1 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第三節 村の状態(313頁) | ...家綱の将軍時代に練馬御殿を造り、病気療養のためとか、鷹場陣屋(綱吉は将軍就任前は鷹狩を行なっていた)として利用していたことは充分考えられる。江戸城に入ってからは鷹狩を禁止したので、...
|
2 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第三節 村の状態(324頁) | ...記」(愛知県西尾市立図書館岩瀬文庫蔵)などにも記されている。このことについては「鷹狩」の項で詳述する。下石神井村の家数は文政年間の「地誌調写置」(長谷川家文書)によ...
|
3 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第四節 練馬の鷹場(380頁) | ...を包含しつつ農民は日々の暮しを続けていったのである。第四節 練馬の鷹場江戸初期の鷹狩り徳川家康は性来鷹狩りを好んだが、それと同時に武士の訓練と、各地の地勢を察知し、民情を探り、人心...
|
4 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第四節 練馬の鷹場(381頁) | ...の王子、中野、杉並、練馬、武蔵野の他、忍おし、越谷、川越に遊猟している。家光は、鷹狩りを行なうばかりでなく鷹狩制度の整備に意を用い、寛永五年(一六二八)一〇月には、御鷹場法度を公布...
|
5 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第四節 練馬の鷹場(383頁) | ...えてくる。恐らく石神井を拠点とした善福寺池付近の猪狩りであったと解したい。家光の鷹狩りと金乗院金乗院は綿二丁目にあって、川越街道のすぐ南に位置する。『練馬区の歴史』...
|
6 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第四節 練馬の鷹場(384頁) | ...土支田)の地域であれば、東福寺で休息してから十分狩猟の可能な距離である。南部侯の鷹狩り『練馬の伝説』の中に「元禄の始め頃である。南部侯が、このあたり(上練馬村付近)...
|
7 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第四節 練馬の鷹場(385頁) | ...儀御鷹場の管理と農民の負担公儀鳥見役が置かれて御拳場を支配し、野鳥の繁殖状況や、鷹狩りに伴う農民統制をつかさどった。つまり、鷹狩りの際の案内とか禁令の励行、鳥追、鉄砲、案山子、水車...
|
8 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第四節 練馬の鷹場(388頁) | せた。『大和町史研究1』によれば、一、鷹狩りの際の案内二、鳥見衆の送迎三、時々行なう鷹場内の検分四、鷹場禁令の励行の監視五...
|
9 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第四節 練馬の鷹場(389頁) | ...や八坂神社などを造営するなど代々繁栄したが、現在では絶家となっている。尾張藩主の鷹狩り御鷹野のための御殿を、最初は入間郡扇町屋(入間市)に建立したが、まもなく野老沢...
|
10 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第四節 練馬の鷹場(390頁) | ...て清戸に出猟している。宝暦三年(一七五三)一〇月のこと、藩主の若殿が、清戸御殿に鷹狩りの際、遠見と称して柳瀬川を渡り、新田開発で知られた上富(三芳町)の多福寺まで出...
|
11 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第四節 練馬の鷹場(391頁) | ...りきびしい生活上の制約を受けたが、さらに次のような負担が義務づけられていた。一、鷹狩りの際の出し人足二、道路や橋の修理三、廻村する役人の送迎四、連絡用の廻状の送達五...
|
12 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第二節 仏教寺院の進出(453頁) | ...愛染院と本寺の争いをしたことがのせられている。慶安二年(一六四九)三代将軍家光が鷹狩の途次夕立にあって立ちより、住職の請により、村内の各寺院を真言宗とし、金乗院の末...
|
13 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(歴史編)」(昭和57年刊行)
| 第八部 年表稿(1250頁) | 元和 四 一六一八 11・26 将軍秀忠、板橋付近で鷹狩 〃 九 一六二三 6・ 伊藤八右衛門、松平越後...
|
14 |
練馬区独立三十周年記念「練馬区史(現勢編)」(昭和56年刊行)
| 第二節 地区別町の変遷(390頁) | ...脚気を患い、療養した所といわれ、練馬大根発生の地といわれている。真言宗金乗院には鷹狩りに立寄った三代将軍家光のお手植と言われる大銀杏がそびえ、墓地には下練馬村旧名主...
|