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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第一節 終戦と区内の変化(735頁) | ...京都の渉外部では特別建設事業所を設置してその設営建設に当つた。ここで一言すべきは成増飛行場跡のグラントハイツの建設である。グラント・ハイツグラント・ハイツは戦時中の飛行場...
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練馬区独立十周年記念「練馬区史」(昭和32年刊行)
| 第二節 消防 二 本区消防史(1210頁) | それと同時に旭町(旧成増飛行場跡)に米国駐留軍宿舎(現グラントハイツ)を建設するため消防施設の必要に迫られ、関...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第十一節 学童疎開(770頁) | ...状態におかれていた。○当石神井地区は焼夷弾こそ受けなかったが、中島飛行機製作所や成増飛行場等爆撃の余波を受け頻りに爆弾投下を受けるに至った。(『石神井小学校七十七年史』)...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第一節 戦時体制の下で(843頁) | ...われはじめ、建てものの取り壊しが進められている。本区域内ではこれとは別にいわゆる成増飛行場建設にともなう同地域(旧グラント・ハイツ、現光が丘)からの強制(有償)立ち退きが...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第二節 東京空襲(845頁) | ...、上石神井には電波兵器学校、関町には中島飛行機の宿舎等があり、現在の光が丘一帯は成増飛行場となっていた。それに練馬駅北側には当時の鐘紡練馬工場もあって、軍需工業の一翼を担...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 文献目録(1236頁) | ...記念)内田喜太郎昭8中新井村役場中むらの昔1・2菅原シゲ子昭51・52菅原シゲ子成増飛行場と飛行第47戦隊神原敬文・山田剛久昭55練馬区立石神井中学校文化祭三年有志日本地...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第八部 年表稿(1293頁) | ...と改称) ・1 警視庁、不良徴用工二一〇人に成増飛行場建設作業場で特別錬成を実施 11・13 ...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第八部 年表稿(1296頁) | ...2・ 板橋区政ニュース発刊 3・3 連合軍、成増飛行場跡地をグラントハイツと改称 3・8 国民協同党結成 ...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 練馬区史編さん事業経過(1299頁) | ...(区史の内容についての協議・資料調査)五回開く九月二七日 「グラント・ハイツ(旧成増飛行場)にかかわる座談会」(地元農家の関係者五名)一一月一日 編さん事務局打合わせ(五...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(現勢編)」(昭和56年刊行)
| 第五節 グラント・ハイツ(119頁) | 第五節 グラント・ハイツ成増飛行場時代飛行場建設昭和一八年の春、太平洋戦争「緒戦の勝利」に酔ったのもつかの間、いよ...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(現勢編)」(昭和56年刊行)
| 第五節 グラント・ハイツ(121頁) | ...歩の耕作面積をもっていた田柄田圃は、このときを機に消滅の運命となった。図5―1 成増飛行場見取図掩体壕(田柄4―32 昭和56年3月)こうして成増飛行場は完成した。図5―1は当時の...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(現勢編)」(昭和56年刊行)
| 第五節 グラント・ハイツ(122頁) | ...に掩体が当時の面影を残している。飛行第四七戦隊昭和一八年一〇月、新たに建設された成増飛行場へ、柏にあった独立飛行第四七中隊がその名も「飛行第四七戦隊」と改称され三中隊編成...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(現勢編)」(昭和56年刊行)
| 第五節 グラント・ハイツ(123頁) | ...だけで、翌日の夜明けまでには、飛行機の発着が出来るまでに滑走路の雪かきを終えた。成増飛行場は、北は川越街道、南は富士街道にはさまれる、一・五km2に及ぶ面積を有していた。...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(現勢編)」(昭和56年刊行)
