更新日 : 2024/03/19 

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同盟通信写真ニュース(1940年) 1月1日(0994号)1940年【1940】皇風万里尚武之春|勝って兜の緒を締めよ(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 1月5日(0996号)1940年【1940】紀元二千六百年の朝を迎へて聖峰高千穂を拝する日向乙女(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 1月9日(0998号)1940年【1940】北欧の平和よ何処へ|スウェーデンも総動員|一九四〇年三大戦の一つ蘇フ戦争が世界の視聴の中に白雪の戦場を真紅の血汐に彩りつつ両国は必死の攻防戦を続けているが、殷々たる砲声の中に北欧の平和は全く動乱の渕へと急転し、平和の国瑞典も余儀なく総動員を敢行、ストックホルムを中心に雪中の猛訓練が続けられている。写真はスウェーデンが誇る三十七ミリ砲を搭載、時速二十八哩の快速を有する戦車隊。(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 1月9日(0998号)1940年【1940】聖戦第四年の初春を迎へ|故国に遥拝する皇軍部隊|聖戦ここに第四年、敵が大声呼号する冬季攻勢も空しく、皇軍の鉄蹄下に粉砕せられ、四離滅裂の烏合の衆にも似た敗敵群は右往左往し、ただ我が包囲圏内に殲滅さるるの運命を辿りつつある時、曽つては敵の首都たりし南京城頭高く、翻る日章旗の下、新東亜建設の旗幟も高らかに故国に遥拝する皇軍勇士の感激は正に筆舌に尽し難いものがあるであろう。写真は南京城に於ける皇軍勇士の遥拝。(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 1月13日(1002号)1940年【1940】東西制復活の興味一入|早くも沸く初日の大鉄傘|前相撲午前二時、東西対抗返り咲きの初土俵は紀元二千六百年の春場所である。「国技の精華は銃後の慰安」今年から変った館内装飾のスローガンの下で、いよいよ東西対抗戦に入らうと云ふ中入恒例の初日の挨拶があり、国歌奉唱、宮城遥拝、戦没英霊並びに皇軍将兵に感謝の黙祷があってのち双葉山が賜盃と優勝旗を返還した。写真は双葉山の土俵入り。【注記】撮影=1940年1月11日(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 1月13日(1002号)1940年【1940】雪の森林地帯に神出鬼没して|フィンランド軍善戦|消耗戦から一挙対芬殲滅戦行動を起したソ連赤軍は意外にも芬軍の頑強な抵抗に戦果あがらず、芬軍は悪天候を利用してソ芬国境附近の森林沼沢地帯に神出鬼没の得意の奇襲戦術を展開して善戦しているので、これに悩まされる赤軍は最近対芬軍の編成を替へたと伝へられ、新作戦行動を起すものと見られている。写真は白服にカムフラージュして雪の森林地帯を前進する芬軍。(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 1月17日(1005号)1940年【1940】悠々組閣の秘策を練る|提督宰相、出陣の朝|陸から海へ、事変処理の重大バトンを阿部内閣から引継いで颯爽たる歩みも力強く米内海軍大将が登場し来った。皇紀二千六百年の新春、辰年生れ今年六十一歳の提督宰相ががっしりとしたあの両肩に東亜の曙光と政局安定を担ふて海の総理は愈々起ち上った。写真は悠々組閣の秘策を練る米内さん。【注記】撮影=1940年1月14日もしくは15日▼人名=米内光政(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 1月17日(1005号)1940年【1940】仏軍の防御砲火を物ともせず|敢然、空爆に向ふ独空軍|降雪と共に雪の独仏国境は愈々固定化し何等の進展を見せてはいないが海と空の争覇は日一日と激甚さを加へつつあり、その猛翼を世界に誇る独空軍の精鋭は、屡々雲の切れ間から姿を現し、仏軍防御砲火をくぐり抜け果敢なる攻撃を続けている。写真は弾幕をくぐり抜け英仏陣地空襲に向ふ独空軍。