子供⑥羊と共に大東亜の春に遊ぶ開拓村の子供達(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月9日(1988号)1943年【1943】決戦第三年、重慶必滅への睥睨 ビルマ最前線の寺内南方々面最高指揮官|敗戦米英が反撃の歳を呼号して重慶軍を操り、印度兵を躍らしてその先駆となし反攻に狂奔するビルマ最前線。眼下怒江を隔てゝ重畳たる山嶮を縫ひ、谷を渡つて重慶への途は蜿々と連なる。決戦第三年の春を迎へて我がビルマ派遣軍将兵の士気は困苦欠乏を物ともせず益々旺盛にして儼と敵陣営を睥睨する。写真はビルマ第一線怒江の敵陣地を望む寺内南方々面最高指揮官、陸軍省検閲済(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月9日(1988号)1943年【1943】北辺空の護り鉄壁 厳寒に挑むわが荒鷲の猛練磨|静かに厳しく澄んだ朔北の大気の真ッ只中、見渡す限り草も土もすべて固く鋭く凍りついた○○飛行場、今しも地上整備も全く終つた無敵荒鷲が無言の威圧を鵬翼一ぱいに逞しい勇姿を儼然と構えてゐる。何と云ふ威容だ、何と云ふ盛観だ!!これこそ北辺空の護りに鉄壁の堅陣を誇るわが関東軍○○航空隊の尊くも雄々しい姿である。そしてこの無敵荒鷲の猛練磨に後顧の憂ひなかれと地上にあつて黙々愛機の手入れに精魂を傾けつくす地上整備員の労苦、総ては酷寒の満ソ国境最前線では南方と違つた骨身を削る労苦と忍苦に彩られてゐるのである。見よ!見敵必殺の意気高く弛まざる猛練磨にいそしむわが無敵関東軍不屈の荒鷲の威容を!親鷲、若鷲入り乱れて寒気凛烈の大空に厳たる鉄壁の布陣展くわが荒鷲の闘魂を!!決戦第二春、かくてこそわが北辺空の護り固し!!写真説明(軍検閲済)①朔風荒ぶ大気の真只中エンジンの整備に余念のない地上整備員②凍る手先きに燃える必勝の気魄漲らせて発動機の組立て急ぐわが整備員③凍りついたドラム缶を押す手にも烈々必勝の意気が溢れる④厳寒肌突く北満の最前線に厳たるわが荒鷲の威容⑤ダイナミツクな発動機は正に生あるものゝ如く静かに空飛ぶ日を待つてゐる(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月11日(1990号)1943年【1943】米英の反撃を徹底的に粉砕し皇軍決戦第三年に鉄壁の布陣|前線にも新しい年が明けたが、戦争には年末も正月もない。極北のアリューシャンから灼熱のソロモン群島方面には壮絶なる攻防戦が行はれ、ここにも皇軍の輝かしい戦果があがっている。また支那方面では米支合作の空軍基地の連続爆撃がわが航空部隊によって敢行され、敵の企図を未然に挫き、大別山脈その他においては、わが地上部隊が猛烈に敵を圧迫し続けている。これと呼応して西方の最前線ビルマでは反攻を企図する執拗なる英蒋軍に鉄壁の布陣をもって対峙し、その反撃を完膚なきまでに粉砕しつつあり、また北辺の備へはいよいよ固きを見せ不動の態勢をもって不断の鎮護に任じている。決戦第三年敵米英が企図する反撃作戦に対し無敵皇軍の士気旺盛にして敵に最後の止めを刺す日目指して逞しい進撃を続けている。|写真は(1)ビルマ最前線を視察する寺内南方々面最高指揮官(中央防暑帽)と飯田ビルマ方面最高指揮官―南方軍報道部撮影―(2)聖寿の万歳を寿ぎ奉り軍旗に敬礼する皇軍勇士―陸軍検閲済―|(3)敵陣を睥睨するビルマ最前線の巨砲陣―陸軍省検閲済―|(4)儼たり北辺の護り関東軍の鉄牛部隊―関東軍報道部提供|(5)富士山上空を飛ぶ陸鷲の編隊。【注記】人名=寺内寿一(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月12日(1991号)1943年【1943】遥かに栄光輝く祖国を遥拝して 必勝の春を寿ぐ我が無敵皇軍勇士|征旅幾千里祖国を遠く現地第一線に活躍する無敵皇軍が再び迎えた決戦第二春、今しも颯ツと祖国遥拝に「捧げ銃」する剣先は破邪の大精神に燦めき儼たる皇軍の威容は四臨を圧す。米英が呼号の反撃が何ぞ、誓ふはたゞ敵撃滅必勝の決意のみ!あゝ今ぞ南に北に皇威洽き大東亜の天地はおほらかに明け決戦必勝の闘魂は沸る!写真は新春を寿いで比島○○橋上に遥か祖国を遥拝する皇軍勇士。陸軍省検閲済、(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月12日(1991号)1943年【1943】竹の園生の御栄え|皇后陛下には御四十一歳、大宮御所に在す 皇太后陛下には御六十歳を御迎春遊ばされ、皇太子殿下におかせられてはひたすら御勉学と御鍛錬に過させられて御十一歳のお正月を迎へさせ給ひ、義宮様は御九歳、照宮様は御十九歳、孝宮様は御十五歳、順宮様は御十三歳、両陛下の御膝下にあらせられる清宮様は御五歳のめでたき新年を迎へさせ給ひ、竹の園生の御栄えは憶兆挙げて御慶祝申上ぐる次第である。御稜威の下皇軍将兵の善謀勇戦は陸に海に空に、南に北に、赫々たる大戦果を挙げ、早くも聖戦第二春にして暴戻米英章旗燦然として飜るとき、竹の園生の弥栄えますすめら御国の国連が大内山の黎明を象徴するかの如く力強くも輝かしく歴史的昭和十八年の新春に明けた。