| 第五節 グラント・ハイツ(124頁) | ...としおであった。降伏後、日ならず、八月二十四日数台のジープに分乗したアメリカ兵が成増飛行場にやって来た。そして戦いに傷ついた戦闘機にガソリンをまいて、それに火をつけた。も...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(現勢編)」(昭和56年刊行)
| 第五節 グラント・ハイツ(129頁) | ...吉衆議院議員の紹介をもって、衆議院議長、東京都知事、練馬区長に陳情書を提出した。成増飛行場建設のための買上げの際、目的を完了したら、返還するという約束があったためである。...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(現勢編)」(昭和56年刊行)
| 第五節 グラント・ハイツ(138頁) | ...い道のりであった。昭和一八年、戦争に勝ちぬくためと、旧陸軍の強制的な買収に応じ、成増飛行場建設に協力し、先祖伝来の住居、農地、墓地などを失った地主は百数十名に達した。他区...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(現勢編)」(昭和56年刊行)
| 第六節 キャンプ朝霞跡地開発(147頁) | ...被服廠を設置、同一八年南地区に陸軍予科士官学校を開設した。土地買収にあたっては、成増飛行場の場合と同様、多くの農民が先祖伝来の農地を強制的に提供させられた。敗戦直後の |
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(現勢編)」(昭和56年刊行)
| 第二節 練馬区人口の動き(281頁) | ...な増加基調で、とくに目立った動きはみられない。これは、かつて「光が丘」に立地した成増飛行場の跡地利用、とくに米軍グラント・ハイツ建設工事にともなう日本人従業員の一時的な流...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(現勢編)」(昭和56年刊行)
| 第二節 地区別町の変遷(406頁) | ...、屑金属拾いが殺到する時期もあった。陸上自衛隊練馬駐とん部隊(昭和31年)やがて成増飛行場址に、米軍家族の宿舎グラント・ハイツの建設がきまると、引込線は延長されて二一年三...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(現勢編)」(昭和56年刊行)
| 第二節 地区別町の変遷(412頁) | ...でも二倍になっていない。農地改革後の農業の盛んな時代であったのである。昭和一八年成増飛行場の建設によって、飛行場の排水をよくするため田柄川の改修工事の必要が起り、また、そ...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(現勢編)」(昭和56年刊行)
| 第二節 地区別町の変遷(413頁) | ...た。首都周辺に調布、成増、所沢、松戸、柏等の飛行場と高射砲陣地が急ぎ建設された。成増飛行場(高松飛行場とも言う)の工事は昭和一七年の秋、測量から始まる。昭和一八年一月飛行...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(現勢編)」(昭和56年刊行)
| 第二節 消防(1613頁) | ...八一名、ポンプ車六台、指揮車一台であった。終戦直後の消防区内には戦前に整備された成増飛行場があったが、戦後連合軍に接収され、二二年三月三日「グラントハイツ」となり、以後米...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(現勢資料編)」(昭和55年刊行)
| 昭和18年(1943)/昭和19年(1944)(9頁) | ...陣12・21政府.「都市疎開実施要綱」発表この年陸軍予科士官学校開校(朝霞)陸軍成増飛行場建設12・28閣議,食糧自給体制強化措置要綱・自作農創設の促進に関する件決定昭和...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(現勢資料編)」(昭和55年刊行)
| 昭和20年(1945)(10頁) | 終戦直後の成増飛行場 太平洋戦争たけなわの昭和18年に建設され,首都防衛の一翼を担ったが,敗戦でつわ...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(現勢資料編)」(昭和55年刊行)
| 昭和21年(1946)(13頁) | ...(新円発行・旧円預貯金封鎖)3・25啓示線(東武東上線)上板橋―米軍接収住宅地(成増飛行場跡)開通4・10第22回衆議院議員選挙4・22幣原内閣総辞職5・3極東国際軍事裁...
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練馬区独立三十周年記念「練馬区史(現勢資料編)」(昭和55年刊行)
| 昭和22年(1947)(15頁) | ...1・31GHQ,2・1ゼネストに中止命令2・ 板橋区政ニュース発刊3・3連合軍,成増飛行場跡地をグラントハイツと改称3・8国民協同党結成 12都長官,牛田板橋区長に対し...
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