(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 1月30日(1016号)1940年【1940】皇軍破竹の進撃に|虎の子の敵戦車群潰滅|雪崩を打って猛進撃を続ける皇軍の前進を阻止すべく、虎の子と敵が恃む重砲隊戦車隊と近代兵器を前線に送ったが、我が勇士たちは好餌と許り、これを迎へ、必殺包囲の陣の中に誘ひ込み、完全にこれを壊滅させつつあり、重慶政府の失望はその極に達しつつありと言はれている。写真は南支戦線に送られるソ連製の戦車隊。(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 2月2日(1019号)1940年【1940】白一色の西部戦線|降雪に悩む仏国空軍|六十五年来の猛寒波に襲はれている欧州は、加へて降りしきる大雪に悩まされて火と燃える西部戦線も全く白一色、白銀の戦場と化し、ジーグフリードの堅塁もマヂノ地底の鉄城も白雪の下に姿を隠して仕舞ひ、欧州大戦は凍結した感がある。写真は降雪に悩む仏国空軍根拠地。(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 2月2日(1019号)1940年【1940】デマ宣伝の粉砕へ|新考案の風船宣伝戦|冬季攻勢も全く失敗に帰している敗戦支那軍の唯一の抗戦、悪辣極り無きデマ放送、デマ伝単の宣伝を粉砕しやうと皇軍勇士はこんな宣伝戦術を考案した。即ちゴム風船に投降勧告ビラを附け風のまにまに敵陣地へ飛ばそうと言ふ名案で先づその第一回は〇〇に於いて試みた。写真は勧告ビラ附きの風船を飛ばす勇士達。(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 2月6日(1022号)1940年【1940】豪州では飛行熱旺盛|女鳥人目指すコムパクト部隊|英本国に相呼応して豪州でも軍備に整備に大童となり、陸に空に海に物すごい迄の拡充を行ひつつあるが、一般にも軍国熱が旺盛となり、シドニー近郊の婦人連中も一生懸命飛行機操縦術の教練に余念なく、女鳥人を目指してコムパクト部隊は猛進軍を続けているとのことである。写真は操縦を教はるシドニーの婦人達。(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 2月6日(1022号)1940年【1940】風雲孕む白亜の殿堂|斎藤旋風の進路何処へ!!|民政党代議士斎藤氏の質問演説中に発した重大失言に依り、俄然白亜殿堂は大旋風に見舞はれ、総理、陸、海両相の演説、斎藤氏の党籍離脱から、懲罰委員会へと発展、折柄の初雪に装われた議事堂の内外は緊張その極に達し、斎藤氏の身辺進退をめぐって風雲愈々急迫の感がある。写真は斎藤氏をかこんで会談する民政党代議士連。【注記】中央着席が斎藤隆夫(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 2月9日(1025号)1940年【1940】寒風吹き荒ぶ海上に|瑞典海軍の猛訓練|戦雲乱れ飛ぶ北欧に、遥か蘇芬の殷々たる砲声を聞きつつ、更に英仏対独の対立に悩む瑞典は文字通りの非常事態勢を取り、陸に空に海に、見事な訓練ぶりを続け、就中、五十六年来の寒波襲来の厳寒の海上に瑞典海軍は必死の演習を続けている。写真は猛演習を行ふ瑞典海軍。(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 2月9日(1025号)1940年【1940】白雪のオルドス大沙漠へ|我が陸の荒鷲、空爆敢行|隠忍実に二年有余、遂に赤色ルートの要衛五原を中心にオルドス大高原に蠢動を続ける傅作義軍に対する大鉄槌は下され、北は陰山々系山麓より南は白雪煙るオルドス大沙漠地帯を進撃する皇軍陸上部隊に相呼応し、陸の荒鷲部隊は零下実に三十有余度の寒風を衝いて壮絶極りなき大空爆を敢行した。写真はオルドス空爆に向ふ我が陸の荒鷲。(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 2月13日(1028号)1940年【1940】肇国の聖統ここに二千六百年|歓喜の至情、津々浦々に漲る|天壌とともに窮みなき国、万邦無比、肇国の聖統ここに二千六百年、深遠なる肇国の御精神継ぎ継ぎていまここに迎へる昭和十五年二月十一日、一億同胞が感激の眸を光らせてこの佳き日を寿ぎまつる歓喜の至情は全国津々浦々大陸の涯までも漲りわたったのである。写真は二重橋前に聖寿万々歳を寿ぎまつる帝都女学生の旗行列。