畏くも 天皇陛下には玉体いちも御健かに実算四十三を算へさせ給ひ天機いよいよ御麗しく御写真御上 御愛馬「右流間号」に召させ給ふ皇太子 継宮明仁親王殿下御中央上 義宮正仁親王殿下御左上 照宮成子内親王殿下同中 孝宮和子内親王殿下同下 順宮厚子内親王殿下御中央下 清宮貴子内親王殿下―宮内省御貸下―(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月12日(1991号)1943年【1943】厳寒骨まで凍る雪の大曠野に 烈々たる火の訓練、我が関東軍鉄牛部隊|厳寒実に零下卅有余度、骨まで凍れと吹き荒ぶ国境颪に抗しつゝ我が関東軍精鋭の闘魂は聖火と燃えて、満目荒凉、雪また雪の大平原に烈々たる鉄火の猛訓練は続けられる。祖国を遥か幾千里米英撃滅へ驀進する第一線と相呼応して共栄圏北辺の防人、我が関東軍精鋭が戦はずして既に四辺を圧する雄々しく逞しき姿である。写真は寒風荒ぶ凍原を驀進する関東軍鉄牛部隊の偉容。―陸軍省検閲済―(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月12日(1991号)1943年【1943】勝敗の鍵は生産力にあり! 戦ふ工場正月も生産挺身へ ―陸軍造兵廠にて―|めでたき戦捷第二春を迎へて銃後一億が思ふのは、酷寒の極北から灼熱の南海の涯に、敵が必死に続ける反撃を撃退、勇戦奮闘する第一戦勇士の事である。戦場には正月もなければ、祭日もない、唯あるものは、銃剣のきらめきと飛行機の爆音と、砲声のとどろきであり、勇士達の苦闘の連続である。戦ひは一分一秒の間なくつゞけられてゐる。弾丸も飛行機も、戦車も、あらゆる兵器、被服が勝ち抜く大東亜戦に要求されてゐるのだ。俺達が妾達が少しも休んでは弾丸はどうなるだらうと、こゝ陸軍兵器廠では“銃後も戦場”の精神に徹した人々によつて年末も年始もなく生産への挺身がつゞけられてゐる。老ひも、若きも、男も、女も、今年こそ決戦第三年だ、この一発の弾丸こそ敵に最後の止めを刺すのであると赤心こめての作業がつづけられてゐる。さあ我々も敗けてはならない、戦ひはまさにこれからである。日曜も、日曜も献納してこの一戦必勝第三年へ突進しやう。写真はお正月の休みも献納して生産に挺身する産業戦士―陸軍省検閲済―(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月14日(1993号)1943年【1943】寒風に鍛ふ海国日本の海軍魂 七つの海を瞼に舵輪を握る我が海の若人|一片の武装もなく黙々と戦時海上輸送の重大任務を担ひつゝ、空襲下に身を曝し或は敵潜艦に敢然体当りの戦法に出でゝ使命を果す海員魂こそは海国日本が皇軍の武威と共に世界に誇るものゝ一つである。だがこの海員魂は決して偶然に生れたものではない、鍛へに鍛へた鍛錬の賜でありこの魂を受けつぐ可く海の若者達は猛烈な訓練を行つてゐるのである。写真は七つの海を瞼に舵輪を握る商船学校生徒。(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月14日(1993号)1943年【1943】鍛ふ海軍魂 東京高等商船学校の鍛錬を見る|一片の武装もなく、黙々と敵襲下に身を曝して戦時輸送の重大任務に当り一たび敵潜艦に遭遇するや、敢然体当りの戦法に敵を追ふ烈々たる我が海員魂こそ、世界を驚嘆せしめた皇軍精鋭の偉大なる戦果と共に、海国日本が世界に誇るものゝ一つである。今や大東亜戦の勝敗の鍵は全く生産力の如何にかゝり生産力の原動力として船の持つ力は最も重大なものとなつて来たのである。決戦日本の船にこの海員魂こそ頼母しくも力強い限りであるが、この燃える海員魂は決して一朝一夕に成つたものではない。鍛へに鍛へた鍛錬の賜なのである。この鍛錬の道場東京高等商船学校に、先輩の鉄の魂を受けつぐべく、戦時日本の海の若人たちは黙々と火の出るやうな訓練を続けてゐるのである。写真①寒風を物ともせず、操帆作業②燃える若人の眼は精密な機械にそゝがれてる③黙々と基礎訓練を学ぶ若人たち④身を切るやうな寒風に裸身の上半身をさらして、元気な海軍体操⑤甲板清掃作業の若人たち⑥“我は海の子”号令一下、猿の如く縄梯子に走せのぼる(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月14日(1993号)1943年【1943】見敵必墜の闘魂火と燃える 我が無敵陸軍航空部隊の空中大分列式|必勝日本が決戦の闘魂沸る一月六日南に北に敵陣営を圧して無敵の金字塔燦然たるわが陸鷲が必勝の武威を中外に誇示する初飛行帝都訪問の空中大分列式はわが陸軍航空部隊が誇る重爆、軽爆戦闘偵察機等すぐる精鋭五百の鵬翼を連ねていとも壮大に展開、地上の増産必勝に応えて燃える闘魂に「今年も完勝」の決意を漲らせ晴れ渡る大東亜の空に「見敵必墜」の凱歌を謳つた。写真は霊峰富岳の上空を飛ぶ無敵陸鷲の威容。(陸軍省検閲済)(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月14日(1993号)1943年【1943】闘魂火と燃える“空の神兵” 鉄の訓練つゞける海軍落下傘部隊|海軍省提供―海軍省許可済第五七一号飛行搭乗までにはこうした血みどろな猛訓練がつづけられる 上・降下訓練 下・柔緩訓練想ひ起す去年の一月十一日、わが空の神兵が白絹の大輪を真紅に衂り世界驚嘆裡にメナドの空から天降つてより早くも一年、その日多年の訓練をこの一戦にかけて、南の空特有の積雲と猛烈なスコールをくぐつて降下したわが無敵海軍落下傘部隊が独立による敵地上部隊攻撃といふ戦史上かつて見ぬ壮挙を敢行敵蘭印軍を圧倒殱滅するといふ未曽有の大戦果こそ、我が無敵海軍であればこそなしとげた世紀の偉業である、だがこの赫々たる勝利も一朝にしてなし得たものではなく、多年に亘る血の訓練によつてあがなはれた尊ひ成果である。