【注記】撮影=1940年2月11日(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 2月13日(1028号)1940年【1940】聖峰旭日に映ゆ|雲表に聳ゆる高千穂の峰|輝く二千六百年の佳節を迎へて建国の聖地日向の地は春未だ浅き寒梅がほのかに匂ひ、高千穂の霊峰は純白の衣をまとひ銀色輝かしい雄姿は、雲表高く聳え立ち、紀元の旭光、燦として一入映え亘っている。写真は浄雲に包まれた高千穂の霊峰。(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 2月14日(1029号)1940年【1940】瑞気漲る聖地橿原神宮に 荘厳極りなき紀元節式典|一億国民が只管に待つた感激限りなき栄光燦たる皇紀二千六百年紀元節この日聖地橿原神宮を囲む連山の春雪は一入清々しく、宮柱太しき大前には瑞気漲り、午前九時から神殿に勅使参向例祭を午後二時から愈々紀元二千六百年紀元節祭の盛儀が荘厳に執り行はせられた。写真は三島供進使幣帛を奉じて幣殿に参入。(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 2月15日(1030号)1940年【1940】輝しき収穫を残して 神宮冬季大会スキー競技終る|第十回明治神宮国民体育大会冬季部スキー競技並びに第十八回全日本スキー選手権大会は高田市金谷山スキー場に於ける耐久競走、男子中等学校府県対抗リレーを最後として五日間にわたる競技を終了、ここに戦時下日本のスポーツ界に輝しい記録を残して閉幕となつた。写真は高田女学生達の美しいスキー大行進。(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 2月17日(1032号)1940年【1940】我が鉄壁の殲滅陣に|敵西北党軍の拠点完全覆滅|骨まで凍る酷寒の蒙古大平原をまっしぐらに傅作義、馬占山等の蟠踞する根拠地を覆滅すべく大進撃を開始した皇軍の各部隊は驀進に驀進を続け、早くも臨汾西北三十五キロの善墟を抜き、ここに敵が豊倉と恃む西北拠点を完全に占拠したのである。写真は蒙古平原を行く皇軍精鋭。(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 2月17日(1032号)1940年【1940】満州国軍の精鋭を動員|最初の空陸対抗大演習|満州国が誇る空と陸の精鋭を動員し、この程、最初の防空部隊連合演習が新京西北郊〇〇一帯を中心に於て行はれ、殷々たる砲声は厳寒の大地に轟き、力強きエンヂンの快調音は蒼穹を切るの壮絶無比なる立体戦が展開された。写真は国軍高射砲隊の活躍。(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 2月22日(1036号)1940年【1940】優しい慰問の歌に|嬉ぶ白衣の勇士たち|遠く故国を離れた病棟に白衣に包まれて、名誉の負傷を癒す勇士たちを慰問すべく旅立った小林千代子さんは北支〇〇病院を訪れ、歌や踊りで勇士たちを嬉ばせ、小春日和の病棟の前で記念撮影など、楽しい慰めの一日を送った。写真は小春日和の病棟の前で慰問の歌を唄ふ小林さん。(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 2月22日(1036号)1940年【1940】総攻撃の日に備へて|大童の英国航空陣|永い冬の沈黙を続けていたマヂノ・ジーグフリードの両要塞も来る春と共に漸く活発な活動を見せんとしているが、この総攻撃の日に備へて、各国は軍備の整充に大童となり、物すごいモーターの唸りとび散る火華は朝から夜中まで続いている。写真はつぎつぎと完成せれる英国空軍の新鋭爆撃機。(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 2月25日(1039号)1940年【1940】百三億の興亜の大予算|無疵で衆議院を通過|予算総会で可決された明年度予算案は二十二日の衆議院本会議に上程されたが予算総会決定通りに可決、茲に百三億に及ぶ興亜の大予算は無疵のまま衆議院を通過、総起立した出席議員の拍手鳴り止まぬ中に、居並ぶ諸大臣の顔にサット喜びの色が浮んだ。写真は喜びの大臣連。【注記】右から3人目は米内光政首相、その左は桜内幸雄蔵相▼撮影=1940年2月22日、院内大臣室で(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 2月25日(1039号)1940年【1940】英国でも燃料節約|艶やかな樵夫出現|戦線に活躍する男子に代って英国では銃後婦人たちの目覚ましい活動が始っていますが、この頃では樵夫の代用品として艶やかな伐木部隊が勇しく白雪を蹴って森林に突進すると云ふ、いとも天晴れな風景が倫敦郊外に見られるそうです。