“天降る空の神兵”米英撃滅の最後のその日目指して無敵海軍落下傘部隊の精鋭は、白絹の大輪に闘魂を沸らし、連日鉄火の猛訓練をつゞけてゐる。写真説明①見事に開いた落下傘の花、敵陣目指して猛然降下する海の勇士②眦を決し、まさに降下せんとする一瞬③着陸、直ちに戦闘体形へ④猛然敵陣に殺到する精鋭(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月15日(1994号)1943年【1943】東亜の仇敵米英撃滅を期して|「日華共同宣言」に両国の決戦態勢更に強固|憎むべき東亜共同の宿敵米英に対し盟邦中華民国遂に宣戦布告、ここに両国相携へて共同作戦をとげるに至った。―撃つべし倒すべし人類の敵、東亜の仇、二億中国民衆の怒りはここに爆発して米英粉砕への総進撃だ。米英よ恐れよこの怒りを、重慶よ聴け東亜保衛の真の中国の声を、今こそ全東亜人はこの共同の敵を撃って撃って撃ちのめすの時だ。写真は日華共同宣言調印式後米英撃滅の誓ひを固める汪行政院々長と重光大使。【注記】撮影=南京にて1943年1月9日、南京にて▼人名=汪兆銘、重光葵(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月16日((115号)1943年【1943】寒風吼える北洋の怒濤を衝いて 儼然敵撃滅に出撃するわが艨艟の威容敵米英を七洋に撃砕して無敵の勇名いよ〱轟く帝国海軍が「見敵必滅」の闘魂烈火と燃える決戦第二春、凍る北洋の怒濤を蹴つて我が艨艟は逞しくも進撃する。風よ吼えろ!浪よ怒れ!敵が反撃何するものぞ!見よ!凍りつく北洋の酷寒を克服しつゝ雄々しくも征くわが艨艟の威容を。必勝の意気は天を衝き、必滅の気慨は敵陣営を呑む!写真は凍る北洋を征く我が艨艟、武田海軍報道班員撮影、海軍省許可済第五七一号(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月16日((115号)1943年【1943】断じて勝つぞ!船舶戦! 増産へ必死の我が造船戦士|―海軍省許可済第五七一号―「近代戦争の勝敗の鍵は船舶にある」と言はれてゐる。海上輸送に於ける船舶の待つ力は近代戦に於いては、軍艦、飛行機、戦車と共に重要欠く可からざるものであることは言を俟たないのであるが、海上運送力の増加が造船の急務が叫ばれること、今日程切なるときはない。近代戦は大いなる船舶量を要求すると共に、大いなる船舶を消耗しつゝあるのである。世界第二次大戦勃発当時、即ち一九三九年九月に米英両国が保有してゐた船腹は、二千八百四十万トンであつたが、日独伊の猛襲に依つて喪失せしめられたものは、二千六百八十三万トンに上り、一九四二年十一月までに一千十八万余トンを新造したに拘らず、現在二千百七十三万余トンを保有してゐるに過ぎない。敗戦一年、頺勢挽回に躍起となり、日本反撃の年と呼号するルーズベルトが、今年度千六百万トン建造を豪語しつゝ宣伝これ努め、国内の与論を緩和しやうとしてゐるのも宜なるかなであらう。我等が造船戦士は、敵が必死の船舶増強戦に断じて勝ち抜く決戦必勝の精魂を打ちこめて、一本の鋲にも敵撃滅の闘魂は沸るのである。決戦態勢の生産戦、決戦日本に新年も正月もあるものかと、烈々火と燃える造船戦士の打ちふるハンマーの響きは、寒風荒む大空へ響き渡り、ドッシリと力強い鉄の壁が逞しい力学的な線を描いて次々と虚空にそゝり立つのだ。職場は戦場だ!!燃える産業戦士のこの殉国の魂に我等は無限の感謝を捧げると共に船舶増強の制勝を心から祈つて止まないのだ。頼むぞ!!造船戦士諸君。この願ひこそ銃前銃後一億国民の凝集した祈りである。写真①次々と建造される我等が新造船②寒風の大空に身を曝して増強に挺身する造船戦士③米英撃滅の闘志は火と燃えて、新船建造は一日〱と進む④⑤精魂を打こめて、リベットを打つ造船戦士(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月19日(1998号)1943年【1943】雲海を縫ふ“攻蒋路”を眼下に 儼然、敵陣営を睥睨するビルマ最前線の勇士|ビルマ援蒋ルートを逆に攻撃路と化さしめ緬支国境を一挙に突破、重慶が最精鋭を誇る第五軍を覆滅し怒江を隔てゝ敵第一戦と対陣するビルマ最前線の我が勇士は標高五千尺の山頂に、荒凉たる痩土の物資不足と戦ひ、苛烈な気候に曝され、反攻を呼号する敵のゲリラ部隊を粉砕し、儼然として敵陣営を睥睨、重慶必滅のその日を期して鉄桶の陣を布いてゐる。写真は寒風吹く夜の山頂に儼として敵陣営を睥睨する我が勇士、陸軍省検閲済(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月19日(1998号)1943年【1943】この途は昆明に通じ重慶へ通ず 揺ぎなきビルマ最前線怒江の護り|怒江を隔て、重慶第一戦陣地と対峙する我がビルマ最前線は標高五千尺、重畳たる山嶽と荒凉たる痩土の連続である。苛烈なる気候に曝されたこの山は、現地物資とてほとんどなく、作戦当時は松の実噛ぢり、くるみを採つて飢えを凌いだ。山越すに一日かゝる山また山で、一週間分の食糧品をはこぶに一週間かかつたといふ話はしばしば聞かれ、水とても十キロも後方から運ばねばならず、雨季には鉄兜にまで貯水したとはれる。反攻第二年と呼号、ソロモン海域、アリユーシヤン方面と相呼応して必死の反撃をこゝろみるビルマ最前線怒江の護りは、こうしたあらゆる困苦に堪え、欠亡を忍びつゝビルマ派遣軍将兵によつて揺ぎなき鉄壁の備へに固められてゐる、見よ!あの山腹を縫つて蜿々と連なる途は昆明に通じ、重慶に通ず、我が進攻をおそれて、防備に狂弄してゐる姿が眼前に見られるやうではないが、「命令さへあれば昆明、重慶一押し」といふ兵隊さん、我等はこうして惨苦の日常をつゞけつゝある最前線の勇士を念頭に、聖戦完遂に一切を捧げて進まねばなるまい。写真説明①皇軍陣地より怒江対岸重慶軍陣地を望む左側中山、右側鉢巻山の敵陣地山の中腹を白く帯をひくは滇緬ルート下方左右は怒江の流れである②最前線の我が陣地、前面の敵陣地を睨む銃座③敵陣地を前に怒江の線を挺身活躍する我が勇士④雲南省芒市の町はづれに五日に一度の市が立つ、品物を買ふ兵隊さんを始め農民達、街の支那人、シヤン、はては山の王者カチン族迄顔を出して大賑ひを呈してゐる⑤峨々たる怒山山脈の朝、暁暗を衝いて将兵の朝礼―――陸軍省検閲済―――(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月21日(2000号)1943年【1943】凄絶極りなき無敵海鷲の猛爆下|修羅場と化すポートダーウィン|燃える南の蒼穹を切って“見敵必滅”の闘魂を輝く双の銀翼に乗せ、敵撃滅に敢然と征きに征く我が海の荒鷲の輝く戦果を赤裸々に物語る写真を入手し得た。我が正確なる直撃弾を浴びて修羅場と化したポートダーウィンの凄絶極りなき状況で、左方は爆沈刹那の機雷満載の豪輸送船手前は乗組員救助に狂奔中の英駆逐艦である。写真は無敵海鷲ポートダーウィン強襲=海軍省許可済=近着の米誌より(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月21日(2000号)1943年【1943】同生共死相携へて東亜の仇敵必滅へ! “日華共同宣言”の歴史的調印式|大東亜戦下第二年の春を迎へて皇軍の威武いよ〱振ふ一月九日盟邦中華民国遂に東亜の宿敵米英に対し宣戦を布告こゝに日華両国は同生共死相携へて共同の敵必滅の作戦をとるに至つた撃つべし、倒すべし東亜の仇、人類の敵を中国民衆の怒りはこの一戦に結集し米英撃滅の総進撃だ米英よ知れ中国人のこの怒りを、重慶よ聴け東亜保衛の真の雄叫びを今こそ東亜十億は一丸となつてこの共同の敵を撃つて、撃つて、撃ちのめすのときだ。写真は“日華共同宣言”調印式(向つて左汪主席、右重光大使)(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月21日(2000号)1943年【1943】戦車建造|陸軍省検閲済実に今日の我々に課せられた無上命令は「戦ひに勝つ」こと、これのみである。勝つために一切を集中し、真に己を空しうして唯真一文字に相ともに手を携へて挙国一丸となつて突進する以外に途はないのである。大東亜を毒し来つた宿敵米英を撃滅する為に、第二年目に絶対的に要請されるのは戦力の増強と戦時生活の確立であるとするとき、漸々日を過す論議が、批判が、一体何になるであらう。見よ!我等が生産戦士は、戦力増強の国家要請へ敢然応召し、敵必殺の堅き信念を把握しつゝ、弾を、戦車を、飛行機を、生産するのに精魂を打ち込んでゐるのである。「俺達の造つたこの鉄牛が、メリ〱と敵陣を突破する時のことを想ふと、胸は張りさけん許りの感激に燃え、鋲打ち込む手にも力がこもるのだ。見てくれ、如何なる重量にも耐えて快足を出すこの車輪の逞しい姿を。些少もゆるぎなき無限軌道を。鹿砦も鉄条網もふみにじつて進軍するこの前を何が阻み得やうか。」敵撃滅へ鉄の闘魂燃やす生産戦士の精魂尽した精鋭なる武器は次々と、戦士達の無限の信頼の中に送られて行くのだ。敗けてはならぬこの一戦だ!“総ては勝利の為に”今、黙々と“武器とらぬ我等が戦士”生産戦線の勇士等は心血をとして血みどろの決戦を戦ひ続けてゐる。①次々と生産されて行く無敵鉄牛②火華散らして鎔接作業に必死の戦士たち③増強に挺身する戦車生産工場内部④逞しい戦車の車輪⑤全神経を集中する生産戦士(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月21日(2000号)1943年【1943】黄河々畔、結氷の大曠原を驀地! 敵撃滅へ猛進するわが鉄牛部隊の精鋭|東亜十億の憤怒は遂に爆発した。百年の宿敵米英を撃滅せよの絶叫は東亜の天地に轟き亘り、新世紀へ世界新秩序建設への逞しき進軍は、敵性国家をして周章狼狽の極に追ひつめてゐる。反攻の蠢動来らば来れ!烈々火と燃えて見敵必滅の闘魂沸る皇軍精鋭の忠魂の前に、走狗重慶、何するものぞ!写真は黄河々畔を驀進する我が鉄牛部隊の精鋭。