写真は艶やかな俄か樵夫たち。(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 3月1日(1043号)1940年【1940】大陸でも桃の節句|日支親善の雛まつり|汪精衛氏の新政権成立近しの報は大陸の隅々まで歓喜を漲らして、日支親善風景が到る処で展開されているが、日本の桃の節句お雛まつりも行はれ、日支の主客が仲善く、雛を並べる睦しさも見られるこの頃となった。写真、日支親善の雛まつり―東城所見―(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 3月1日(1043号)1940年【1940】飛翔する要塞|英国の誇る哨戒爆撃艇|独逸空中艦隊の恐る可き威力と海の牙狼Uボートの跳梁から本国を守り通さねばならない英国海軍は凡ゆる近代科学陣を動員して水も洩らさぬ警戒陣を張っているが、更に空の新鋭哨戒爆撃艇隊を配備し万全の策を講じている。写真は飛翔する要塞、英国の誇る哨戒爆撃艇の内部。(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 3月5日(1046号)1940年【1940】広東に咲く桜花に|心を慰す白衣の戦士たち|東亜新秩序建設の聖戦途上に名誉の戦傷を負へる身を、或は戦病と闘ふ身を、異境の地に医やす白衣の戦士たちも、来る春と共に、広東に咲き初めた桜花の姿に故国の春を憶ひ、再起の希望を強く胸にして戦線に立つ明日の日を待っている。写真は広東で今、満開の桜花の下で楽しむ白衣の勇士たち。(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 3月5日(1046号)1940年【1940】我が吉野部隊の精鋭|敵共産軍兵舎を急襲|江南の南渡鎮に蟠踞蠢動を続ける敵共産軍新四軍に対し、去る二十五日我が吉野部隊は、突如!!本拠兵舎を急襲し、猛射につぐ猛射をつづけ、立ち上る紅蓮の炎と共に、完全にこれを壊滅せしめた。写真は炎上する敵兵舎に突入する吉野部隊。(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 3月9日(1050号)1940年【1940】蜿蜒実に五百余哩|英本土を守る機雷群|英本土東海岸の海面深く無気味に沈黙する機械水雷の数は正に天文学的と云ふべき数字を表し、幅は約三十余哩、長さは実に五百余哩の広範囲に敷設せられ、海面上よりの本土襲撃に備へていると云はれている。写真は、英本土を守る敷設機械水雷の山。(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 3月10日(1051号)1940年【1940】旗、提灯、歓呼の人波 大南京還都の喜び急調|久しぶりに春陽燦と輝く大南京の五日から開始された大民会主催の還都宣伝週間、待ちに待つたやうに市民たちは手に手に旗を持ち、夜は煶燈の灯の波と還都の歓喜を爆発させ、華々しい行事が次から次へと展開し快い行進曲のメロデーと共に春に先立つ南京は今更生首都南京の喜びは絶頂に達しつゝある。 写真は大民会婦人たちの宣伝ぶり。(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 3月10日(1051号)1940年【1940】国内戦線の整備へ 英皇帝、婦人労働者を激励|春と共に愈々活況を呈して来た欧州大戦に備へて各国共に緊張し切つてゐるが、英皇帝皇后両陛下は直き〱に某軍需工場に成らせられ、親しく婦人労働者の勤務ぶりを御視察、更に激励の言葉を与へられた。写真は軍需工場御視察中の英皇帝皇后両陛下。(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 3月14日(1054号)1940年【1940】野戦料理で祝ふ|南京の陸軍記念日|聖戦下異境に迎へる陸軍記念日、南京では各将星遠乗会を行ひ、紫金山上にて、西尾総司令官板垣総参謀長以下野戦料理で心許りの祝ひをした。写真は西尾総司令官と板垣総参謀長。【注記】撮影=1940年3月10日▼人名=支那派遣軍総司令官・西尾寿三、同総参謀長・板垣征四郎(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 3月14日(1054号)1940年【1940】陸軍記念日の北京では|姑娘部隊、勇士を慰問|陸軍記念日を迎へた北京では、市教育局が市内公市立女子中等学校代表生徒を集め北京〇〇病院の白衣の勇士達の慰問を行った。