北支軍報道部撮影、陸軍省検閲済、(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月21日(2000号)1943年【1943】東亜の宿敵米英撃滅へ 盟邦中華民国遂に起つ|帝国と同生共死の中華民国国民政府は一月九日断乎として共同の敵米英に対して宣戦を布告、而して帝国は中国が多年に亘つて悩んで来た租界及び治外法権返還撤廃を断行して彼我の不平等を排し、日、華同心一体となつて大東亜新秩序建設戦に一路邁進すべき万全の体形を整へて、人類の敵、東亜の仇米英必滅の総進撃を開始するとともに、米英の走狗となつて支那を滅亡の淵に追ひ込まんとしてゐる重慶政権に対し徹底粉砕の火蓋を切つたのである。米英よ今こそ知れ百年の積悪のむくいを、東亜民族の怒りは一切の障碍を撃ち砕いて、この仇敵必滅へ東亜保衛の大旆のもとの決戦こそ、実に中国民衆が総力参戦を目標に自己の血と汗で祖国の惨禍を清洗すべく聖なる進撃だ、撃つて、撃つて、撃ちのめせこの仇敵を!世紀の和平こそ、彼等を滅亡せしめてこそ始めて生まれるのである。写真説明1 米英撃滅に血を以て勇往邁進せよと絶叫する汪主席2 国軍の精鋭を閲兵する汪主席3 「日華共同宣言」調印式終了後米英必滅の誓ひを固める汪主席と重光大使4 百年の積悪今こそ思ひ知らせと意気あがる上海5 広州中国海軍の精鋭を指揮する薩福■広州要港司令6 国府参戦に湧く上海7 国都南京にあがる米英撃滅の雄叫び(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月23日(2002号)1943年【1943】白魔猛り狂ふ峻嶮の金精峠を突破 闘志漲る陸の精鋭、初の雪中大行軍|決戦の春を迎えて必勝の闘魂愈々沸る無敵帝国陸軍が、陸軍最初の雪中行軍、戸山学校の奥日光雪中踏破行は酷寒の一月十四日より三日間雪氷重疊たる戰場ヶ原から白魔猛り狂ふ峻嶮金精峠を中心に上州沼田へ向けて決行された、標高二千廿四米の雪渓を蹴つて機関銃携行の大部隊の大進軍!これぞ必勝日本が南に北に断乎たる勝利への意志であり、無敵陸軍が確固不抜、必勝の大精神を遺憾なく中外に顯示したのであつた。写真は白魔と闘ふ陸軍精鋭の大行軍(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月23日(2002号)1943年【1943】紙上観戦 大東亜戦下大相撲春場所|大東亜戦下に豪華絢爛の幕開く昭和十八年春場所大相撲は十日を初日に真摯敢闘の火蓋を切つた、前線勇士の闘魂につゞけと凄じくくり展ぐ熱戦に大鉄傘下は決戦色に満ち溢れ東西対抗の星争ひは白熱化し、国技の精魂をこの一番に競ふ力士の敢闘は日とともに昂まつていく①双葉山(吊出し)松の里―六日目②笠置山(突倒し)名寄岩―三日目③増位山(内掛け)前田山―四日目④綾昇(下手捻り)大ノ森―四日目⑤相模川(突出し)神風―二日目⑥若潮(掬投げ)清美川―四日目⑦羽黒山(上手投げ)鹿島洋―五日目⑧増位山(突出し)輝昇―初日⑨安芸の海(外掛け)玉の海―五日目⑩照國(上手投げ)松浦潟―五日目⑪大鉄傘下にくり展ぐ熱戦譜絢爛四横綱手数入照國羽黒山安芸の海双葉山(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月23日(2002号)1943年【1943】燃える南太平洋に必勝の闘魂 我が鉄の浮城上空を哨戒する海鷲の勇姿|敵米英が頽勢挽回を画策して必死の反撃を繰返す南太平洋上、悽愴な死闘激闘は連続してゐるが無敵帝国海軍は沸る必勝の闘魂に撃滅また撃滅、敗戦に足掻く敵陣営を撃碎して勝利の凱歌を奏でてゐる、見よ!敵必滅に翼張る海鷲の哨戒の下、巨砲儼然南太平洋を圧するわが艨艟の出撃!轟々たる爆音は南海の空に必勝日本の進軍譜を謳ふ。 写真は〇〇艦上を哨戒するわが海鷲(南太平洋上にて)寺尾海軍報道班員撮影、海軍省許可済第五七一号(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月23日(2002号)1943年【1943】総ては勝利のために! 総進撃を開始せる共栄圏の女性群|輝しい勝利の一年が過ぎて、大東亜十億民衆の憤怒は凝つて米英撃滅の一点に集中されてゐる。男も女も、武器とる人も、とらぬ人も、共同目標はたゞ一つ、「宿敵米英を討て」の燃えるやうな闘志を以て、明日の大東亜建設へ挺身してゐる姿はまことに頼母しくも力強い限りである。総ては勝利の為に! 勝利を得てこそ、初めて大東亜の真の黎明は来ると胸に刻みつけたこの言葉に従つて、起ち上つた民衆の力こそ、何物にも代へ難い大きな力であらう。明日を目指して起ち上がつた若い共栄圏の婦人たちのこの戦ふ姿を御覧下さい。①南へ〱と進軍する邦人婦人達の姿は目覚しい。こゝ広東では大日本婦人会が中心となつて、この程日華婦人が集つて救急法、防空演習を行ひ、南進日本婦人の意気を示し、その立派な成績は当局からも賞賛されてゐる。②曽つて祖国を見失つた比島では、今大きな自覚の下に着々と本来の比島に帰りつゝあるが、比島婦人は献身的に白衣の天使志願に殺到し、片言まじりの日本語も愛嬌で、一生懸命の奉仕を続けてゐる③褐色のワイシャツに長パンツも颯爽と、共栄圏の一翼担ふタイ国陸軍女子士官学校の生徒として、ピプン首相の愛嬢チーラットさんも、強い決意に燃えて起ち上がつた。④甦る昭南の街で、今華僑の娘たちも日本の鍛錬武具製作に忙しい一針〱こめるこの力が、よしや、小くとも勇士の鍛錬の力は無■の大きさがあらう。⑤「我等の鉄路は我等の手で」参戦に強き決意を示す新生中国の女性も、うら若い身で重い銃を肩にして。婦人警察隊員として沿線の厳戒を続けてゐる。⑥「勝つために」比島原住民たちは今皇軍の指導下に敢然大地に還つて綿の栽培を開始した。この一粒の実の持つ意義は大きい。綿の白い収穫と共に比島人の胸にも大きな実りがあるであらう。⑦ビルマの奥地、シャ■・ステートの首長族シャン族の女たちも生産増強に忙しい。この可憐らしい心根を無駄にしてはならない。⑧泰国の若い女子士官の卵たち。一歩〱ふみしめる大地、キリッと緊きしまつたその横顔に我等は大東亜の明日の希望が力強く感じられるではないか。(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月25日(2005号)1943年【1943】我が制圧下に戦慄しつつ防備に狂奔|断末魔に喘ぐ重慶軍陣地を見る!|援蒋ルートを逆に攻撃路と化さしめ怒涛の如く皇軍の進撃に“恵通橋”を破壊して敗走千里の重慶軍は今怒江を隔てて我が軍と対陣しているが皇軍の進攻を恐れて必死となって陣地を構築兵舎を建て、兵力を増強して断末魔に喘ぐ敗者の姿を如実に見せている。写真は原口山より望遠写真にて距離九二〇〇米の怒江対岸重慶軍兵舎を見る。宇野、小久保両陸軍班員撮影―陸軍省提供―(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月26日(2005号)1943年【1943】二億の憤怒凝集して参戦へ総決起 北京二百万市民の米英撃滅の大進軍|国府参戦。暴戻極りない米英の魔手に飜弄され、悪虐無道の重慶に哭いた無辜の民二億は遂に憤怒した。大東亜の仇敵米英を撃滅せよ!二億の心は燃えるが如き闘志を以て“宿敵撃滅”のこの一点に集中され、新生中国の希望は全くこの一つに凝結されたのである。今こそ知れ米英!大東亜の民の真の憤怒の声を! 写真は北京二百万市民の米英撃滅の大行進。(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月26日(2005号)1943年【1943】燃える北阿戦線| 不法にも仏領北阿に侵入した米英軍に対し我等が盟邦独伊の精鋭はチユニスを中心に神速なる一大反撃戦を展開、熱砂を血に染めて宿敵米英軍を追ふ枢軸軍の鋭鋒は去る十二月五日以来、全く敵を防禦にのみ狂奔せしめ、刻一刻と重要地域を堅固に確保しつゝあり、ルーズベルトが囃し立てゝゐた米英軍の北阿戦線の大勝利も忽ち一転して戦況は日に〱悪化する実情を示す作戦の大失敗に加へて、ド・ゴール、ジローの両傀儡政権をめぐり、米英の反目は愈々露骨化し、敗戦の責任を問ふて軋轢はその頂点に達しつゝあり、必勝の闘魂もて驀進する独伊軍の急速、適切なる鋭鋒の前に、米英北阿派遣軍の運命は愈々迫つてゐる写真① 敵陣に迫る伊軍歩兵部隊② 北阿侵略の英輸送船が枢軸空軍の爆撃に炎上③ 熱砂上を進撃する伊軍最前線④ 前線へ急ぐ自動牽引砲隊⑤ 前線へ〱と急行する独伊快速部隊⑥ 伊空軍の猛射を浴びて撃墜される英爆撃機(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月27日(2006号)1943年【1943】南太平洋戦線の空断乎制圧へ|飛び征く海鷲を見送る南海の基地|南太平洋戦線は今や敵米英軍の必死の反攻に凄愴な激闘を展開しているが、無敵帝国海鷲は執拗なる敵の反撃を撃砕、南太平洋の空を制圧して敵陣営に徹底的猛撃を加へている。今しも基地を飛び立つ僚機に帽子振って征途見送るわが勇士たちの胸には必勝を念じ敵撃滅を誓って熱血は沸る。撃滅へ撃滅へと飛翔する我が海鷲の姿がまばゆい程眼にしみる。写真は海鷲の爆撃行を基地で送る。寺尾海軍報道班員撮影海軍省許可済第五七一号(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月28日(2007号)1943年【1943】剣尖凍る酷烈な寒波に抗して 鉄火の猛訓練を続ける間島特設隊勇士|剣尖も凍る酷烈極りなき氷点下〇〇度の寒波に抗して北辺鎮護の重責に任ずる皇軍勇士の蔭で、雄々しくも共同防衛の剣を磨きつゝある満洲国軍の中にある朝鮮出身の勇士ばかりの間島特設隊を忘れてはならない。満洲国の中核たらんとして、熱烈直撃、困苦欠乏を征服し黙々と鉄火の訓練を続ける勇士等は実に満洲国軍の精鋭として謳はれてゐるのである。 写真は猛訓練する朝鮮出身の我が勇士達。 陸軍省検閲済、(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月28日(2007号)1943年【1943】北辺鎮護に鉄壁の備へ儼たり満洲国軍の精鋭間島特設隊| 日韓併合の大業行はれて三十有余、朝鮮同胞は明年を期し大東亜戦下輝く皇軍の神兵として徴兵の光栄を担ふことゝなつたが、こゝ間島省の一角では既に五年前から朝鮮徴兵制度実施に先駆して民族協和の熱意も固く日満共同防衛の第一線に満洲国軍の精強部隊として日夜鉄火の演練を続ける朝鮮人部隊がある、霊峰長白山の支脈哈爾巴嶺の山懐に抱かれた明月溝にある国軍「間島特設隊」である。