写真は姑娘部隊の白衣の勇士慰問。【注記】撮影=1940年3月10日(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 3月15日(1055号)1940年【1940】熱血の汪宣言と相呼応して 米内首相帝国方針を宣明|中央政治会議を目前に控へて汪氏の熱血ほとばしる宣言に相呼応して米内首相は帝国不動の方針を声明し善隣友好、共同防共、経済提携の三原則を提唱、新中央政府の発足に絶大なる光明を点じて東亜永遠の平和の大道を喝破した。 写真は院内大臣室にて決意をのべる米内首相。(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 3月16日(1056号)1940年【1940】革命の父孫文逝いて十五年 南京中山陵に盛大な式典|革命の父孫文が燕京の客舎に波瀾の生涯を閉じて以来十五年の星霜が早くも過ぎた。去る十二日、意義深き新政府誕生を前にして喜びの各要人有志等、南京中山陵に詣で静かに眠る巨星の霊に額き、尽きざる感激の黙祷を捧げた。 写真は孫文の霊に額く褚民誼氏。(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 3月17日(1057号)1940年【1940】時代の寵児国産の粋を一堂に 工作機械工業振興展覧会開く|軍の戦闘力と全産業との基礎をなすものは工作機械である。今や日本は興亜の聖業遂行に総国力を動員し軍備の充実、重要物資生産拡充の完璧を期すの緊急重大事に際し商工省では国産工作機械工業の更に一段の改善発達を計ると共に其知識を普及するため国産工作機械の粋を一堂に集め三月十五日より二十四日まで芝区海岸通一丁目東京府立工業奨励館に於て工作機械工業振興展覧会を開催一般に公開した。写真は同展覧会場と参観中の陸軍造兵廠長官小須田中将。(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 3月19日(1058号)1940年【1940】帝都に侵入の便衣隊|天然痘撲滅へ必死の活動|次々と帝都市民に脅怖を与へている天然痘の発生に、防疫陣は更に強化し、水も洩らさぬ完璧の科学陣を布いて、無気味な便衣隊の脅怖を一掃すべく猛活動を開始している。写真は大童の種痘陣。(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 3月19日(1058号)1940年【1940】新政権誕生と相呼応し|南支の残敵、大掃蕩へ|更生首都南京に輝しき新中央政権の成立愈々近日中に迫っているとき、我が南支派遣軍は断乎、南支那一帯の残敵掃蕩を開始し、所在の敗残兵どもに大鉄鎚を下しつつある。写真は中山県県城に入城する皇軍部隊。【注記】撮影=1940年3月9日(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 3月20日(1059号)1940年【1940】春暖の今日この頃 魚釣に興じる勇士たち|三度目の春麗かに中支應城附近にも訪れ、楊柳の芽もふくらむ此の頃遥かに新中央政権成立の報を聞きつゝ勇士たちは、勤務の余暇を割いてはクリークに糸を垂れ、僅かに無聊を慰めてゐる。写真は應城附近、クリークで魚を釣る勇士たち。(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 3月20日(1059号)1940年【1940】新政権樹立を間近に 在阪華僑の新国旗註文|新政権樹立を間近に控へ、在阪三千華僑が当日、旗、煶燈牛列を行ふべく中華総商会では其の準備に忙殺されてゐるが、市内の旗店へ先づ新国旗一千五百本を註文、新中央政府成立の公報あり次第、在阪名士二千名を中央公会堂に招待して慶祝大会を催すことに決定した。写真は大童の大阪市内の旗店。(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 3月21日(1060号)1940年【1940】桃の花もほころび|春、中支の戦野に酣|荒れ果てた中支の戦野にも春が来た。桃も梅も、ほのかな香を春風に乗せて訪れ来る。戦塵にまみれた鬚ッ面に吹く風は薫しく、警備に立つ民家の屋根から見えるは総てこれ、花、花、花、春は正に中支の戦野に酣である。