それは「間島省内に居住する朝鮮青年により国軍部隊を編成、王道精神を注入し民族協和の急先鋒たらしめると共に日満共同防衛の一翼に参加せしむ」といふ趣旨から間島特設部隊が創設されたのは康徳五年十二月一日のことだつた、支那事変勃発して常に一年、早くも大東亜戦争の暗雲をはらんだ米英の策謀は日に月に熾烈を極め朝鮮に志願兵制度実行されるのを見て脾肉の嘆をかこつてゐた間島省五十万の鮮系同胞は今こそ複合民族国家の構成分子として一死帝恩に奉ずる秋とばかり双手をあげてこれを迎へ在満朝鮮人の名誉にかけて粒よりの子弟を営門に送りこんだ、かくて創設を見た特設隊の面前に現はれた最初の試金石は常時通化吉林、間省に亘つて跳梁してゐた匪団の横行に対し、射撃教育もすまぬうちに勇躍、山岳と密林へ体当りの討伐に出動、そして東辺道、間道一帯に完全に匪影なき今日を招来するまでには十八名の尊き戦死者を出しており、中でも康徳六年八月廿六日には安岡県城北方の大砂子における合流匪賊との遭遇に、たつた一人生き残つた玄鶴春上等兵が百五十発の弾丸を撃尽し銃剣をきらめかして山頂に突撃群がる匪賊を撃退し後援部隊の来着まで四時半、要地を守り続けたといふ事も聞かれ、満洲国の中核たらんとする意欲に燃えた将兵の士気は極めて旺盛にして、国軍精鋭たるにふさはしいものである大東亜戦争の拡大にともない皇軍の威武四隣にとどろくの秋北辺鎮護に鉄壁の“つはもの”の勇武なる姿こそ「真に頼母しい限りである」 写真は酷寒ものかはと猛訓練つゞける間島省特設隊の精鋭 ―軍検閲済―(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月28日(2007号)1943年【1943】総力結集、枢軸経済戦線愈々強化 日独、日伊の経済協定成る!|世界戦局が日独伊枢軸国家群と敵米英の反枢軸国家群との全体的一大決戦の段階に移行したこの重大世界情勢下に帝国は盟邦ドイツならびにイタリア両国との間に二十日、真に総力戦を戦ふに相応しい経済協定を締結、日独伊の紐帯を完璧ならしめると共に大東亜共栄圏建設の基礎を更に強固ならしめた。写真は日独、協定細目取極めの署名を行ふ谷外相とオツト独前大使 外相官邸にて(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月28日(2007号)1943年【1943】断乎・英米撃滅へ!蹶然と起つ中国陸軍|中華民国国民政府は一月九日遂に起つて米英両国に宣戦を布告した。而もこの日、日本が新中国の建設と密接な関係にある租界の還付及び治外法権の撤廃を実行に移し、中国解放の実行者となつた儼たる事実は、中国の復興、大亜細亜主義の実現、新中国の建設に画期的巨歩を進発したものであり、新中国の決戦決意は愈々烈火と燃え盛り、必勝の闘魂は大東亜の天地を衝いて爆発したのであつた。 このとき精鋭三十万、さきに昭和十五年三月南京還都以来、武力強化に全力を傾注した中国国軍が汪主席のもと儼たる威容に敵陣営を呑む! 逞しき哉中国国軍、同生共死に聖戦完遂を目指す国軍の精鋭は今ぞ蹶然起つて米英撃滅に重慶撃砕に突撃する! 写真説明①決戦に必勝の闘魂燃やし猛訓練する中国国軍の精鋭②敏速活溌な射撃訓練にいそしむ国軍砲兵部隊霰③凛たる必勝の決意を眉字に敢然と起つ国軍陸の精鋭④猛射! 猛射! 急霰豆を焙るやうな機銃部隊の猛訓練⑤突撃だ、軽戦車につゞいて国軍精鋭は敵必滅の猛練磨励む。⑥木銃執るてには一人の弱兵も残さぬ峻烈さが漲る⑦学科の教育にも実科に劣らぬ真摯な必勝の決意が溢れる⑧厳寒の練兵場一杯に国軍必勝の精気養ふ精鋭の猛練磨。(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月30日(2009号)1943年【1943】盟主日本の海軍と協同のもと|儼然敵陣営を呑むタイ国艨艟|日泰が固き同盟の契りに米英撃滅、大東亜共栄圏確立の聖なる戦ひを遂行しつつあるとき新興タイ国の海軍は「国家」「勇気」「名誉」「訓練」の四ヶ条をその必勝への指導精神として鉄火の猛訓練を展開、盟主日本の海軍と協同のもとタイの護りをがっちりと引受けている。巨砲儼として敵陣営を呑むタイ国の艨艟、而も南海に活躍するタイ国海軍には炎暑を克服、断乎敵撃滅への意気が脈々と波打っている。写真は儼然敵を呑むタイ国艨艟の主砲=海軍省検閲済(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月30日(2009号)1943年【1943】戦略的優位のもと断乎米英を撃砕せんと|病む東條首相・議会再開の劈頭に大獅子吼|一億国民が決戦の闘魂沸る一月二十八日、第八十一通常議会再開の日を迎へて病む東條首相は病躯をひっさげて登院、貴衆両院本会議の劈頭を飾って決戦連続の現段階に処すべき内外万般に亘る劃期的施政方針演説を獅子吼戦略的優位既に完成、盟邦諸国との提携愈々固きを述べたのち、南方諸地域に対する帝国の刮目すべき大方策を率直に闡明、皇国必勝の確固たる所信を披瀝して絶大なる感銘を与へた。写真は貴族院壇上・皇国必勝を大獅子吼する東條首相。【注記】東条英機首相の後方は松平頼寿貴族院議長▼撮影=1943年1月28日(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月30日(2009号)1943年【1943】南太平洋の空に敵空軍を撃滅 勝利の海鷲帰還に歓喜湧く南の基地|日米決戦の主戦場南太平洋の第一線の空を蔽つて彼我航空戦は連日悽愴な激闘を展開してゐるが、無敵帝国海鷲は必殺の闘魂烈火と燃えて執拗なる敵の反攻を撃砕、世界戦史にも比類なき凄絶な勝利の記録をうち樹てゝゐる。今しも勝利に羽搏いて帰還するわが海鷲の翼は弾痕に彩られ、迎へる地上整備員の眼は歓喜に洇ぶ。撃滅へ!必勝へ!沸る勝利への闘魂は南海の基地に輝く太陽よりも強く逞しく燃えさかる。 写真は椰子繁る基地に還る海鷲と整備員。寺尾海軍報道班員撮影。海軍省許可済第五七一号。(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月30日(2009号)1943年【1943】“東亜の保衛”へ蹶起せる中国海軍中国海軍| 同生共死の誓も固く、日本と共に東亜の敵米英を撃滅せんと遂に蹶起した中国…二億の憤怒はこの一点に凝集し、今、高らかに打倒英米、東亜保衛への進撃する中国民衆の雄叫びこそ、阿片戦争以来の怨恨に悲憤した真の中国の叫びでなかつたか!見よ過ぐる日、画期的強化を断行した国府軍の準備は全く成つた。枢軸盟邦と手を携へて堂々の総進撃あるのみである。帝国海軍を兄として黙々と鍛へに鍛へ来し中国海軍のこの勇姿に米英何する者ぞの大いなる自信と意気が凛として、江上を圧してゐるのである。 写真①寒風を斬つて閃めく指揮刀、江風に飜る颯爽たる中国海軍の軍艦旗②米英何するものぞの決意を眉宇に巨砲の槓杆を握る中国海の若人③命令一下出撃の準備全く成る艦の動脈機関室に猛訓練を続ける機関兵④江風を一杯に受けて僚艦に信号する手旗信号兵(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月30日(2009号)1943年【1943】共栄圏北辺鎮護の第一線に挺身 厳寒と闘ふ我が関東軍戦車隊の勇士|酷寒零下四十度ものみな凍る北満の大雪原に北辺の鎮護儼たるわが関東軍鉄牛部隊の精鋭は黙々鉄火の猛錬磨に励む、見よ!南方戦線に戦ふ戦友に呼応極寒に挑んで無限軌道の結氷をたゝきわるわが鉄牛隊員の凛烈たる姿を!凍る手先には皇国必勝の闘魂が漲り、鉄壁鎮護への意志は脈々と北満昿野の朔風を衝く!儼たる哉北辺の護り、かくてこそ皇国必勝の陣は固し! 写真は北満に厳寒と闘ふわが戦車隊員、関東軍報道部撮影、陸軍省検閲済(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月30日(2009号)1943年【1943】我等はかく平和な生活を送つてゐる 米英俘虜戦ふ日本へ感謝の一役| 平和の仮面をかなぐり捨て、飽くなき残虐の魔手を米英在留邦人にふるつてゐる敵米英の正体は、日とともに白日の下に曝され、月とともに枢軸各国はもとより全世界から轟々たる反撃非難を浴びてをり、今や彼等反枢軸国の内部からさへ非難の声が起りつゝあるが、これに反してわが方に抑留の敵国人はもとより、香港、マライ、比島をはじめ南方各戦線でわが軍門に降つた俘虜達は儼然たる道義に基く公明正大な取扱ひをうけて内地、朝鮮、台湾をはじめ各地の俘虜収容所に収容され、生命と給与との完全な保証のもとに感謝の日を送つてゐる。亦之等の俘虜は適当な賃金によつて各種労務に就役、土木工事、荷役運送、工場労務につき最初における言語の不通、仕事の不馴れ、疲労等からくる作業能率の低下も現在では着々と向上、日本人労働者の六、七割の仕事によつては八、九割に達してゐる。しかしながら我等はこゝに見た嘗つて東亜を我が物顔にふるまつた彼らの敗者の姿こそ明日の米英の末路でなくてなんであらう。彼らはこうして我々東亜人によつて明日の途が与へられつゝあるのである。断じて勝たねばならぬ大東亜戦、この敗者の姿を肝に銘じて勝つて、勝つて、勝ち抜く日迄総力をあげて邁進しよう写真説明①工場に行く俘虜達 ②架橋作業中の俘虜 ③土木工事に就く俘虜 ④“我等はこうして平和な日常を送つてゐる”と故国へ放送する天津マリン隊長フラン少佐 ⑤工場に働く俘虜陸軍省検閲済(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月31日(2010号)1943年【1943】決戦議会の真姿を発揮して快速審議|予算案の説明に熱弁振ふ賀屋大蔵大臣|一億が決戦必勝への大進軍の実を挙げんとする第八十一議会再開の第二日東條首相は病気のため欠席したが、内外の視聴をあつめる貴衆両院は、益々緊張の度を高め、殊に衆議院では百億に垂んとする昭和十八年度総予算を検討すべき予算総会を開催、賀屋蔵相より予算案等に関する説明あり文字通り決戦議会に相応しき快速調の審議ぶりを展開した。写真は衆議院予算総会における賀屋蔵相の説明。【注記】撮影=1943年1月29日▼人名=賀屋興宣(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1943年) 1月31日(2010号)1943年【1943】酷寒の北洋を戦場に不断の護り|黙々結氷の甲板上に活躍する海の勇士|寒風は凛烈として吹き荒び、物みな凍る北洋の涯に、灰色の空を暗緑色の大海原に自然の猛威と戦ひつつ、敵撃滅に必勝の信念を漲らして黙々と活躍を続ける海の勇士の尊い姿それは南海に不滅の戦果をあげ、無敵帝国海軍の勲を輝かせたものこそ、かく北洋の護りあってこそである。写真は結氷の甲板上に活躍する海の勇士―武田海軍報道班員撮影海軍省許可済第五七一号(公開Ⅰ期)