写真は桃の花と兵隊―中支戦線にて―(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 3月21日(1060号)1940年【1940】春の総攻撃めざして 独空軍、大童の活躍|春季の大決戦は米国の和平提唱にも係らず一歩々々と近づきつゝある模様であるが、独空軍はこれに備へて着々と準備しつゝあり、某飛行根拠地には大小の爆弾が山と積まれてゐる。写真はどし〱と運び込まれる爆弾の山。(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 3月23日(1061号)1940年【1940】新政府生む大使命を担ふて 歴史的中央政治会議開幕|新中央政府を生み出す歴史的重大使命を帯ぶる待望の中央政治会議は廿日午前十時より還都に湧く南京に於て開催され、汪氏主宰の下に国民党代表十名、臨時、維新両政府代表各五名、蒙彊代表二名、国家社会党中国青年党各代表二名、無党無派四名、欣喜参集して、新中央政権樹立に関する重大協議を開始した。 写真は汪氏の第一声。 南京―福岡―東京 同盟機空輸―(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 3月23日(1061号)1940年【1940】南京入り汪精衛氏等 中山陵孫文の霊に礼拝|歴史的巨歩を南京に印した汪精衞氏以下の中央政治会議委員一行は中山陵に参拝、故孫文の霊に親しくこの喜びを報告し、更に建国の誓ひを堅く固め、感激にふるへる頬を紅漲せしめて各委員は退出した。写真は中山陵に参拝する汪氏以下各委員(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 3月24日(1062号)1940年【1940】動乱下に見る|独、仏両国の婦人二態|国を挙げて戦ひつつある独仏両国に於ては、男子と云ふ男子は前線に送られ各都市は殆んど婦人に依って留守を守られているが、戦時下に見る婦人の生活様式は夫々の特色を現している。写真(右)独逸では先ず健康とあって、寒波も何のその、体育第一、雪の上を馳け廻っている伯林ッ子。(左)仏国では先づ服装、非常時には非常時の服装をと、アチラ式のモンペが出現、前に電灯、後には瓦斯マスクの、天晴れな姿の巴里ッ子。(公開Ⅰ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 3月24日(1062号)1940年【1940】中央会議円満裡に終了 早くも国民政府の陣容成る|歴史的な中央政治会議は中央政府樹立の目的を以て三日に亘り討議されたが円満裡に議事を終了、五院長、各部長の重要人事は決定され、此処に国民政府の陣容は成り、廿二日午前十時四十分、汪精衛氏の閉会の辞に依つて最後の幕を閉じた。写真は本社トーキーのマイクの前に於て決意を述べる汪氏。(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 3月26日(1063号)1940年【1940】微笑を乗せて走る洋車 還都に湧き立つ南京の人群|歴史的な中央政治会議は世界注視の中に円満に総ての議事を討議して閉幕となり、愈々還都を待つのみとなつた南京市は歓喜に燃える市民の群で、街といふ街は微笑洪笑の爆発で、走る洋車の上にも春を告げる麗しい笑の影が過ぎて行く。写真は歓喜に湧き立つ南京市内所見。(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 3月26日(1063号)1940年【1940】ソ連の南下を警戒し 厳重警備に就く英駐屯軍|ソ芬戦争をして簡単に再起あたはざる致命的な屈辱的な条約を以て芬蘭を和平せしめたソ連の目指す次の地点は果して何処であろうか?一挙南下して印度カイバーに迫るか世界の目は再びソ連の方向に向けられてゐる。写真は印度カイバーの北西国境を厳戒中の英国印度駐屯軍戦車隊。(公開Ⅱ期)
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同盟通信写真ニュース(1940年) 3月28日(1065号)1940年【1940】東洋に飜るユニオン・ジャツク 香港に咆える英国要塞砲|東洋のジブラルタル、香港の英国海軍根拠地は鋭意支那苦力を鞭打つことに依つて完成した。本国に於ては全力を挙げて独逸と戦ひつゝあるとは言へ、東洋を忘れてゐるのではない。戎克の帆の過ぎ行く影に秘められたる巨砲は火を吐く可く待機しつゝあるのだ。写真は火を吐く香港英国海軍根拠地の要塞砲。(公開Ⅱ期)